(26)238 『闇の桎梏』



夜空を見上げながら涙を流す者がいた。
彼女は誰にも見つからない所を探し、一人でその場から空を見上げていた。

そして呟いた一言を空気に乗せて、
誰もその場にいないのに、聞かせないようにとてもか細い声で。


彼女の涙を止める者は誰一人いなく。
むしろその一人を味わうかのように、彼女は泣き続ける。
たとえ涙で空が滲んでも、彼女は声を出さずに静かに泣いた。


    **


「変な夢見たー…」


亀井絵里はそんなことを言いながら、病室のベッドの上で起き上がった。
髪をかき上げて窓の外を見れば、空は夕焼けでもうすぐ夜になろうとしている色だった。

ぼーっとしながら空を見ていると、扉をノックする音が聞こえそちらに振り返る。
入ってきたのは看護士で、手に持っているトレイには今日の夕飯が乗っていた。
看護士はトレイを絵里の前にある机の上に乗せると、後から取りに来ますと言って部屋を出ていった。
もうそんな時間なのかと思いながら、絵里は手を合わせていただきますと言い、夕飯に手をつけはじめた。


病室には一人。
食べている間は自身の咀嚼する音しか聞こえず、とても静かだった。

心臓は手術して大丈夫になったが、毎年一回は術後検査の為に入院しなければならず、
絵里はその為だけに病院に来ていた。
その間はいつも行く店にも行けず、
たった三日間の入院期間には見舞いに来てくれる者もいるが、基本誰とも会えずじまいで。
絵里はそんな三日間が少し嫌だった。


嫌と言えば、なぜか先ほど寝ていたときに見ていた夢をふと思い出した。


「そういえば…誰なんだろー…?」


夢に現れていたのは、夜空を見上げながら涙を流す者だった。
夜だったせいか、また自分が見ているのは顔が見えない位置だったのか、
それが誰かなのか特定はできなかった。

しかし、その人は女性だった気がした。
しかも親しい人だった気がする。
そういえば、その女性は髪の毛が長かった。
もう少しで顔が見えそうなのに見えなかったのが、いつまでも引っかかって離れない。


「んー……すごい気になるー」


もう一回寝ようかと思ったが、さっきまで寝ていたのにすぐに寝ることもできず。
もやもやした思いを抱えながら絵里はその日を過ごした。


     **


ふと気付けば、薄暗い森の中にいた。
周りを見渡しても誰もいなかったが、木々の間から漏れるわずかな光に目を細め、
その光がある方向へと歩いていった。

少し歩くと、森の中でもひらけた場所に出た。
そして、その真ん中では一人の女性が夜空を見上げていたのだ。
なぜか、近付けない雰囲気が周囲を覆い、その場で立ち止まった。

少しの間その女性を見ていたら、女性は涙を流していることが分かった。
夜空を見上げて涙を静かに流すその光景は胸を締め付け、とても切なくさせた。


そして、ふと誰なのかと思い静かに、物音を立てないように顔が見える位置へと移動した。
髪の毛は栗色のロングでゆるくパーマがかけられていた。
自分よりも身長が小さい気がして、小柄な感じがした。




なんで、そんなにも切ない顔をするの?
なんで、一人で泣いてるの?


親しく見知った顔がそこにはあった。
けれど、声をかけることはなぜか戸惑われた。
見てはいけないものを見たかのように、音を発することさえ適わぬぐらいに。

夜空に浮かぶ月明かりで、彼女の顔はよく映えていた。
流れる涙が光り、切ない気持ちがこの胸の中を支配した。


どこか幻想的で、この夢心地な光景が、
自分にも、他の誰にも届きそうにないような感じがして、
静かにその場を後にした。


    **


ふと目が覚め、時計を見れば深夜だった。
カーテンが閉まっていない窓の外を見ると、月と星に彩られた深い夜空が広がっていた。


「……ガキさん…」


まだ寝ぼけている中一言そう呟いて、
あの泣き顔を癒したいなと思いながら、
絵里は深い眠りに落ちていった。


最終更新:2014年01月17日 15:45