(27)027 『THE BIRTHDAY OF ...』



 ―やれやれ…面倒なことになったなぁ…

それがそのときのわたしの率直な心情だった。


ぼんやりと歩いていた街中で遭遇した、あまり品も頭もよくなさそうな男たち。
無理やり連れ込まれた、都会の死角。

男たちの目的が何であるかは容易に想像がついたが、その時点ではさほど煩雑さを感じてはいなかった。
いつもと変わりない冷たい感情が、静かに満たされているだけだった。

だけど……

「おい!やめろよ!」
「……あ?なんだテメー」

一人の男が場に闖入したことで、状況は変わった。

たった一人だけで、複数の…加減という言葉すら知りそうにもない与太者たちに対し、その男は真っ向から立ち向かった。

だが、それはあまりにも愚かな行為であったと言わざるをえない。
よほど腕に自信があるのかと思ったら、「話せば分かる」とでも考えているかのような態度で、わたしを取り囲んでいる男たちを説得しようとしたのだから。
まともな会話ができるような相手ではないことくらい、サルにでも分かるだろうに。

その結果―――

その間抜けな男は、鉄パイプで思い切り頭を殴られて地面に倒れ臥した。
殴打されたときの音からして、確実に頭蓋が損傷しているだろう。
命に関わることも十分に考えられる。

この低脳たちの無軌道さにも吐き気がするが、男の無謀で無計画な行為にもわたしは形容し難い嫌悪を覚えていた。


「馬鹿じゃねーのコイツ」
「『おい!やめろよ!』だってよ。やめませーん」
「俺たちは死ぬまで止まりませーん」
「ってか死にそうなのコイツなんですけど」

冷たい地面に倒れ、小さく痙攣する「馬鹿」を指差しながら、知性の欠片もない笑い声をあげる生ゴミたち。
その頃には、わたしはその“腐臭”に耐えられなくなっていた。

バカ笑いのせいでわたしを掴んでいる手が緩んだのを見計らい、軽く体をひねって抜け出す。

一瞬驚いたような顔をした生ゴミたちは、次いで醜悪な憤怒の表情を形作った。
わたしの向ける視線が蔑みに満ちていることに気付いただけでも、彼らとしては上出来だと言えるかもしれない。

だが、その次の瞬間には胸のむかつくような緩んだ笑みが浮かんだ。
まるでコピー&ペーストをしたかのような、見事なまでに同じ種類の笑みが全員に。

きっと“思い出した”のだろう。
自分たちは“狩る側”の人間であるということを。
そしてこのか弱き少女は、逃げられない網の中で必死にもがく憐れな“獲物”なのだということを。

あまりの“腐臭”に吐き気どころか頭痛まで感じ始めたわたしは、静かに内ポケットに手を滑り込ませた。

生ゴミはどうしたって生ゴミ。
ならばせめて動いたり喋ったりしない生ゴミになってもらうしかない。
比喩ではなく、本当の意味での生ゴミに。

その方がまだいくらかかわいげがあるというものだろう。

わたしの中には、再び暗く冷たい闇が広がり始めていた。


「何しとー!」

だがそのとき、再び新たな声が割って入り、わたしは半ば呆れてそちらを見遣った。
日頃人付き合いの希薄なわたしにとって、見知らぬ人間にこれだけ次々関わることなど稀有と言えた。
それ故、どことなくうんざりした思いを抱きながら視線を移したわたしだったが、そこにあった光景には少しばかり驚いた。
そこには、わたしと同年代くらいの2人の少女がこちらを睨むようにして立っているという、思いもしなかった光景が在ったから。

 ―……一体何を考えてるんだろ

呆れるのを通り越して、腹を立てていいやら笑っていいやら分からない。
彼女らの姿を見て、想像通り…と言うのもバカバカしいほど当然のように、生ゴミたちの耐え難い“腐臭”は最高潮に達した。
“獲物”が勝手に3人に増えてくれたのだからそれはそうだろう。
それも、十人並み以上の容姿の“獲物”ばかりなのだから。
…まあ、自分は謙遜するにしても、少なくとも現われた2人はアイドルをやっていると言われても信じるだろうレベルだ。
生ゴミたちが浮かれるのは、水分子を分解したら水素原子と酸素原子になるのと同じくらい当然の事象であると言えた。

不可解なのは彼女らの方だ。
さっきの男以上に愚かであるとしか言いようがない。
わざわざ好き好んで生ゴミの中に顔を突っ込む神経は、わたしには理解しかねた。

生ゴミたちは、その口から耐え難い“腐臭”漂う言葉を垂れ流し、下卑た笑いを貼り付かせて彼女らに近づいていく。

 ―やれやれ…面倒なことになったなぁ…

わたしはひっそりとため息を吐いた。
自分一人の方がむしろ都合がよかったのに、ありがた迷惑もいいところだ。
勝手に飛び込んできた彼女らがどうなろうと知ったことではないが、かといって…
でも何故だろう、彼女らに対しては奇妙な懐かしさのようなものを覚える――

微かな困惑とともに、意識が現実から一瞬剥離する。
そして、それはその間に起こった。


「ぶげ……っ!!」
「ぱがっっ……」
「……ひ…ぐぇっっ!!」
「な……ぶっ……!!」

 ―ほんとに生ゴミみたいな汚い音だなぁ……
 ―でもその割にはきれいに“処理”されたもんだなぁ……

そんなどこか見当はずれの感心をしたのは、「それ」が起こってしばらく経ってからだった。
「それ」――すなわち、たった1人の少女の手によって、ものの数秒で為された“ゴミ処理”が。

 ―見るからにヤンキーっぽいけど…あんな華奢なのに……

などとのん気に感心していると、そのヤンキーが真っ直ぐこちらに向かってきていることに気付いた。
反射的に身構えかけたが、あの子は自分を助けに来たのだということを思い出して体の力を抜く。

「助けてやったんだから有り金全部よこせ」とでも言われるかもしれないが……そのときはまあ黙って差し出しておこう。

そんなことを考えるうちに、目の前にヤンキー少女が立っていた。
間近で見ると、より一層華奢で小さい。
思わずまじまじと見つめていると、ヤンキー少女が口を開いた。

「大丈夫っちゃん?怪我とかしとらんと?」

 ―九州弁…?博多…?あたりの出身なのかな?

特徴的な訛りに、思わず笑みが漏れる。
芝居ではなく、自然と笑みがこぼれてしまったのは本当に久しぶりのことだった。
そんな自分に少し戸惑いも覚えたが、目の前のヤンキー少女の言葉にはここ数年触れた記憶のない温かさがあった。
表情や言葉そのものは無愛想と言ってもよかったけれど。


大丈夫だと告げて礼を述べると、一瞬安心した表情を浮かべた後、難しい表情に戻って背後を振り返る。

「愛ちゃん、そっちん人は?」

その視線の先に目をやってようやく思い出した。
さっきわたしを助けようとした人間がもう一人いたということを。

男の傷の具合を診ていたらしい愛ちゃんと呼ばれた少女は、ゆっくりと顔を上げた。
そこには悲痛な表情が浮かんでいる。

「あーしにも詳しくは分からんけど…多分一刻を争うんは確かや」

 ―こっちの子も訛ってるなあ…また別の方言っぽいけど…どこの人だろ?っていうか何者だろこの人たち

のんびりとそんなことを考えるわたしとは反対に、ヤンキー少女の表情はさっと曇った。

「もしかして“声”も全然聞こえんと?」

 ―声……?

何を言っているのだろう。
気を失っているのだから、元より声など発するわけがないのに。

訝しげなわたしの表情に気付いたらしい愛という少女が、心なしか慌てたように答える。

「うん、声かけてみたけど全然反応が返ってこん。頭の骨折れてるみたいやし…脳も損傷してるんかも分からん…」

 ―わたしならば……きっと助けられるだろう……でも……

そんな思いが一瞬頭を過ぎったが……無理だ。少なくともこの状況では。“能力”をこの場で使うなど。
何よりも無意味だ。そんなこと。誰かを助けるなど。今までと同じで――


心の中でそう吐き捨てた瞬間、愛が小さく息を吸い込む音が聞こえた。
目をやると、驚いたような表情でこちらを凝視している。
瞬間、胸の奥で何かがざわつくような感覚を覚えた。

その感覚がどのような感情に起因するのかを自分でも量りかねているうちに、愛が口を開いた。

「あなた……もしかして“チカラ”があるんか?その……なんて言うか……普通の人とは違う“チカラ”」
「……!!」

知られてはならない秘密を知られたという恐怖が突き抜ける。
周囲の人間に化け物扱いされ、わたしを悠久の孤独に追いやった忌まわしい“チカラ”のことを……知られた。

…だが、これまでのときのような、絶望とともに沸き出す冷酷な感情が膨れ上がることはなかった。
何故なら―――

「あ、心配せんで。あーしも“そう”やし。れいなも…あ、その子も」

そう、やはりそうだったのだ。
初めて会ったにも関わらず、何故か懐かしさのようなものを覚えたのはそれが原因だったのだろう。
“同胞”なのだ、彼女らは。

だけど……

この男を助けることに意味などあるのだろうか。
確かにわたしを助けようとしてこんなことになったのは事実だけれど……別にわたしが頼んだわけじゃない。
それに、どんな思惑を持って近づいてきたか知れないのだ。
親切そうな顔をして近づいてくる人間を信用してはいけないことは、これまでの経験で身に沁みて分かっていた。
この男だって、腹の底では何を考えていたか分かったものではない。
助けるべき価値のある人間かどうか分からないのだ。
いや、経験から言って、助けるべき価値のある人間などいないと言っていい。
その恩は、確実に仇となって自分に返ってくるのだから。


「あなたがどんな人生を歩んできたかは分からんけど…でも…幸せな毎日やなかったいうことは分かる」

愛の声で我に返る。
視線を向けた先には、いたわるような……そしてどこか哀しげで…淋しげな顔があった。

「あーしも人の心の声が聞こえる“チカラ”があるばっかりに………ほやから、気持ちは分かるよ」

 ―……っ!心の声!?精神感応?じゃあ……

全部聞かれていたのだろうか。
わたしのこれまでの“声”を。

思わず警戒した表情を浮かべると、愛は慌てたように付け加えた。

「あ、ぜ、全部は聞こえとらんでの。“能力者”の声は聞こえにくいいうか、強い感情の揺れは分かるんやけど、その、でも……ごめん、勝手に覗いたりして……もう覗かんから」

しどろもどろになり、恥じ入ったような色を湛える愛の目を見て、不快な気持ちはすぐに和らぎ、逆に少し気の毒になる。
そしてそれと同時に不思議になった。

彼女がこれまで経験してきた過酷な日々は容易に想像がついた。
表出している部分だけでこれほどに“腐臭”漂う人間なのだ。
その内部たるや、想像を絶する汚泥が堆積し、耐え難い臭気に満ち満ちていることは想像に難くない。

それなのに…見たくもない、聞きたくもないそんなものに毎日毎日晒されながら、どうしてあんな目ができるのだろう。
どうしてこんな風に見知らぬ人間を助けることができるのだろう―――

その問いが“聞こえた”のかどうかは分からないが、愛は一転強い光を湛えた瞳をわたしに向けた。

「ほやけど…その分、あーしは世の中ひどい人ばっかりやないってことも知ってる。この人みたいに…自分の危険を顧みずに誰かのために何かができる人もいる」

ふっとわたしから離れた愛の視線の先には、わたしを助けるために瀕死になった男の姿があった。


 ―そうなのかもしれない……いや、本当は分かっているのだ……だけど……だけど………

……やっぱり分からない。わたしには。

愛の、そしてれいなと呼ばれた少女の目には、確かに信ずるに足る光が宿っている。
だけど、本当に信じていいのか――ましてや、“普通の人間”をも信じていいのか……そしてそれが正しいことなのか……

わたしには分からない………だけど―――――

………いや、考える必要などないのかもしれない。
今さらそんなことを「分かる」必要などどこにもないのだ。
わたしは既に“道”を選び、歩き始めてしまっているのだから。
愛の目に宿る「光」とは対極にある、「闇」へと続く“道”を。

連綿たる“哀しみの連鎖”を断ち切るには――それしかない。
こんな、辛くて、やりきれなくて、胸苦しくて……孤独な思いをする人間を、この先生み出さないためには。
「光」だけでは……理想だけでは、決して変えられないことがあるのだから。
例えば、あんな“生ゴミ”の命でさえ奪えないであろう彼女らには絶対に――変えられないことが。

だけど、同時にそれが何を指すのかということも分かっているつもりだ。
一度闇に身を任せれば、出口を探すことすら叶わないということも。

だからわたしは戻れない。
いや、戻る気もない。
わたしは望んで闇に染まったのだから。
それがわたしの目的を果たすに当たって必要なことのすべてなのだから――

乱れかけていたわたしの心に、静かにいつもの冷たい感情が満たされてゆく。
それと相反するように、わたしの顔はにこやかな笑みを形作った。

「分かった。やってみるよ。そこ、替わってもらっていいかな?」


わたしの笑顔と言葉に、愛とれいなの表情がパッと輝く。

その、どこまでも純粋で眩しい光から目を背けるようにして、わたしは先ほどまで愛がしていたように男の頭の辺りにしゃがみ込んだ。
赤黒い生々しい傷口と、明らかに変形した歪な頭蓋が見て取れる。

わたしはその傷口のあたりにそっと手を添え、自らの“チカラ”を解放した―――

    *     *     *

男は、わたしの感謝の言葉に対して照れたような笑いを浮かべ「いやいや」と手を振った後、首をひねりながら立ち去った。
その姿を安心したような顔で見送った愛とれいなは、改めてわたしに向き直る。

「すごいのー。あんなに重傷やったのに」
「マジでびっくりしたっちゃん!」

それはお互い様だ。
愛が“生ゴミ”たちを瞬間移動でどこかに連れて行ったのには驚いた。
同時に2つの能力を持っている人間がいるなど考えたこともなかったから。

「なあ、もしよかったら…あーしらのとこに来ん?もう一人くらいならなんとか…なる思うんやけど」

そう言いながら、愛はわたしに名刺のような物を差し出した。

「喫茶…リゾナント?」
「うん、あーしらがやってる店で…住居スペースも一緒になっとるから…あーでもあんま広くないんやけど…ほやけどなんとか…」
「愛ちゃん、れいな別にどこでも寝れるけん心配せんでもいいけんね」
「あ、いや、ちょっと待ってくれるかな?」

このままだと、今すぐにでも喫茶リゾナントとやらで彼女らと同居することになりそうな雰囲気だったので、やんわりと遮る。
残念だが、もちろんのことそんなつもりはわたしにはない。
彼女らがわたしにとって“同胞”であるのは確かだが、歩む道は――明らかに違っているのだから。


「まあそんなに慌てて一緒に住むこともないよ。まだお互いのこともほとんど知らないわけだし」
そう―――わたしはまだこのとき知らなかった。この出逢いが何を意味していたのかを。

「あ、そ、そやね。ごめんのーなんか一方的に……」
もちろん愛も。

「あんたもこの街におると?それやったら連絡つくようにしてくれよったらまたいつでも会えるっちゃけど」
そしてれいなも。

「うん。じゃあ携帯の番号だけ教えとくよ」
だからわたしはデタラメな番号を彼女らに伝えた。二度と彼女らに会うつもりはなかったから。……会わない方がいいと思ったから。

「よかったらリゾナントにも来てみてのー」
必ず行くと微笑みながら、そんな名前などすぐに忘れてしまうことになるだろうと思っていた。

「そういえば、まだあんたの名前聞いとらんやったと」
でも…本当に会う気がないなら、わたしはこのとき偽名を名乗るべきだったのかもしれない。

「あ、そうだったね。申し遅れました。わたしは…紺野あさ美って言います。どうぞよろしく」
一瞬、嘘をつくことも頭を過ぎったけれど、何故か結局そうはしなかった。

「あさ美ちゃんかー。あーしは高橋愛、この子は田中れいな。よろしくのー」
“同胞”へのせめてもの礼儀のつもりだったのか……それとも、断ち切りがたい思いがあったのか……自分でも分からない。

――だが、この日がわたしにとって忘れえぬ日となったことだけは間違いのない事実だった。

自分の誕生日であること以上に、愛とれいなに出逢った日として。
いや、ある意味この日こそが本当の意味でのわたしの誕生日になったのかもしれない。
わたしの中で、何かが生まれた日だったから。

そして、わたしの運命が大きく転がり始めた日だったから―――



最終更新:2014年01月17日 16:08