(28)146 『幻と雷雨とバナナクレープ』



ジュンジュンと買い物してるときに、些細なことでジュンジュンと大喧嘩した。
バナナのクレープが売り切れてたのは小春のせいとか、そんな理由で怒るなんてどうかしてる。
確かに小春はずーっと洋服を見てたけどさ。あれもこれもって見てたけどさ。
そういうジュンジュンだって、パンダのぬいぐるみの前から一歩も動かなかった。
小春一人が悪者扱いなんて、そんなの許せるわけがない。

だから、小春はキレた。

「ジュンジュンはコドモじゃん! そんなことくらいで!」

だから、ジュンジュンもキレた。

「久住サンはコドモだね! 洋服一つ決められナイ!」


喧嘩別れして歩く人ごみ。
ぽつりと肌に落ちてきた雨つぶ。

あ、これは降りそう。
そう思って空を見上げて腕に手をやって、気づいた。

「…傘、ジュンジュンが持ってっちゃったじゃん…」

正しくは、小春が服を選んでるときに傘をジュンジュンに持ってもらってた。
そのまま、受け取るのを忘れて持たせたままだった。

「もう! ジュンジュン、人の傘なのに!」

カンペキ八つ当たりなのはわかってる。でも、自分の間違いは認めたくない。
ジュンジュンだって悪い。さっさと小春に返してくれればよかったんだ。


どんよりと濁った色の雲は、思ったよりも早く雨足を強めてた。
あー、これは濡れる。マズい。
小春は人と人の隙間を縫って、早足で駅まで向かおうとする。

その瞬間。

「きゃーっ!」

一瞬真っ白に光った視界と、周りの人の悲鳴。
続いて地面から響いてくる振動。

「…カミナリつきかぁ…」

この雨は土砂降りになりそうだと思いながら、小春は雨宿りできそうな建物の隙間に身を隠した。

今、小春は深めの帽子をかぶって、サングラスまでしている。
若い人の多いこの通りでこんなカッコをしてる人は多いけど、
一人で雨宿りしている姿を見られたら、たぶん、目立つ。
よくよく顔を見られたりすれば、「きらりちゃん」だってバレる。

それはめんどくさい。
小春、ちびっ子以外にキャーキャー言われるのは好きじゃない。

小さく右手を空にかざして、イメージを呼び込む。
ハルシネーション。小春の姿は、辺りの景色と一体化する。
あんまり外で能力とか使いたくないんだけど、もうこれは緊急事態だし。
こうすれば誰にも見つからない。誰にもバレないで雨をやり過ごせる。

ひとつ息を吐き出して、建物の壁に身体を預けた。
ひんやりとして、小さく身体が震えた。


ときどき地面が揺れる。
まだ5月。夏というには早いけれど、暑かった昨日と今日。
まるで7月みたいな気温が雷雲を呼び寄せた。

小春は確かに能力としてのカミナリは使えるけど、
自然をどうこうできるほどの能力までは持ってない。
運が悪ければ小春にだってカミナリは落っこちる。たぶん。
避けられるかっていったら、多分ムリで、普通にビリビリってなって死んじゃうこともあると思う。
だから、カミナリに強いわけじゃない。だから、やっぱりカミナリは怖い。

ほら、今だって。

フラッシュを焚かれたみたいに街が白く光って、思わず目を閉じる。
数秒後にズズズと突き上げるような音と揺れ。
もう、やだ。こういうの。怖い。


だいたい、やっぱジュンジュンが悪いんだ。
バナナのクレープが食べられないくらいでウダウダしてないで、
別のにするとか、いっそのこと食べないとかそうしてくれれば、
きっと今頃小春とジュンジュンは二人とも電車にでも乗って、こんなピカピカに怖がることもなかったんだ。

そうだよ、ジュンジュンが先に帰っちゃったりしなければ、
手元には小春の傘があるはずで、少なくともこんなところで一人で雨宿りなんてしてないで、
カミナリは怖いかもしれないけど、駅まで濡れずに歩けたに違いないんだ。

ほぼ手ぶらの両手を見つめる。
あんなに時間をかけて見ていた洋服は、実は、買っていない。
気に入ったのが見つからなくて、何も買わずに店を出てきてしまった。
だからジュンジュンもきっと気に入らないんだ。ただ、時間をつぶしただけだから。


雨は止まない。雷も鳴り止まない。
思わず下を向いて、腕を腕で抱いてみる。

小春のハルシネーションは、優秀だと自分でも思う。
小春がここにいることは、目の前を通りすぎていく何百人もの人の誰にもバレていない。
そうする必要があるからそうしただけなのに、誰にも見えないことが、一人が、心細くなってきた。

「…ジュンジュンが悪いんだ」

もう、今日何度目。小春の口からついこぼれた言葉。
ジュンジュンが隣にいれば、こんな心細くなることもないのに。
また光ったフラッシュにぎゅっと目を閉じる。

チカチカ光るまぶたの奥。浮かび上がる見知ったシルエット。


「お邪魔しまーすネー」

独特のイントネーションに、思わず顔を上げた。
頭の中で見えたそのままの姿が、今、目の前にある。
見慣れた傘が雨つぶを弾く。水玉模様のそれは、小春の傘。

「やー、カミナリすごいから濡れター。
 雨もすごいから怖かっター」

よく考えれば言ってる言葉はめちゃくちゃだったんだけど、小春はそれをツッコむ余裕もなかった。
目の前の相手はさも当然のように傘の水を落としているけど、
小春にとっては、彼女はさも当然にここにいたらおかしい。おかしすぎるはずで。


「ちょっ…、どうして?」

当たり前の疑問。だって今、ここはまぼろしの向こう側。
小春だけの空間で、小春だけがいることのできる場所。
それなのにずかずかと上がりこんできて、平気な顔してる。どういうこと?

ばさばさっと傘を振り回して、ジュンジュンは軽く笑っていた。
気がつけば自分の腕はまだ自分の身体を抱きしめたまんまで、
それが余計に面白かったのか、左手でツンツンと小春の指を突っついてくる。

「久住サンはコドモだから、カミナリ怖いだろーナーって、
 それで、ジュンジュン、久住サンの後ろから、ウロウロしてた」
「こっ、小春子供じゃないもん! 今年17だもん! オトナだよ!
 ってゆーかストーカーじゃんそれ!!!」
「スグそゆこと言うー。だから久住サン子供だよネー」

この期に及んで強がっても空回りするのはわかってたけど、
でも、小春はたかがバナナでキレるジュンジュンにだけは子供扱いされたくない。
ずーっと指を突っついたままのジュンジュンの手を乱暴に振り払って、
小春は、もう一度ジュンジュンの顔をぐっと見上げた。

そしたら。

ジュンジュンは予想外にすごく優しい顔をして、

「ウソ」

そう言って、小春の頭をぽんぽんと撫でた。


「久住サン、呼んだデショ、ジュンジュンのこと」
「よ、呼んでなんか…」

ない、とはとても言い切れなくて、
だって実際この雨と雷の中で一人でいて、寂しくなったのは事実で、
そう言われてみれば、一人になってからはジュンジュンのことばっか考えてたことにも気づいて、
何だか恥ずかしいやら、情けないやら、悔しいやら、よくわかんなくなって、
小春は、ずるずると視線を地面に下げていくことしかできなかった。

「ホントは、もう帰っちゃえって駅まで行っただケド」

 改札で、久住サンの声、聞こえたカラ。

そう言ってジュンジュンは小春の隣にピタリとくっついた。
触れ合う腕からじんわりと伝わる体温。
視界に映るジュンジュンのジーパンの裾。跳ねた水でびしょびしょ。

「そしたら、久住サン見えないんだモン。
 聞こえたのこの辺、でも、久住サンいないってウロウロウロウロ」

ジュンジュンは閉じた傘の先で、宙に8の字をグルグルと描く。
そしてそのまま、トントンと地面を叩いた。

「も、帰るってとき、久住サンがジュンジュン呼んで」

 見えたヨ。目じゃなくて、ココロ。
 マボロシで目には見えなかったケド。
 ここにイルってジュンジュン、わかったカラ。

その言葉にハッとして三度顔を上げると、
自分の左胸を指さして微笑むジュンジュンがいた。


「共鳴って、スゴイネー」

少し前の出来事を思い出す。
小春は、無意識に念じていた。
ジュンジュンがいないと困る。だから、ジュンジュン、来て。
きっと、ぎゅっとつぶった瞳に浮かんだあのシルエットがそれ。

小春の幻術は、カンペキだった。
仲間であるジュンジュンにさえ見つからなかった。
それ以上に、共鳴ってチカラがカンペキすぎた。
小春は、どんなときでも、この共鳴に守られてるんだって、強く思い知らされた。

「…ジュンジュン、ずるい」

ぼそっとつぶやいた言葉はその耳に届いたみたいだけど、
ジュンジュンはきょとんとした顔で小春の顔を覗き込んでいる。

だって、ずるいじゃん。
小春、さっきまであんなに子供っぽい理由でキレてたジュンジュンが許せなかったのに。
ひとりぼっちの小春を助けに来てくれたとか、そんなの、カッコよすぎるじゃん。

「久住サン、よくワカンナイ」

呆れたようにため息をつきながら空を見上げたジュンジュンは、
空を指さして、小春にも見上げるように促した。

「カミナリ、止んだネ」

 * * *


パラパラと小降りになった雨の中を、ひとつの傘に身を寄せ合って歩く。
傘はジュンジュンが持っていた。
背の高さはそう変わらないはずなのに、ジュンジュンがやけに大きく頼もしく見える。

ジュンジュンはさっきまでの文句はひとことも言わない。
喧嘩して寂しがってヘコんでっていう小春の気持ちに、きっと気づいてる。

こういうとこ、オトナだと思う。
いつもは些細なことでくだらない言い争いばっかりするクセに。
どうしてこういうときだけ、もう。
小春、完全敗北じゃん。

…悔しいけど、今度ジュンジュンと買い物に出かけたら、
真っ先にクレープ屋さんに寄ってあげよう。
そのときは、バナナクレープは小春のおごり。ちょっとだけ、感謝を込めて。


改札が見えてきた。
ホームは別々。だから今日は、ここでお別れ。

「傘持ってくれてありがと、ジュンジュン」
「いーえー。
 あ、でもね久住サン」

呼び止められて首をかしげた小春に、ジュンジュンはニヤリと笑って言った。

「今度、バナナたっぷりのクレープ久住サンおごりネ?」

訂正。ジュンジュンはやっぱりコドモ。
自分からそんなこと言う人には、ハルシネーションバナナクレープをプレゼントだっ!!!



最終更新:2014年01月17日 16:18