(29)583 『少年の瞳(2)』



やがて、猫は幸せそうに小春の膝の上で眠りはじめた。

「…なんで、あの時空港にいたんですか?…あなたも、やっぱり…『組織』の人間なんですよね…?」」
思い出したように小春が問いかける。陽は完全に落ち、部屋には窓の外から宵闇が流れこんできていた。

「ああ、『組織』の仕事でな…。D-バイ市でカーン博士と言う…、まあ、イスラム社会の『核開発の父』と言われる人と会ってきたんだ」
「『核開発』…ですか…?」
「そう、まあ要するに『核兵器』製造の技術を買いに行ったんだよ。『北』の連中に買わせるんだがな。」

「…一体、何のためにそんな事を…!?」
「…ん、『合衆国』やら『大陸』やら…、大国に対抗させるためだな」

「おまえらはどう思ってるか知らんが、俺ら『組織』の最終目標は…、『組織』が全ての国家組織の『上位概念』として機能する事だ」
「そして、全ての国家の『富』は『組織』に帰属し、我々の手によって再分配される」

「…そんなこと…!」
「…できるわけがない…か?」
すでに灯りをともしていない室内は闇に包まれていた。月明かりだけが吉澤のシルエットを浮かび上がらせている。
吉澤の表情は暗闇の中でうかがい知れなかったが、その声は笑いを含んでいるようだった。


「だがな…、一部の『独裁国家』においては、“俺たちの『能力(チカラ)』”を使えば、いともたやすく出来る事だったりするのさ」
吉澤はそう言うと、小春に問いかけた。
「おまえの仲間の…、新垣里沙の『能力』はなんだ?」
「…? …『マインドコントロール(精神干渉)』…!!」
「そう、極端な独裁国家であれば、元首を『マインドコントロール』下に置く事で、その国家そのものをコントロールする事が出来る」

「それにな、独裁者なんてヤツは我が身だけがかわいいヤツなんだよ…。俺たちの『能力』をもってしても、一国の軍隊と戦うのはやっかいな仕事だ…」
「だが、独裁者一人の寝首を掻くのは雑作も無い事だ。…たとえば、高橋愛…。ヤツは“完璧な暗殺者”になれる『能力』を持っている。…そうだろう?」

小春の脳裏に、闘う愛の姿が浮かぶ。『瞬間移動』とあの『光の力』…。そしていつもは封印しているものの、『精神感応』の『能力』さえもある…。
もし常人が彼女に命を狙われたなら…、もしそれが大国の国家元首であろうとも、逃れる事は難しいだろう。

「そういう独裁者たちには、こっちがいつでもそいつの命を奪えるって事を、骨身に染みるほど判らせてやるんだ。その上で、“独裁者としての立場”は保証してやる…それだけで、ヤツラはみんな尻尾を振って俺たちの飼い犬になるのさ」

「実を言えば、『北』、『S-ダン』、『Z-バブエ』…。そこそこ大きな独裁国家はすでにほとんどが俺たち『組織』の傀儡となってる。独裁国家というものは常に報道統制がとられているものだから、外から見ても変化に気付かれる事はないがな」

「あとは、大国との対抗上、ヤツラにできるだけ『力』を持ってもらわなきゃ話にならん…。その為には手っ取り早いのはやはり『核』だ。」
「…だって、今は世界中で『核』を無くそうって…!!」


ククッ…と、今度は闇の中に吉澤のあきらかな笑い声が響く。
「…今、世界で唱えられてる『核拡散防止』なんてのは、すでに核を保有している大国が、自分たち以外の国々に核を持たせまいとしているだけの、ただの茶番だ」
「カーン博士も、主にイスラム圏の国々に『核』を拡散する事で、世界のバランスをとろうとしていたよ。その点で、俺たちと利害は一致した」

「当初は脅しても核の技術を奪うつもりだったが、意外と話が合って盛り上がったよ。カーン博士はイスラムの人だから、一緒にお酒を飲めないのが残念だったけどね…」
「とりあえず『北』はたいした産業もないから、今は『覚醒剤』や『麻薬』類全般を手広く作らせてる…。それを日本や『大陸』で売りさばいて資金を作り、D-バイ市をベースに、核の技術や日本から持ち出した関連部品を買わせるのさ」

「核ミサイルが完成したら、今度はそれを『S-リア』あたりが買ってくれる段取りだ…。俺たちの計画はとても順調だよ」
「…そんなことをして、平気なんですか…?さっきの…、ヒロシ君みたいな、“普通の人々”が不幸になるとは思わないんですか…?」
小春の声が震える。

「…そうだな…。少しは不幸になるかもしれないな…。だが…」
吉澤の声が闇の中で響く。
「我々の組織が、世界の国家を牛耳る事が出来れば、“戦争は無くなる”…」
「そして、“富の再分配”が適切になされれば、貧困による『飢餓』もまた世界から消える…」

「…え…!?」
「わかるか…?ヒロシはサッカーが好きだが…、世界にはサッカーが好きでも、生まれてから一度も本物のボールを蹴った事もない子供や、靴をはいた事のない子供たちが、たくさんいる」


「あるいは、ボールを蹴る足さえも、地雷で吹き飛ばされてしまった子供達がいる…それでも、命を失わなかっただけ、彼らは幸せかもしれない…」
「世界中で、子供達が戦争で殺されている。“巻き添え”じゃない…。国家間、民族間の“憎しみ”は子供たちにも等しく向けられている…」

「久住…。おまえは今の世界で、“1日に『飢餓』で死ぬ”人間の数を知っているか?」
…小春は答えることが出来ない。

「…約4万9千人だ…。1日にな。その内、子供の数が約3万7千…」

「俺たちの『新世界』が実現すれば…、『能力者』たちが差別を受けない世界…。そして、“戦争と飢餓の無い世界”を造り上げる事が出来るはずだ…」

吉澤の声は、どこか遠くから響いてくるように聞こえた。

「そんな…!そんなきれい事言ったって…!あなたがたのやってる事は、ただの犯罪や殺戮じゃないですか!?」
小春が叫ぶ。膝の上の猫がピクリと耳を動かし、顔を上げる。

「そうだ。そのとおりだ。…俺たちは“その道を選んだ”んだ…。『新世界』建設の為には“手段を選ばない”と言う道をな…」
「…だが、忘れるな。今の『この世界』に対して行動を起こさない、声を上げないおまえたちは、この、『能力者』が差別され、虐げられ、罪の無い子供達の命が奪われ続ける『この世界』の加担者であり、共犯者である事を“選んでいる”のだ…」

かすかな月明かりだけが室内を照らしていた。


「…そんなこと…、あたしにはわからない…。…でも、でも…!LAで会った…、あんたたちの仲間の、後藤という人は、本当に悪魔のような人だった…」
「あの人にとっては、人間の命など…、本当に紙屑のようなものなんだろうと思った…」

「…後藤に…、会ったのか?」

吉澤の声のトーンが変った。
先程までのどこか熱を帯びたトーンとは違い、その声には得体の知れない“暗さ”が宿っていた。

ふと小春が見上げると、吉澤は闇の中、小春の眼前に立ち上がっていた。
いつの間にか『シェイラ』(頭を包む為のスカーフ)を顔に纏っており、その表情は全く見えない。

「ごっつぁんはなあ…、そういう役目なんだよ、俺たちの『組織』のな。『屠殺人』がいちいち豚に同情していたら仕事にならないだろう?」
「…あたしたちは…豚ですか!?」
小春が憤りに満ちた声を上げる。
「…それがヤツの『仕事』だってことさ」

突然、吉澤の右手の中に小さな光が宿る。光が消えた時、そこには大型の自動拳銃が握られていた。
そして、その出現と同時に吉澤は滑らかな動きでスライドを引き、発射の準備を整えると小春の額へとピタリと照準を合わせた。
銃口が今にも触れそうなくらいの距離で、鈍い光を放っている。


「…そう、そしてもし後藤がやらなければ…、誰か、他の人間がかわりに“それ”を実行するってだけの話だ」
「久住、悪いな…。俺の知らないうちに、おまえ等の『警戒レベル』は上がっちまってた様だ…。ごっつぁんが出張ってきたって事は、お前らのランクはAA(ダブルエー)…」
「“手段を問わない即時排除対象”… ってヤツだ」

「おまえらには悪いが、お前たちは『新世界』創造の為には犠牲になってもらうしかない…。そう、『組織』は判断したようだな」
「冗談じゃない!!そんな話、納得できるはずがないでしょう!?」

突然、ギュンッ…!という低い音とともに小春の膝の上から猫の姿が消え、代わりに先程の黒い豚のぬいぐるみが出現する。
猫はというと、逆に白い洗濯カゴの中に突然放り込まれ、いぶかしげにまわりを見回していたが、さほど気にする風でもなく、再びカゴの中で丸くなった。

吉澤の左手に再び光が宿ると、今度は大口径のリボルバーが出現した。そして吉澤はガチャリ…とトリガーを上げると、今度はカゴの中の猫に狙いを定める。
「まあ、別に俺もおまえを殺りたいわけじゃない…。だが、俺たちは“判断”して、“選択”していかなくてはならない。そうしなければ、『世界』は変わらない…」

「たとえばおまえだって、こうしてこの猫と自分と、どっちを撃つかの“選択”を迫られたら、“猫のほうを撃て”と言うだろ?…たとえ猫に罪はなくてもな…」


「…撃てばいいじゃん…」
「…何?」
「小春を撃てばいいじゃん!!…小春は…、その子を撃てなんて言わない!!」
「…あ?何言ってるんだおまえ? おまえが死ぬんだぞ? 猫の命と自分の命を引き換えるつもりか?」

「その子はこの前だって死ぬような目にあってるじゃん!今度は小春でいいよ!」
「…おまえ、バカだろ…? 死んでもいいのか!?」
「…いいよ…。でも、あんただって生かしてはおかない…」
小春はスッと右手を吉澤の目の前に差し出す。そしてVの字に開いた指の間に、小さな稲妻を走らせて見せた。
「どこを撃たれたって、頭を撃たれたって、あたしは一瞬であんたを黒焦げにしてやる…」

「…! …どういうトンパチだよ、おまえ…」
吉澤はあきれたような声を出すと、しばらく小春と猫とに銃口を向けたまま沈黙した。

数秒の後、ブゥゥゥ…ンというかすかな音とともに、吉澤の右手側に妙な空間の歪が出現する。それはさながら小型のブラックホールのように見える、直径20cm程の『闇』だった。

「じゃあ、これならどうだ?…さっきの話を覚えているか?“コレ”が俺の『能力』、『転移フィールド』だ…。この向こうにはおまえの仲間、『光井愛佳』の頭部がある…」
吉澤はそういうと、小春に向けていた銃口を、ゆっくりと『転移フィールド』へと向けた。

「さあ、選べよ。『光井』とこの『猫』のどちらを助けるのか…?“選んで”みろ。片方だけは助けてやる」
「それに…、おまえが“正しい選択”をしたなら、選んだヤツだけじゃなく、おまえの命も助けてやろう…。だが、もし“間違った選択”をしたなら、おまえも殺す」


「おまえが『電撃』を使えるのは知ってる…。だが、俺の銃の引鉄は羽のように軽い…。もし、俺が即死したとしても、俺の銃は両方を殺す」

「おまえはどちらかを選ぶしかない…。5秒待ってやろう。5秒後に、どちらを選ぶかを答えろ」

「…なんで!?ミッツィーは関係ないじゃん!!小春を撃てばいいでしょ!?」
「…1!」
「…え!」
小春の声をさえぎり、吉澤のカウントが響く。

「…2!」
「…ちょっと!!待って!!待ってよ!!」

「…3!」
「…!」

「…4!!」

吉澤の声がひときわ大きく響いたその瞬間…。
小春の渾身の『電撃』が凄まじい光を放ち、闇を切り裂いた。
同時にバスッ!!バスッ!!と言う銃声が響き、白いカゴが吹っ飛ぶ。

「ウワアアッ!!」
小春が悲鳴のような叫びを上げながら立ち上がる。

小春の膝に乗っていた豚のぬいぐるみが振り落とされた…。そう思われた瞬間、“それ”は「うにゃ~ん!!」と声を上げて畳の上に降り立った。


「え? …な、なんで!?ミ、ミッツィーは!?」
小春が『転移フィールド』に駆け寄って覗き込む。
しかし、フィールドの中には暗い土の地面が見えるだけだった。

「ねえ!?ミッツィーは!?どこなの?」
部屋を見回した小春が白いカゴを見ると、その中にはとぼけた顔をした豚のぬいぐるみがいた。
「ま、またすり替えた!? ミッツィーは!?」

「…光井なんていねーよ」
小春の『電撃』を難なくかわしていた吉澤が、部屋の奥の闇から歩み出てくる。
寝ている所を振り落とされた猫は、若干不満げに「うにゃ~」と鳴きながら、小春に擦り寄ってきていた。

「ハッタリだよ、ハッタリ!…そんな、どこにいるかも知らないようなヤツのところに、いきなり『転移フィールド』なんて造れる訳ないっつーの!」
「その『フィールド』の中は、このアパートの床下だよ…。運の悪いモグラかミミズでもいたら気の毒だけどな」

「…あんた…!!最ッ低…!!」
怒りに顔を紅潮させた小春が、吉澤に詰め寄る。
しかし、吉澤が再び右手の拳銃を小春の額に突き付け、その歩みを止めた。

「おっと…。怒る前に、自分の“選択”がどういう結果を招いたか良く考えてみろよ…」
「おまえが“選ぶ”事から“逃げた”為に、どっちも助からない結果に終わったんだぜ?…俺が本気だったら、どうするんだ?」

「…くっ!」
小春が悔しそうに唇を噛む。

その時…。アパートの粗末なドアをノックする音が響いた。



最終更新:2014年01月17日 17:47