概要
アストリア帝国が対ヒトラント戦宣を表したことにより、連合国陣営であるドルク大公国、大比那名居帝国、クラーク連邦がアストリア帝国に対し戦力を派遣。また、ドルク大公国の支援要請を受けたリーベル合衆国艦隊も参戦し、大規模な地上戦とそれに伴う制空戦が繰り広げられた。
経過と結果
連合国軍はアストリア侵攻への橋頭保として中立都市であるクウェートを確保する作戦を決行した。対するアストリアはクウェートを本土への最終防衛ラインと位置付け機甲師団、歩兵師団を配置。戦車壕や都市部への隠蔽など地形効果を狙い陣地を構築したが、ドルク大公国は無差別砲撃作戦により都市ごと歩兵師団を攻撃。歩兵師団を壊滅に追いやった。また、同時に展開された空挺部隊、戦車部隊によりクウェートは瞬く間に占領され残された歩兵部隊を撃滅した。
アストリア帝国はこれに対し空母艦載機を発艦、クウェート上空の制空権を確保するも、有効な対地攻撃能力を持つ航空戦力が不足していたため、司令本部にクウェートの現状を報告するに留まった。
その間に大比那名居帝国軍は国境を突破。アストリア領の都市ハフル アル バティンを占領した。
クウェート陥落の知らせを受け現地に急行したアストリア機甲師団であったが、またしてもドルク大公国の強力な野戦砲により一個機甲師団が戦闘不能となった。
これを受けアストリア帝国首相は、これ以上の継戦はさらなる流血と損失を招くだけだと判断し、連合国軍に停戦を勧告。連合国軍がこれを受諾する形で本戦闘は終了した。
戦力
アストリア帝国
四個装甲師団
六個歩兵師団
航空母艦5
ミサイル駆逐艦42
戦艦5
早期警戒機4
ドルク大公国
戦車220両
歩兵25万
火砲1万2千
航空機120機
大比那名居帝国
歩兵2万
戦車70両
火砲400両
自走砲30両
クラーク連邦
航空母艦2
駆逐艦2
リーベル合衆国
航空母艦6
戦艦1
航空戦艦1
軽巡洋艦2
駆逐艦14
損害
アストリア帝国
六個歩兵師団
一個機甲師団
ドルク大公国
105mm榴弾砲80門
制空戦闘機20
戦術輸送機8
大比那名居帝国
無し
クラーク連邦
無し
リーベル合衆国
無し
戦争のその後
アストリア帝国は、早期講和により本土での戦闘を避けることができたが、連合国に払った代償は大きい。
①賠償金並びに賠償艦の提供
②対ヒトラント戦線に投入されている太平洋艦隊の指揮権放棄
この2つを条件にアストリア帝国と連合国との間に停戦協定が結ばれた。
放棄された大西洋艦隊の指揮権は、日本連邦及び連邦軍側勢力に委譲され、引き続き日人戦争に投入されることとなるだろう。
所見
何より特筆すべき点は、ドルク大公国の誇る野戦砲の火力である。
世界最大級の口径を持つ1.2m砲の威力は凄まじく、都市を丸ごと瓦礫の山に変えることができるほどの威力を持っている。また、移動地点予測と計算された偏差射撃はもはや芸術である。
対してアストリア帝国は、非常に強力な陸上戦力、海上戦力を持ちつつも、ドクトリンが未完成であったり戦略目標を統一できていなかったりと、作戦立案・指揮レベルでの失敗が多く見られた。
連合国軍のクウェート侵攻に際して、敵の戦力を過小評価し、配備部隊の適切な投射が出来ていなかったことが今戦闘における最大の敗因であろう。
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