舞蔵戦争

舞蔵戦争(Maikura War)とは、舞羅連合帝国で発生した内戦を発端とする現舞羅連合帝国(自称門州連邦)とクラフティン共和国の間で勃発した局地戦争である。


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基本情報

戦争名 舞蔵戦争(舞羅解放戦争)
年月日 2016年12月12日~2018年3月19日
場所 舞羅連合帝国、クラフティン共和国
結果 クラフティン共和国優勢で停戦
舞羅連合帝国(門州連邦)の分裂
交戦戦力  クラフティン共和国
 舞羅連合帝国亡命政権
 ベルタティス連邦
 舞羅連合帝国(門州連邦)
指導者・指揮官  スギヤンmax
 新庄翼
 アルタ・バイアブランカ
 カルトス・ジェミニ・フィアンバラン
 スピカ・ビルゴ・フィアンバラン
 神帝 安帥帝比沙子
 坂下門左衛門
 近藤茂久
 辺国陸軍第3軍司令官
 辺国陸軍第7遠征師団在ネオトピア司令官
 辺国空軍遠征飛行群司令官
 遠山明憲
 西条直人
 杉原勘蔵
戦力 陸軍
 倉国軍 
  38,265名
 舞(亡)軍 
  2,015名 
 辺国陸軍 
  7200名 
海軍
 倉国軍 
  28,310名
 舞(亡)軍
  412名 
空軍
 倉国軍 
  2,000名
 辺国軍
  1,000名
車両
 倉国軍 
  382両
 辺国軍 
  295両(輸送車両等含まず戦闘車両のみ)
 舞(亡)軍 
  自走砲20門 
艦艇
 倉国軍 
  55隻
  舞(亡)軍 
  哨戒護衛艦1隻 
  輸送船5隻
 辺国軍 
  1隻 
航空機
 倉国軍 
  271機
 辺国軍 
  54機(AEW&C、給油機、輸送機8機含)
陸軍
 52,000名 
海軍
 21,000名 
空軍(陸海軍航空要員)
 5,000名 
車両 
 戦車100両 
 自走砲175両 
 装甲車200両
艦艇
 駆逐艦8隻
 軽空母2隻
 巡洋艦4隻
 巡洋戦艦1隻
 潜水艦5隻
 揚陸艦3隻
 掃海艇2隻
 輸送船25隻
航空機
 戦闘機110機
 攻撃機15機
 爆撃機5機
 戦闘ヘリ15機
 哨戒ヘリ10機
損害 死者 10036名
負傷者 13101名
捕虜 1373名
被撃破車両 634両
艦艇損害 10隻
被撃墜 119機
死者 約11万名
負傷者 13590名
捕虜 13936名
被撃破車両 460両
艦艇損害 23隻
被撃墜 161機

開戦経緯

1.舞羅内戦

本戦争の原因は、舞羅連合帝国で発生した帝国派と民主派による内戦である。帝国側は正統帝国政府を、民主派は正統共和国政府を名乗り対立、他の勢力もどさくさに紛れて参戦し、最終的には4つの勢力がひしめく結果となった。
当初は正統共和国政府が他勢力を圧倒するも、帝国派と永く友好的な関係を築いてきた隣国・クラフティン共和国が総力を挙げて正統帝国政府を支援し、戦況は膠着状態に突入。途中でクラフティン共和国は国内事情の変化により正統帝国政府への支援を断念、勢いを削がれた同勢力を圧倒する形で正統共和国政府が勝利し、舞羅内戦は終結した。
この内戦により、舞羅連合帝国は人口が1200万人から800万人にまで減少、経済規模も内戦前の1/10近くまで落ち込む結果となった。
なお、この時点で神帝・安帥帝比沙子を始めとする正統帝国政府の幹部らは消息不明となっており、正統共和国政府は終戦宣言において正式に正統帝国政府の"壊滅"を報じた。

2.門州連邦の立ち上げと在舞羅クラフティン人虐殺事件

舞羅内戦終結後、正統共和国政府は戦時中の体制をほぼ維持する形で新たな国家、門州連邦を立ち上げる。混乱の中同政府はいち早く国を復興させるべく奔走するが、戦時中の状況を調べるうちに驚くべき事実が明らかになった。
それは、戦時中舞羅連合帝国内にいた在舞羅クラフティン人が、交戦勢力の一つであった反乱同盟軍によって虐殺されていたというものであった。戦前、国同士の中も良く、国土的にも近かった両国は、お互いに身近な海外旅行・海外移住の地として国民同士の交流が非常に活発だった。実際、内戦発生時も相当数のクラフティン人が舞羅連合帝国内に滞在していたようで、クラフティン共和国は国外への脱出を支持したが、その時には既に国外脱出が不可能に近い状態だったと言われている。戦場と化した舞羅連合帝国で孤立した彼らは、途中で舞羅人の排斥を掲げる反乱同盟軍に見つかり拘束され、クラフティン人を舞羅人の同類と見なし、反乱同盟軍の拠点地下にあった拷問施設で想像するのも恐ろしい残虐な手段で殺害されたとされている。なお、遺体は証拠隠滅を図ったのか、川や海に遺棄されてしまっていた。
この事実にクラフティン政府は門州連邦政府に抗議したものの、門州連邦は「反乱同盟軍は現政府とは関係ない」「クラフティン人の危機管理能力にも問題がある」など、自らの国民が引き起こした参事の一切の責任を否定し、同時に倉国側を痛烈に非難する声明を発したため、両国間の関係は一気に冷え込んだ。クラフティン国民の中には、過激な発言をする者も少なくなかった。

3.亡命政府の発足と門州連邦の強硬策

両国の関係が悪化していく中、行方不明となっていた正統帝国政府の生き残りがクラフティン共和国ラクロア州にあるラクロア海軍基地内に舞羅連合帝国亡命政権を立ち上げる。同政権は舞羅内戦終結直前にフエゴ島を脱出し、最大の帝国支援国であったクラフティン共和国に亡命し、同国の支援の下密かに政権立ち上げを準備していたのである。
領土も国民も存在せず、運営予算もクラフティン共和国からの支援に依存している彼らだが、戦車含む1個大隊の陸上戦力と数隻の水上艦艇を保持しており、門州連邦(彼らは政権として認めていないため”舞羅実効支配勢力”と呼称)政府に対抗できるだけの力はないものの一応は国家の体をなしていた。
亡命政権は門州連邦政府に対し、舞羅連合帝国の行政執行の承認権、神帝閣下の君主復帰、クラフティン共和国の要求(内戦の責任を認め謝罪と賠償を行うこと)を要求した。当然門州連邦はこの要求を拒否、クラフティン共和国政府に全亡命者の速やかな引き渡しを要求し、拒否した場合全在門倉人のビザの没収と拘束、無条件の門州国内に存在する倉国資産の凍結、元々舞羅の軍事会社であるDEP社舞羅支部の半永久的接収という条件を押しつけた。
この時点で門州連邦内では「共和制は維持しつつも神帝閣下の帰国と限定的復権を認めよう」と考える復古派と「帝政の復活はなんとしても避けなければならない」と考える共和原理主義派の間で大論争が巻き起こっており、後者の筆頭として知られる大統領は復古派を”反体制派の危険人物”として議会から追放し、強制的に原理主義派の独裁体制を構築したのである。
更に門州連邦は半ば暴走状態に突入し、連邦陸軍航空機による対倉国偵察作戦と称した領空侵犯を行うようになっていった。この行動の目的は帝国主義者とその共謀勢力による再侵攻に備えての情報収集とされ、あくまで合法的かつ防衛的作戦と門州政府は説明しているが、門州国内においても「いたずらに倉国領空を侵犯するような行為は両国の緊張を高めるだけなのではないか?」と疑問の声を上げていた。 しかし門州政府は反対意見を黙殺し、作戦を続行した。結果クラフティン共和国は連日空軍機をスクランブルさせる事態になり、武力衝突が起きる可能性が出てきていた。


戦況


トリントン事件

+ ...
↑撃墜された倉国のAF-63A戦闘機。

戦争 トリントン事件(トリントン事変)
年月日 2016年12月12日
場所 クラフティン共和国・ソラティオ州トリントン郡西部
結果 門州連邦軍撤退により終結。
交戦戦力  クラフティン共和国  現舞羅連合帝国(門州連邦)
指導者・指揮官  スギヤンmax  杉原勘蔵
戦力 歩兵
 550名(救助隊)・1500名(増援)
車両
 戦車20両 
 輸送車両50両 
 装甲車40両
航空機
 戦闘機40機
 攻撃機5機
 輸送ヘリ10機
 救難ヘリ3機
歩兵
 6,000名 
車両 
 戦車10両 
 自走砲40門 
 装甲車60両
航空機
 戦闘機15機
 攻撃機2機
 戦闘ヘリ5機
損害 死者 12名
負傷者 89名
捕虜 0名
被撃破車両 18両
被撃墜 3機
死者 7名
負傷者 51名
捕虜 0名
被撃破車両 8両
被撃墜 9機

概要

国境付近をパトロール中だったクラフティン共和国の戦闘機を門州連邦軍が撃墜、パイロット救助のために出動したクラフティン共和国軍と戦闘になった事件。結果的に交戦状態に突入し、門州連邦軍が撤退することで事態は収束した。

経緯

舞羅連合帝国(門州連邦)側の情勢
2016年12月12日に国境線上を警戒中であった陸軍の戦闘機3機は(少なくとも門州側の判断では)領空を侵犯するクラフティン共和国(以下倉国)戦闘機を発見、これに攻撃を加え、自軍機2機に損害を負いながらもこれを撃墜する。
この事件の報を受けた門州政府は倉国と紛争の不拡大を約束したばかりであったことから、外交破局を恐れ事件に関する報道管制を敷いた上に国境警備隊にも一時的な武力行使厳禁を命じた。
しかし、現地陸軍司令官,杉原少将は、倉国の報復攻撃を警戒してこの政府命令を無視、航空部隊に武器使用自由を通達し国境警備隊陸上部隊にも厳戒態勢をとるよう命令した。
程無くして現場警戒に当たっていた陸軍戦闘機部隊は接近してくる倉国軍機と陸上部隊を補足、司令部に報告した後命令に従いこれを迎撃した。
この知らせを耳にした杉原少将はいよいよ倉国の報復が開始されたと確信、配下にあった国境警備隊第一旅団とその配下の部隊に越境攻撃を指示し、中央政府の知らぬ間に両軍は戦闘状態に突入した。
当初は装備と数の差から門州国境警備隊が優勢を保ったが、後半になって増援により倉国軍の抵抗が激しくなり、特に航空部隊は全滅級の損害を被ることになった。
この損害に、早速戦果拡大は困難と悟った杉原少将は「ひとまず倉国撃退という目標は達成した」と自分を満足させ部隊を撤退させた。

クラフティン共和国(倉国)側の情勢
以前にもまして領空侵犯を行っていた門州連邦に対抗するため、倉国も戦闘機による国境付近のパトロールを強化していた。
2016年12月12日、空軍の戦闘機AF-63Aは2機で国境付近の警戒任務を実施していた。
その後、1機は交代のため一旦離脱し、残ったもう1機(以下当機)でパトロールを続行していた。その時、領空を侵犯している門州国戦闘機(以下門州機)を発見、当機はこれに対しマニュアル通りに警告を実施しようとしたが、その前に門州機が当機に対し攻撃を実施、やむを得ず空戦に突入、卓越した航空戦術で門州機2機を撃墜に追い込むも、残る1機に撃墜されてしまった。
この一件はすぐに倉国政府の耳に入り、陸軍と空軍で捜索・救助隊を編成、陸軍ノーストリントン基地及びサウストリントン基地から当機パイロットの救助に向かった。
程なくして現場に到着し、捜索を実施していた最中に領空侵犯を行っていた門州連邦軍機及び地上部隊と遭遇、門州軍が攻撃態勢に入ったため、やむを得ず応戦した。
戦闘向きとは言えない装備しか持参していなかったため当初は苦戦したものの、予め万が一の時の為に準備していた陸空軍の増援部隊が参戦し、なんとか門州軍機の撃退には成功した。しかし、わが軍にも相応の被害が出た。
体制を整えた後で本来の目的であった戦闘機パイロットの捜索を行ったところ、トリントン郡内の国境付近のジャングルに墜落した戦闘機の残骸が発見された。パイロットが脱出した形跡はなく、パイロットは死亡認定された。(コックピットには座席の残骸が残っていた。)
墜落した機体の状態から、戦闘機などに撃墜されたことが判明し、後の門州連邦政府との会談で当機は門州機に撃墜されたことが明らかになった。

結果

事件の影響(門州側)
事件後、事の重大さを悟った軍総司令官,西条大将らは倉国駐留大使を通じての謝罪会談を開催、事の経緯を倉国政府に報告すると同時に関係者の厳重処罰を約束した。
しかし、処罰決定に対して杉原司令ら国境警備隊は真っ向から反発、事件映像を国民に独自公開して自らの正統性を主張した。
門州中央政府はこの独断行動に激怒するも、門州国民が情報規制を繰り返す中央政府を見限り杉原の意見を受け入れたために、門州政府は元凶たる杉原少将らの処罰を見送らざるを得なくなった。
これに味をしめた杉原司令ら国境防衛隊は、倉国にリベンジすべく門州陸軍全体を巻き込んだ攻撃作戦の準備を進めるのであった。

事件の影響(倉国側)
本"事件"は、倉国が初めて経験した国外勢力との武力衝突であり、政府・国民が受けたショックは相当なものだった。
国内の各マスメディアは揃って「これは"戦争"の始まり」と報じたが、この時点では門州との会談を継続していた倉国政府はこの報道を否定し、「今回の一件は双方の認識の違いによって起きた不幸な事故である」とした。
しかし、10人を超える死者と100人近い負傷者を出しているため、責任逃れしていると政府は国民からの非難の的となった。
本件の発生によって、国民の間では近いうちに本格的に戦争が始まるのではないか?といった噂が流れるようになり、国内は不穏な空気に包まれていった。
なお、撃墜されたパトロール機のパイロットはMIA[Missing In Action.作戦行動中行方不明]として処理された。


シャングリラ休戦協定

+ ...
条約名 シャングリラ休戦協定
締結年月日 2017年4月1日
締結場所 クラフティン共和国・ソラティオ州シャングリラ郡西部
結果 ソラティオの戦いの勃発により破棄。

概要

年明けから長きにわたって膠着状態が続いていた戦線を縮小し、講和による戦争終結を目指すために締結された休戦協定。
主に両国がにらみ合っている国境線からの両軍全部隊撤収を指示しているが、両国の軍部は全部隊の撤退には反対したため、一か月をめどに徐々に部隊を撤収させていくことで合意した。
結果的に門州軍が本協定を順守せずに部隊を結集させ、ソラティオ作戦を実施したため、本協定は破棄された。

ソラティオ戦役(ソラティオ作戦)

+ ...
戦争 ソラティオ戦役(ソラティオ作戦)
年月日 2016年12月15日~12月17日・12月18日~2017年5月12日(休戦期間)・5月13日
場所 クラフティン共和国・ソラティオ州トリントン・シャングリラ・グリプス郡西部
結果 倉国軍敗北により終結。門州連邦の完全勝利。
交戦戦力  クラフティン共和国  現舞羅連合帝国(門州連邦)            
指導者・指揮官  新庄翼  杉原勘蔵
戦力 歩兵
 8000名
車両 
 戦車40両 
 輸送車両20両 
 装甲車50両
航空機
 戦闘機30機
 輸送ヘリ10機
歩兵
 22,000名 
車両 
 戦車80両 
 自走砲120門 
 装甲車100両
航空機
 戦闘機50機
 攻撃機10機
 爆撃機5機
 戦闘ヘリ5機
損害 死者 1228名
負傷者 2501名
捕虜 750名
被撃破車両 95両
被撃墜 32機
死者 55名
負傷者 310名
捕虜 0名
被撃破車両 15両
被撃墜 12機

概要

シャングリラ休戦協定締結後に発生した戦闘。門州連邦軍の奇襲により勃発し、倉国軍は戦力の半分以上を喪失する大損害を受けた。
本戦闘後、門州連邦はクラフティン共和国に対し宣戦を布告、クラフティン共和国はこれを受領し、名実ともに舞蔵戦争が勃発することとなった。

経緯

舞羅連合帝国(門州連邦)側の情勢
2016年12月
トリントン事件発生後、5ヶ月にわたって双方に目立った動きの無い「まやかし戦争」とも呼ばれる状態が続いた。
この間、門州政府は国内の情報管制を行うと同時に倉国との交渉を進め、4月頭には正式な休戦協定である"シャングリラ休戦協定"を結ぶことに成功していた。

2017年5月
休戦協定に従い、政府は陸軍部に国境からの部隊撤収を命令する。
しかし、陸軍杉原指令はこの命令を黙殺、倉国軍が防衛陣を解くのをじっと監視した。

5月13日早朝
倉国軍が完全に陣地を崩したのを見て、門州陸軍が奇襲攻撃を慣行。ここに杉原指令が練りに練った倉国西部攻略作戦「ソラティオ作戦」が開始される。
トリントン事件の4倍弱にも及ぶ戦力と徹底的な偽装が功を奏し奇襲は完全に成功、撤退途中であった倉国軍をほぼ一方的に蹂躙した。

午前10時頃
限定的ではあるが倉国軍の航空攻撃による被害が出始め、門州軍の進撃が鈍り始める。
対抗策として、杉原指令は東扶砂漠の陸軍航空隊に対して支援要請を出す。
中央からの停戦命令に反する要請に、航空部隊は戸惑いを見せるも偵察部隊を発進させる。

午前11時頃
陸軍偵察部隊は倉国軍航空隊と接触、戦闘となり、門州軍の戦闘機4機が撃墜される。
事態の深刻さを察した航空部隊は前回の戦訓を生かし、一気に40機近くの戦闘機を戦線に投入。
数の優位を生かして倉国軍の航空部隊を圧倒する。
これ以降、門州軍はソラティオ上空の航空優勢を確実にし、ヨルムンガンド戦略爆撃機までもを投入した猛爆撃を開始する。

午後2時頃
戦闘はほぼ終結。倉国軍部隊の抵抗により包囲殲滅は失敗に終わるも、門州軍は圧勝というにふさわしい戦果を残す。

クラフティン共和国(倉国)側の情勢
トリントン事件以降、門州連邦に対して不信感を強めていた倉国政府は非常事態を示すリパブリック・アラートを発令したが、野党の反発(妨害工作に近い)により十分な対策協議が行えず、三日後に再度発生した軍事衝突を防ぐことができなかった。
しかし、それ以降倉国・門州両国ともに国境沿いでにらみ合いが続き、戦況は膠着状態となった。
その後、両国政府の協議によって"シャングリラ休戦協定"が結ばれ、協定に則り倉国政府は国境より休戦監視のための戦力を除く軍を撤収する準備を始め、5月13日をもって完了させる計画であった。

5月13日早朝
軍の撤収準備が完了し、撤収しようとしたところ突如門州軍から攻撃を受ける。
倉国軍は応戦するものの、そもそもの戦力に差があったため苦戦、戦略的撤退を図るとともに、空軍に応援を要請する。

午前10時頃
空軍の応援が到着、門州軍に対し攻撃を開始する。門州軍には航空勢力が皆無だったため門州軍の進撃は徐々に鈍り始める。
この時航空支援にあたっていたのは制空戦闘機AF-63Aと戦闘爆撃機CF-04であった。
どちらもすでに旧式機となっていたため、門州軍が援軍で航空部隊を出してきた場合劣勢に持ち込まれることを危惧した空軍は
ジャブロー基地より主力戦闘機であるAF-63DやWF-2Gを追加で出撃させようとするが、協定破棄による非難を恐れた政府より圧力がかかり、出撃させることができなかった。
結果的に、この判断が後に大きな問題を引き起こすことになる。

午前11時頃
空軍の悪い予感は的中し、門州軍は航空部隊を投入してきた。始めは操縦技術で何とか応戦するも、機体性能と数の差が大きく、倉国空軍機は次々と撃墜されていった。
これにより倉国は戦闘地域の制空権を喪失、門州軍は戦略爆撃機を投入し、地上の倉国軍を追い詰めていった。
最早倉国軍に応戦する戦力は残っていなかった。

午後2時頃
戦闘はほぼ終結。最終的に戦力の半分以上を失う大損害を受けた。航空隊に至ってはほぼ全滅であった。
残った部隊はギリギリで戦闘地域から脱出したが、その際動かせなかった兵士はその場に残され、門州軍の捕虜になったものと推測される。

結果

事件の影響(門州側)
午後3時頃
杉原指令はトリントン事件の時と同じルートでこの大勝利を国民に報告。
この時ようやく政府中央にもこの戦闘のことが知らされる。

午後5時頃
緊急放送において、政府はトリントン事件の時と同じく倉国への謝罪と陸軍部隊の処分を発表する。
しかし、負け続けていた門州の勝利は国民を熱狂させるに十分であり、この放送に対する政府への非難が殺到する。

午後6時頃
政府は緊急放送の内容を撤回。

午後7時頃
政府は倉国軍航空部隊によるソラティオ上空での門州偵察機撃墜をネタに倉国非難を展開。
同国に正式に宣戦を布告する。

事件の影響(倉国側)
本件はすぐさま大統領に伝えられた。大統領は怒りをあらわにし、「卑劣な奇襲で休戦協定を破り、あまつさえそれを誇らしげに発表する門州政府に私は非常に憤っている。」「彼らは、もう我々が知っている盟友・舞羅連合帝国ではない。彼らは虎の尾を踏み、仏をも怒らせた。我々は彼らに対し譲歩することはもうないだろう。」と発言。
同時刻、門州連邦より宣戦布告を受け、クラフティン共和国はこれを受領、名実ともに舞蔵戦争が勃発することとなった。
これ以降、倉国内では舞羅人を迫害するデモが連日発生、舞羅製の車や製品を破壊したり、舞羅人が経営する店に暴徒が突入するなど国内は大混乱となっている。
本戦闘以前は世論では講和派が大多数だったが、一気に主戦派が台頭、超法規的措置により講和派の議員は拘束されたほか、空軍の追加出撃に反対した議員らは責任を取って辞任している。

門州軍のクラフティン共和国侵攻(バトル・オブ・クラフティン)

+ ...
戦争 門州軍のクラフティン共和国侵攻(バトル・オブ・クラフティン)
年月日 2017年5月20日~7月7日
場所 クラフティン共和国・ソラティオ州トリントン・シャングリラ・グリプス郡西部
結果 門州連邦の勝利。同時にトリントン郡西部を門州連邦が占領。
交戦戦力  クラフティン共和国  現舞羅連合帝国(門州連邦)            
指導者・指揮官  新庄翼
 カルトス・ジェミニ・フィアンバラン
 スピカ・ビルゴ・フィアンバラン
 杉原勘蔵
戦力 歩兵
 18500名
車両 
 戦車275両 
 輸送車両150両 
 装甲車両85両
航空機
 戦闘機35(14)機
 戦闘爆撃機48(20)機
 輸送ヘリ29機
歩兵
 25,000名 
車両 
 戦車95両 
 自走砲140門 
 装甲車140両
航空機
 戦闘機50機
 攻撃機16機
 爆撃機4機
 戦闘ヘリ5機
損害 死者 7640名
負傷者 5462名
捕虜 623名
被撃破車両 357両
被撃墜 73機(内地上撃破49機)
死者 345名
負傷者 1245名
捕虜 12名
被撃破車両 104両
被撃墜6機

概要

ソラティオ戦役後に発生した大規模戦闘。門州連邦では"オペレーション・インカ"と呼称される。

経緯

舞羅連合帝国(門州連邦)側の情勢
 門州連邦政府の正式な宣戦布告に伴い、杉原指令はクラフティン共和国侵攻部隊の総司令官に正式に任命され、陸軍主力部隊の指揮を執ることとなった。
彼の部隊には貴重な戦闘車両が優先的に配備され、東扶砂漠に存在する航空部隊も大半が彼の指揮下に入り、満を持してのクラフティン共和国(以下倉国)領内への侵攻作戦「オペレーション・インカ」が発動されたのであった。
 この作戦は、機動力の高い空挺部隊と第一機甲師団がラクロア州目指して倉国を縦断し、門州本土への脅威を排除すると同時に倉国軍を引き付け、後に実施されるラクロア上陸作戦の陽動を行うことを目標としたものであった。
 作戦の前段階として、門州陸軍は、夜間にB26ヨルムンガンド戦略爆撃機4機を中心とした爆撃隊を用いて作戦地域の倉国軍飛行場を爆撃し、その機体の大半を地上撃破した。
 ソラティオにおける絶対的な航空優勢を確保した機甲部隊は破竹の快進撃で倉国奥地に侵攻、各地で散発的な抵抗を行う倉国軍を圧倒的な戦力で鎮圧すると同時に多数の倉国軍基地を占領し、作戦地域の支配権を着実に獲得していった。
 しかし、この戦果により倉国軍の戦力を過小評価した陸軍は倉国打通を急ぐべく、機甲師団の侵攻をまたずして敵地真っただ中への大規模空挺進撃を実行。
結果、まともな防御力を持たない空挺車両の部隊は倉国軍との正面衝突により多大な損害を受けることとなり、逆に進撃ペースを鈍らせることになった。

クラフティン共和国(倉国)側の情勢
 前回のソラティオ戦役で大敗を喫した倉国軍は、西部方面に展開している部隊を集結させ、再び発生しるであろう門州軍との戦闘に備えていた。歩兵戦力は前回の約2倍、機構戦力に至っては4倍以上の戦力をかき集めた。
 しかし、戦闘は倉国軍が思いもしない形で幕を開けた。
門州軍は夜間に戦略爆撃機による飛行場の爆撃を実施し、翌朝出撃予定で格納庫外に駐機されていた航空機を多数撃破していった。慌てて無事だった戦闘機で迎撃に上がるも、既に敵爆撃機の姿はなかった。
 これにより倉国軍は戦闘地域における航空優勢を逃すこととなってしまい、地上戦において大苦戦を強いられることとなった。機構戦力数でいえば倉国軍が圧倒していたが、この時集められた戦力は世代遅れもいいところの旧式ばかりで、門州軍の装備に対し苦しい戦い方を余儀なくされた。
 結果、倉国軍は敗走、ノーストリントン陸軍基地・サウストリントン陸軍基地・トリントン空軍基地を門州軍に占領され、トリントン州西部は実質的に門州連邦に占領されてしまう。
 事態を重く見た倉国軍は予備選力をすべて投入、猛追してきた空挺部隊を何とか撃破し、敵の進行を止めることに成功した。

結果

事件の影響(門州側)
 空挺部隊の損耗により当初の進撃目標であった大陸縦断はあきらめざるを得なくなったものの、機甲部隊は兵器の質と量の差により倉国軍を圧倒し、陽動としては大成功をおさめた。
 また、この作戦は国内で大々的に公表され、その圧倒的な進撃は国民の士気向上に大きく貢献しした。この時、彼らは後に決行されるラクロアへの海上侵攻作戦によって戦争が終結すると信じて疑わなかった。

事件の影響(倉国側)
 結果として、倉国軍は戦場に投入した総戦力の半分以上を喪失し、ソラティオ戦役以上の大敗北を喫することとなってしまった。
 特にトリントン州西部を占領されたという事実は瞬く間に倉国中に広がり、国民の間では政府や軍に対する失望や批判が溢れかえることとなった。
 倉国政府はこれ以上自国のみでの戦争継続は不可能と判断し、同盟各国に協力を要請したとされている。


トールギス沖海戦

+ ...
戦争 トールギス沖海戦
年月日 2017年7月7日
場所 クラフティン共和国領海・トールギス海軍基地沖
結果 倉国の勝利。ただし、一哨戒隊が壊滅。門州海軍は主力艦隊の大半を喪失した。
交戦戦力  クラフティン共和国
 舞羅連合帝国亡命政権
 現舞羅連合帝国(門州連邦)
指導者・指揮官  アルタ・バイアブランカ
 カルトス・ジェミニ・フィアンバラン
 スピカ・ビルゴ・フィアンバラン
 神帝 安帥帝比沙子
 坂下門左衛門
 近藤茂久
 遠山明憲
 西条直人
 杉原勘蔵
戦力 海軍
 倉国軍 
  8,310名
 舞(亡)軍
  120名 
空軍
 倉国軍 
  52名
艦艇
 倉国軍 
 第3艦隊群 
  第3護衛隊 
  第7護衛隊  
 沿岸哨戒艦隊 
  第19哨戒隊  
 第1咆哮隊(1隻)  
 第10護衛隊(2隻)
 合計17隻
  舞(亡)軍 
  1隻 
航空機
 倉国海軍 
  121機
 倉国空軍 
  2機

海軍
 3530名 
空軍(陸海軍航空要員)
 30名 
陸軍
 6022名
艦艇
 駆逐艦6隻
 軽空母2隻
 巡洋艦2隻
 巡洋戦艦1隻
 潜水艦2隻
 揚陸艦3隻
 輸送船10隻
航空機
 哨戒ヘリ8機
損害 死者 243名
負傷者 562名
捕虜 0名
戦力損害
 フリゲート2隻大破
 哨戒護衛艦2隻大破1隻中破
 戦艦1隻中破
 空母航空機
  戦闘攻撃機2機喪失
死者 817名
負傷者 1623名
捕虜122名
艦艇損害
 軽空母1沈没
 駆逐艦2沈没
 巡洋艦1沈没
 揚陸艦1沈没
 輸送船8沈没
 軽空母1大破
 巡洋戦艦1大破
 巡洋艦1中破
 駆逐艦1中破
 潜水艦1中破
 揚陸艦2中破
 駆逐艦1小破
 潜水艦1拿捕
 哨戒ヘリコプター8
陸軍損害
 死者3563名
 負傷者1217名
 捕虜232名

概要

トールギス海軍基地沖合で発生した海戦。大きく分けて2箇所で発生している。

経緯

舞羅連合帝国(門州連邦)側の情勢
 門州連邦では、本戦争の主目的である旧舞羅連合帝国の神帝・安帥帝比沙子らの身柄の確保または殺害を実施するため、2方向からの倉国侵攻作戦を実施することとしていた。陸側からの進行がバトル・オブ・クラフティンと呼ばれる戦闘である「オペレーション・インカ」であり、それと同時に門州海軍は亡命政権がおかれているラクロアへの海からの直接侵攻を目的とした「ラクロア基地攻略作戦」を立案した。この作戦には海軍の主力戦力である大西洋艦隊を投入しており、この作戦をもって戦争を終結させるものとしていた。
 作戦内容は、第一戦闘艦隊が倉国の艦隊を引き付けている間に、第一水陸両用艦隊がラクロア基地、またはその近辺に接近、陸上戦力を上陸させたのち、巡洋戦艦"太華"などによる地上への火力投射を行い基地ごと亡命政権を壊滅させるという物であった。
 一部から現実性が薄い作戦として批判を受けたが、舞蔵戦争において圧倒的優勢にいた政府は作戦決行を承認した。門州政府はこれまでの戦闘の経緯から、倉国の軍事力は大したものでないと決めつけており、主力である大西洋艦隊をすべて投入すれば作戦を完遂できると信じて疑わなかった。
 作戦通り、第一戦闘艦隊は駆逐艦を先行させ、戦力を偽装することで出てきた倉国海軍の哨戒隊を文字通りの袋叩きにした。しかもその艦隊には、目標である舞羅亡命政権の艦艇"護国号"が含まれており、大西洋艦隊は護国号を沈めようと全力を尽くした。しかし、倉国の哨戒隊の妨害により護国号と哨戒隊の旗艦と思われる艦を逃してしまう。その代わりに哨戒隊の艦艇を徹底的に攻撃し、随伴艦全艦を戦闘続行不可能なレベルにまで損傷させることに成功する。
 気をよくした第一戦闘艦隊はさらに進撃し、ラクロア基地を目指そうとするも、倉国の主力艦隊を捕捉する。その中には空母も含まれており、航空機と濃密なミサイルの雨あられにより返り討ちにあってしまう。最終的に、第一戦闘艦隊は10隻中4隻轟沈、1隻大破、3隻中破、1隻小破という大打撃を被ることとなった。更に潜水艦1隻が倉国側に拿捕されてしまう。
 一方、敵基地への進撃を任された第一水陸両用艦隊は、ラクロア基地近くのバルネアリオラ海岸への上陸を画策する。しかし、航行中に倉国の戦艦"秩父"と随伴艦2隻を捕捉、揚陸艦を守るため第一水陸両用艦隊の旗艦である巡洋戦艦"太華"はミサイルによって敵艦隊に攻撃するも、随伴艦により迎撃されてしまう。更に随伴艦からの攻撃によってミサイルの使用ができなくなってしまったため、太華は敵艦隊に接近しての主砲による攻撃を強いられることとなる。早い話が太華を囮としてその間に上陸を実施することとなった。しかし、揚陸艦艇は秩父の随伴艦による攻撃で壊滅的な被害を負ってしまい上陸部隊の揚陸に失敗、秩父とサシで砲撃戦を行っていた太華も秩父を中破させることに成功したものの自身も大破してしまい、撤退を余儀なくされた。

クラフティン共和国(倉国)側の情勢
 倉国は数日前から大西洋艦隊所属の艦が相次いで母港から出航しているという情報を入手しており、警戒を強める目的でメリクリウス海軍基地より第3護衛隊を出航させ、南行しつつ訓練を実施していた。この時点では第18哨戒隊のフリゲートFF-308"アモン"FF-313"シトリー"が同行しており、訓練の模様を撮影した写真は政府より公開されていた。後に2隻のフリゲートは母港へ帰港している。
 また、ドックで定期検査を行っていた戦艦秩父が検査後の試験航海に出航しており、第10護衛隊のDDG-957"ヴェルガヒトラニア"とCG-28"バーザム"が随伴していた。
 門州連邦の「ラクロア基地攻略作戦」実行の日、倉国トールギス海軍基地のレーダーが接近する不審艦艇を補足する。レーダーに映った艦影は2つで、どちらも駆逐艦クラスであったことから、倉国海軍は門州軍駆逐艦による威力偵察と断定し、護衛艦隊よりもフットワークの軽い第19哨戒隊を現場に向かわせた。なお、舞羅亡命政権の強い意向により、同勢力が保有する赤碕型哨戒護衛艦"護国号"を随伴させていた。
 第19哨戒隊は門州の駆逐艦2隻を迎え撃つために航行していたが、旗艦であるDE-69"夕潮"が2隻以外にも艦艇の反応を検知、詳しく観測した結果、門州連邦の主力艦隊である大西洋艦隊の艦艇群を捕捉する。第19哨戒隊司令官は戦力差で不利であることを瞬時に悟り、旗艦である夕潮と最重要艦艇である護国号を守るため、トールギス基地に護衛艦隊の出撃を要請し護衛艦隊が到着するまで接触海域において可能な限り門州艦隊の足止めを行った。
 しかし、門州連邦の主力艦隊である大西洋艦隊と沿岸防衛を主任務とする第19哨戒隊では、あまりに戦力差があり過ぎて徐々に第19哨戒隊は追い詰められていった。最終的に旗艦である夕潮と護国号以外の艦艇が戦闘不能となってしまい、夕潮は護国号を引き連れて戦闘海域より離脱することとなる。
 一方、夕潮より知らせを受けた倉国海軍は、事態の重さを把握し、トールギス基地より第3艦隊群隷下の第7護衛隊と戦闘海域に近い海域で訓練を実施していた同艦隊群隷下第3護衛隊を戦闘海域に急行させた。知らせを受けた第3艦隊群司令官は、空母"フォレスタル"より戦闘攻撃機を始めとする航空機隊を順次発艦させ、艦隊に先行させて戦闘海域へ向かわせた。さらに同タイミングでミサイル護衛艦によるミサイルでの攻撃も実施した。新鋭艦であるときさめ型汎用護衛艦"あらさめ"も対艦ミサイルによる攻撃を実施した。
 第3艦隊群の活躍により門州大西洋艦隊は総崩れとなり、撤退させることに成功する。また、この時にヘリコプター搭載護衛艦"みさと"を始めとする艦から発艦したヘリコプターの活躍によって、門州の潜水艦SSN3 シルフィア型潜水艦"ニンフィア"を拿捕することに成功している。
 一方、試験航海中であった戦艦"秩父"を旗艦とする臨時艦隊は、偶然門州の第一水陸両用艦隊を発見、旗艦と思われる巡洋戦艦"太華"よりミサイル攻撃を受ける。このミサイルは随伴していた汎用巡洋艦"ヘイズル"が迎撃し、ミサイル護衛艦"ヴェルガヒトラニア"が電磁投射砲を用いて太華のミサイル発射装置を破壊したことによってミサイルによる攻撃を封じることに成功した。その後太華のみがこちらに向かって転進してきたため、ヘイズルとヴェルガヒトラニアは上陸部隊を有していると思われる揚陸艦の追撃に向かわせ、秩父は単艦で太華との砲撃戦へともつれ込む。
 両艦激しい砲撃戦の末、秩父は第4主砲を吹き飛ばされながらも太華を大破撤退させることに成功する。また、ヘイズルとヴェルガヒトラニアも揚陸艦艇群を撤退させることに成功する。
 戦闘終了後、戦闘海域で大破漂流していた第19哨戒隊の艦艇は護衛艦隊によってトールギス基地まで曳航された。

結果

事件の影響(門州側)
 これまで舞倉戦争で連戦連勝していた門州軍の敗北は門州政府に大きな衝撃を与えた。あまりの体たらくに杉原指令は本海戦の詳細を隠ぺいすることを提案、政府も国民の混乱を防ぐために必要な処置として、ニュースで一切報じられなかった。
 しかし、港に帰ってきた艦の数が明らかに少なくどの艦もボロボロであったこと、更によりにもよって倉国が大々的にニュースで本海戦の勝利を報じたためあっさり国民にバレてしまう。
 当然政府や軍部に対する批判が発生、門州政府は騒動を鎮静化させるために軍まで駆り出すこととなってしまう。結果として門州軍は倉国へ侵攻するための海上戦力を失うこととなり、事実上亡命政権を直接攻撃することができなくなってしまった。

事件の影響(倉国側)
 本海戦の勝利は倉国にとって初めての勝利であり、各メディアは大々的に報じた。大統領は「ようやく勝利することができた。この勢いに乗って、戦争の早期終結に向けて政府・軍共に最大限努力していく。」と発言している。
 ただし、本海戦で負った損害も大きく、第19哨戒隊は壊滅状態となってしまった。うち赤碕型の2隻は修理が困難であるとしてそのまま除籍されることが決定している。


ジャブロー攻防戦

+ ...
戦争 ジャブロー攻防戦(第二次門州軍侵攻)
年月日 2017年9月9日~9月10日
場所 クラフティン共和国・ソラティオ州ジャブロー郡及びトリントン郡
結果 クラフティン共和国側の勝利。門州軍は占領地域より撤退。
交戦戦力  クラフティン共和国
 舞羅連合帝国亡命政権
 ベルタティス連邦
 現舞羅連合帝国(門州連邦)            
指導者・指揮官  スギヤンmax
 新庄翼
 カルトス・ジェミニ・フィアンバラン
 スピカ・ビルゴ・フィアンバラン
 神帝 安帥帝比沙子
 坂下門左衛門
 近藤茂久
 辺国陸軍第3軍司令官
 辺国陸軍第7遠征師団在ネオトピア司令官
 辺国空軍遠征飛行群司令官
 杉原勘蔵
戦力 歩兵
クラフティン共和国  22000名
舞羅連合帝国亡命政権  2015名
ベルタティス連邦  7200名
車両 
クラフティン共和国
 戦車145両 
 輸送車両328両 
 装甲車両415両
舞羅連合帝国亡命政権
 自走砲20両
ベルタティス連邦
 戦車80両 
 自走砲18両 
 装甲車両53両
航空機
クラフティン共和国
 戦闘機112機
 攻撃・爆撃機22機
 輸送機37機
 作戦支援機8機
ベルタティス連邦
 戦闘機20機
 攻撃へリコプター9機
歩兵
 30000名 
車両 
 戦車50両 
 自走砲50門 
 装甲車60両
航空機
 戦闘機14機
 攻撃機4機
 戦闘ヘリ2機
損害 死者 312名
負傷者 2809名
捕虜 0名
被撃破車両 91両
被撃墜 1機
死者 4560名
負傷者 7321名
捕虜 12450名
被撃破車両 128両
被撃墜20機

概要

倉国空軍司令部があるソラティオ州ジャブロー郡近辺で勃発した戦闘。事実上最後の両軍の総力戦となった。

経緯

舞羅連合帝国(門州連邦)側の情勢
 クラフティン共和国侵攻作戦「オペレーション・インカ」において、クラフティン共和国に侵攻した陸上部隊の役目はラクロアへの揚陸作戦のための陽動でしかなかった。
 しかし、トールギス沖海戦で作戦の要たる大西洋艦隊の大半と有力な上陸部隊を失ったことで状況は一変、まともな戦力が彼らのみとなってしまったのである。
 クラフティン共和国軍の門州本土逆侵攻と国内の混乱を懸念した門州政府はクラフティン共和国に侵攻した陸上部隊に順次撤退を指示した。
 これにより、トールギス沖海戦時ソラティオ州西部一帯に広がっていた戦線は8月の終わりにはトリントン群西部周辺にまで縮小され、激しい戦闘が殆どない平和な日が続くこととなった。
 9月初め、戦線の整理と国内情勢の安定化を達成したと判断した連邦陸軍参謀本部は、門州本土への直接的な脅威になりうるクラフティン共和国の最大級の空軍拠点「ジャブロー」を攻略し、恒久的な防衛体制の構築と終戦のためのアドバンテージ確保することを目標とした「オペレーション・タイフーン(以下TY作戦)」を立案した。
 作戦にはクラフティン共和国侵攻の主力を担った陸軍第一機甲師団と当時稼働状態だった全航空機部隊が投入されることとなり、確実を期した一大作戦となった。
 門州陸軍は、オペレーション・インカでのクラフティン共和国軍の損害から、敵の戦力を「旧式戦車40両、その他車両100台、航空戦力10機程度」と推測。
 「戦車50両、自走砲50門、装甲車60台、戦闘機14機、攻撃機4機」を基軸とする攻略部隊を、占領したノーストリントン陸軍基地、トリントン空軍基地に集結させた。
 門州側がジャブローの本当の戦力(新型を主力とする戦車225、装甲車444両、自走砲38門、航空機208機)を知るのは戦後のことであった。

クラフティン共和国(倉国)側の情勢
 バトルオブクラフティンで甚大な被害を被ったクラフティン共和国陸軍であったが、喪失した部隊の殆どは旧式装備なうえに訓練が不十分なものであり、新装備の主力部隊は未だに健在であった。
 また、8月の中ごろからはベルテティス連邦の援軍が続々と到着しており、反撃の体制は着々と整いつつあった。
 クラフティン共和国陸軍は門州陸軍の戦線再配置の情報を察知すると、これがジャブロー空軍基地への侵攻作戦の準備であると即座に理解した。
 戦力の規模から、これが門州との戦争を終結させる一大決戦であると察したクラフティン共和国陸軍は、ともに戦っていたベルタティス連邦、そして空気であった舞羅亡命政権軍に合同作戦を打電。
 クラフティン・ベルタティス・舞羅帝国連合軍(以下、倉国陣営)を形成した彼らは、ジャブロー郡にありったけの戦力を集結させ、門州軍を待ち構えた。

戦況

  • 陸上作戦
 地上戦において。門州陸軍はジャブロー南部で山を越え、そのまま平原を北上し侵攻する主力機甲部隊、ジャブロー西部近郊の山岳に降下し奇襲攻撃によるかく乱を行う空挺コマンド部隊、そしてジャブロー北西部の山岳地帯の湖から回り込み、空挺部隊の援護と陽動を担当する高機動な装甲車部隊の3隊に分かれた攻撃を開始した。
 対する倉国陣営は、クラフティン共和国・舞羅亡命政権軍の軽快な装甲車や比較的旧式の戦車によって構成された哨戒部隊をジャブロー西部山岳地帯から南部の平原にかけて広く配置、同時にクラフティン・ベルタティス連合の新型主力戦車で構成された主力打撃部隊をジャブロー中心部に待機させる陣形でこれを迎え撃った。

  • 前哨戦
 まず最初に接触したのは門州空挺部隊と倉国陣営哨戒部隊であった。
 倉国陣営は門州軍の襲撃を警戒し、あらかじめ山岳地帯の至る処に防衛拠点を構築していた。そんな彼らにとって上空から堂々と降下する門州軍空挺部隊を発見するのは容易いことであった。
 逆に門州軍にとって倉国陣営が縦深防御を展開し待ち構えていることは想定外であり、強力な対戦車ミサイルを大量に装備する倉国陣営軍の前に劣勢を強いられることとなった。
 このとき、門州空挺部隊はバトルオブクラフティンでの惨敗の経験を生かし素早く後退して主力部隊と合流したため最悪の事態は回避することができたが、大した攪乱効果を上げることができなかった上に、南部から侵攻する主力部隊の存在を知らせるものとなりTY作戦は早くも破綻することとなった。

  • 戦闘準備
 哨戒部隊からの報告を受けたジャブローの倉国陣営司令部は門州軍の位置と規模を察知、近辺に待機していたCT-08やM11A5C1といった新鋭主力戦車からなる迎撃部隊を対処に向かわせた。
 倉国陣営軍はバトルオブクラフティンで各個撃破された経験からジャブローの全部隊による迎撃を指示したが、この時多数の主力戦車部隊は位置の関係で間に合わず、空軍部隊は門州軍航空部を迎え撃つために戦闘に参加できなかったため、実際に迎撃を行えたのはジャブロー郡に終結した部隊の約半数程度であった。
 しかし、それでも倉国陣営軍の戦力は門州軍の2倍を優に超えており、その練度もトリントン方面の部隊とはくらべものにならないほど高いものであった。
 一方の門州軍も、空挺部隊の報告からジャブローの倉国陣営軍が想定を超える規模であると薄々感づき、トリントン作戦で実施したような空爆支援の下での総攻撃を計画したが、作戦直前になって航空部隊がジャブロー空軍基地攻撃に作戦を変更したため、倉国陣営軍同様に陸上部隊単独での攻撃となった。

  • 装甲車部隊の急襲
 主力部隊の攻撃と前後して、門州軍装甲車部隊によるジャブロー奇襲が実施された。
 当初彼らは空挺部隊の攻撃支援にあたる予定であったが、航空部隊がジャブロー空軍基地に重大な脅威を発見したことをうけ、航空部隊と合同でのジャブロー強襲に任務を変更していた。
 この時、皮肉にも門州軍主力機甲部隊に気を取られていたために北部の装甲車部隊の存在を見落としており、ジャブロー空軍基地を守るクラフティン共和国陸軍は輸送トラックと少数の歩兵部隊のみであった。
 ここで装甲車部隊がジャブロー空軍基地を奇襲できていれば後のジャブロー航空戦ももう少し違った結果になっていたかもしれないが、実際そうはならなかった。
 門州軍装甲車部隊は、南部の街道からジャブローに向かっていたベルタティス連邦軍の機甲部隊と鉢合わせしたのだ。
 両者はそのまま戦闘に突入したが、水上で身動きの取れない装甲車部隊と師団規模の機甲部隊との戦力差は歴然としており、ベルタティス連邦軍はほとんど損害ゼロで門州軍を撃滅した。
 しかしながら、この戦闘により時間を食ったベルタティス連邦軍はクラフティン共和国軍の総攻撃の開始に間に合わなくなり、門州軍主力との本格的な激突の機会は逃すこととなった。

  • 航空戦
 クラフティン共和国は、本作戦の一環としてベルタティス連邦軍と共同で門州軍に対抗することとした。
 それは航空戦においても同様で、前回のバトル・オブ・クラフティンで大打撃を負った空軍は徹底的に門州軍の航空機について検証した。その結果、門州軍の航空機はどれも高性能で有効性の高い装備を有しているが、戦闘機などをサポートする支援機(電子戦機や早期警戒管制機)がないことに注目し、こちらの支援機の能力を最大限生かした"ミラージュ作戦"を立案した。概要としては
 ①.電子戦機によるかく乱を実施
 ②.早期警戒管制機とデータリンクしたステルス機による敵機射程外からの先制攻撃
 ③.②により敵航空機の注意を地上部隊から遠ざけたところで主力部隊による攻撃を実施
 ④.敵を完全に混乱させたところで敵航空機を各個撃破
 ⑤.その後地上部隊への航空支援を実施
 という物である。本作戦の前提として、敵航空機部隊の方が先に地上戦の空域に到着しているという点が挙げられる。これは戦場となっているソラティオ州トリントン郡が門州連邦に占領されていて近くから航空機を向かわせられることと、本作戦に必要な機体がソラティオ州周辺に配備されておらず、到着に時間がかかるためである。
 結果として本作戦は成功、門州軍の航空機は一方的に撃墜された。その後、部隊の一部はそのまま航空支援へ向かった。

  • 主力部隊衝突
 南部平原地帯において倉国陣営軍は進軍する門州軍主力を補足、先制攻撃を開始した。。
 トリントン作戦以来一度もまとな抵抗を受けたことのなかった門州陸軍は倉国陣営軍の猛烈な歓迎に混乱、進撃停止を余儀なくされた。
 ここに至り、倉国陣営軍の戦力の多さに気が付いた門州軍司令官杉原は航空部隊に近接航空支援に戻るよう要請したが、彼らは既に空の藻屑であった。
 逆に、門州軍航空部隊を軽くあしらった倉国陣営空軍部隊は、戦闘中盤から爆撃機B-32Cを投入して門州軍に対する爆撃を開始、更に輸送ヘリを用いたヘリボーンを実施し歩兵戦力も増強させた。
 このとき門州陸軍は制空権の完全な喪失を防ぐべく27式対空戦車による防空戦を展開したが、現代の戦闘機に人力の対空砲は通用せず、戦果は輸送ヘリCH-20を一機落としたのみであった。
 制空権を喪失し、別同部隊の攻撃もすべて失敗した門州軍司令部は完全に戦意を喪失、主力部隊に撤退を指示した。
 しかしながら、混戦の中での撤退が上手くいくはずもなく、倉国陣営軍の航空部隊やクラフティン共和国陸軍の猛追を受けた門州陸軍主力部隊は、貴重な装甲戦力の半数以上を失うこととなった。

  • 追撃戦
 主力部隊の衝突後も散発的な戦闘は続いた。
 倉国陣営軍は、弾薬を消耗した迎撃部隊に代わって、当初戦闘に参加できなかったジャブロー駐留部隊の残り半分及びベルタティス連邦軍が追撃作戦に向かった。
 大損害を受けた門州軍主力機甲師団は、完全状態な上に、世代でも上をいくベルタティス連邦軍やクラフティン共和国の主力戦車にまるで歯が立たず、一方的に撃破されていった。
 また、航空部隊からの攻撃も散発的に続き、更に門州軍を追い詰めていった。
 結局、この追撃を耐えぬいてノーストリントン基地まで帰還できた門州軍部隊は全軍の2割以下であった。

  • 倉国陣営軍による基地奪還作戦
 追撃戦の成功を見た倉国陣営軍は、そのままの勢いで門州軍占領地域への逆侵攻を開始した。目標はいうまでもなくバトルオブクラフティンで門州軍に占領され門州軍のクラフティン共和国侵攻の拠点となっていたサウス・ノーストリントン陸軍基地、トリントン空軍基地の奪還である。
 TY作戦に全戦力を投入したノーストリントン陸軍基地、トリントン空軍基地にこれを防ぎきれるような戦力があるはずもなく、両基地は空爆で防御設備を破壊された後、到着した倉国陣営陸軍部隊に白旗を上げ降伏した。
 さらに、その翌日にはサウストリントン陸軍基地も倉国陣営軍に降伏し、門州軍は倉国領内での支配地域をほぼ喪失した。


結果

事件の影響(門州側)
 門州陸軍のTY作戦は完全に失敗した。
 この戦いによりクラフティン共和国に侵攻した部隊に8割以上・陸軍全体の5割近くの陸上戦力を喪失した門州陸軍は当初計画していた恒久的な防衛体制の構築が絶望的と判断し、連邦議会でも講和派が主流となり始めていた。
 しかし、遠山大統領は講和派議員を敗北主義者として処罰し、あくまで戦争継続を主張した。
 この対応は一応反帝国でまとまっていた連邦議会に大きな不和を生じさせる結果となり、議会では密かに反大統領派が結成されていった。

事件の影響(倉国側)
 今回の戦闘で、倉国は自国領土の全てを奪還することに成功した。
 特に門州軍の主力部隊を壊滅させたという事実は大きく、門州連邦がこれ以上戦争継続させることは難しいと判断した倉国と舞羅亡命政権は、終戦へ向けた戦後処理を進めることとなる。
後日、門州連邦へ全門州軍の無条件降伏等を求める"カルデロン宣言"を発表した。



イースター島の戦い

+ ...
戦争 イースター島の戦い
年月日 2017年11月15日~11月30日
場所 門州連邦共和国・イースター島
結果 クラフティン共和国側の勝利、門州軍及びイースター島住民の壊滅
交戦戦力  クラフティン共和国
 舞羅連合帝国亡命政権
 ベルタティス連邦
 現舞羅連合帝国(門州連邦)            
指導者・指揮官  新庄翼
 カルトス・ジェミニ・フィアンバラン
 スピカ・ビルゴ・フィアンバラン
 近藤茂久
 辺国揚陸艦艦長
 杉原勘蔵
戦力 歩兵
 3600名
車両 
 戦車6両 
 輸送車両96両 
 装甲車両30両
 自走砲18門 
航空機
 戦闘攻撃機68機
 電子戦機6機
 早期警戒機8機
 対潜哨戒ヘリ9機
 汎用ヘリ9機
 救難ヘリ3機
 無人ヘリ2機
 輸送ヘリ4機 
水上戦力
 揚陸艦隊
 揚陸支援艦隊
 アーネスト空母打撃群
 アーネスト空母打撃群
 ひりゅう空母打撃群
 補助艦隊
 潜水艦隊
計41隻
歩兵
 10,000名 
車両 
 戦車13両 
 軽戦車26両
 自走砲93門 
 装甲車80両
航空機
 戦闘機62機
 迎撃機31機 
 攻撃機10機
 爆撃機3機 
陸軍航空要員
 10,000名
民間人・ゲリラ
 80,000名
水上戦力
 重巡洋艦 1隻 
損害 死者
 601名
負傷者
 1598名
被撃破車両
 戦車 
  2両
 装甲車
  10両
 輸送車両 
  61両
被撃墜
 8機
艦艇損害
 小破2隻
 中破2隻
死者 
 約98,000名
捕虜 
 1120名
被撃破車両 
 205両
被撃墜 
 106機(内地上撃破79機)
艦艇損害
 喪失1隻

当時のイースター島の状況

 太平洋の真ん中に浮かぶイースター島は、南北に細長い門州にとって太平洋沿岸防衛のための重要な拠点であり、旧舞羅連合帝国時代より巨大な軍事基地が整備され、強固に要塞化されていた。
 この島には元々1万人程度の土着民が住んでいたが、舞羅軍による基地化以降は軍人家族のための住宅街が乱立するようになり、さらにそれを支えるための民間商業施設も多数進出していたため、舞羅内戦前には軍民合わせて5万が住む大拠点となっていた。
 それに加え舞羅内戦後には、内戦や倉国との戦争から逃れるためにこの豊かな島に移住する人々が相次ぎ、その人口は軍人2万、民間人8万の合計10万人にまで膨れ上がっていた。
 本土との交通は航空機と連絡船が通っていたが、内戦勃発後は民間航空航路が封鎖され、トールギス沖海戦敗北により制海権を喪失すると連絡船の運行も停止されることになった。
 しかし、門州政府はトールギス沖での敗戦を隠すため、連絡船の運航停止の理由を「重油不足による一時的なもの」と説明した上に、軍の輸送船による島民の移動も禁止したため、殺伐とした本土から離れて平和を謳歌していた島の人々はいつもと変わらぬ日常を過ごしていた。

各勢力の背景

舞羅連合帝国(門州連邦)側の情勢
 当初倉国が揚陸艦を保持しておらず、またそれまで中立を維持してきたかれらが積極的な攻勢に出ると考えなかった門州軍は、旧舞倉国境付近がクラフティン共和国との決戦の舞台になると想定していた。
 そのため、クラフティン共和国がベルタティス連邦からコッツウォルズ級揚陸艦をわざわざ借りてまでパナマ運河を越え、遥か遠方の地であるイースター島へ侵攻しようとしているとの情報を耳にした時の衝撃は相当なものであった。
 トールギスでの敗北後もある程度の数の艦を維持していた門州海軍であったが、イースター島のような遠洋の島を防衛するのは到底不可能であった。
 そのため、倉国海軍が太平洋付近に進出した段階で制海権は完全に喪失することとなった。
 一方、イースター島の陸軍守備隊は1個歩兵師団程度の規模であったが、舞羅内戦、舞倉戦争を通じて殆ど戦闘していなかったこともあり、兵器・物資弾薬の備蓄は十分であった。また、トールギス沖で輸送艦が損耗したため本土防衛への兵力引き抜きも少なく、部隊の装備は万全と言えた。
 航空部隊は陸軍航空隊の航空機106機が存在していたが、こちらは本土防衛への引き抜きや整備状態の悪さもあり、稼働機はせいぜい40機といったところであった。

クラフティン共和国(倉国)側の情勢
 トールギス沖海戦、ジャブロー攻防戦の勝利により陸海で門州軍を圧倒したクラフティン共和国は、終戦に向け舞羅亡命政権と協議し、門州連邦に対し全門州軍の無条件降伏等を求める"カルデロン宣言"を発表した。しかし、門州連邦は受諾を拒否、徹底抗戦の構えを見せたため、クラフティン共和国政府は兼ねてより立案されていた舞蔵戦争終戦作戦「オペレーション"パスクア・デ・マイラ"」のプランB-4(BUTSURI:物理)を発動、門州連邦への侵攻を行う方針で決定する。(なお、カルデロン宣言の発表も本作戦の一環であり、プランC-1(Conversation:対話)として策定されている)
 本作戦は門州連邦の戦意を挫き、カルデロン宣言を受諾させることを目的とした作戦のため、なるべく短期間で決着を付けられることが求められた結果、現在戦力的に孤立しているイースター島が作戦目標として決定された。
 なお、今回の作戦は門州連邦がカルデロン宣言を受諾した時点で作戦を続行する意味がなくなるため、過去の世界中の戦史を見ても前例のない、事前に作戦内容をある程度門州連邦へ通達するという戦争中にあるまじき行動をとっている。通達内容にはパナマ運河より侵攻すると記載したが、実際にはフエゴ島と南極の間のドレーク海峡を通ってイースター島へ向かった。
 本作戦には、倉国海軍戦力のほぼ半分、2個空母打撃群を含む大艦隊をもって、前述したドレーク海峡から太平洋への進出を開始した。

戦闘


・航空戦

 倉国海軍はイースター島上陸に先駆け、爆撃によって門州守備隊の抵抗力を削ぐべくアーネスト空母打撃群を先行させた。
 一方、海軍からの情報により倉国艦隊の接近を察知した門州陸軍守備隊は偵察機を飛ばし警戒を続けていた。
 11月15日、倉国アーネスト空母航空団早期警戒飛行隊所属のE-8Cは門州偵察機(FA-27)を補足、同戦闘攻撃飛行隊所属のCF-08A 2個飛行隊24機によってこれを撃墜した。CF-08AはE-8Cとデータリンクで敵機の情報を共有していたため、一方的な戦闘となった。
 攻撃されたことで倉国艦隊の位置を知った門州側はイースター島第一航空師団の全機をもって攻撃を開始した。
 しかし、電子哨戒機と早期警戒機からのデータリンクを持つ倉国艦隊航空部隊には手も足も出ず、30機の攻撃部隊のうち20機が撃墜され作戦は失敗した。一方の倉国軍の損害は最終的に3機の撃墜に留まった。
 これ以降、まともな抵抗力を失った門州第一航空師団は散発的な攻撃を行うのみとなり、その抵抗も倉国の反撃爆撃や巡航ミサイル攻撃によるイースター島飛行場破壊によりほぼ沈黙することとなった。

・事前砲撃

 同日、イースター島沿岸に接近した倉国揚陸支援艦隊は戦艦2隻やレールガン装備のヒトラント級DDGやいぶき型LPDによる砲撃を開始。門州軍の沿岸砲台やレーダーサイト、海軍施設を破壊し重火器をせん滅した。
 この砲撃は3日にわたって続けられたが、門州陸軍の兵士は地下壕や倉国が攻撃を避けた民間人居住区画に避難していたため殆ど被害を受けることはなかった。

・上陸

 11月18日、倉国及びベルタティス連邦の揚陸艦は満を持してイースター島への揚陸を開始した。
 この時門州軍守備隊は圧倒的な倉国水上戦力の脅威から、水際での防衛をあきらめ内陸部で待ち伏せの準備を進めていた。
 そのため、ここでも倉国側はほとんど無抵抗のまま上陸することに成功した。事前砲撃の激しさも相まって倉国兵士の間には「門州軍は既に壊滅したのではないか」との見方も出始め島の占領は短期間に終わるように思えた。

・内陸戦

 上陸戦の時とは打って変わり、倉国軍は門州軍の苛烈な攻撃を受けることとなった。
 地下壕や古代遺跡の残骸に隠れていた門州陸軍守備隊は装甲車や戦車を前面に出した果敢な攻撃に出て、軽装の倉国側上陸部隊を一時は圧倒する活躍を見せた。
 しかし、制空権を取られていたために、門州の装甲兵器は倉国の航空機からの爆撃により攻勢のたびに破壊され、数と支援の差もあって結局は押し負けるという流れが続いた。途中から沖合の艦艇からの艦砲射撃や艦対地ミサイルの攻撃も加わり、門州軍の被害は拡大していった。
 結果として、門州軍は大きな後退を余儀なくされ、僅か2日で最高峰のテレバカ山と最大の地下壕を失った。5日目になると門州軍の装甲部隊による攻撃はほぼなくなり、変わって粘り強いゲリラ攻撃に移行していった。
 これに対し倉国軍は洞窟や地下壕などを焼き払うことで対抗し、不毛な泥沼の戦いが長く続くこととなった。
↑倉国上陸部隊を迎え撃つ門州軍。

・海上突撃

 イースター島での門州軍の戦況悪化が深刻化し始めると、門州政府も海軍を用いて何とか彼らを助けられないかと模索し始めた。
 とは言え倉国と門州連邦の水上戦力差は歴然であり、潜水艦や航空機での攻撃も望めなかった彼らは、先のトールギス沖海戦の傷が癒えた大型重巡洋艦「響」をもっての水上特攻作戦を画策した。
 これは陸上部隊を乗せた重巡響を単艦で出撃させ、倉国軍の水上警戒線を強行突破しイースター島に強制座礁、陸上部隊を揚陸させたのち陸上砲台と化した響きで弾薬が尽きるまで打ち続けるというめちゃくちゃなものであった。
 11月23日、出撃した響はイースター島に接近した段階で即座に倉国軍に捕捉され、航空機や対艦ミサイルの猛攻撃に遭った。しかし、この時点で倉国側がイースター島への攻撃を優先させたため、響はボロボロになりながらもイースター島に上陸することに成功した。
 揚陸部隊を下した響は作戦通り砲撃を続けたが、静止した巨大艦は爆撃の格好の的であり、座礁後10分程度で響は完全に沈黙することになった。
 この時揚陸した部隊は軽装な100名程度の海軍陸戦隊に過ぎず、この作戦の軍事的意義は皆無に等しかった。
 しかし、この特攻で響もいくつかの倉国艦艇にダメージを与えており、損傷した艦は戦況が長引くことを想定して追加の補給艦と共にやってきた予備の艦と交代し、一足先に戦線を離脱することとなった。
↑門州海軍の巡洋艦"響"によって損傷した倉国の艦艇。公式発表では上記の画像の艦を含む4隻が小破ないし中破したとのこと。

・長引く地上戦

 11月25日、門州陸軍の様子に変化が生じたのはこのころからであった。門州遠山大統領は、太平洋方面における本土防衛の拠点たるイースター島はどんな手を使っても死守すべきと考え、現地守備隊に民間人を盾にしての攻撃を指示したのである。
 一方、組織的な戦闘は終結したと考えていた倉国軍は活動拠点を門州軍が撤退した(とされていた)イースター島市街地に移しており、連合帝国時代の交流もあってか島民とはおおむね良好な関係を築いていた。
 しかし、島民の多くは門州軍の関係者であり、ほぼ例外なく門州陸軍の兵士をかくまっていた。また、軍関係者以外の島民も、土足で島に上がり込んできた倉国軍兵士や亡命政権軍に決して好感を持っておらず、どこかギスギスした空気が立ち込めていた。
 そして11月27日、倉国軍の部隊の横にいた民間人が突如として倉国軍に襲い掛かかる事件が発生、倉国側に多数の死傷者を出した。
 これを皮切りにイースター島各地で同様の事件が頻発し、大きな被害を出した。
 これは門州軍の便衣兵による攻撃であったが、倉国側には民間人との区別がつかず、島の人間がすべて敵であるかのように映っていた。

・倉国の決断

 門州軍によるゲリラ攻勢はますます勢いを増し、便衣兵の攻撃も増える一方で、戦場は戦線なき泥沼の模様を呈していた。
 そしてこれに業を煮やした倉国軍は、便衣兵への恐怖や民間人との判別がほぼ不可能であることを理由に11月28日、ついに「民間人は全て便衣兵である」との結論を出した。
 その後倉国軍は見つけた門州人を例外なく射殺する指示を全軍に下し、戦闘は掃討作戦へと変わった。
 これ以降、今まで戦火に巻き込まれていなかった島民の居住区域も攻撃対象となった。そのため航空機や艦艇からの攻撃が島中に行われ、島中が文字通り火の海と化した。

・終戦

 11月30日、門州陸軍が残りの全部隊をもっての最後の突撃を敢行。倉国はこれを迎撃し、門州軍は玉砕を果たした。
 これにより、降伏した数百名を除きイースター島の全門州人が死亡、戦闘は終結した。

影響

舞羅連合帝国(門州連邦)
 泥沼化した本戦闘により、門州軍は文字通り全滅させられた。
 この敗北により門州側の戦況悪化は見て明らかとなり、講和派が勢いづくことになった。
 なおも戦争継続を掲げていた遠山大統領は窮地に立たされ、継戦派の議員を集めて愚太帝国へ移動したと言われる。
 また、倉国によるイースター島の民間人虐殺は、門州側の国際法違反はあったものの、その暴虐から一部の門州国民に強い反クラフティン感情を抱かせるものとなった。

クラフティン共和国(倉国)側の情勢
 戦闘には勝利したが、当初の想定をはるかに上回る損害を出した。
 また、想定外とは言え民間人を含めた掃討作戦は倉国でも大きく報じられ、大きな問題として取りざたされた。
この点を門州連邦から指摘されれば講和で不利になるとの意見が相次いだが、倉国政府は門州連邦が先に国際法違反である便衣兵を持ち出してきた点を強調して説明した結果、ひとまず騒ぎは沈静化した。
しかし、この結果は国内でも評価が二分してしまい、反戦を訴える過激な政治団体を生む結果となってしまった。

門州本土空爆(オペレーション・ガルーダ)

+ ...
↑ベルタティス連邦の最新鋭戦略爆撃機Bla-101B"スカサハ"。

戦争 門州本土空爆(オペレーション・ガルーダ)
年月日 2017年12月30日
場所 門州連邦・サンティアゴ及び新京都
結果 倉国が作戦を完遂
交戦戦力  クラフティン共和国
 ベルタティス連邦
 現舞羅連合帝国(門州連邦)            
指導者・指揮官  カルトス・ジェミニ・フィアンバラン
 スピカ・ビルゴ・フィアンバラン
 辺国空軍遠征飛行群司令官
 杉原勘蔵
戦力 クラフティン共和国
航空機
 戦闘機32機
 電子戦機8機
 早期警戒管制機4機

ベルタティス連邦
 戦闘機27機
 爆撃機6機
 早期警戒管制機1機
 空中給油機1機
なし
損害 なし 死者
 367名(うち高級将校23名)
負傷者 
 1823名
艦艇損害
 大破
  駆逐艦:1隻
  潜水艦:1隻
  軽空母:1隻
 損傷
  巡洋艦:1隻
施設
 新京都陸軍総司令部:焼失
 海軍サンティアゴ鎮守府:焼失
 サンティアゴ造船所:半壊
 陸軍サンティアゴ飛行場:損傷
 大統領官邸:一部損壊

概要

イースター島の戦いを経てもなお徹底抗戦を訴え続けた門州連邦へ対する次なる武力行使として、クラフティン共和国・ベルタティス連邦が実行した門州本土への空襲作戦。本作戦にはベルタティス連邦の最新鋭爆撃機が参戦している。

経緯

クラフティン共和国は門州連邦の戦意を挫きカルデロン宣言を受諾させることを目的としてイースター島へ侵攻したが、予想外に大きな被害を被り、更に門州連邦との講和への持ち込みに事実上失敗してしまう。門州連邦はイースター島が陥落したことを逆手に取り国民に戦争継続の正統性を述べており、このままではバトル・オブ・クラフティンやジャブロー攻防戦のような大規模な戦闘が勃発することは火を見るよりも明らかであった。
この結果からクラフティン共和国は、門州連邦の戦意を喪失させるためには門州連邦本土への攻撃が必要であるとの結論を下し、オペレーション"パスクア・デ・マイラ"で立案されていたプランB-1(門州首都への侵攻)を、短期戦仕様に作戦内容を再策定して実行することを決定する。
なお、本作戦は相互防衛協定に基づき、ベルタティス連邦が有事集団的自衛権行使を理由に参加している。

各勢力の背景

舞羅連合帝国(門州連邦)側の情勢
イースター島で島民を巻き込んだ無謀な作戦を展開した結果、軍民共に壊滅的な被害を出した門州連邦であったが、陸海軍は離島への戦力分散を嫌ってほとんど増援を出さなかったため、本土には大艦隊と総計20万を超える陸軍戦力が結集していた。
しかし、その実態は傷つてまともに動ぬ鉄塊と、食うものにも困る雑兵の集まりであった。しかも戦争の長期化の影響で士気も衰えをみせており、徹底抗戦を唱え続けてきた遠山大統領一派もさすがに限界を感じ始めた。
そこで、根こそぎ動員した全門州軍20万をもって倉国へ総攻撃をかけ、倉国の戦意をくじき士気を高揚させる「ムーナック(ケチュア語で愛)作戦」を立案し、実行に向けた準備を進めていた。

クラフティン共和国(倉国)側の情勢
イースター島の戦いで門州連邦との講和持ち込みに失敗した倉国は、次なるプランである門州連邦空爆作戦"オペレーション・ガルーダ"を立案する。これはベルタティス連邦の協力を得て、門州連邦の重要拠点をピンポイントで爆撃・無力化する作戦である。本作戦最大の特徴は、敵戦力の無力化もさることながら、門州連邦の国民に倉国の脅威を覚えさせることにある。イースター島の戦いでは本土の国民にとって遠い地での出来事であったため現実感が薄く、反戦意識の芽生えに繋がらなかったため、敢えて門州主要都市であるサンティアゴ・新京都上空で作戦行動を行うことで、国民に門州政府の発表に対する不信感を植え付けることを狙ったのである。
そのため今回の攻撃目標は
  • サンティアゴ鎮守府及び同造船所
  • 陸軍新京都総司令部
  • 首都サンティアゴの首相官邸
  • その他目ぼしい軍事拠点
となっている。また、本作戦にはベルタティス連邦の遠征飛行群と倉国のステルス機部隊を混成した混成飛行隊を編成し投入している。その編成は
  • 主力爆撃飛行隊×6
Bla-101B 1機
CF-05B 1機又はAF-78 1機
F-78 1機
の3機で構成

  • 陽動戦闘攻撃飛行隊×4
AF-63D 3機
CF-05A 2機
Fla-39   4機
F-32V 2機
の11機で構成

  • 作戦支援飛行隊×4
EA-8H 2機
E-2 1機
の3機で構成

となった。この内主力爆撃飛行隊(以下爆撃隊)は上記の目標へ爆撃を行うことを任務とし、陽動戦闘攻撃飛行隊(以下陽動隊)は先行して敵航空部隊の引き付け、都市上空での示威飛行、地上対空設備の排除、可能ならば小規模の軍事目標への爆撃を受け持ち、作戦支援飛行隊(以下支援隊)は上記部隊への支援を担当した。

戦闘


・前哨戦

オペレーション・ガルーダは、予定通り陽動隊の門州連邦空域への侵入から始まった。ほぼ同タイミングで支援隊のEA-8HとE-2も作戦空域に侵入し、EA-8Hは門州軍の地上レーダー・観測装備への妨害攻撃を、E-2は観測した情報をデータリンクで各機に提供した。
陽動隊は作戦内容に従ってサンティアゴと新京都に向かい都市上空を飛行したが、いくら飛行しても門州軍機が迎撃に上がってくることはなかった。
実は遠山大統領がムーナック作戦で必要な戦力確保を優先するあまり、装備を片っ端からシェルターに退避させるよう指示したために一機たりとも迎撃に上がってこなかったのである。
↑サンティアゴに向けて飛行する陽動隊。倉国と辺国の混成部隊となっている。
↑爆撃隊と陽動隊を支援するべく飛行する支援隊の早期警戒管制機E-2と電子戦機EA-8H。

・目標への爆撃

陽動隊が肩透かしを食らっている頃、爆撃隊は低高度を飛行し目標へ向かっていた。予想されていた門州軍からの抵抗もなく、爆撃隊はスムーズに作戦空域に到達する。
爆撃隊は予定通りに目標への爆撃を完了させた。ちなみに、首相官邸への爆撃を行うために都市部で超低空飛行を行ったため、首相官邸近辺の建物のガラスが割れるなどといった被害が起こったとされる。
その他サンティアゴの鎮守府と造船所も無力化され、海軍は指揮系統が完全に麻痺してしまい実質行動不能に、陸軍も新京都にある総司令部が爆撃されたことで作戦行動がとれない状況に陥ってしまう。よりによってムーナック作戦の考案中に爆撃されたために主要な士官らが巻き込まれ死去してしまい、実質ムーナック作戦は実行不可能となってしまった。
↑目的地に向け飛行する爆撃隊。護衛機は全てステルス機である。

・都市上空での陽動隊による攻撃

爆撃隊が任務を遂行している間、陽動隊は門州軍の迎撃機をあぶり出すために都市部での飛行を続けていた。しかしいくら待てども現れない門州軍に業を煮やした陽動隊は、市街地近郊にあった門州軍基地を攻撃する(イースター島の戦いでの教訓から市街地への攻撃は禁じられていた)。
門州軍はシェルターに閉じこもっていたため装備等に被害を与えることはできなかったが、戦闘時間が昼時であったこと、基地がサンティアゴや新京都の近辺にあったためこの攻撃とそれに対する門州軍の対応は多くの門州国民の目に触れることとなってしまったのである。
しかもとどめとばかりに一連の攻撃を門州国民のミリオタが撮影しており、SNSなどで「門州軍ボコボコにされてるんだがwww」といったような内容で投稿したことで、一気に門州全土に知れ渡ってしまった(その後門州政府により当該記事は削除されたが、消すたびに他の物がうpしてしまい、騒ぎは拡大していったと言われている。なお倉国でもそのサイトにはアクセスできたようだ)。
↑サンティアゴ上空を飛行する陽動隊。撮影したのはサンティアゴ市民。

結果

事件の影響(門州側)
攻撃により、門州軍の指揮系統と残存艦艇は壊滅的な被害を受け、精神的にも門州国民に多大な衝撃を与えた。
攻撃を完全に許した上に指導部が壊滅するという大失態を演じた軍の士気低下は最早決定的な物となり、攻勢どころか組織だった行動すら困難となった。
また、白昼堂々攻撃を食らった大統領中心とする政府首脳への衝撃も計り知れないものであった。
有史以来、本土に外国軍の攻撃を受けたことの無かった彼らは、自分たちに破滅が迫っているとこの時はじめて理解し恐怖したのである。
大統領は攻撃中心であった戦略を一転、政府や主要な産業施設を南部のフエゴ島に疎開させ、保身とゲリラ的防衛戦の準備に移った。
その一方で、彼らはようやく自分たちの敗北を認め、戦争終結に向けた和平交渉に乗りだしたのであった。

事件の影響(倉国側)
オペレーション・ガルーダを完遂させたことにより、倉国は門州連邦に決定的なダメージを与えることに成功した。
経戦に必要な装備の撃破には失敗しているものの、陸海軍双方の本拠地を壊滅状態に追い込んだことにより門州軍を活動不能状態に出来たのは大きく、これに合わせて倉国は再度門州政府に講和による終戦を望んでいる旨を通達したところ、門州政府から前向きな回答が得られたため、倉国は亡命政府と共に和平交渉の準備に入るのであった。
その他にも、本作戦は倉国史上初となる外国軍との統合的な兵器運用を行った作戦として後世に記録されることになるのであった。



門州連邦の分裂

+ ...
↑本土に帰国した舞羅亡命政権軍

事件名 舞羅連合帝国の復古
発生年月日 2018年1月20日~2月22日
発生場所 門州連邦共和国・新京都市
結果 舞羅連合帝国亡命政権の本国帰還・門州北部の倉国陣営加入

 オペレーション・ガルーダの影響で門州連邦の士気は大いに揺らいでいた。
 倉国陣営の白昼堂々の空襲により主要施設に大打撃を受けながらも、門州軍が殆ど反撃を行えなかったからである。
 これにより、門州国民は嫌でも自軍の劣勢を知ることなり、今まで勝利の喜びにかき消されてきた「大統領の唱える戦争意義への疑問の声」が高まりを見せていた。
 今までこれらの反戦行為は大統領の強権により厳しく取り締まられてきたのだが、その大統領が忠臣を引き連れてフエゴ島へ逃げてしまったため、反戦運動は全く収束が付かなくなっていた。
 この動きを見た門州最高裁判所は、今まで大統領の圧力により実行できなかった「大統領の違憲審査」を実施。結果、裁判所は「民主主義の原則」対する大統領の重大な違反を認め、遠山大統領とその政権役員の全職権を剥奪する判決を下した。
 この判決に基づき、新京都市では大統領の職権を引き継ぐ「臨時委員会」が発足した。そして、彼らは戦争の早期解決を図るべく発足とほぼ同時に共和国戦争指導者会議を召集した。
 その会議において、殆どが反戦派・対倉国穏健派で構成された議会は以下のような決議を下した。

  • 門州連邦軍に対して →即時停戦を命令
  • 倉国陣営に対して  →講話(事実上の降伏)を打診

 この決議に対して、直接的に倉国陣営の脅威に曝されていた門州連邦北部の勢力は一応の賛同を示したが、大統領の勢力圏であった南部は「戯言」として黙殺した。
 大統領は当初「正当性も外交能力も実行力も無い臨時委員会がそんな大層なことをなしえるはずが無い」と考え相手にしなかったのでる。
 しかしその1ヶ月後、臨時委員会が倉国から「舞羅連合帝国臨時政府」と陰ながら門州で権威と影響力を持っていた神帝を迎え入れたことで事態は一変する。
 軸と正当性を得た臨時委員会と門州北部の勢力はかつての「舞羅連合帝国」の復権を宣言、倉国陣営の一員として遠山大統領率いる門州連邦共和国と敵対する意志を明らかにしたのである。

これにより舞羅の国土は

 ・事実上の倉国陣営である北舞羅(舞羅連合帝国)
        と
 ・倉国と戦争を続ける南舞羅(門州連邦共和国)

 に二分されることになった。


フエゴ停戦協定(終戦)NEW!

+ ...
条約名 フエゴ停戦協定
締結年月日 2018年3月19日
締結場所 門州連邦共和国・南島共和国・フエゴ島沖・クラフティン共和国海軍戦艦「秩父」艦上
結果 両勢力による戦争行為と武力行使の停止

注記:門州連邦の分裂により舞羅連合帝国が復活したため、本文では
   舞羅連合帝国(門州連邦)→門州連邦共和国(南舞羅)
   舞羅連合帝国亡命政権  →舞羅連合帝国(北舞羅)
   とする

背景


門州連邦共和国(南舞羅)側の情勢
 門州連邦新首都となったフエゴ島で神帝の帰還の報を聞いた大統領は激怒、直ちに報復宣言を出した。
 しかし、ただでさえ劣勢な上、北部地域の反逆に遭った門州に勝機が無いことなど誰の目にも明らかであった。
 大統領自身は徹底的な焦土戦術(生物兵器の使用も検討されていたとの噂がある)により尚も倉国陣営に対抗する考えであったが、南舞羅の民衆はおろか大統領側近たちまでもがこれに反対を示したため、門州連邦政府は全体として和平を望む方向に動くことになった。
 そして、舞羅連合帝国(北舞羅)から休戦協定締結を持ちかけられた際、門州政府は「カルデロン宣言の保留」と「自国首都で会談を行うこと」を条件として休戦に合意したのである。

舞羅連合帝国(北舞羅)側の情勢
 一応倉国陣営に付くこととなった北舞羅であったが、一年前に悲惨な内戦を経験していた民衆や連合帝国指導部、そして神帝は(少なくとも当面の)戦争継続を望んでいなかった。
 彼らは、たとえ自分たちが全ての責任を背負い込むことになっても、舞羅国内での戦争を防ごうと考えていたのである。
 そのため、復古後の彼らは門州・倉国・辺国の全勢力に対して積極的に講話を持ちかけるようになる。

クラフティン共和国(倉国)側の情勢
 圧倒的な勝利を重ねていたクラフティン共和国軍ではあったが、各戦線での損耗により陸軍戦力は不足し始めており、門州に対して大規模な攻勢をかけられずにいた。さらに、2月の終わりに国防省が受けたサイバー攻撃(門州連邦の関与は不明)の影響で軍全体が混乱状態に陥り、門州本土の武力制圧は困難を極める事態となった。
 勿論、このまま戦争が推移しても倉国の勝利は揺るがなかったが、長く続きすぎた戦争は倉国の経済・外交に重大な悪影響を与えており、世論は一刻でも早い戦争問題解決を望んでいた。
 そんな折、門州連邦の分裂により門州の北半分が事実上降伏、倉国の傘下に入ってきた。
 これにより、多大な出血を強いてまで門州連邦を攻略せずとも舞羅における倉国の権益の確保が可能となり、なおかつ、門州連邦軍の脅威を自国から離れた場所に封じ込められる状況となった。
 さらに、当事者である舞羅側も舞羅領土内で戦闘を行わないよう要求してきたため、倉国が戦争を続ける意義は消滅し、カルデロン宣言の受け入れ問題など多少の不満要素を残しつつも、とりあえずの停戦に合意したのである。

ベルタティス連邦(辺国)側の情勢
 ベルタティス連邦は本戦争では各種実戦任務における様々なデータ取得ができたが、最大の参戦理由であった門州連邦へ倉国経由で供与した装備の接収ないし破壊を達成できないまま停戦を迎えることとなった。

締結

↑署名する西条直人。テーブルを囲む最前列が左よりアンドリュー・タケウチ、ジャック・リドリー、スギヤンMAX、近藤茂久(写真では隠れている)、坂下門左衛門(奥)。
↑別角度の写真。門州代表が秩父後部ヘリ甲板に降りた後、待機していた各代表たちは速やかに署名を行った。

  3月1日、クラフティン共和国が門州連邦首都フエゴに戦艦秩父を派遣したことで会談は開始された。
 両勢力の代表達はフエゴ沖に停泊した秩父艦上において条文の最終調整を行い、同月19日に協定へ署名した。
 北舞羅側は、遠山明憲大統領の命かつ、その名において西条直人(総司令官)が署名し、倉国側はクラフティン共和国代表スギヤンMAX(司令官)、ベルタティス連邦代表アンドリュー・タケウチ(遠征軍司令官)、舞羅連合帝国代表近藤茂久(近衛軍総司令官)がその名において署名した。
 また、調印の立会人として辺国ジャック・リドリー(大統領)、北舞羅坂下門左衛門(近衛長官)、安帥帝比沙子(神帝)、マックス・D・テイラー(議長)も列席し、4勢力の兵士数百名と護衛艦アザレア、ヒナタ(辺国)、ウォルター・ローリー、ときさめ、ガーミジン、マルコシアス(倉国)、護国号(北舞羅)、行波(南舞羅)の見守るなか調印式は敢行された。

 協定の前文と概要は以下のようになっている。

前文
+ ...
概要
+ ...

結果

 協定発効により戦闘行為は全面的に停止され、舞蔵戦争は終戦を迎えた。
 戦闘の結果を見ればクラフティン共和国陣営の勝利とも言えるが、結局門州連邦はカルデロン宣言を受け入れず、降伏しなかったため完全な決着とはならなかった。


門州連邦共和国(南舞羅)への影響
 戦闘の停止により自国消滅の危機は一旦回避されたが、自国の北半分の放棄を認めるという屈辱的な停戦を余儀なくされた。しかし、カルデロン宣言受け入れによる降伏は棚上げすることに成功したため、賠償金をはじめとしたあらゆる妥協を退けることができた。
 戦後は、北舞羅や倉国に対する威嚇を続けつつ、次の戦争に向けた準備を続けていくことになる。

舞羅連合帝国(北舞羅)への影響
 自国内での戦闘を避けるという目的は達成され、とりあえずは現状に満足した。
 戦後、北舞羅は門州連邦の責任を継承する立場を表明。倉国や辺国への見舞金を中心とした戦時賠償を行いつつ、クラフティン共和国軍の駐留を受け入れ、南舞羅への睨みを利かせながら国土復興に努めていくことになる。

クラフティン共和国(倉国)への影響
 完全勝利へと持ち込むことはできなかったが、優勢を保ったまま停戦に持ち込むことに成功し、北舞羅から各種賠償を受けることができた。
 戦後は北舞羅から獲得したイースター島やサンティエゴ海軍基地、その他北舞羅国内の複数の軍事施設に軍を駐留させ南舞羅の封じ込めを行い、南舞羅にカルデロン宣言の受け入れを要求しつつ停戦を監視する立場をとることになる。

ベルタティス連邦(辺国)への影響
 結局で南舞羅は装備の返還に応じなかったため、辺国側には協定に署名した後も不満が残り続けた。辺国の国民感情に配慮した北舞羅は賠償金による解決を持ち掛けたが、辺国代表は「賠償金を数十、数百億貰うならその金額を戦後復興に活かしていただきたい。この失態は本当に賠償金では済ますことができない」と、これを一蹴したため、戦後の南北舞羅と辺国の外交関係に大きな亀裂を残す結果となった。


コメント

何か質問等ありましたらこちらへどうぞ。


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最終更新:2018年03月19日 23:38