北エメリア戦争

これはシナリオを基盤に行われる茶番です。


北エメリア戦争(2017/03/17~現在)は、紫電共和国エメリア連邦との衝突が原因で北米の国々を巻き込んだ戦争である。実質戦争終了後もいろんな出来事があるため範囲は大変曖昧である。このページではブリテン戦役停戦条約までを北エメリア戦争と定義する。この分類の中に紫亜戦争やブリテン戦役などが含まれる。紫電共和国国防省サイトでは「北エメリア戦争」の表記ではなく「北アメリカ戦役」という表現を用いている。

目次
0.参加国
1.小林丸事件勃発
2.紫亜戦争までの経緯
3.戦闘経過
4.紫亜戦争終結
5.その後
6.ブリテン戦役までの経緯
7.戦闘経過
8.終戦
9.その後
参考文献
外部リンク
コメント

参加国

国名 首都 ブリテン戦役
紫電共和国
ワルシャワ 同盟国
エメリア連邦 imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 グレースメリア 同盟国
オリーブ帝国 imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 フロリダ州 同盟国
大ブリテン連邦共和国
ロンドン市 連合国
エルナス国
オワタ 連合国


小林丸事件勃発

紫電共和国の情勢

紫電共和国は近年集結した欧州大戦での特需景気で国力も大幅に上がった。
だが、大戦も終わり、国益も下がり気味であり政府の固定為替相場制など新たな政策を取り入れる、軍部の影響力拡大など大変不安定な時期にあった。
そこで紫電共和国は新たな政治的イベントを欲している。
当時の紫電大統領。ほとんど軍部の操り人形だった。

エメリア連邦の情勢

エメリア連邦は3月17日時点では日亜戦争の最中であり優勢であったが国内では大変緊張した状態であった。
国防力も日本列島に割かれており本土は手薄であった。
それに加えて戦争による疲弊も目立っている。

事件発生

2017年03月17日紫電国籍の貿易船[小林丸](元紫電海軍船籍)がエメリア連邦に交易のためバージニアへ向け航路をとっていた。
午後2時ごろエメリア連邦海軍のグリズリー級駆逐艦と遭遇。エメリア海軍はこの小林丸を国籍不明船として認識。
午後3時ごろ1時間の追尾と領海侵犯であるという警告を行ったが、この警告を無視したため小林丸に対し艦砲射撃を行った。
小林丸は30分間の炎上をし轟沈をした。この際、エメリア海軍は漂流中の小林丸の乗組員を密入国者と断定し射殺した。
この時の映像は終戦後エメリア政府施設を制圧した紫電軍により明らかになる。

紫亜戦争までの経緯

事件後の紫電の対応

3月17日午後4時頃撃沈の第一報が紫電共和国に入った。この事件に対し紫電大統領は「小林号対策委員会」創立した。
午後5時頃エメリア連邦が撃沈した事実が判明しエメリア駐留大使館職員は紫電へ帰国が開始された。
午後6時頃正式的な確認がとれ紫電共和国はエメリア連邦との国交を断絶した。
午後8時紫電共和国玉今大統領は正式にエメリア連邦に報復として宣戦を布告した。
午後8時半紫電共和国は紫電国内に向け正式発表を行った。

紫電軍の侵攻準備

3月17日午後6時紫電共和国政府は陸海空軍の各軍港への集結を命令した。
既に駐留部隊が軍港にある、第三ブラザーズ旅団、19山岳師団は宣戦布告前にアルデラの中間拠点に向け出撃した。

参加部隊

  • 第五軍管区[北米遠征軍]
    • 第七師団
      • 第一空挺連隊
      • 第二空挺連隊
      • 第三空挺連隊
      • 独立輸送集団
      • 第一混合連隊
      • 紫電共和国特殊作戦専門集団[YSPEG]
      • 第四空挺連隊
      • 第五空挺連隊
      • 第七空挺連隊
      • 師団司令部
        • 歩兵中隊

    • 第十一師団
      • 第三ブラザーズ旅団
      • 第二種実験大隊
      • 第十三軽装甲歩兵連隊
      • 第十四軽装甲歩兵連隊
      • 第十四歩兵連隊
      • 第七砲兵連隊
      • 第八機械化騎兵連隊
      • 546実験中隊
      • 師団司令部

    • 第十八師団
      • 第一海上機動旅団(3000名)
      • 第二海上機動旅団
      • 第一海上空挺特別連隊
      • 第二海上空挺特別連隊
      • 海上戦車大隊
      • 空軍十八航空集団

    • 第十九師団
      • 第五山岳猟兵連隊
      • 第六山岳猟兵連隊
      • 第七山岳猟兵連隊
      • 第八山岳猟兵連隊
      • 第一機械化山岳猟兵連隊
      • 第九特別工兵連隊
      • 第十五軽砲連隊
      • 特別ヘリ空輸航空集団
      • 師団司令部
        • 山岳歩兵中隊

エメリア軍の防衛準備

一方エメリア連邦では紫電共和国からの宣戦布告を受け、エメリア国防総省は陸海空軍の大西洋側への集結を急いだ。紫電軍が
本土に本格的な攻勢をかけてくるのが早くて20日後だとこの時点でのエメリア国防総省は考えていたようだ。

参加部隊

名称 第1機械化歩兵師団
所属軍 北米軍
司令官 ボブ・ガーランド陸軍元帥
人数 2万人

名称 第2機械化歩兵師団
人数 2万人

名称 第3機械化歩兵師団
人数 2万人

+ 第1機械化歩兵師団構成
  • 第1機械化歩兵師団
 ・師団司令部
  ・師団大隊  
   ・第1憲兵大隊
   ・第1科学防護中隊
   ・第1会計隊
 ・第1機械化歩兵旅団
  ・司令部中隊
  ・第1機械化歩兵大隊
  ・第2機械化歩兵大隊
  ・第3機械化歩兵大隊
  ・第1旅団工兵大隊
   ・大隊本部
   ・本部中隊
   ・第1戦闘工兵中隊 
   ・第1通信ネットワーク支援中隊
   ・第1軍事情報中隊
   ・第1前方支援中隊
  ・第1旅団支援大隊
   ・大隊本部
   ・司令部中隊
    ・第1野戦整備中隊
    ・第1工兵中隊
    ・第1医療中隊
     ・本部小隊
     ・第1治療小隊
     ・第1救急ヘリコプター小隊
    ・第1補給中隊
 ・第2機械化歩兵旅団
   ・師団司令部
   ・司令部防衛中隊
   ・第4機械化歩兵大隊
   ・第5機械化歩兵大隊
   ・第6機械化歩兵大隊
   ・第2旅団工兵大隊
    ・大隊本部
    ・本部中隊
     ・第2戦闘工兵中隊 
     ・第2通信ネットワーク支援中隊
     ・第2軍事情報中隊
     ・第2前方支援中隊
     ・第2後方支援大隊
    ・大隊本部
    ・司令部中隊
     ・第2野戦整備中隊
     ・第2工兵中隊
     ・第2通信中隊
      ・本部小隊
      ・第2治療小隊
      ・第2救急ヘリコプター小隊
     ・第2補給中隊
 ・第3機械化歩兵旅団
  ・師団司令部
   ・司令部防衛中隊
   ・第7機械化歩兵大隊
   ・第8機械化歩兵大隊
   ・第9機械化歩兵大隊
   ・第3旅団工兵大隊
    ・大隊本部
    ・本部中隊
     ・第3戦闘工兵中隊 
     ・第3通信ネットワーク支援中隊
     ・第3軍事情報中隊
     ・第3前方支援中隊
     ・第3後方支援大隊
   ・第3後方支援大隊
    ・大隊本部
    ・司令部中隊
     ・第3野戦整備中隊
     ・第3工兵中隊
     ・第3医療中隊
      ・本部小隊
      ・第3治療小隊
      ・第3救急ヘリコプター小隊
     ・第3補給中隊
名称 第1機甲師団
所属軍 北米軍
司令官 サンダー・グリッジ中将
人数 4万人

+ 第1機甲師団構成
  • 師団大隊
 ・第4憲兵大隊
 ・第4化学防護中隊
 ・第4会計隊
  ・第1機甲大隊
  ・第2機甲大隊
  ・第3機甲大隊
  ・第4後方支援大隊
   ・大隊本部
   ・司令部中隊
    ・第4工兵中隊
    ・第4医療中隊
     ・本部小隊
     ・第4治療小隊
     ・第4救急ヘリコプター小隊
    ・第4補給中隊
    ・第4野戦整備中隊
名称 即応展開防衛大隊
所属軍 北米軍
司令官 グリニッジ・ウェスト少将
人数 1万人

+ 構成
  • 即応展開防衛大隊
 ・大隊司令部
  ・第3憲兵大隊
  ・第3化学防護中隊
   ・第1歩兵大隊
   ・第2歩兵大隊
   ・第3歩兵大隊
   ・第6後方支援大隊
    ・大隊本部
    ・司令部中隊
     ・第6工兵中隊
     ・第6通信中隊
     ・第6医療中隊
      ・本部小隊
      ・第6治療小隊
      ・第6救急ヘリコプター小隊
     ・第6補給中隊
     ・第6整備中隊
  • 第1即応偵察中隊
名称 第1陸軍遠征旅団
所属軍 在日本皇國軍
司令官 ジョニー・ウォーカー少将
人数 8500人

+ 構成詳細
  • 第1陸軍遠征旅団
 ・師団大隊
 ・第2憲兵大隊
 ・第2科学防護中隊
 ・第2会計隊
  ・第1歩兵大隊
  ・第2歩兵大隊
  ・第3歩兵大隊
  ・第24機甲中隊
  ・第5後方支援大隊
   ・大隊本部
   ・司令部中隊
    ・第5工兵中隊
    ・第5医療中隊
     ・本部小隊
     ・第5治療小隊
     ・第5救急ヘリコプター小隊
    ・第5補給中隊
    ・第5野戦整備中隊

戦闘経過

  • 紫亜戦争初期侵攻図-

フロリダ上陸作戦

3月23日紫電陸軍ブラザーズ旅団の第三ブラザーズ旅団はアルデラでの中間補給を終えメキシコ港で洋上待機していた。
この時エメリア軍は紫電軍が洋上待機していることを全く察知しておらず、フロリダでは守備隊800名ほどで分散防御をしていた。
3月24日午前5時紫電海軍が海岸近くのエメリア主要施設およびオリーブ帝国主要施設を空母艦載機による破壊を開始した。
午前6時紫電陸軍の第三ブラザーズ旅団は強襲揚陸艦から上陸を開始した。
上陸作業では目立ったエメリア、オリーブ軍の攻撃はなくつつがなく終わる。
フロリダの主要な港を抑え午後3時には本格的な揚陸作業が開始され戦略的重要な橋頭保を紫電軍は築き上げた。
揚陸途中のエアクッション艇

エメリア軍の撤退。半島隔離作戦

3月25日エメリア軍は上陸を食い止めることは不可能と判断。後方に退却することを決断した。
それに従いオリーブ帝国首脳部は後方に下がることを決定。政府機関の移動が開始された。
戦略的に重要な橋や施設は破壊しながら後退をエメリア軍は行った。その数は大小合わせて100にも及んだ。
他の守備隊と合流したフロリダ守備隊はその日のうちにフロリダの境目に沿って防御陣地を開始し侵攻の足止めに備えた。
エメリア連邦首都では長期本土戦を見通して緊急事態鎮圧部隊(ESF)の創設を行った。
当時のエメリア兵

オリーブ帝国首都の陥落

3月25日紫電陸軍総司令部は揚陸されたばかりの第三ブラザーズ旅団を用い侵攻作戦を開始した。
この作戦ではブラザーズ旅団3000は二手に分かれ一方が飛行場の制圧作戦へ、もう一方が首都制圧へ動き出した。
25日午後1時目標の飛行場を制圧し、軍用ヘリの配備を早急に行った。
午後4時政府首脳がもぬけの殻であるオリーブ帝国首都が陥落した。
治安の混乱が予想されるため紫電軍は各自治体に協力を求めたが、あまり協力的ではなかった。

紫軍早期終結の失敗

23日から紫電陸軍の精鋭である、第8師団はカリフォルニアへの空挺降下作戦による戦争の早期終結のためアルデラの飛行場で待機をしていた。
本格的な空挺降下をするため紫電司令部は詳細なカリフォルニアの情報が必要であった。そのため24日第8師団では志願した小隊32名で斥候任務を実施した。
ところがこの斥候部隊が民間人の密告によりエメリア軍に発見されてしまい、斥候部隊は壊滅、作戦の全容を知られてしまった。
これを重く見たエメリア国防総省は現在作戦実施中の半島隔離作戦を中止し全軍を首都防衛のため後退させることを決断した。
エメリア軍が後退しているのを察知した紫電軍は第5山岳猟兵連隊を用い侵攻作戦を開始した。

大西洋海戦

3月26日17:00時紫電海軍第一空母打撃隊がノースカロライナ沖でグリズリー級駆逐艦が中心のエメリア海軍の艦隊と遭遇。
紫電海軍は国際回線で投降を呼びかけた。だが、紫電海軍に拿捕されるのを恐れたエメリア海軍の司令官は艦隊を全速力で北進させた。その様子を
とらえた紫電海軍はDDG-23からトマホークミサイルを撃ちだし、それに続いてほかの戦隊構成艦も攻撃を開始した。
駆逐艦が中心の艦隊と軽空母を含めた打撃艦隊では戦力差が見えており、30分間の戦闘の後、エメリア海軍艦隊司令官代行(艦隊司令官は死亡のため)は紫電海軍に投降を決意。
10分後国際回線で投降する旨の文を発信した。この投降を紫電海軍は受理した。
速やかに紫電海軍による艦艇拿捕は開始された。その際、エメリア海軍の高官10名ほどが紫電海軍のE中佐の命により、殺されている。
この事件は戦後、戦争犯罪ではとの批判声が紫電内外で上がっている。
戦争当時のエメリア海軍

船籍 戦力 被害 人的被害
紫電海軍 CVL-12.DDG-310.DDG-311.DDG-23.SS-16
エメリア海軍 コルベット級駆逐艦20隻 3隻轟沈、5隻大破、3隻中破、3隻小破、2隻が逃亡 280名死亡40名負傷

エメリア兵を取り押さえる紫電兵
拿捕されたエメリア海軍駆逐艦

エメリア・オリーブ軍決死の奇襲

27日本格的な侵攻作戦も5日目になり、紫電軍は大きなアクシデントもなくエメリアの領土を掌握していった。
この侵攻をできるだけ鈍くし、首都防衛陣地構築の時間稼ぎのためエメリア・オリーブ軍は小規模な攻勢
を開始した。ここがエメリア・オリーブの領土であるという地の利を活かし、地形に不慣れな紫電軍をかく乱していった。
その中でも有名なのが、第十二地区兵站所の戦いである。
当時紫電軍に中間兵站基地として使われていた、元中学校での戦闘である。
この戦いでは兵站基地を第五山岳猟兵連隊所属のB中隊が守備をしていた。対するエメリア・オリーブ軍はE中尉が率いる少数精鋭の2個小隊程度であった。
まず、中間兵站基地周辺に着いたE中尉は作戦を立てた。まず、各小隊の擲弾手が、果敢に40mmグレネードを浴びせ同時に支援火器で制圧射撃を行った。
この時点では紫電軍は明確な突撃破砕線すら構築していなかった。
思わぬ戦闘に中隊は混乱し、中隊長は陣地放棄を決定。車両で退却した。
その後兵站基地の制圧はつつがなく終わりエメリア・オリーブ軍は大量の物資を手に入れ長期の活動に大きく貢献した戦いだったのだった。
戦争中のエメリア・オリーブ軍の前方地域の第一線の援護部隊(Forward Area Frontline)
首都郊外の守備隊

終結

27日紫電軍第二機甲師団はニューメキシコ州にまで到達をしていた。カリフォルニアは目前であった。紫電政府はこの時点で救済の意を込め
ニューメキシコ州にて平和条約の締結内容であるニューメキシコ宣言を発表した。この宣言を受けエメリア政府は緊急会議を呼集。4時間の会議の末、宣言を受け入れることを決意した。
正式な声明発表は28日に行われ28日が終戦となっている。同日戦闘終結宣言が両政府ともおこなわれた。
30日首都で紫電軍の首都入城式が行われた。
平和条約として出されたニューメキシコ宣言は口では平和条約となっていたが、内容は完全にエメリア連邦に属国化を求めた条約であった。
この行為に北米諸国は批判を浴びせたが、強固な態度を紫電は取り、それが返ってブリテン戦役や紫電革命の引き金にもなった。
紫電軍の主な現地指揮官。首都入城式にて(一番左がヤルゼルスキ中将、一番右が中佐時代のアームストロング王)

その後

近隣国家の反応

この戦争について大きな反応を示したのはまず、ブリテン連邦共和国共和国であった。
ブリテン政府はエメリア連邦が20日間で紫電に攻略されたのを受け、ブリテン政府は隣の国のエルナス国と水面下で
共同防衛条約の調印を進めた。

紫電領大西洋州

紫電共和国は旧オリーブ国領を条約で手に入れた。そこでは本国では手に入らない、ものがたくさんあり、
紫電政府にとっては喜ばしいことであった。紫電政府も積極的に大西洋州の発展に力を注いだ。
その例として、紫電開拓制度などが代表例である。

ブリテン戦役までの経緯

エルナス国・大ブリテン連邦共和国の宣戦布告

戦争に敗れてからのエメリア連邦は大変混乱していた。紫電に大西洋側の3つの州を割譲するという失態を犯し、政府は大変な批判をうけ、
政府も自虐的な行動が見られた。
その行動は近隣諸国にとっては大変恐怖を与えるものであった。
その緊迫した空気に耐えきれず、ブリテン連邦共和国は北米駐留紫電軍とエメリア連邦に対し宣戦布告をした。それに合わせエルナス国も参戦した。
これを広くは「ブリテン戦役」と呼ばれる。

戦闘経過

バミューダ近海で空戦

ブリテン連邦共和国・エルナス国が宣戦布告してから数日、エルナス国のB艦隊が大西洋からバミューダ諸島近海に到着した。
これに対し、紫電共和国は警戒任務としてP-55戦闘爆撃機を発進、攻撃の機会を伺っていた。
同艦隊はこの機体を脅威と認定、艦載機ACM-13による攻撃命令を下し、明朝に空戦となった。
激しい空戦の結果、紫電側の攻撃作戦は中止、P-55が3機撃墜された。
エルナス国側のACM-13も2機撃墜される事態となり、両国での最初の戦闘の損失となった。
エルナス国側は紫電共和国の航空戦力を過小評価していたことが作戦失敗の原因と見て、今後の大西洋での交戦は消極的になると見られている。

エルナス空軍が空爆作戦を実施

エルナス軍はバミューダ近海の空戦の影響で、大西洋フロリダ方面からの攻撃作戦に待ったを掛けられていた。
紫電共和国本土からの補給線を断ってはいるものの、このまま攻撃を続ければ両陣営に被害が出ることが明らかになったからである。
そこで、大西洋の戦力はそのままに、太平洋側からエメリア連邦を攻撃することとした。
エメリア連邦海軍艦隊は太平洋上で待機しており、エルナス艦隊と接触することは無かった。
エルナス太平洋艦隊は空軍と協力し、エメリア連邦空爆作戦、「Cowardly Pig(臆病な豚)」作戦を展開する。

▲夜間爆撃の準備を行うACB-12ステルス爆撃機

「荒野の虎」作戦開始

開戦から10日が経ちエメリア連邦国内では連合軍による空爆も大変激しくなり国力は瞬く間に縮小の一途をたどっていた。
だが、依然として同盟軍は健在であり、前線は数度の攻防戦を終え、緊迫した膠着状態にあった。
そのころブリテン軍司令部では独自に膠着した同盟軍と連合軍とのにらみ合いを打開するため、新しい作戦が計画されていた。その作戦が荒野の虎作戦である。
荒野の虎作戦とは当時エメリア首都戦域とフロリダ戦域の二方面戦線のうち、フロリダ方面に割かれている70%の部隊をエメリア首都戦域に転戦させ集中の原則のもと、
局所攻撃でエメリア首都を早期に攻略し、爾後エメリア戦線部隊と合流しフロリダ州に侵攻するという作戦であった。
実施日は計画書提出からから6日後に開始された。この驚異の実施の速さは、それだけ当時切迫した状況下であったこととブリテン司令部の柔軟な対応ができていたということがうかがえる。
実施に際してフロリダ方面に展開したブリテン軍は大幅な部隊の転戦を紫電軍に悟られぬようにエルナス空軍と連携してより激しい空爆や砲撃を開始した。

カリフォルニア市街地戦

作戦発動から5日後、終結したブリテン軍はエメリア首都への総攻撃が開始された。
カリフォルニア市街地戦では当初順調に制圧が進んでいた。だが、中盤からエメリア軍の守備隊は即製のIED、仕掛け爆弾、便衣兵によるテロ的な攻撃、捨て身自爆による躊躇のない攻撃により、多大な損害を
連合軍に与えた。この事態に連合軍総司令部はこれ以上の損害は作戦に支障をきたす判断し、解決策としてエルナス空軍が中心で無差別爆撃を開始を行った。そのかいあってか、その後の連合軍の被害は減少していった。
作戦が開始されてから、23日後エメリア連邦首都は連合軍により陥落した。その数日前にエメリアの重要人物とエメリア軍残存兵力は紫電領フロリダ州に亡命をしている。
この際、犠牲になった民間人は行方不明者合わせ、17万人にも達した。
在亜紫電軍に5機だけ配備されていたP-72A戦闘

長期後方作戦支隊 通称ハリス支隊

首都が陥落したころには連合軍はエメリア領土のほとんどを制圧していた。
連合軍の地上部隊主力であるブリテン陸軍は分散し各対抗勢力の排除を実施中であった。そんな中、亡命エメリア軍では
フロリダに撤退する直前に各部隊で優秀な兵士を集め、連合軍の後方地域で妨害活動をする特別増強中隊を編成していた。
その名は「長期後方作戦支隊」である。支隊の指揮官は当時第一機械化師団で大隊長をしていたハリス少佐である。
編成の際、指名された隊員は遺書を書き長期作戦中の生死が不明になるものと前提し、軍籍上は戦死したものということになった。
部隊は山や森などの緊要地形で活動し、主に夜襲や待ち伏せを得意とした。
その後この部隊は終戦真近まで活動を続け延べ500輌の軍用車両、10トンもの弾薬を破壊し連合軍に多大な損害を与えたのだった。
終戦真近になるときには最初120名いた隊員は3名だったことが支援していた民間人によって明らかになった。最後の目撃証言は
野山で猟をしていた猟人がボロボロの戦闘服を着た兵士を山で見たというのが最後である。

大統領自殺

4月25日午前未明紫電領大西洋州に亡命していたエメリア連邦現大統領のジョン・ケリーは在宅中のホテルの一室で拳銃自殺をした。
即時護衛の紫電憲兵隊のP中尉が現場に駆け付けた。その後、多少の混乱を挟みつつ紫電、エメリアを上げて国葬が執り行われた。
この自殺についての詳細な内容は現在でも多くは解明されていない。
元ホテルの従業員であったというものの証言ではケリー氏はバスタブの中で死んでいたという話がある。

エメリア東沖の空戦

大統領を失ったエメリア軍は混乱の最中にあった。
エルナス軍の旧エメリア首都空爆作戦は完了しつつあり、さらに深部への進行が予想されている。
そこで、エメリア空軍は東沖に位置するエルナス艦隊に決死の攻撃作戦を展開することとなる。
エルナス艦隊もこれに応戦、東沖で大規模な衝突が起こった。

エメリア連邦は、エルナス艦隊撃破が今後の国の命運を分けるため、空軍戦力を結集してこの作戦に当たった。
その数は、戦闘機だけでも300機近くある。主に、まだ攻撃されていない国土中部辺りからかき集められた。
対してエルナス艦隊航空戦力は、空母艦載の戦闘機40機程であった。爆撃任務を主としていたため、空戦戦力はそこまで多くは無い。
圧倒的数量優位で、エメリア空軍はエルナス艦隊に奇襲を仕掛けることになった。


▲先制攻撃を行うエルナス機

しかし、集結までに時間を要したエメリア空軍の動きは、同盟軍全体に察知されていた。
未だ敵に大規模な戦力が温存されていることを知り、警戒任務に力を入れていたのである。
相手の意表をつく奇襲には失敗し、正面衝突することになった。


エメリア空軍の主力機であるF-4Aは皮肉なことにエルナス国が改修した機体であった。
各種性能は筒抜けであり、技術水準も意図的に下げられており、個体の戦力差は歴然であった。
先制攻撃を許し、回避機動後に背後に付かれ、そのまま抵抗もできずに撃ち落とされていく。
数的優位も虚しく、エメリア空軍の第一攻撃部隊32機は、エルナス機4機に壊滅的被害を受けた。


エメリア空軍は、個別の兵力では敵わないことを思い知らされた。そこで、第二、第三、第四部隊を多方面から展開し、同時攻撃を行う。
第二、第三部隊はそれぞれエルナス機と戦闘、第一部隊と同じ運命を辿る。
第四部隊は航空隊の穴を付くことに成功はしたが、空母艦隊の対空網に阻まれ、空母までたどり着く事ができない。
同じ機体を大量に装備したことが仇となり、援軍として到着した第五、第六部隊までも歯が立たなかった。
この惨敗に、エメリア空軍内では出撃を拒否する軍人が立て続けに現れ、大混乱となった。

エメリア空軍は200機以上の損失を出した一方、エルナス機を3機の損失に終わった。
航空機個体の戦力、同型機の大量配備が覆せない差を生み、今回の結果に至ったと考えられる。

終戦

ブリテン戦役では最初の連合軍の快進撃はよかったものの後半になってくると無理な戦線拡大で補給がままならない状況で侵攻ができなく、同盟軍側も侵攻できるほどの戦力を持っておらず
一進一退で小規模な小競り合いでお互いがいたずらに消耗しているだけであった。その状況を重く見た紫電政府がまず最初に連合軍に講和の話を持ち掛けた。
その講和の申し出に連合側は積極的な姿勢を見せた。最初のコンタクトから10日後には休戦が開始されその3日後に講和内容の協議が始まった。

1.現在進行中の軍事行動を例外なく停止すること。
2.エメリア連邦が解体されたためエメリア軍はどこの国にも属さない武装集団になるため可及的速やかに武装解除を行い兵器などの装備品は各陣営が管理すること。
3.エメリア政府の遺物は各国の協議で分割すること。
4.紫電共和国は北米の領土を二か月後までに放棄すること。
5.エメリア連邦の公共施設を全て破壊すること。
6.エメリアの統治、治安維持は各地域の公共団体が行うこと。
7.両陣営とも復興のため民間人への人道支援を二か月後まで行うこと。
8.両軍とも3か月後まで全ての軍事組織を撤収させること。

結果的に以上のものが協議により決まり翌日の30日から執行された。
この内容で一番重要視されたのがこの戦争で一番の被害を受けたエメリア連邦の速やかな解体処理であった。
各地には小規模ながらエメリア政府の機関が生きており統一した敗戦というのがなかった。そのため両軍はエメリア政府の施設の解体、機関の解体を3か月の期間で全力で行った。
そのかいあってか1か月半後にはほとんど完了していた。
終戦の処理はつつがなく行われ三か月後には両陣営の全ての軍事組織は本土へと撤退していった。

その後

紫電共和国

紫電共和国は一時的な北大西洋州統治の経済的恩恵、紫亜戦争の条約などにより多額の利益を得ていた。
その額はいまだに公表されてはいないが、一連の騒動で手に入れた金塊は約1500トンにも及ぶといわれている。
ワルシャワの某所で保管される巨大な金塊

参考文献

  • M・カルニコフ「カルニコフ従軍記」田中巧訳、ワサラー出版、2020年、ISBN-4532631169
  • ジョセフ・ボブ「エンド・オブ・ノースアメリカ」田島書店訳、マックブック出版、2017年 ISBN 3567957790
  • エドワード・ハーバート「ノース・アトランティック・オブ・ウォー」佐藤小次郎訳、ブリティッシュパブリッシャー社出版 2018年 ISBN-8406820576
  • ハーメルン harugamesjpページ

  • フォークランド紛争 - Wikipedia
  • エメリア連邦ホームページ
  • Hearts of Iron IV japan wiki
  • 紫電共和国公式ページ
  • ベルリン市街地戦 - Wikipedia
  • 米陸軍 野戦教範書 FM 101-5-1 / MCRP 5-2A
  • 戦争概論 アントワーヌ・アンリ ジョミニ (著), 佐藤 徳太郎 (翻訳)

外部リンク

紫電共和国公式ホームページ

エメリア連邦公式ホームページ

オリーブ帝国公式ホームページ

大ブリテン連邦共和国公式ホームページ

エルナス国公式ホームページ


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最終更新:2017年05月17日 18:33