チョコレットの魔法

 

キッチンから調子外れの鼻歌が聞こえてくる。
さゆみは相も変わらずネットパトロールをしながら、耳を傾けていた。
明日はバレンタインデー。
さゆみのところに押しかけてきてから
初めて迎えるその日を前に、衣梨奈は随分と張り切っていた。

聞けば好きな男の子が出来たというわけでもない。
仲良くなれた友達の聖と香音の為にチョコレートケーキを拵えるのだという。
いわゆる友チョコ。
それであんなに楽しそうに出来るのだから、羨ましい。

弟子入りしたいと言うのをこれ幸いと、家事全般を押し付けてみたけれど、
初めの頃の衣梨奈は本当に何も出来なくて
酷い失敗料理を申し訳なさそうに提供されたことも何度もあった。

でも意外や意外、衣梨奈は要領がよく物覚えもよくて、今では道重家のキッチンは衣梨奈の城。
それに雑用を嫌な顔一つせずこなすから、さゆみもそれに甘えていた。
適当にあしらっているつもりだったのに、すっかり道重家に馴染んでいる。

不思議な子だなと思う。
さゆみが言えることでは無いけれど。

何でも楽しんで、一生懸命取り組める。
それはもう長いあいださゆみが持てないでいた感覚だった。

外は雪が降りだしそうなくらい、寒い寒い夜。
でも家の中は、暖房のせいばかりでない仄かな暖かさに包まれていた。


.


衣梨奈はテキパキとケーキ作りに勤しんでいた。
転校してからいろいろあって仲良くなれた友達。
今では親友と呼べるまでになった聖と香音に喜んで貰いたい。
そして、この街に来てから一番お世話になっている人に。

さゆみから、まだ魔法を教わっていない。
でもこの家に来てから、それ以外の沢山のことを教わった。
料理もそう。
それに、魔法を教えてくれるかわりに、衣梨奈が魔法の研究をする環境を整えてくれた。
学校に通わせて貰っていることも、そもそも生活の面倒だって見てくれている。
ぶっきらぼうな物言いが多いけれど、さゆみは本当に優しい人だと思う。
だからこんな日くらいは、感謝の気持ちを返したいと思った。

向こう見ずに家を飛び出した衣梨奈が
今こうして世界一の魔法使いを目指せるのは、優しい人達のおかげ。


それにしても。衣梨奈はひとりごちた。
ここに来てからだいぶ料理の腕が上がったと思う。
それに、お菓子作りだけは生田家にいた頃からやっていたので、
随分と感覚が身についている。

日々料理をする中で、考えていたことがあった。
それは、魔法で料理を作れないかということ。
実際には料理は色々と複雑で、全部を魔法に任せるのは相当難しい。
でも、慣れているお菓子作りならどうだろう。
いくらか単純だし、たとえば行程の一つ、二つでも魔法で代用出来れば随分と楽になる。

シャカシャカとメレンゲを作りながら、衣梨奈はその気になって、
どこで魔法を使おうかと思考を巡らせ始めた。

本当なら、こうしてメレンゲを作るのだって魔法で出来そう。
でも今は手元に無いけれど、ハンドミキサーという文明の利器もある。
小麦粉やベーキングパウダー、バターなんかの計量は
流石に繊細な部分なので、今の衣梨奈には無理。

となるとやっぱり加熱の部分だろう。
魔法で温めれば、オーブンに入れて待つ時間がかなり短く出来るのではないか。
それだけでもうまく出来れば、どんどん発展させていけそう。


いつしか衣梨奈は、魔法を実験する考えに夢中になっていた。
さゆみが「世界一の魔法使いになる条件の一つが料理が上手なこと」と言っていたのを思い出す。
魔法でチャチャっと料理を作るなんてかっこいい。
それに、世界一の魔法使いっぽいと思った。

試しに、板チョコを溶かす作業を魔法でやってみる。
魔法なんて使わなくても電子レンジで数秒のことなのだけれど。
手をかざし、ゆっくり慎重に魔力を注ぐと、チョコがみるみるうちに溶けていった。
うまく出来た。
それだけのことが嬉しくて、はやく次を試したい。

ようやく材料を混ぜ終えて、後は焼くのみになった。
世界一の魔法使いに一歩近づく。
そんな風に息巻いて、それでも念のためにオーブンの中に入れて
外から手を当てる。
そしてゆっくりと魔力をあてがっていった。


.


「あああぁー!!」

突然悲鳴のような叫び声が聞こえて、さゆみは何事かと眉を顰めた。
キッチンから聞こえる衣梨奈の声。何か失敗でもしたのか。
ヤレヤレと呟きながらキッチンに向かう。

案の定というか、ケーキらしきものを前に眉を寄せ
今にも泣きそうな顔で佇んでいる衣梨奈の姿があった。

「大声出さないの。どうしたのよ」

さゆみが声を掛けると、衣梨奈が顔を上げいよいよ表情を曇らせる。

「道重さん…」

衣梨奈がもう一度ソレに視線を落とす。

「なにそれ…」

黒い、得体のしれない塊があった。
周りは焦げ上がりブスブスと煙を立て、真ん中の辺りはグツグツと煮立っていた。
外はガリガリ、中はべちょべちょの見事な失敗ケーキ。

「失敗、しちゃいました…」

「あらあら」

ラッピングにも凝ろうとしたのか、側に置かれたお洒落な包装紙の束が虚しい。
衣梨奈は暫く茫然と失敗ケーキを見ていた。
と、その両の目からポロポロと涙が溢れ始めた。


いやいや、泣くほどのことか。喉まででかかった言葉を飲み込む。

「ま、そういうこともあるよ。いいじゃない、案外美味しいかもしれないよ?」

気休めのつもりで言ったけれど、ソレはどう見ても不味そうだった。
実際に口に入れても多分その感想は変わらないと思う。だからって、ここで泣き続けられても困るし
そんなことで失敗ケーキが美味しくなる訳もない。

「ほら、泣かないの。
生田が聖ちゃんと香音ちゃんのこと想って頑張って作ったんなら、
きっと喜んで貰えるよ。一番大事なのは気持ち、愛情なんだから、ね?」

衣梨奈はさゆみの言葉を聞いてハッと顔を上げた。
失敗した時の自分を思い出す。
本当に、ちゃんと渡す相手のことを考えていたのか。
愛情を込められたのかしら。
ただ自分の魔法を試したくて、そればかり考えていた。
一体何のためにケーキを作り始めたの。
それは、感謝の気持ちを返す為だったはずなのに。

衣梨奈の目からどんどん涙が溢れる。
情けなくて、悲しくて。
今目の前で優しく声を掛けてくれている人に、どんな顔をして
愛情を込め忘れた失敗ケーキが渡せるものか。


さゆみは、ますます嗚咽を漏らす衣梨奈の様子に一つ溜息を吐いた。
衣梨奈が素直だからなのか、さゆみの察しがいいからなのか、
その溢れ出る涙のわけが何となく分かった。

「生田、失敗の原因、分かってる?」

衣梨奈は泣きながらコクりと頷いた。

「ならもう一度作れば、もう失敗しないね?」

戸惑いの表情が浮かぶ。
それから、衣梨奈が掠れた小さな声で言った。

「……もう、作れないんです。チョコレート、もう無くなっちゃって…ぅっく」

もう夜も遅い。
今から買いに行くのも難しいだろう。

失敗はした。でも、衣梨奈は自分の間違いに気づいた。
多分味なんて関係なく、このケーキは渡せないのだろう。

さゆみは何度か会ったことのある聖と香音の顔を思い浮かべた。
衣梨奈にこんなに想われて、羨ましい子たち。とってもいい子たち。

「ちょっと待ってなさい」

涙の止まらない衣梨奈に静かに告げて、
さゆみはキッチンを離れ自室へ向かった。


部屋に入り、机の引き出しを開ける。
それから小さな箱を取り出した。
可愛らしいラッピングが施された小箱。そのラッピングを些か乱暴に破る。

我ながら柄じゃないと思っていた。
それが意外な形で役にたったものだ。
箱を開けると、ハート型のチョコレートが幾つか入っている。
さゆみが指を振るい魔力を注ぐと
それはみるみる溶けて一つになり、プレーンな板チョコの形を選んで固まった。

こうして見ると、本当にバレンタインチョコなんてただのチョコレートだ。
思わす苦笑する。
でもだからこそ、気持ちが大事。そういう話なんだろう。

適当に板チョコを紙でくるんで、残りの包装は丸めてゴミ箱へ。
ひらひらと紙が舞って、それを拾い上げると
『生田へ』とだけ書いて、その後が思い浮かばず白紙にしていたメッセージカード。
こんなものまで用意して、本当にどうかしてたな。
なんだか自分で自分が可笑しくなって、さゆみはクスクスと笑った。


「ほら、これ使いなよ」

差し出された板チョコとさゆみの顔を見比べて、衣梨奈は戸惑いの表情を浮かべた。

「…これって」

「さゆみのお夜食用にとっといたチョコ。ま、これっきりしか無いからね。
次失敗したら、もう知らないよ?」

「……いいんですか?」

「いらないの?」

「欲しいです」

瞼を腫らしながら、衣梨奈が言う。
その目には力強さが戻っていた。
チョコを受け取り、大事そうに手の中に収める。

「ありがとうございます、道重さん」

「今からまた作る?」

「はい」

 

「あんまり遅くならないように、ちゃんと寝なさいよ」

「はい」

さゆみがそう言い置いて、キッチンを離れる。
衣梨奈はその後ろ姿を暫く見送っていた。

失敗をした。そして、さゆみにチャンスを貰った。
だからもう絶対に失敗しない。横着もしない。
味がどうかは、できてみなければ分からないけれど、とにかくありったけの愛情をこめよう。
渡す相手、聖と香音、そしてさゆみのことをずっと想って作ろう。
衣梨奈は何だかスッキリとした楽しい気分になって、また一からケーキを作り始めた。


無事完成。
多分、味もうまくいっている。
そして何より、たっぷりの愛情を注いだつもり。
だから、きっと美味しいはず。
衣梨奈は、何となく理解した。
魔法を使ったから失敗したんじゃない。
さゆみの言ったように、気持ちの問題。
魔法を使って料理を作る方法もあるんだろう。
でも、そこに愛情が無ければきっと意味はない。
出来上がったケーキを前に、衣梨奈が顔を思い浮かべる。
聖、香音、そしてさゆみ。

「ちちんぷいぷい、おいしくなーれ!」

ふと思い浮かんだおまじない。魔法じゃない。
でも多分、一番の効き目のある魔法。
届きますように。


先に寝ようと部屋に戻ったさゆみは、何となく気になって衣梨奈の気配を追っていた。
日付が変わってもまだキッチンから気配があって、やがて香ばしい匂いも漂い始める。
完成したのだろうか。
あんまり子供の夜ふかしはよくないから、早く寝るように言おうかと
もう一度キッチンに向かった。

衣梨奈は満足そうな顔で、ケーキを包装していた。

「うまく出来た?」

「はい!」

さゆみの顔を見て、衣梨奈は満面の笑みを見せた。
まだ微かに涙の跡が残っているけれど、とてもいい笑顔。

「そう。よかったね。さ、もう寝な」

「はい…あの、道重さん」

「ん?」

衣梨奈は綺麗にラッピングされた箱を両手に持ち、差し出した。

「ハッピーバレンタイン!」

さゆみが少し驚いて、その箱と衣梨奈の顔を見比べる。

「さゆみに?」

「はい!」


キラキラとした笑顔を向けられて、さゆみは思わずはにかみ俯いた。
それから、すぐ顔を上げ、負けない笑顔を返す。

「ありがと」

「本当は一晩冷ました方がいいんですけど、道重さんに一番に渡したくて。
もう14日なんですよ!」

「ほんとだね。じゃあ、さゆみが一番に頂こうかな。
せっかくラッピングしてくれたけど、いい?」

「はい!あ、衣梨奈紅茶淹れます!美味しい紅茶淹れます!」

「うん。ふふ、宜しく」

保護者として、早く寝かさなければいけないと思いながらも、
何だか嬉しくてさゆみは続けた。

「生田も一緒に食べよ?」

「え、でも道重さんの分やし…」

「折角だし、分け分けしようよ。さゆみの愛情も入ってるんだから」

付け足した言葉の意味が分からず、衣梨奈が首を傾げる。
それは分からないだろう。さゆみはクスクスと笑った。


それから始まった深夜のささやかなお茶会。
なるほど、衣梨奈が胸を張るだけあって、チョコレートケーキは本当に美味しかった。
衣梨奈がお話する。いつもより少し楽しそうに。いつもより少し饒舌に。
さゆみも少しだけ、衣梨奈にいつもより沢山のお話をした。

二人だけの楽しいお茶会も早めに切り上げ、
いよいよ遅くなってしまったので早く眠るように促す。
明日遅刻してしまったら元も子もない。

何だかふわふわした気分のまま、衣梨奈は幸せそうに自室に戻った。

さゆみもいい加減寝ようと部屋に戻る。
さっきのメッセージカードがまだ机の上に置いてあった。
クスリと笑ってそれを手に取る。
もういらない。

さゆみは指でクルクルと弄んだあと、小さな炎の魔法を出してそれを燃やした。
ほんの一瞬、一度書いて消した文字が炙られ浮かび上がる。
でもそれは、直ぐに燃え尽きて無くなってしまった。

『 生田へ

ありがとう 』


 

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最終更新:2014年02月15日 17:41
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