黒猫の追憶 ~真実を照らす絆~


薄暗い地底の奥深くに揺らめく2つの人影。
ほんの小声で話しているはずのその会話は、武骨な洞窟の反響でやけに大きく響きわたっていた。

「ありがとうね圭ちゃん。色々と手を貸してくれて助かったわ」

スッキリした表情で謝辞を伝える圭織に対し、ケメコが釈然としない様子で問いかける。

「これくらい別にいいんだけどね。でも本当に良かったのこれで?」

「もちろん。これでカオリには何の心残りもなくなったから」

そんな圭織の言葉を聞いても、ケメコのわだかまりは晴れないようで、
ぼやきにも近い感じでさらに言を重ねていく。

「カオリが納得できたのならそれが一番だとは思うけどさ……。
でもあの娘の、飯窪の気持ちを考えるとどうもねぇ。
もう少し他のやり方はなかったかなって」

「はるなんにとっても、きっとこれが最良の選択だったよ」

「うーん、そうかもしれないけど。
でもやっぱり、別れを告げるための方便とはいえ
カオリが死んだとまで嘘をつくのはやりすぎじゃないかなぁ」

圭織がもう死んでいるという、嘘。

それが、ケメコの納得いかない最大の要因だった。


ケメコから視線を外した圭織が、遠い目とともに独り言のように呟く。

「大いなる災厄を除去してカオリの封印を解いた時、
それに呼応してはるなんの記憶の封印も解かれてしまった。
本来そこらの魔道士では解除できっこない、
その存在すら感じとることができないくらいの厳重な封印だったのにね。
はるなんが心の内にずっと抱え続けていたカオリへの強い想いが、
カオリの目覚めに感応して、ついには自らの封印を撃ち破ったのよ。
これがどれだけ驚愕的な事象なのか、圭ちゃんにはよくわかるでしょ」

「まあ常識的に考えてまずありえない、簡単に言うと奇跡だよね」

「それだけの想いをずっと持ち続けてくれていたというのは、
確かにカオリにとっては涙が出るほどに嬉しいことではあるんだけど。
でも新しい生活を歩み始めたはるなんには、それは重い足枷にしかならないのよ。
カオリへの強い想いは、つまりあの頃に戻りたいという後ろ向きな心でもあるのだから」

「うんまあそこまではわかるよ」

「問題は、それほどの強い呪縛にどう対処すればいいか。
もう一度封印しなおすのは駄目だよね。
どんなに強力な封印であってもいつまた自発的にそれを解除してしまうかわからないし、
心の奥底に沈み込んだカオリへの想いが、未来への志向を必ず阻害する。
だから、カオリの口から直接話して聞かせて、はるなんを納得させるのが最良の方法だった。
そしてカオリへの想いを昇華させるために、『死』という衝撃がどうしても必要だったのよ」

「要するにショック療法ってことよね。それもわからないではないけど……」

理性では理解できても、感情的には承服しがたい様子で唇を尖らせるケメコに、圭織が軽く微笑む。


「それに、死んでるというのもあながち間違ってないからね」

「どういうこと?」

「カオリの魔法使いとしての一番重要な、人生を賭けて果たすべき使命は、
大いなる災厄という予言を阻止することによってようやく達成された。
つまりもう魔法使いとしてはこれ以上存在する意義のない、死んだも同然の身なのよ。
それに、災厄除去のために持てる全てを費やしたカオリは心身ともにもうボロボロ。
今だって、圭ちゃんから魔力を借りてどうにかやっていけてるくらいだしね。
これからまた研究所に戻って、宇宙のエネルギーに癒されながら永い眠りにつく。
この身体が回復するまでどれだけの年月がかかるかわからないし、
宇宙に抱かれたまま息を引き取るのも悪くないと思ってる。
だから魔法使いとしても人としても、もう死んでいるのと何ら変わりがないということ」

「…………」

圭織の吹っ切れた表情を前にして、ケメコもそれ以上何も言えずに口をつぐみ、沈黙が流れる。

「かおりんの気持ちはよくわかったけどさ、それでもやっぱりやりすぎだったと思うよ」

その時、2人の後ろから不意に声をかけてきたのは、ひとみだった。

「やりすぎってどういうこと?」

「飯窪のことを、もう少し信頼してあげてもよかったんじゃないかっていう意味」

「信頼」という思いがけないフレーズに、圭織の視線が微かに揺らぐ。

「今さっき飯窪のことを送り返してきたんだけどさ。そこで……」



圭織が消え去り、こぶしファクトリーもいつしかただの洞窟への姿を変える中。
独り立ち尽くす春菜に、ひとみが後ろから肩にそっと手をかけた。

「飯窪にとっては辛い体験だったろうけど、大丈夫かい?
もしどうしようもないくらいに辛くて耐えられないのなら、かおりんには内緒で
過去の記憶を封印じゃなくて完全に消し去ってあげることもできるけど」

「気を使っていただきありがとうございます。
でも大丈夫です。今日のことは、ご主人様との貴重な思い出の1ページですから」

振り向いた春菜の瞳は涙で潤んでいたが、意外にもその口調は落ち着いていた。

「それよりも一つ、お願いがあるんです」

「お願い?」

「ご主人様……、いえ、飯田圭織さんに伝言していただけませんか」

「いや、かおりんはもう……」

冥界の門をくぐったから……と続けようとしたが、
強い意志が込められた春菜の視線を浴び、
その中に圭織の瞳と同じ深遠を見出したひとみが、思わず言葉を飲み込む。

「私のご主人様『は』……もうこの世にはいません。
だから、偉大なる魔法使いの先達である飯田圭織さんに伝えてほしいんです。
いつの日になるかわかりませんが、いつか必ず、私は自分の夢を叶えてみせます。
そして夢を叶えて一人前になったその時、使い魔ではなく一人の魔道士として、
私は飯田さんに会いに行きます。だから、その時まで待っていてくれませんか……と」



「えっ!? それってつまり……」

「そう、飯窪は途中で気づいたんだよ。
かおりんの話す『死』が、字面通りのものではないということに。
その上で、かおりんの意図をしっかりと汲み取って、
主人と使い魔の関係を断ち切るという別れを黙って受け入れた。
かおりんが心配しなくても、それだけの選択ができる強さを飯窪は持っていたんだ」

フフ……フフフフフフフフ…………。

ずっと押し黙ってひとみの話に聞き入っていた圭織の口から、不意に笑い声が漏れだす。

「ほんと駄目だよねカオリって。相手の気持ちを推し量るのとかどうしようもなく苦手で。
カオリが知らないうちにはるなんがこんなにも成長してたことに全然気づかないで、
昔のように子供扱いして、はるなんに余計な気まで使わせちゃうだなんて」

「カオリ…………涙が」

春菜との別れの瞬間にも流すことのなかった涙。
それが今、大きく見開かれた圭織の瞳から、ポタリポタリと零れ落ちていた。

「そうか……。とっくに枯れ果てたと思っていたカオリの身体にも、
涙なんてものがまだ残っていたんだね。それを知れたのもはるなんのおかげかな」

涙を拭うこともなく、これまでにない爽やかな笑顔を見せた圭織が、そっと虚空の闇を見上げる。
視線の先には、地底から遥か彼方の天空の星々、そして赤く燃えるサソリの火を映し出していた。

「ありがとうはるなん。おかげでこれから、満ち足りた気持ちで眠りにつけそうだよ。
またいつか一人前の魔道士になったはるなんに会える日を、ずっと楽しみに待ってるからね」


(おしまい)

その先にあるもの

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最終更新:2015年07月26日 18:43