マーガレットの話 1


「お姉さま!マーガレットお姉さま!」

自分を呼ぶ愛らしい声に、マーガレットは読んでいた本から顔を上げた。
パタパタとスカートを翻しやってくる可愛らしい少女、ミモザの姿を見つけ
マーガレットの顔に笑みが浮かぶ。

「どうしたのミモザ。そんなに走って」

ミモザに続いて、クレマチス、ジャスミンもマーガレットのところにやって来た。
ミモザは少し息を切らし、マーガレットを見つめる。
それから恥ずかしそうに頬を染め、手に持った白い輪を差し出した。

「中庭に綺麗なお花が咲いていたから、クレマチスと花冠を作ったんです!お姉さまに!」

少し歪なシロツメクサの花冠。
マーガレットは、その花冠とミモザとクレマチスの顔を見渡し、柔らかく頬を緩めた。

「とても上手に出来たわね。私が貰ってもいいの?」

ミモザはクレマチスの手を取り、二人で大きく肯いた。
マーガレットがその花冠を受け取り、そっと自分の頭にのせる。


「どうかしら?」

「素敵ですお姉さま。お姫様みたい」

落ち着いた声でジャスミンが言うと、ミモザとクレマチスも何度もうなずき同意を示した。

「ありがとう、ミモザ、クレマチス。大切にするわ。
 でも中庭は雨が降っていたでしょう。濡れたりはしなかったの?」

「大丈夫です!ちょっとだけですから!」

元気よく答えるミモザに苦笑する。
きっとクレマチスはまた、ミモザに巻き込まれたのだろう。
だけどクレマチスの顔にも楽しさと嬉しさが滲んでいて、きっと嫌なことなど無かったのだろうと思った。

「ふふ、それならいいわ。だけどあまり雨に濡れてはだめよ。風邪をひいてしまうわ」

「はい!」

ミモザとクレマチスはまた照れ臭そうに顔を見合わせると
マーガレットに勢いよく頭を下げて遊びに行ってしまった。
楽しそうな声の残響が雨音に混じってマーガレットとジャスミンのもとに残った。

「本当にミモザは可愛いらしいわね。それにクレマチスの表情も随分と柔らかくなったわ」

マーガレットは頭から外した花冠を愛おしそうに撫でながらジャスミンに語り掛けた。


「お姉さまのおかげです。ミモザもクレマチスも、お姉さまの為に何かをするのが本当に楽しいみたい」

「嬉しい。だけどジャスミン、あなたのことも、あの子達はとても信頼しているでしょう?」

「私が今こうしていられるのも全てお姉さまのおかげ。お姉さまの優しさのおかげなのですもの」

少し俯き、ジャスミンが控えめに、照れ臭そうに告げる。
マーガレットは頬を緩め、そっとジャスミンを抱き寄せた。

「ジャスミン、ありがとう」

「お、お姉さま…。どうなさったんですか、急に」

「言いたくなったの。貴方は本当に優しくて素敵な女の子。大好きよ、ジャスミン」

「お姉さま…。私も、大好きです。マーガレットお姉さま」

抱擁を解き、二人は照れ臭そうに目を見合わせて笑った。
それからふと逸らした視線の先には、サナトリウム・クランの窓。

窓の外には今日も冷たい雨が降っていた。
やむことの無い雨。
マーガレットの胸のうちに、憂鬱が広がる。
愛おしい妹たちと過ごす幸せな時間が、煙る雨に浮かんだ幻ならば
いつまでも降り続いて欲しいと思う。
だけど雨はいずれやむ。自らの手で、やませなければならないのだ。




そのサナトリウム・クランの中で
マーガレットは「お姉さま」だった。
クランに入った順序が早く上級生であることと、面倒見がよいこともあって
殆どの女子寮の少女達がマーガレットをお姉さまと呼んだ。
別に、上下関係の規律などは無いも同然だから、そう呼ぶ義務も無いのだけれど。

マーガレットは少女達が自分を慕ってくれることを嬉しく思っていた。
愛されたいという欲求が人一倍強いという自覚がある。

そして下級生の少女達の中でも、とりわけ自分を慕ってくれるジャスミン、ミモザ、クレマチスの三人を
マーガレットもまた強く愛していた。

ジャスミンも、殆どの生徒にとっては上級生なのだけれど
控えめで慎ましい彼女は、いつもマーガレットに寄り添ってくれていた。

マーガレットは、この閉ざされたクランでの、可愛い妹たちに囲まれた暮らしを愛していた。
だけど、その幸せと背中合わせに見え隠れするおぞましい欺瞞を憎んでいる。

マーガレットは、とても聡明な少女だった。
それ故に、クランの奥底に流れる恐ろしき真実に近づいていた。
衝動のように、マーガレットはその真実を追い求める。
誰にも告げず、たった一人で。
悲しみと恐怖が迫ろうとも、真実を知れとの自らの魂の叫びに抗うことは出来なかった。


図書室で読書をしていたマーガレットは、憂鬱に耐え切れず本を閉じた。
新たに得た知識の殆どは、自分の疑念、恐ろしい真実の予感を裏付けていく。
それでもじっと恐怖に耐え、マーガレットは自身の中に理論を組み立てていった。
妹たちの前ではせめて笑顔を絶やさぬように。
そうしてもう何日も、何週間も、何年も過ごしていた。

図書室を出てホールへと降りたマーガレットの耳に
鈴のように楽しそうな少女達の笑い声が聞こえてくる。
マーガレットは憂鬱から解放されたように、そっと笑みを浮かべ近くの椅子に腰かけた。

「マーガレット、また図書室で調べもの?」

「リリー。ええ、得るものも何も無かったけれど」

友人、リリーの声にマーガレットは振り返り、苦笑しながら言った。
すぐに思わせぶりなことを言うものじゃないと反省したけれど、リリーは特に気にする様子も無く
視線で隣に座る了解を求める。マーガレットが肯くと、リリーは白いスカートをふわりと広げ
マーガレットの隣に腰かけた。

マーガレットは、そんなリリーの様子を眺め、ふと頭に浮かんだことを口に出した。

「今日もスノウと一緒ではないの?」

リリーは少し驚いたように目を見開き、それから力なく肯いた。

「…今日も、一人になりたいって」

「そう」


リリーと親友だったスノウ。
彼女の様子がおかしいことに、マーガレットは随分前から気付いていた。
だけどそれが露骨な態度に顕れるようになったのは最近のこと。
スノウはまるで、親友のリリーや他のクランの仲間たちを避けるように振る舞っていた。
リリーはそのことに酷く戸惑っている。
心当たりは何もない。だから、ただただ寂しく思っていた。

マーガレットには思い当ることがあった。
それは自分が今近づいている、このクランにまつわる恐ろしい真実と
無関係ではないという気がするのだ。

詳しくは分からない。
だけどとても悲しいことがスノウの身に起こっているという気がしてならない。

「そういうマーガレットも、今日はジャスミンたちと一緒じゃないんだね」

ふとからかうように告げられたリリーの言葉に、マーガレットの思考が引き戻された。

「あの子達だって自分の時間があるもの。四六時中一緒というわけじゃないわ」

「うふふ、そうだね。でも少し寂しそうだよ?」

マーガレットは少し仏頂面をしてリリーをねめつけた後ふっと笑った。
図書室に行く前、3人の姿を見つけたマーガレットは声を掛けようとしたけれど
遠巻きで3人はマーガレットに気付かず楽しそうに行ってしまった。
仕方なく一人図書室にこもったというのが実のところで、正直少しだけ寂しかった。
だけれども、自分で言った言葉の通り、彼女たちの時間も尊重しなければならないのだし、そんなことは口には出せない。


「ごめんごめん、怒らないでよ。
 でも本当にあの子達、マーガレットのことが大好きだね。慕われて羨ましいわ」

「あら、リリー。あなたのことを慕っている子も沢山いるわよ?
 鈍感なあなたは気付いていなのでしょうけれど」

「そんな…。そんな子いないよ」

「ふふ。そういうことにしておいてあげるわ」

お互い一頻りからかいあって、マーガレットとリリーは目を見合わせて笑った。

リリーもまた、このクランにおける「お姉さま」だった。
マーガレットがこのクランにやって来た時、実はその時のことを殆ど覚えていないけれど
リリーと、そしてスノウも既にこのクランにいたという記憶がある。
そしてシルベチカ、マリーゴールドという少女達。
マーガレットの記憶が正しければ、この4人が自分よりも古参の「お姉さま」ということになる。

広場には楽しそうな笑い声が響いていた。
少し騒がしすぎるくらいの笑い声。

その中心にいるのは、最近クランにやってきたカトレアという少女だった。
みんなと馴染めるだろうか、そんなマーガレットの心配は全くの杞憂で
カトレアは瞬く間にクランの人気者になっていた。
特にローズやナスターシャムはカトレアに振り回されて随分と楽しそうにしていた。

少し騒がしすぎると思うこともあるけれど、幸せそうなその様子は
マーガレットの心にも一廉の安らぎを与えてくれている。


「こらお前たち!何を騒いでおる。もうすぐ薬の時間だぞ」

不意にホールに響き渡る声。
騒がしかったホールが瞬く間に静まり返る。

「お薬の後は講義の時間ですよ。遅れないように」

紫蘭、続く竜胆の声に少女達がしゅんと面を下げた。

「はい、お姉さま」

しぶしぶと返事をする少女達を冷たい目で睥睨し、紫蘭と竜胆はマーガレット達の前にもやってきた。

「お姉さま方も時間ですわ。おいでください」

竜胆の言葉に、マーガレットとリリーは小さく笑った。

「ええ、すぐに行くわ」

マーガレットの返事にうなずき、竜胆と紫蘭はホールを後にした。
その後ろをぞろぞろと少女達が続く。
マーガレットとリリーも立ち上がった。


「ねえ、リリー」

「なあに?」

「紫蘭と竜胆のこと、少し変わったと思わない?」

他の少女に聞こえないように、声を落として告げられた問いにリリーは不思議そうに眉を寄せた。

「変わった…って、どんな風に?」

「冷たくなった、というのかしら。前はもっと笑顔を見れた気がするの」

リリーがマーガレットを見返し、それから少し思案する。

「それは…ほら、二人とも監督性に選ばれたから、しっかりしなきゃって。そう思ってるんじゃないかな?」

「…そうね。それならばいいけれど」

答えながらマーガレットはリリーの表情を窺った。
リリーの中にも、僅かな違和感がある。そんな気がした。
だけどそれはすぐに他の何かに溶けてしまう。


きっと竜胆や紫蘭も、秘密と関わっている。
予感はもはや、マーガレットの中で確信に変わっていた。

だけど今近づいているその秘密は、悲しみを齎す。
きっと大きな悲しみを。
出来ることならば大切な仲間たちにその悲しみが降りかかって欲しくないと思った。
だからリリーが気付かないのならばそれでいい。

「しっかりするのはいいこと。だけどたまにはあの子達の、竜胆と紫蘭の心からの笑顔も見てみたいって。
 ちょっとそんなことを思っただけ。気にしないで、リリー」

「…そうだね」

マーガレットは軽い調子でリリーに語り掛けながら思った。
竜胆と紫蘭の笑顔。自分は確かにそれを知っていて、だから二人のことも他の妹たちと同じように愛している。
なのに、それが思い出せない。
いつどこで、どんな場面でその笑顔を見たのか。
順序立てて整理していけばいくほど『二人の笑顔なんて見たことがない』という結論に至ってしまう。
こんな矛盾が、ちぐはぐな感覚がいくつもある。
それらがすべて、例のおぞましい真実によって説明づけられてしまう。

マーガレットはまた深い憂鬱に襲われて、だけどそれをリリーに悟られないよう薬の間へと急いだ。


薬の間へ向かう少女達の列に小さく息を弾ませて二人の小柄な少女が加わった。
シルベチカとチェリー。仲良しの二人は、またどこかへ遊びに行っていたよう。
マーガレット達の前に収まった二人からは、ふわりと雨の匂いがした。

「お帰り、シルベチカ、チェリー。今日は間に合ったね」

リリーが小声で話しかけると、二人が息を整えながら振り返り笑った。

「ええ、なんとか。…よかったわ。竜胆と紫蘭は私にも容赦がないから」

「やたら怖いのよね、あの二人」

楽しそうに微笑む二人。
きっと何かとても楽しいことがあったのだろうと想像出来た。

だけどチェリーはリリーの隣にマーガレットの姿を見つけてぎょっと肩を竦めた。
一瞬の仕草。それに気付いたリリーが不思議そうに首を傾げる。

「チェリー?」

「あ、なんでもないわリリー。私たち先に行ってるわね。行こう、シルベチカ」

そう言うとチェリーは、リリーと同じように不思議そうな顔をしているシルベチカの手をとって列の前へと行ってしまった。


「どうしたのかしら…」

リリーの呟きに、マーガレットが自虐的な笑みを漏らした。

「あの子私のことが嫌いみたい。というより、私のことが怖いのね」

「え…?そんなことは無いと思うけれど…」

マーガレットは、チェリーが自分を避けようとする理由を知っていた。
だからチェリーの態度を仕方が無いことと受け入れている。
それはとても寂しいことだけれど。


薬の間に着き、マーガレットが辺りを見回す。
そこにはリリーに「一人になりたい」と言ったスノウの姿もあった。
それに、忌まわしき血を持つダンピール、マリーゴールドの姿も。

毎日の薬。これを呑むことは絶対だった。
だからクランに住む少女達はみんな、この場所にいる。

繭期の症状を抑える為の薬。
そう聞かされている。

だけどマーガレットは、その薬を飲むことの本当の意味にぼんやりと気付いていた。
だからその薬を?まないということが何を意味するかにも、ぼんやりと気付いている。
飲まないわけにはいかない。
プライドを踏みにじられるような不快感を胸に押し込み、マーガレットは厳粛な雰囲気の中
みんなと同じように薬を飲下した。



薬を飲み終え、竜胆と紫蘭の退屈な講義を聞き流すと、ようやく自由時間となった。
少女達は、凝り固まった身体を伸ばしながら、また遊びに行ったり、お茶をしに行ったりと
三々五々別れていく。

マーガレットもゆっくりと立ち上がり、講堂を後にした。
と、自分の前を俯き背を丸め影のように少女が横ぎった。

マリーゴールド。
人間とヴァンプの両方の血を持つ忌まわしき混血児、ダンピールだった。
クランには誰も彼女を「お姉さま」と呼ぶものはいない。
それどころか、自由時間に彼女の姿を見つけようものなら、忌避し逃げ惑い、石をぶつけるものもいる。

マリーゴールドはマーガレットの気配を感じ
その黒い目を前髪の間がギョロリと覗かせた。
マーガレットが、睨み返すように視線に答える。

「何か用かしら。マリーゴールド」

マリーゴールドは、一つピクリと背中を震わせ目を反らすと、ゴソゴソと忙しく足を動かし行ってしまった。


多分彼女を避けず視線を向けていたマーガレットの気配を、リリーのそれと勘違いしたのだろう。
マリーゴールドがクランの少女の中で唯一リリーにだけ心を開き、さらに言えば心酔し依存していることをマーガレットは知っていた。

マーガレットはマリーゴールドの後姿を忌々しげに眺め
それから歩き出した。

マーガレットはマリーゴールドを嫌っていた。
けれども、他の少女達のように避けているわけではない。

マーガレットには、他の誰も持たない小さな異能があった。
ダンピールの、人間の血が放つ臭いが分かるのだ。
何故そんなことが分かるのかは、自分自身も分からなかっし、殊更に人にそのことを告げることもしなかった。
だけどハッキリと、他のヴァンプとは違うものをダンピールから感じ取ることが出来た。
そしてマリーゴールドを嫌うが故にその臭いにも次第に嫌悪感が募っていった。

マーガレットは、そのダンピールの血よりも、マリーゴールドの性向を嫌っていた。
自身の血の穢れに支配されたように、暗く陰気で、覇気のない、誰にも心を開こうとしない姿を。
もっともそれが、ダンピールを取り巻く周囲の環境故に作り上げられてしまった人格で、本人にはどうしようも無いことなのだと
マーガレットには分かっていた。
そして自分がマリーゴールドを嫌悪する理由の根底が、自身の傲慢さにあることも。


それは遥昔に遡る。
マーガレットは、初めてマリーゴールドに会った時に、虐げられるマリーゴールドに手を差し伸べたことがあった。
マリーゴールドは、その手を取らなかった。
暗闇の中から抜け出せる可能性を自ら拒否しマリーゴールドはまた闇の中に籠ってしまったのだ。
マーガレットはそのことに酷く憤った。

後に考えれば、それはマーガレット自身の自尊心の充足、その目的にマリーゴールドを利用したのだと分かっていた。
マリーゴールドがそれを見透かして拒否したのかどうかは分からないけれど。
マーガレットはいつも高潔で清廉な人間でいたいと思っていた。
だけどどうしても、身体に染みついている嫌な性質がある。
それが傲慢さだった。

支配されることが絶対に嫌で、支配したいと思う。
愛されないことが我慢ならず、自分を愛そうとしない者を憎みさえしてしまう。
そんな自分の心を美しくないとは分かっているけれど、再びマリーゴールドに手を差し伸べる気にはなれなかった。
彼女がリリーだけに心を開いているという事実も、酷く自尊心を傷つけられて、尚のことマリーゴールドを嫌悪するようになる。

マーガレットはまた憂鬱のため息を一つ吐いた。
支配されることが我慢ならない。
その自尊心、少女マーガレットに生まれながらに備わってしまった魂が
今、恐ろしい真実への追求と、忌まわしき支配者への反逆へと彼女を駆り立てていた。



マーガレットは自室にジャスミン、ミモザ、クレマチスを招きお茶会を開いていた。
恐ろしい真実への到達は、もう幾つかの鍵を残すばかりになっている。
憂鬱と恐ろしさに染められるマーガレットの心に、妹たちとの一時は掛け替えの無いものとなっていた。

「そうだったのね。三人で何をしているのかと思ったら、
 このクッキーを作っていたの」

「はい!お姉さまに食べて欲しくって。…でも私下手っぴいだから、クレマチスとジャスミン姉さまにも手伝って貰っていたんです」

ミモザがお茶会に持ってきた可愛らしいクッキーの数々に、マーガレットの頬は緩みきっていた。
3人で作ったというだけあって、形も色も綺麗に焼けている。

可愛らしくそう言われてしまうと、少し寂しい気持ちでいたことなどすっかり忘れてしまう。
マーガレットは、我ながら現金なものだと苦笑した。

妹たちとの会話は弾む。
それは他愛も無いものだった。
殆ど変化の無い、退屈な毎日。
それでも、話題を見つけてはお喋りに興じる。
一緒に居られるだけでも楽しいから、きっと話題は何でもいいのだ。

「お姉さまはご存知ですか?シルベチカお姉さまのこと」

ミモザの言葉にマーガレットが首を傾げた。


「シルベチカのこと?何かあったかしら」

「シルベチカお姉さま、近頃男子寮の生徒と仲がいいらしいんですよ」

「まあ」

ジャスミンが告げた言葉に、マーガレットは思わず声を上げた。

「なんでも、温室やピロティでよく密会してるみたいなんです。もう凄く話題になってますよ」

「シルベチカが…。何だか想像出来ないわね」

「ですよね!まだ恋人同士というわけでは無いようなんですけれど、
 目撃した子の話だと、シルベチカお姉さま凄く幸せそうなお顔をなさってたみたいで」

「何故かチェリーもひっついてたみたいですけど!」

クレマチスとミモザが興奮気味にまくしたてる。
どうやらクランではもっぱらの話題になっているらしかった。

マーガレットは活き活きとした妹たちの顔を見ながら、シルベチカのことを思い浮かべていた。

シルベチカはマーガレットにとってもお姉さまに当たる、思慮深く落ち着いた物腰の柔らかい美しい少女。
可愛らしい声と、小柄で愛らしい容姿とは裏腹にいつも静かな優しい笑みを浮かべていた。


「最近シルベチカとチェリーがお薬の時間に慌てて戻ってきてたのは、そういう訳だったのね。
 それにしてもあのシルベチカが…。いったいどんなお相手なのかしら」

マーガレットの言葉に、ミモザとクレマチスはニヤニヤと視線を見合わせた。

「それがなんと、キャメリアなんですって!」

「キャメリア?」

「お姉さまご存知ですか?」

「ええ、知っているわ。ファルスと一緒に男子寮の監督生をしている彼ね」

「はい!そのキャメリアです!」

ミモザとクレマチスはいよいよ興奮したように落ち着きなく身体を動かしている。
ジャスミンは変わらず柔らかく笑い二人を見守っていた。

男子寮の生徒についてあまり詳しくは知らないマーガレットも
キャメリアのことは何となく知っていた。
整った中性的な容姿の黒髪の少年で、少しなよなよとした雰囲気はあるけれど
まだクランに来て間もないのに監督生を任された優秀な人物だと記憶している。
よっぽど『彼』に信頼されているらしい。

「ちょっと頼りない感じもあるけど、キャメリアってイケメンだしね。
 シルベチカ派の子達は大分ショックだったみたいだけれど」

「そうそう!」

クレマチスが可笑しそうに言うと、ミモザも同意した。

「ふふ、なあに?シルベチカ派って」

マーガレットの問いにミモザが楽しそうに答える。

「クランの女の子達の間で派閥があるんです。どのお姉さまが好きかで
 リリー派、スノウ派、シルベチカ派、そしてマーガレットお姉さま派の四派に分かれてるんですよ!」

「そんなものがあるの?知らなかったわ」

「私たちは勿論マーガレットお姉さま派です!」

ミモザが胸を張ると、クレマチスとジャスミンも嬉しそうに肯いた。
何だかそれが可笑しくてマーガレットが笑う。
続いて4人の笑い声が部屋に木霊した。

「ありがとう。嬉しいわ」

笑い、お茶に口を付けた後、マーガレットは目を細めて3人の妹たちを見た。
胸いっぱいに幸せを感じながら。


それからシルベチカについてもう一度思い巡らせていた。
近頃のシルベチカは確かにとても幸せそうな表情をよく浮かべていた気がする。
その一方で、ふとした瞬間に物憂げな顔をしていることもあった。
それらはいわゆる「恋の病」というものだったのだろうか。
マーガレットは、まだ一度もそんな経験が無いからよく分からないけれど。

大切な友人であるシルベチカの幸せは素直に嬉しい。
本当に、幸せになれるのならば。


「でも私は顔だけならファルスの方が好みかな!」

ミモザが不意に言い放った言葉に、マーガレットの心は急に重くなった。

「ミモザ、ファルスはやめといた方がいいわよ…」

なるべく優しく、明るく言ったつもりのマーガレットの言葉は、思ったよりも低く響いた。
それを不思議に思ったのか、ミモザとクレマチスとジャスミンが首を傾げマーガレットを見る。

「やだ、お姉さまったら。大丈夫ですよ!
 ファルスの方がって言ったのは顔だけのことですから!
 あんなチャラチャラした男の子より、お姉さまの方が万倍素敵なんだから!」

「そうですよ。男の子との恋愛なんて、まだ全然想像もできないわ」

また笑いの花が咲く。
マーガレットも、気を取り直して談笑の続きを促した。
美味しい紅茶と嗜みながら、4人の賑やかなお茶会は晩くまで続く。
同じような毎日。
だけどそこかしこに、小さな変化が起きていることをマーガレットは感じていた。



早朝、雲に覆われた空が漸く白み始める時間。
マーガレットは、クランの立ち入り禁止区域にある隠し扉を見つけ出していた。
だけど、その扉を潜ることは今は出来なかった。
もうすぐ皆が起き出してくる。

立ち入り禁止区域、隠し扉。
きっとその先には地下室、薬、名簿、写真。
提示されていたヒントの通りならば、それらがあるはずだ。
このクランに漂う忌まわしい謎の答え。その物的証拠と言えるものが。

少し開いたその扉の奥には階段。
まるで黄泉へ続くかのように、黒々とした闇の奥へと階段は伸びていた。
そしてそこから漂う、胸をつく悪臭。
それだけで、逸るマーガレットの気持ちが押さえつけられてしまった。

誰にも見られてはいけない。
知られてはいけない。
マーガレットがそれを見つけたことがもし、あの男に知られてしまったら
全てを隠蔽されてしまうかもしれない。
だから慎重に時間を見計らい、十分な警戒が出来る準備をして改めて探る。

マーガレットは額に球の汗を浮かべてその扉を閉じると、大きく息を吐いた。

クランを囲う森には相も変わらず雨が降っている。
雨粒が草木を揺らす音。
もうずっとその音を聴き続けているから、
その音はまるで世界に初めから付属していた音のようだった。


鬱々とした頭を支えながらマーガレットはクランの渡り廊下を歩いていた。
軒先から吹き込んだ雨が、もうずっと廊下の一部に降り続いて
消えない沁みを象っている。

薬、名簿、写真。
それらは恐らく重要な物で、これまでの考えを裏付けるものになるはず。
だけどそれ以上のものを見つけ出さなければならない。
恐ろしい闇に打ち勝ち、雨を止ませる方法、そのヒントが見つかるだろうか。

不規則に高鳴っていた鼓動がようやく収まって来た頃、マーガレットは視線の奥に人影を見つけた。

廊下の奥の奥。
誰も立ち寄らないような、雨に煙るテラスにポツリと置かれたベンチ。
その上に夢の花のように儚く腰かけている少女。

「おはよう、スノウ」

マーガレットが近づき声を掛けると、スノウはゆっくりと視線を上げた。

「マーガレット…」

スノウの瞳の中で雨の景色が揺れる。

「隣、いいかしら?」

スノウは答えること無くマーガレットの顔を見つめ、それからふっと睫毛を伏せた。
気にすること無くスノウの隣に腰を下ろす。

「リリーが寂しがってるわよ?」

「…そう」

静かな声で、だけど明るく言ったマーガレットの言葉に
答えるスノウの声には色が薄い。


「何か心配事?」

またスノウがマーガレットの顔を見た。
悲しそうな虚ろな瞳。
だけどその目は、どこか訝るような、不安の色を帯びていた。

「別に、そんなものないわ」

「リリーにも言えないこと?」

「そんなのじゃない」

スノウがムッとした表情を浮かべる。
マーガレットは、その表情を見れたことにどこか安心していた。

「ここ最近あなたはずっとそうね。
 何かを恐れているみたいに一人でいて。皆を拒絶している癖に、悲しそうな顔をしている」

「……何が言いたいの?」

マーガレットはじっとスノウと目を見合わせ
樋を伝って滴る雨音をたっぷりと数えてから大きく息を吸い言った。

「あなたは何を知っているの?あなたの身に、いったい何が起こっているの?」


スノウが目を見開く。

「マーガレット…あなた、また…」

スノウは驚きの表情のままそれだけ呟くと
すぐに長い睫毛を伏せ、顔を下げた。
そして口を堅く結んでしまう。

それを見て、マーガレットは小さく笑った。

「リリーにも言えないことがあたしに言えるわけは無かったわね」

長い沈黙。
その後スノウがポツリと呟いた。

「マーガレット…。変なことを考えるのはやめて」

「変なこと?あなたは私が何を考えているかわかるのかしら?」

少しおどけたように、マーガレットが言う。
スノウが秘密について知っている。大きく関わっているというマーガレットの考えは
今確信に至った。
だけど自分とは立場も、考え方もスタンスも違うのだと、スノウの佇まいを見ていればわかる。
彼女は受け入れようとしている。
ただ悲しみを内に閉じ込めて、じっと。



「わからないわ…。だけどマーガレット、あなたは死が…破滅が怖いとは思わないの?」

「死ぬのは嫌よ」

スノウの唇は震えていた。
その表情、目が、何か直接的に恐ろしい破滅を予感させて
マーガレットの背筋を震わせる。
だけどマーガレットはそれを押さえつけ、決然とした意思で塗り固めた。

「死ぬのは嫌。だけど私はね、支配され弄ばれることが死ぬほど嫌なの。
 もし私が私の誇りを、意志を貫いた結果が死なのだとしたら、それを破滅とは思わない」

スノウはまた目を伏せた。
だからマーガレットの唇が微かに震えていたことに、気付かなかっただろう。

「私は…そんな風に強くはなれない」

不意に風が吹いた。
雨が巻かれ、マーガレットとスノウの間に一瞬、霧の壁が生まれる。
二人の髪に少しだけ水滴が浮かんだ。

「スノウ、気を悪くしないで。私はあなたを否定しているんじゃない。
 あなたの立場を私は知らないし、あなたを弱いとも思っていないわ。
 ただ…」

マーガレットはそこで言いよどんだ。
自身に浮かんだ気持ちを何と表現すればいいのかが分からなくなった。

スノウは揺れている。
ただ諦めているのではなく、揺れていると感じた。
それは生と死、何かと何かの間で。
或は、誰かと誰かの間で。
きっとそれは恐怖だけでは無いし、悲しみだけでも無い、そのはずの感情。
だけどそれらの全てがスノウに悲しみを齎しているのだ、と。
もしかしたらスノウは―――

「なに?」

マーガレットの言葉が続かないことを訝ったスノウが顔を上げる。
その顔を見て、マーガレットはただ感じたままを口に出した。

「ただ、あなたが美しいと思ったの、いま」

笑いながら言うと、スノウも微かに笑った。

「突然、何を言っているの」

「ふふふ、あなたの笑顔、本当に久しぶりに見たわ。やっぱりあなたは…」

またマーガレットの言葉が途切れた。

雨の匂いに混じって不意に鼻を掠めた異臭。
嫌になるくらい敏感な自分の鼻が感じ取ったそれは、忌まわしき血の臭いだった。

言葉を止め振り返ると、その男がこちらに向かい歩いていた。

「やあ、マーガレット、スノウ。珍しいね、君たちが一緒にいるなんて」

ニヤニヤと口角を上げ、気障な佇まいで大股に歩くその少年をマーガレットが睨み付ける。
声が聞こえた瞬間、スノウの肩もビクリと跳ねたのが分かった。

「ファルス…」

スノウが小さく呟く。


「ごきげんようファルス。また性懲りも無く女子寮に忍び込んだのね」

「あはは、そう邪険にしないでよ。
 爽やかな朝に、君たちみたいな可愛い女の子と会えて僕は嬉しいよ」

しとしとと降る雨を見上げながらファルスが言う。
マーガレットは忌々しげに立ち上がった。

こんな奥まった場所まで。
その目的は、やはりスノウなのだろうか。
マーガレットはここ暫くの間、しょっちゅう女子寮を訪れるファルスのことを観察していた。
誰にでもナンパに声を掛けるファルスだけれども、特別気にしているのはスノウと
そしてリリーだと感じていた。

先ほどの会話を聞かれただろうか。
だとすればますます、時間はあまり残されていない。

マーガレットはスカートの皺を伸ばすと
一歩ファルスから離れた。

「何?マーガレットは行っちゃうの?少し話をしようと思ってたのに」

「悪いわね。私はあなたとお話をする気分じゃないの。またね、スノウ」

マーガレットはファルスに背を向け歩き出した。

「ちぇ、なんだよ」

暫く歩き、廊下の角でちらりと振り返る。
ファルスは座って俯いているいるスノウの顔の横に手を付き
何か嬉しそうに話していた。



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最終更新:2014年12月15日 13:22