マーガレットの話 2



深夜一度目の地下室探索を終えたマーガレットは
寝付けない夜を過ごしていた。

そこには確かに、薬、名簿、そして写真があった。
全てを裏付ける確かな証拠。
そして現在もクランに在籍しながら、ただ一人どこにもその名前が記されていなかった人物。

予想はしていたし、ある程度分かっていたこと。
だけど、覚悟していたはずのマーガレットにとっても
それらは余りにも大きな衝撃だった。

むせ返る臭いも相俟って、胸が悪くなり頭がガンガンと痛み
長くその場に留まる事は出来なかった。
自分の精神が余裕を失っていることを感じ、そこに居たという証拠を出来るだけ隠すのが精いっぱいで
地下室を出たマーガレットは、すぐに湯浴みをした。
あの臭いが身体にこびりついているような気がして、堪らなかったから。

確かに事前に示された物は見つけた。
それは想像以上の衝撃をマーガレットに齎した。
だけど、短い時間の中でそれ以上のものを見つけることは出来なかった。


またもう一度、地下室に行かなければならない。
それまでに、分かったこと、頭の中を今一度整理しなければならなかった。

ベッドの中でマーガレットの世界がグラグラと揺れていた。
疑いが確信に。
そして自身の存在その物が根底から覆される感覚。

クランでの生活や仲間たちの顔、ジャスミンやミモザやクレマチスの顔、
思い浮かんだ愛しい物たちが、紗に覆われていく。

そうして長い時間を悶々と過ごしたのち
波止場を探した心は、あの人物への怒りと憎しみとに落ち着こうとしていた。
それを滾らせることで、マーガレットは漸く眠りにつくことが出来た。

もはや死も破滅も、通り越した場所に自分は居るのだ。
それならば、せめてもの一矢をあの男にくれてやりたい、と。





強い雨がクランの窓を叩く朝。
マーガレットは妹たちとの朝の挨拶を交わすと、いつものように図書室を訪れていた。

TRUMP。それに関する資料を探している。

意外なことに、クランの膨大な蔵書の中にはそれに関する記述があるにはあった。
だけどどれも断片的で画一的。
お伽噺として触れられている以上の物は無かった。

半ば諦めて、ついでに興味のある書籍を紐解くことがマーガレットの日課になっていた。

普段は殆ど利用者も居ない図書室。
だけどこの日は先客が居た。

マーガレットはその姿を見て小さく微笑んだ。
以前はよく図書室で顔を合わせた気がするけれど、最近はご無沙汰だった。
その少女、シルベチカは静かに椅子に腰かけ、本を読むともなく窓の外を眺めていた。

近寄ってくるマーガレットに気付き、シルベチカも優しく微笑む。


「おはようシルベチカ。なんだかあなたとこうして図書室で会うのも久しぶりね」

「そういえばそうね、マーガレット。あなたは最近も熱心にここに来てるみたいね。
 何を調べているの?」

「お伽噺と現実について」

マーガレットがそう言うと、シルベチカは小さく苦笑した。
シルベチカには何か思い当ることがあるだろうか。
マーガレットはふと浮かんだ考えを押し込み、笑顔を浮かべ直した。

「今日は行かなくていいの?」

マーガレットが隣の椅子を引きながら意地悪に笑って言うと、シルベチカが苦笑して肯いた。

「今日は流石に、こんな天気だから」

いつもはしとしとと降っている雨が、今日は激しく叩きつけている。
時々雷も鳴っていて、これでは渡り廊下に出ることも出来そうになかった。

からかうように笑うマーガレットの表情を見て
シルベチカが恥ずかしそうに言う。

「あなたも何か聞いたの?」

「ええ、みんなが話してたわよ。シルベチカとキャメリアのこと」

「そっか」

頬を赤らめるシルベチカを、マーガレットは可愛らしいと思った。


「うまくいきそうなの?」

マーガレットの問いに、シルベチカは頬を染めたまま小さく肯いた。

「ええ。昨日、やっと…」

「まあ。おめでとう、でいいのかしら」

またシルベチカがコクリと肯く。
とても幸せそうに、暖かさに包まれているように。

「チェリーにもなんだか世話をやいて貰っちゃったわ。ちゃんとお礼しないと」

「そういえばチェリーとも一緒じゃないのね」

「さっきまで一緒に本を読んでいたけど、飽きたって行ってしまったの」

「ふふ、チェリーらしいわね」

マーガレットとシルベチカは顔を見合わせて笑い合った。

「それにしてもシルベチカがそんなことになるなんて思ってもみなかったわ。
 いったい彼とどんなことがあったのかしら」

独り言のように呟いたマーガレットに、シルベチカが少し意外そうに目を向ける。

「マーガレットがそんなことに関心を持つなんて思わなかった」

「これっぽっちも関心なんて無いわよ」

言ってマーガレットが得意げに胸を張ると
その仕草にシルベチカは思わず噴き出した。

「ただシルベチカが幸せになることが嬉しいだけ」

マーガレットが言うとシルベチカがくしゃりと顔を綻ばせる。

「ありがとう」

マーガレットは今目の前にあるシルベチカの笑顔を見られることが嬉しかった。
図書室に入って来た時、マーガレットにまだ気付かず外を見ていたシルベチカの顔は違っていた。
そこに浮かんでいた憂いは、ただ今彼に会えないという、それだけの為では無いと感じる。
幸せと同じくらい、シルベチカの心に不安があるのだと思った。

少し会話が途切れた。
窓の外で一つ稲光が煌めき、暫くして恐ろしい音が轟く。
幸せを浮かべていたシルベチカの表情は段々と戻り、そしてその目にはまた
どこかしら憂いの色が浮かんでいた。

マーガレットがその顔をじっと見つめていると、その視線に気付いたシルベチカが苦笑する。

「今私、とても幸せ、なんだけどね、凄く不安になるの」

「シルベチカ?」

「色々なことが分からなくなって、自分のこともよく分からないの。こんなことはじめて」

「シルベチカにも分からないことがあったのね。
 あなたは何でも知っていると思っていたわ」

暗い顔を続けさせるのが嫌でマーガレットがおどけて言う。
シルベチカの口元には変わらず笑みが浮かんでいたけれど、その瞳はやはりどこか打ち沈んでいた。


「それはあなたでしょうマーガレット。
 何でも知っている優しくて聡明なみんなのお姉さま」

シルベチカの思わぬ反撃に、マーガレットは口を開けて笑った。
また雷が轟く。

「何でも知ってるマーガレットに聞いてもいいかしら」

「なあに?」

「私は彼を、キャメリアを愛してる。彼も私を愛していると言ってくれたわ。
 だけど……永遠に続く愛ってあるのかしら」

シルベチカのその言葉は、マーガレット心臓をドキリと跳ねさせた。
その言葉は今マーガレットが辿り着いた事実との関連を思わせる。
まるでシルベチカも何かを知っているのでは無いかと疑わしくなるくらいに。

マーガレットは内心の動揺を悟られないよう、顔に笑顔を張り付けて軽い調子で言葉を返した。

「意外とあなたってロマンチストなのね。
 でも私に聞くこと?
 私にはそんな経験は無いんだから、答えようが無いわ」


「ふふふ、ごめんなさい。
 ね、マーガレット。『永遠に枯れない花を作ろうとした庭師の物語』って知ってる?」

「お伽噺ね。いつだったか、聞いたことがあるわ」

「さすがマーガレットは物知りね」

それを聞いたのはもしかしたらシルベチカからだったかもしれない。
マーガレットはそう思ったけれど、言わなかった。
そんな記憶は無い。マーガレットにも、シルベチカにも。

「庭師が育てた花は枯れてしまった。
 庭師が作ろうとした『永遠に枯れない花』はとうとう完成することなく、朽ち果ててしまった。
 どんな花もいずれ枯れるように、私たちの愛もいずれこの世から無くなってしまうのかしら。
 そんなことばかり考えて居るの。
 彼の心も、自分の心さえもやがて朽ち果てて、彼を愛した記憶さえ無くなってしまうんじゃないかって」

いつしかシルベチカの笑顔は消えていた。
まるで寒さに震えるように、シルベチカがそっと自身の身体を抱く。
それを見てマーガレットは、何故だか泣きたい気持ちになった。

この異常なクランに居る限り、シルベチカの愛も、キャメリアの愛も、いずれ消されてしまうかもしれないのだ。

だけど何百年も歳の離れたシルベチカがキャメリアと出会うことが出来たのもまた、この異常なクランにいたから。


「ねえシルベチカ、私が調べていたのは『お伽噺と現実について』そう言ったわよね」

「ええ」

「私が一つ知ったことはね、お伽噺と現実とは違うってことなの。
 お話の中で起こった奇跡は現実には起きない。
 だけどお話の中で起こらなかった奇跡が現実にも起こるかもしれない。
 あなたが物語の庭師のように大切に育てた花は、もしかしたら永遠に枯れない花かもしれないわ。
 彼とあなたは永遠に愛し合っていられる、かもしれない。そうは思わない?」

シルベチカの顔にまた小さな笑みが浮かぶ。

「優しいねの、マーガレット」

「私の優しさだなんて思われるのは迷惑。あなたの問題だもの。あなたの考え方の」

「……そうよね」

「『運命』なんて物語の中にしかない。現実を生きる私たちにそんなものがあるなら、
 それは自分の力で変えられるはずだもの。そんなもの運命でもなんでもない」

「マーガレット…。ふふ、随分語るわね」

「運命に負けるなんて癪だもん。
 シルベチカみたいな女の子が幸せになれないなら、この世界の方が間違ってるわ」

拳を握り言い放ったマーガレットに、シルベチカはとうとう吹きだしてしまった。
それでようやくマーガレットも笑うことが出来た。
二人はまるで小さな子供のように大声で笑い合った。
妹たちの前では決して見せないような顔で。


「ありがとうマーガレット。参考になったかは兎も角、随分と楽になったわ」

一頻り笑った後、シルベチカは涙目でマーガレットに告げた。

クランの中では古参同士。
スノウやリリーと共に、長い付き合いの二人は
互いのことを良く知っていた。
性格は全然違う。
だけどどこか似ているところもあるとマーガレットは感じていた。

シルベチカは強い女の子。
マーガレットが自身に感じる傲慢さや強がりとは違う、本当の意味での強さを持った子だと感じていた。
そしてマーガレットはそんな彼女を心から尊敬している。

だから幸せになって欲しい。

もし自分がこのクランの闇に呑まれ消えてしまったとしても
シルベチカには打ち勝って欲しいと思った。



激しい雨が降り続いている。
窓に叩きつける雨音はうねりながら勢いを強め、恐ろしい稲光と轟音がひっきりなしに空を埋めていた。
あまりの煩さに眠りにつくことを邪魔されたマーガレットは
ベッドの上で明かりを灯し、古い本のページを捲っていた。

それは草臥れた、だけど豪奢な装丁の本で、マーガレットの宝物だった。
小さい頃からマーガレットがいつも枕元に置き、何度も何度も読み返した物語。
ある国のお姫様の気高く誇り高く美しい生涯を優しく綴った児童書だった。

傷んだ紙をそっとめくると、いろいろなページの文字の上に書き足されている記号がある。
大切な大切な本に書き足されたそれらを見る度に、マーガレットは悲しい気持ちになった。
それは間違いなく、マーガレット自身が書き込んだものだった。

また一つ激しい雷鳴が轟く。
クランのすぐ近くに落ちたらしい雷は、その余韻と共にグラグラと空気を揺らした。
と、また立て続けに恐ろしい光と音があたりに木霊する。

今晩はもうずっとそんな調子だった。

不意にコンコンと、部屋のドアが控えめにノックされた。
雨と雷の音に消されて、ともすれば聞き逃してしまいそうな控えめなその音を聞いたマーガレットは
少し大きめの声でベッドの上から返事をした。


「誰かしら」

また大きな雷が落ちると、ドアの外に立つ気配がゴソゴソと蠢く。

「ミモザとクレマチスです。お姉さま、入ってもいいですか?」

ドアの外から聞こえた声に、強ばっていたマーガレットの頬は一気に緩んだ。

「ええ、どうぞ」

言うと遠慮がちにドアが開かれる。

そこには、パジャマに身を包み、枕を抱き抱えて身を小さくしているミモザとクレマチスの姿があった。
その姿に、マーガレットの中で愛おしさが溢れていく。

「お姉さま、その…」

クレマチスが言い淀みながら遠慮がちに声を出した。
ミモザも不安げな顔のまま、そろそろとマーガレットに近づく。

マーガレットはベッドから抜けると、佇む二人の頭をそっと撫でた。


「いらっしゃい。今晩は一緒に寝ましょう。
 ちょうど私も、雷が怖くて眠れそうになかったの」

そういうとミモザとクレマチスが顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべる。

また、雷が轟いて、その拍子にミモザとクレマチスがマーガレットにしがみつく。
マーガレットは二人を抱きしめると、そのままベッドへと誘った。


ミモザとクレマチスが楽しげにベッドに倒れ込む。
その時またマーガレットの部屋の戸がノックされた。

二人をベッドに残しマーガレットがその扉を開けると、そこには先ほどの二人と同じように
申し訳なさそうに肩を丸め、枕を抱えたパジャマ姿のジャスミンが立っていた。




大き目のマーがレッドのベッド。
だけど4人で潜り込むのはとても窮屈だった。
でも誰もそれを嫌だとは思わない。

雷が落ちる度にミモザとクレマチスがマーガレットにしがみつく。
ジャスミンも恥ずかしそうにそこに加わった。

「本当に今日は酷い雨ね。これじゃあ眠れないのも仕方ないわ」

マーガレットが事も無げに言うと、ジャスミンが遠慮がちに尋ねる。

「お姉さまは怖くないんですか?」

「怖いわ。だからあなたたちが来てくれて本当に嬉しいわ。
 あなたたちと一緒なら、怖くないもの」

それを聞いた三人は、何か擽ったいような表情を浮かべて尚強くマーガレットにしがみついた。

小さく固まりながら4人はベッドの中でお喋りに興じていた。
いつものお茶会と内容は大差ない。
だけど雰囲気がいつもと全然違うから、なんだかワクワクする。
暫くすると雨も雷も弱まっていたけれど、4人は嬉しくて楽しくて、誰もそのことに気付かなかった。


「お姉さま、この本何ですか?」

枕元に置かれた本を見つけ、ミモザが尋ねる。
マーガレットはそれを手に取り、愛おしそうにその表紙を撫でた。

「私の大切な本よ。
 小さい頃から大好きだった物語。
 これはね、ある国のお姫様の本なの」

「素敵」

クレマチスの呟きにマーガレットは嬉しそうに笑った。

「私ね、ずっとこのお姫様に憧れていたの。
 それで小さい頃は、私も本当はどこかの国のお姫様なんじゃないかって勘違いして。
 お姫様の振りをして遊んだりしていたわ。 今でもねたまにそんなことを考えるの。
 私がどこかの国のお姫様だったらどんなに素敵でしょうって。
 物語の中の、高潔で美しいお姫様と私じゃ全然違うのにね。
 ふふふ、子供っぽいでしょう?」

「そんなことありません!」

自嘲気味に笑ったマーガレットの言葉をミモザが強く否定する。
それからクレマチスもそれに続いた。

「お姉さまくらい綺麗でかっこいい人はいないです!
 きっと本当にお姉さまはお姫様なんですよ」

「素敵!きっとそうだわ」

ミモザとクレマチスが盛り上がるのをマーガレットは嬉しそうに聞いていた。
ジャスミンも妹たちにしがみつきながら目を細めて笑う。


「あ、じゃあ今度からお姉さまのこと『姫姉さま』って呼んでもいいですか!」

ミモザの提案にマーガレットは思わず苦笑した。

「なあに、それ」

「えー、ダメですか?」

「ダメ…じゃないわ。だけどちょっと恥ずかしいわね」

マーガレットがそう言ってミモザの頭を撫でると、ミモザが嬉しそうに笑った。

「姫姉さま!」

ミモザとクレマチスが口々に言う。
マーガレットはさすがに照れくさくなって顔を下げたけれど
その耳にジャスミンの声も届いた。

「姫姉さま。私もそう呼びますね」

少し笑いながら、だけど幸せそうに言うジャスミンにマーガレットは苦笑いを返した。

「あなたもなのね、ジャスミン。まあいいけれど」


いつしか雨は随分小降りになっていた。
耳を澄まさなければその音が聞こえないくらいに。
ひとしきり笑いあった後は、ゆっくりと落ち着いた時間が部屋に流れ始めていた。
もうみんなくっついて固まってはいなかったけれど
ベッドの中はすっかり4人の温度に温められていて、マーガレットはその幸せな温度をじっと感じていた。


「姫姉さま、この御本ちょっと見てもいいですか?」

ジャスミンの言葉にマーガレットがにこりと笑う。

「どうぞ」

ジャスミンがパラパラと本を捲る。
綺麗な挿絵。大きな文字で書かれた物語。
その古い紙からは不思議な高揚とどこか懐かしい匂いが放たれていた。
と、ジャスミンはそこに書かれている不思議な印を見つけ首を傾げた。

「あれ。姫姉さま、何か書いてあるみたいですが」

それは文字を飛ばし飛ばしに追うように、不規則に付けられていた。
マーガレットがふっと笑って答える。

「小さい頃からのものだからね。私が書いてしまったみたいなの。特に意味は無いわ」

「そうなんですか?」

「ええ」

ジャスミンは不思議そうにその文字を追っていたけれど
マーガレットの言葉を受け止めてそれを考えるのを辞めてしまった。


「雨、止んだのかしら」

雨音がすっかり聞こえなくなって、マーガレットがポツリと呟いた。
それにクレマチスが答える。

「いえ。さっきまでと比べると大分小降りになってますが、まだ降ってます。ずっと」

「そう。
 止ませたいわね。この雨も」

マーガレットが深く息を吐きながら呟いた言葉に、3人は首を傾げた。

雨は止まない。
もう雨の降らない世界を思い出すことも出来ないくらいに、ずっとずっとこの森には雨が降っている。
マーガレットは、愛おしい妹たちの温度を感じながら
胸に迫る衝動に身を任せようと決意していた。

終わらせる。
いたちごっこも、偽りの花園も。

それは直截に、マーガレット自身の死を意味していた。
これまで生きながらえたこと。それはマーガレット自身の慎重さと、生への執着だと知っている。
自身を守り、保険をかけ続けた結果の今だとすれば、それはひどく自尊心を傷つける事実だった。


鍵がいる。
あの男の思い通りにはさせない。
心までも支配されない為の鍵。

それがふと、マーガレットの中に閃いたのだ。
妹たちへの愛しさから気付いたその鍵。
それはシルベチカと、スノウ。

これまでのヒントの中に、二人に関するようなものは無かった。
きっと二人は「変化した」のだ。
永遠のような時の中で、だけど永遠に同じことが繰り返されるわけじゃない。
変化があるのなら、終わらせることも、支配を脱することも可能に違いない。

変化することは恐ろしかった。
そして死ぬことが何より怖い。
だけど自分は、それを選ばなければならない。
それが誇り高きプリンセス・マーガレットの生き様でなければならない。
到底なり得なかった高潔な物語のお姫様のように、死ななければならない。

怖い。
そして何より、妹たちと別れなければならないことが嫌で堪らない。
死にたくない。だけど我慢ならない。
自分に、従わせなければ。

「ジャスミン、その本、あなたにあげるわ」

「え?」

不意に呟いたマーガレットの言葉に、ジャスミンが驚きの声を上げた。
ミモザとクレマチスもまた、驚きをその顔に浮かべている。

「でもこれは…姫姉さまの大切な御本なのでしょう…?」


「ええ。だからあなたに持っていてもらいたいの。
 私が持っているとまた落書きしてしまうかもしれないわ。
 そんなのは物語の中の本物のお姫様に対して失礼だもの」

「そんな…」

「ねえ、聞いて。ジャスミン、ミモザ、クレマチス」

マーガレットが言う。
戸惑いの表情を浮かべた三人は、マーガレットの声を一言も聞き漏らすまいと息を潜め身を寄せた。

「あなたたちが来てくれて本当に良かったの。
 私今晩は怖くて眠れそうになかったわ。
 だけどあなたたちと一緒なら、眠れそう」

「姫姉さま…」

「私ね、強がりで見栄っ張りだけど、本当はとても臆病な子供なの。
 いつも怖くて、誰かに愛してもらわないと一人では何も出来ない。
 だから本当にあなたたちが居てくれてよかった。
 あなた達が愛してくれるから、私は私で居られるの。
 『強い姫姉さま』で居られるのよ」

三人はマーガレットの言葉の意味が分からずただ戸惑っていた。
その意味だけを思えば嬉しいことのはずなのに、不安が襲う。
まるでマーガレットがどこかに行ってしまう。
そんな気がして、またミモザとクレマチスがマーガレットにしがみついた。


「ありがとう三人とも。
 私を忘れないでね」

ジャスミンが瞳を揺らし首を振る。

「私たちが姫姉さまのことを忘れるわけ無いじゃないですか…」

「そうですよ…変な、お姉さま…」

妹たちの不安気な声に申し訳なくなったマーガレットは、パッ明るい声を作った。

「さあ、寝ましょうか。
 雷が治まったからって、自分の部屋に帰るなんて言わないでしょうね?」

「勿論です。私たちはずっと姫姉さまと一緒に居るんだから」


4人はまた寄り添い合い、ランプを消して眠りに就いた。
静かな雨の夜。その温もりは、まるで永遠のように四人の身体に残り続けた。


◇ 

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最終更新:2014年12月15日 13:23