マーガレットの話 4



「舞踏会のドレスが無いわ。じいや!ばあや!」

マーガレットの声が響く。
いつもと変わらない光景。
クランの少女達は、誰もその声に耳を傾けることは無い。

「ねえ、どこなの!」

マーガレットと目が合わぬように、少女達が視線を逸らす。
ある物は侮蔑の目で彼女を眺めた。
雨のクランの遊戯室にマーガレットが現れると、自然にその周りから人が居なくなる。
頭のおかしい少女マーガレットと、関わり合いになりたいと思う者は誰もいなかった。

マーガレットは何を分からず、どうして自分の周りに誰も居ないのか理解出来ない。
お城の中の視線は全て自分を蔑んでいて、プリンセスに対する敬意の欠片も見当たらない。

不安で、マーガレットは叫び続けた。
どうすることも出来なくて、寂しくて叫び続ける。
目に涙を浮かべながら、マーガレットは毎日自分の存在を主張し続けた。


ジャスミンはいつものようにミモザ、クレマチスと連れ立ってクランを歩いていた。
もうずっと一緒にいる3人。特別な絆を感じ、いつも寄り添っていたけれど
そのきっかけが何だったのかは分からなかった。

遊戯室に訪れると、三々五々お喋りに興じる少女たちが目に入る。
ジャスミン達もその輪に加わり、腰掛けてお喋りを始めた。
と、視界にたった一人で何かを叫んでいるマーガレットが映る。

誰も相手にしない、頭のおかしな女の子。

不意にジャスミンは、酷く懐かしく悲しい感覚に襲われた。
そして、マーガレットがら目を離すことが出来なくなる。
動悸が激しくなり、耳鳴りがし、胸が苦しくなるその感覚に酷く戸惑った。
ジャスミンの様子に気付き、その視線を追ったミモザとクレマチスもまた、同じ感覚に襲われる。

他の生徒たちがそんな三人を不思議そうに見た。

「どうしたのジャスミン?マーガレットなんか見て」

そう声を掛けられた瞬間、ジャスミンの中に不意に言葉がせり上がる。

「マーガレット…お姉さま…?」

思わず呟いた言葉に自分でも酷く驚いたけれど
それとは裏腹に胸の内には暖かさと寂しさが満たされていった。


「お姉さまって…。私たちのお姉さまは監督生のお二人だけでしょう。
 それによりにもよってマーガレットをお姉さまだなんて」

「ジャスミンも繭期をこじらせちゃったんじゃないの?」

「ちょっとジャスミン、勘弁してよ」

他の生徒が呆れるやらはやし立てる中で、ジャスミンはただじっとマーガレットを見ていた。
寂しそうに、目に涙を浮かべ一人で何かを言い続けるマーガレットをじっと。

いつしかジャスミンの目からは涙が流れていた。

「ちょ、ちょっとジャスミン?どうしたのよ」

少女たちの方を振り返る。
ミモザとクレマチスのを見ると、二人もまた涙を流していた。
その理由が全く分からないのに。

その時からジャスミンの心を不思議な感覚が埋め尽くしていた。
マーガレットの姿が頭から離れない。
そして、ミモザとクレマチスもまた同じ感覚に襲われているのだと直感した。
だけどそれを確かめあうことも出来なかった。
全く意味の分からない自分の心理状態を、どう説明すればいいかも分からなかったし
ミモザとクレマチスもまた、同じ状態なのだと思った。


夜、悶々とした感覚と一日中戦い疲れて自室に戻ったジャスミンは
自分の枕元に見慣れない本を見つけた。
随分と古い、装丁のいい児童書。

そんなものが自分の持ち物にあっただろうかと思いながら
不思議な魔力に吸い寄せられるようにそれを手に取った。

異国のお姫様の物語。

美しく、聡明で、少しだけ我がままな。
みんなから愛されたお姫様の姿がそこにある。

夢中でページを捲るジャスミンの目が潤み出す。

物語を追いながら、またマーガレットの姿が頭の中を埋め尽くす。
衝動に逆らえなくなった時、ジャスミンは小さく呟いた。

「姫、姉さま…」

瞬間、とめどなく涙が溢れ出した。

ありえないはずの感覚。
だけど、胸がマーガレットへの愛おしさで溢れていく。
寂しそうに一人佇むマーガレットの姿が思い出される。

”大好きよ、ジャスミン”

聞いたことのないはずの言葉が次々と頭の中に浮かび上がる。

”あたた達が愛してくれるから、私は私で居られるの”

それは確かにマーガレットの声で頭に響いた。


胸を掻き毟られるような、誰にどう説明することも到底不可能と思われる悲しみが襲う。
ジャスミンは居てもたってもいられず、部屋を飛び出した。

クレマチスとミモザの二人部屋の戸を強くノックしたジャスミンは
その間もずっと涙を流しマーガレットのことを考えていた。

「ジャスミン?どうしたの?」

部屋から顔を覗かせた二人が酷く驚いてジャスミンに近づく。
ジャスミンは涙に濡れた、それでも強い目で二人を見た。

「ミモザ、クレマチス…私…」

二人の肩を掴み、口を開いたジャスミンは、そこで一度言葉を切った。
自分が今から口にしようとしていることが、おかしなことだと分かっていた。
もし二人がそれを聞いて、ジャスミンもまた頭がおかしくなったのだと、
そう思われたらどうしよう。
そんな恐怖がちらつく。
だけどジャスミンは、何の確証も無いまま、内から湧き上がる衝動を信じた。

「マーガレットお姉さまの…姫姉さまの側に居なきゃ…」

ミモザとクレマチスが、その言葉に驚き固まる。
それからみるみるとその目を潤ませ、ジャスミンと同じ泣き顔になった。
二人は泣き顔のまま、強くジャスミンに頷き返した。

「行こう、姫姉さまのところへ…」


3人は夜のクランを歩きマーガレットの部屋の前まで来ていた。
誰も口を開くことなく。
誰も、自分の感情を説明することが出来なかった。
冷静に考えれば、クランでも誰も相手にしない頭のおかしなマーガレットを『姫姉さま』などと呼び
その元を訪れるなんて馬鹿げている。
まして、そうするだけの理由に、何の心当たりも無い。
なのに3人は同じ気持ちでそこに向かった。

根拠は心の奥底から湧き上がる衝動、それだけ。

3人でマーガレットの部屋の前に立つ。
訪れたことも無いはずのその場所が、何故か酷く懐かしい。

代表してジャスミンが小さく戸を叩くと、随分遅れて「だれ?」というくぐもった声が聞こえた。

「ジャスミンとミモザとクレマチスです」

涙を拭いジャスミンが強い声を出す。
迷いが消えていく。

怯えたように、恐る恐る戸を開きマーガレットが顔を出した。

3人を、緊張が襲う。

マーガレットが部屋の前に立つ3人を見回し、また怯えたように小さく声を出した。

「だれ…?」


拭いたはずの涙が、またジャスミンの頬を伝った。
だけどジャスミンは、笑顔を浮かべた。
怯えるマーガレットを安心させるように。

「ジャスミンです、姫姉さま。御側を離れてしまって、申し訳ありません」

自分の発している言葉が、このクランにおいてあまりにもおかしいことだとは分かっていたけれど
ジャスミンは笑顔を浮かべたまま、強く言い切った。

マーガレットは戸惑いの表情を浮かべたまま、そわそわと3人の顔を見比べた。

「私たちも…一人にしてしまって御免なさい、姫姉さま」

ミモザが言う。

マーガレットがまた不安気にその顔を見た。
それから、小さな声を出す。

「…ないてるの?」

ジャスミン達は、その小さな、だけど自分達を気遣う言葉に
胸を震わせ、愛しさに満たされて笑みを深めた。
マーガレットの愛らしく小さなその胸に、飛び込みたい衝動に駆られる。


「大丈夫です、姫姉さま…。私たちは辛くて泣いてるわけではありません」

「そうなの…?」

マーガレットが心配そうにミモザとクレマチスを見ると
二人も泣きながら、だけど満面の笑みで強く肯いた。

「そっかぁ」

時間をかけて、ゆっくりと強張っていたマーガレットの表情が緩んでいった。
それから、その顔に遠慮がちな笑みが浮かぶ。
3人は震える足を気力で支えながら、ただ愛おしさと嬉しさの衝動に耐えて突っ立っていた。

「もう、遅いじゃない…。
 3人とも、てぃーたいむが始まるわよ。はやくいらっしゃい」


マーガレットが言うと、3人は箍が外れたようにまた涙を流しマーガレットに抱き付いた。
その行動の意味が分からずびっくりしたマーガレットも
自分に縋り子供のように泣く3人が愛しくて、しばらくその背中を撫で続けた。



マーガレットの部屋に上がり、4人は一緒に就寝前のお茶を楽しんだ。
相変わらず、マーガレットの言うことは訳が分からないことばかりで
自分たちもまた彼女の妄想の登場人物になっているらしかった。
だけどそれを嫌とは思わなかった。
寧ろ心地よく、昼間悲しそうにしていたマーガレットが、今笑顔でいてくれることが何より嬉しかった。


お茶を飲み、夜も深くなるまで4人はお喋りに興じた。
3人にとっては、あまりにも自分たちの行動が不可解で、他の生徒たちに何と言われるか解らないものだったけれど
何を言われてもいいと思った。

頭のおかしなマーガレット。
だけど触れ合って、お話をして、マーガレットがとても純粋で心優しい少女だと分かった。
自分の奥底にある衝動とは別にしても、ジャスミン達はマーガレットのことが好きになっていた。

会話が途切れ、雨の音が響き出すと、そろそろお開きかという空気になる。
それを敏感に感じ取ったマーガレットが、不意に不安げな表情になった。
今まで得意気にお姫様の妄想を披露していたその表情が、夜に怯える子供のそれになる。

「…かえっちゃうの?えっと、タナベ…」

「ジャスミンです、姫姉さま」

ジャスミンは、会話中何度名乗ってもなかなか名前を覚えてくれないマーガレットに苦笑しながら優しく言った。


「帰りません。今夜は寂しいので、一緒に居させて下さい」

「私たちも、いいですか?姫姉さま」

「ササキ、カガ…」

「ミモザです」
「クレマチスです」

不安に揺れていたマーガレットの目が、安堵の色に変わる。

「しょうがないわね、あなたたち。
 今日はあたしの部屋に泊まっていきなさい」

「はい、姫姉さま!ありがとうございます!」

4人は一緒にベッドに入った。
今まで話したことも無かったマーガレットと一緒に眠る。
それがどれだけ変なことか、ジャスミン達は重々承知していた。
だけどちっとも嫌じゃないし、どこか懐かしい感覚になった。

マーガレットを一人にしない。
そんな使命感にも似た気持ちが湧き上がる。

3人の気持ちを知らず、マーガレットは安心しきったように寝息を立て始めた。




それからジャスミン達3人は、いつもマーガレットの側に居るようになった。
それに伴い、段々と他の少女達から3人も浮いていった。

マーガレットの妄想に付き合う姿を見て、3人もまた繭期を拗らせておかしくなったのではないかと噂される。
幾度もそのことの弁明を試みたジャスミンも、やがてそれを諦めた。
自分達が何故、そうまで言われてもマーガレットの側に寄り添うのか、何も説明する言葉が無い。
まるで魂が要請しているように、ただ強い衝動によって突き動かされていた。
マーガレットを決して一人にしない。
寂しい想いをさせない。
涙を流させない。
その為に、陰口も視線も、甘んじて受ける。
時にそれは3人の心に強い負担を与えたけれど、それでもマーガレットの側にいることを選び続けた。

次第にマーガレットも3人を心から信頼するようになった。
子供のように無邪気なマーガレットはそれを表情や仕草で存分にあらわしてくれるから
それが3人の支えになった。

そうして暫く時が過ぎた。

ジャスミンは、時が経てばあの時自分に襲った感覚の正体、マーガレットに固執する衝動の理由が判然とするものと思っていた。
だけどどれだけ一緒に居ても、その理由は分からず、どこにもそれをすべき記憶は無い。
そのことに次第に不安を覚えるようになっていた。
やはり、理由などはどこにもなく、ただ自分の頭がおかしくなってしまったのでは無いか。そんな不安が日に日に高まる。
だけど一緒に居て、マーガレットのことを理性の上でも好きになっていた。

だから、彼女の側に居たいという自分の衝動を、論理的な思考が否定しようとすることが怖かった。

ある日、ジャスミンはマーガレットに提案をした。
それは、禁を犯すこと。
自分の全てをマーガレットに委ねる提案だった。
だけどそれを言い出すことに、驚くほどに抵抗は無かった。


「かむ…?ジャスミンを?」

「はい、姫姉さま。お姉さまに、私を噛んで貰いたいんです」

提案を受けたマーガレットは戸惑いの表情を浮かべミモザとクレマチスを見た。
最初ジャスミンの言葉に驚いた二人も、次第にその意味を理解し、肯いた。

「私も、噛んで下さい姫姉さま」

「私も」

マーガレットにはその意味が分からず
ただ真剣な妹たちの表情を不思議に思った。

「でも、痛いでしょ…?」

「痛くありません。
 これは私がいつまでも姫姉さまの側にいる為の、誓いの儀式です。
 プリンセスとして、そしてその妹としてとても重要なことなのですよ、姉さま」

それは血盟議会の掟で固く禁じられた行為。
だけどジャスミンは強くそれを欲していた。
自分が、マーガレットの意に沿わぬことをしてしまわぬように。
また側を離れてしまわぬように。
マーガレットの心を裏切るような真似を、絶対しないと思いたいけれど、
自分の心の強さに自信が持てない。
マーガレットを愛する理由を探してしまう自分が嫌で仕方ない。
きっと理由なんて要らない。今側に居たいと思う、それだけでいいはずなのに。

だからもしもの時の為に、イニシアチブで縛って貰いたかった。
それはただ、安心感を得たいというエゴだと分かっていたけれど。


戸惑うマーガレットにジャスミンが抱き付く。
そして束ねた黒髪を退かし、首筋をマーガレットの顔の前に差し出した。

「ここを。
 お願いします、姫姉さま。大丈夫ですから」

マーガレットは、ジャスミンの白い首筋をまじまじと見つめ、暫く逡巡した後
柔らかくその透くような肌に噛みついた。

「…だいじょうぶ?」

「大丈夫ですよ。姫姉さま…ありがとうございます」

暫く抱き合いそれから身体を離す。
ジャスミンの目に涙が浮かんでいた。
それは歓びの涙だと強く感じる。

マーガレットは同じように、ミモザとクレマチスの首筋も噛んだ。

4人はそうして、イニシアチブの主従関係を結ぶこととなった。
だけどマーガレットは一度も、その力を行使することは無かった。
イニシアチブが何かも、マーガレットは理解していなかったから。


それ以降は、ジャスミン達も吹っ切れたように
他の生徒の目を気にすることが無くなった。
開き直り、マーガレットに付き合ううち、すっかりそれも馴染んでいった。
誰も親しくジャスミン達に話しかけることは無くなったけれど
いつも楽しそうにクランを4人で歩き回る姿を、そういう風景として認めるようになった。

マーガレットは繭期を拗らせて自分をどこかの国のお姫様と思い込んでいる。
そのことは少女達にとって変わりなかったけれど
いつも3人と楽しそうにしているマーガレットの笑顔に、嫌悪感や侮蔑の視線は薄れていた。

いつも寄り添い、妄想しながら楽しそうにしている。
まるでピエロのようだったけれど、ピエロ達の道化は時に少女達に笑いを齎した。
そうして4人は、クランの中で不思議な市民権を得た。

ある日、遊び疲れたマーガレット達は
談話室で眠りこけてしまった。
少女達は、関わろうとはしなかったけれど、幾らか微笑ましい気持ちで4人の少女達の寝姿を眺め部屋を後にする。
誰も居なくなった部屋で眠る四人のところに一人の少女が近づいた。

それはスノウだった。

スノウは、眠るマーガレットの側にそっと近づきその頭を撫でた。


「マーガレット…私は…」

”もし私が何かを変えることが出来たなら…あなたがそれを見届けたなら。
 あなたにも、何かをして欲しい。諦めて、閉じ込めてしまわず、幸せになるために何かを”

スノウの脳裏には、いつかマーガレットが言った言葉が浮かんでいた。

スノウは見届けた。
マーガレットの『結果』を。
少しだけ、期待していたのだ。無責任に、マーガレットならば何かを成し遂げられると。

だけど何も変わりはしなかった。
いや、もしジャスミン達が居なければ、マーガレットは孤独の淵で苦しみ続けたかもしれない。
せめて4人が一緒に居れてよかった。
だけどクランも、ファルスも何も変わらなかった。
全てを賭け、その人格の全てを失ってまで、マーガレットが変えようとしたというのに。

スノウはもはやその目に、哀しみを浮かべることすら難しくなっていた。
みんなは覚えていない。
だけど、以前のマーガレットが『死んで』しまったことを、スノウだけが覚えているのだ。

あの時もっと強く止めていれば。
そんな後悔も、もう波が引いてしまった。
マーガレットのことを、その末路を直視することは、もう出来ない。
そんなことをすれば、本当に自分の心もまた壊れてしまう。
悲しみと絶望の為に。

だからスノウは決めた。
もう何もしない。
ただ、耐えて、このクランで生きるのだと。


もう二度とマーガレットに関わることも、誰と関わることもしないと心に決めた。
リリーにもう一度話してみようと、そう思っていた。
マーガレットが何かを成し遂げたら、そうしてみようと。
でももう、そんな気にはなれなかった。

もう一度スノウは眠るマーガレットの髪を撫で
それから寂しそうに俯いてその場を離れていった。



時は過ぎ、クランからシルベチカが居なくなった。
誰もそれに気付くことは無かった。
マーガレットも、気付かない。
マーガレットは、シルベチカなんて知らなかった。
いつか微笑みを交し合った友人の死を、知らなかった。

ただマーガレットはジャスミン達と4人で、楽しそうにクランで暮らしていた。


最期は突然だった。

マーガレットが用意したお茶菓子を広げ、いつものように4人でティータイムを楽しもうと準備していた、まさにその時
何の前触れもなく剣を手に取った四人は、お互いの身体を切り裂き、胸に剣を突き立てて絶命した。

折り重なるように、ジャスミンとミモザとクレマチス、そしてマーガレットは息を引き取った。
その最後に、プリンセス・ピエレット・マーガレットが何を思ったのか、誰も知らない。

物語にも記憶にも、マーガレットのその生涯が記されることは無い。
その亡骸はただ炎の中に消えた。



終わり


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最終更新:2014年12月15日 13:11