第一章 異界からの誘い

 

「ったく、どこ隠れてんだよまーちゃんは」

家の中を探し回りながら遥が毒づいた。
優樹にやろうやろうとせがまれ、軽い気持ちで始めた2人だけのかくれんぼ。
いくら広い道重邸とはいえ所詮は室内。隠れられるところも限られているし
本気で探せばすぐに発見できると高を括っていたが、これが驚くほどに見つからない。
きっとどこか絶好の隠れ場所を見つけて、絶対に見つかりっこないだろうと
ニヤついているであろう優樹の顔を想像して、無性に腹が立ってくる。

「おっかしーなぁ、もう一通り探したはずだけど。
確かこの先には部屋もなかったはずだし。……あれ?」

遥の記憶では行き止まりだったはずの廊下の先に見慣れないドアを見つけ、思わず足を止める。
もしかしてこの中に優樹が隠れているとか?

「おーい、まーちゃんいるかーい」

コンコンコンとドアを叩きながら声をかけてみるも反応は皆無。
まあもし本当にいたとしても返事はしないだろうな、と思いつつドアノブに手をかける。
だがどうやら鍵がかかっているらしく引いても動く気配は……。

カチャッ

遥が諦めかけたそのタイミングで、驚くほど軽い手応えでドアが開いた。
なんか目の前で鍵が開く音がしたような……まあ気のせいか。
首を傾げながら遥が中を覗き込むと、そこは地下へと続く下り階段となっていた。
階段の周囲は武骨な石壁で目ぼしい灯りも見当たらず、先の方は暗闇で見通せない。

こんなところにまーちゃんがいるとも思えないけど、でも他では見当たらなかったし、行ってみるしかないか。
そして遥は魔法で指先に小さな灯りをともすと、恐る恐る階段へと足を踏み出した。



「どぅーが行方不明ってどういうこと??」

優樹から一緒に遥のことを探してくれと言われた里保は困惑して訊ねた。
話を聞いてみると、かくれんぼでなかなか探しに来ないなと思ったら
いつの間にか遥の姿が見えなくなっていたという。
優樹を探すのに疲れて外出しちゃったのではないかと言ってみたが、
なんでも屋敷の中に確かに遥の匂いは残っているらしい。

かくれんぼの鬼が逆に探される立場になってどうするのさと呆れながらも、
こうして里保もまた、優樹とともに奇妙なかくれんぼに参戦することになった。


「あれっ、こんなところに部屋なんてあったっけ? 優樹ちゃんここ探した?」

廊下の先に見慣れないドアを見つけた里保が優樹に訊ねようと振り向いたが、
さっきまで後ろについてきていたはずの優樹の姿がない。
落ち着きのない優樹のことだけに、きっと何かを見つけて他の部屋を探してるのだろう。

気を取り直してドアを開けると、そこには地下へと続く下り階段が。
魔法で小さな光球を浮かべ慎重に階段を下りると、その先には重厚な両開きの扉が待ち構えていた。
まるで別世界に迷い込んでしまったような雰囲気に緊張しながら、ゆっくりと扉を開く。

その部屋には様々な物が雑然と置かれており、一見するとただの物置きか何かのように見えた。
だが室内に足を一歩踏み入れると、すぐにその認識が誤りであることに気づかされる。

大きな本棚に並べられた数えきれないほどの古びた書物。
不思議な図形が描かれた絵画。錆びて使い物にならなさそうな一対の剣。
幾何学模様に飾られた陶器。時とともにその色を変化させる水晶玉などなど……。
そのいずれからも抑えきれぬほどの強力な魔力が滲み出ており、
部屋にいるだけで魔力酔いしそうになるほどだ。


どうやらここは、道重さん所蔵の強力な魔具を納めた部屋のようだ。
明らかに長居していい場所じゃないし、どぅーがいないことを確認できたらすぐ退散しよう。

そんなことを思いつつ、光球の灯りを頼りに注意深く室内を見渡す。
さすがにここにはいないかと踵を返そうとしたその時、奥の壁際にある机の足元に
誰か倒れているような人影が視界に入り、里保の心臓がドクンと跳ね上がった。

まさかどぅーがこんなところに!?

周囲の魔具に触れないように注意しながら急いで近づく。
うつ伏せに倒れているが、この服装、この髪型、間違いなく遥のようだ。

すぐに助け起こそうとしゃがみこむと、倒れた遥の手元に置かれた一冊の書物が里保の目に入った。
いかにも年季の入った革表紙の洋装本。それが不意に淡い光を放つ。

嗚呼、呼ばれている。

抗いきれぬ不思議な光を浴びて、里保は誘われるがままに書物に手を伸ばす。
表紙に手が触れた瞬間。里保の意識が一気に吸い込まれていくのを感じた。
意識が途切れる最後の記憶は、表紙に記されていた書物のタイトル。

『LILIUM』

そして里保は、遥に覆いかぶさるようにしてその場に崩れ落ちた。



衣梨奈、亜佑美とともに買い物から帰宅したさゆみがまず感じたのは、強い違和感だった。
屋敷を覆っている魔力の熱量が普段と異なっているようだ。
なにか面倒なことが起きてなければいいんだけど。

その懸念は、遥と里保が屋敷内で行方不明になったと優樹に泣きつかれたことで
すぐに現実のものとなった。

理由まではまだわからないが、いつもと違う魔力の流れを考えれば
違和感の原因となっている部屋は即座に特定できた。

「すぐに2人を連れてくるから、みんなはしばらく生田の部屋で待っててくれる」

3人にそう言い残すと、急ぎ足で目的の部屋へと向かう。
廊下の奥の隠し扉を開き、階段を下りた先にある地下室。
そこは、呪われていたり暴走するなど取扱注意な魔具を封印しておくための部屋だった。
本来はさゆみ以外には入口となるドアを見つけることも、
ましてや開けることなどできないような細工を施していたはずなのに、
この部屋から魔力が漏れているということは、考えられる可能性は自ずと限られてくる。

部屋の奥、折り重なるように倒れている遥と里保を発見したさゆみは、
2人に近づく前にまずはそっと右手をかざす。

うん、大丈夫。とりあえず気を失っている以外に身体の異常はなさそう。
最低限の無事を確認した上で2人の側まで歩み寄ったさゆみは、
その手元に置かれた『LILIUM』というタイトルの書物を見つけて顔を顰めた。

「どうやら今回の元凶はこれのようね。
でも、さゆみの封印を破ってまでこの本が2人を呼び寄せたということは、
りほりほと工藤の2人が『鍵』だったってことか……。
ともあれまずは2人の意識を引っ張り上げないといけないけど、
さすがにこの場所でそれをするのは不都合が多いよね」

そう独りごちたさゆみは、虚空に目をやり、衣梨奈の脳内に直接語りかける。

『生田、今からりほりほと工藤の2人をその部屋のベッドに転送するから
そのまま寝かしつけておいて。大丈夫、今のところは気を失っているだけだから。
あと、ちょっと面倒なことに巻き込まれてるんで、他の娘たちに声をかけてウチに呼んでもらえる?
まずははるなんと……、うん、ふくちゃんと香音ちゃんにも声をかけておいて。
さゆみもすぐそっちの部屋に行くから。じゃあよろしく頼んだからね』

遥と里保の肩に手をかけて呪文を唱えると、2人の姿が部屋から消える。
床に落ちている書物を拾い上げたさゆみは、表紙を軽くなでるとそっと語りかけた。

「大丈夫、今度はきちんと浄化してあげるから」

そしてさゆみは、地下室と隠し扉に改めて封印を施した上で、
書物を片手に衣梨奈の部屋へと向かったのだった。



「……リリー! リリー!!」

――誰? 私の名前を呼ぶのは誰なの!?

「……鞘師さん! 鞘師さん!!」

意識を回復した里保の目にまず飛び込んできたのは、名前を呼びながら肩を揺さぶる遥の姿だった。
目を覚ました里保の顔を見て、泣き出しそうな必死の形相が安堵の表情に変わる。

……なんか別の名前を呼ばれていたような気がしたけど、ただの空耳かな。

「良かったぁ。さっきからずっと声をかけても全然反応がないから、
このまま目を覚まさなかったらどうしようって心配しちゃいましたよ。もう大丈夫ですか?」

「ありがとう、うちは平気。そう言うどぅーは大丈夫なの? というかここは一体どこ?」

「身体の方は全然平気なんですけど、ハルもさっきまで鞘師さんと同じように倒れてて、
目を覚ましたら隣に気を失った鞘師さんがいて急いで声をかけたって感じなんで、
ここがどこかとか確認する余裕は全くなかったんですよね」

2人して周りの様子を見渡してみる。
いかにも古めかしい洋館の廊下。そこに2人倒れていたらしい。

「ハル達なんでこんなところにいるんすかね」

質問というより半ば独り言のような呟きが漏れるが、里保も眉をひそめて首を振るしかない。


気を失うまでの記憶をすり合わせてみると、地下室に迷い込んで誘われるように
一冊の書物に触れて気絶という流れは2人とも共通していることがわかった。
つまりその書物から何らかの影響を受けてここにいるのだとはわかるものの、
ではどうすれば元の場所に戻れるのかとなると皆目見当もつかない。

窓から外を窺うと、鬱蒼と生い茂った森がどこまでも広がっている。
森を、そしてこの洋館をすべて包み込むように降り続く雨。
耳に入るのは雨音……と、それにかき消されそうになりながらもわずかに聞こえる異音。

「ねぇどぅー。聞こえてる?」

「はい、これって……誰かの泣き声っすかね」

雨音に交じって聞こえるすすり泣く様な声。ということは、誰かがいる!?
2人はともに目配せしあうと、足音を殺して泣き声の元へと音を頼りに歩き出した。


大広間から続く中央階段を上った先に、目的の人物はいた。
明かり取りも兼ねた大窓から外を眺めながら、そのすすり泣きはやむことがない。

大広間まで来た2人は、思わず顔を見合わせる。
白い厚手のローブのような衣装を身に纏ったその女性に、一体どの様な声をかければいいのだろう。


その逡巡の隙をつくかのように、女性が不意に振り向いた。
真っ赤に泣きはらした燃えるようなその瞳に、グッと心を奪われる。

階下にいる2人の存在を認めた女性は、そして大きく慟哭の声を上げる。
それは、哀切を極めた身を切るような叫びでありながら、
どこか抑えきれぬ歓喜を伴っているような不思議な響きだった。

さらに女性は右手を伸ばし、慟哭に圧倒され身をすくめる2人のことを指さす。

――やっと、見つけた

そんな幻聴が耳に届いたような気がした。

完全に雰囲気にのまれてしまったことを自覚しつつ、
このままじゃいけないと必死に行動を起こそうとするが、
まるで蛇に睨まれた蛙のごとくまったく身動きが取れない。

その瞬間。

突如、身体を宙空に一気に引っ張りあげられるような感覚に襲われる2人。
まるで逆バンジーのような衝撃をいきなり受けて、里保は思わず目を閉じた。



意識を回復した里保の目にまず飛び込んできたのは、さゆみの柔らかい笑顔だった。

「おはよう。そしてりほりほも工藤もおかえり」

その言葉で、自分が今ベッドに横たわっていることに気づく。
横を見ると遥も同じように、状況を認識できていない様子で目をしばたたかせている。

2人が目を覚ましたことを知り、周囲から歓喜の声が上がる。
衣梨奈と聖と香音の3人が抱き合って喜び、春菜は思わず安堵の涙を流している。

「どぅー! やすしさ~ん!!」

優樹がベッドに飛び込み2人に抱きついてくる。それを止めようとする亜佑美も嬉しそうだ。

みんなにすごく心配をかけてしまってたんだなぁ。
なんとも申し訳ない気持ちになるが、それとともにみんなの笑顔に接して
ようやくこれまでの緊張がほぐれてきた。

「本当は2人ともしばらくゆっくり休んでもらえればいいんだけど、
残念ながらあんまりのんびりもしてられない状況なんだよね。
りほりほも工藤も、もしもう動けそうならみんなと一緒に居間に来てもらっていいかな」

すっかり安心したような空気が流れる中、厳しさの残るさゆみの言葉によって
2人の意識が戻っただけではどうやら事態が収束してはいないことを
一同ははっきりと認識させられたのだった。


「じゃありほりほ、工藤。さっそくだけど目を覚ますまでのことを詳しく聞かせてもらえるかな」

居間の丸いテーブルの周りにギューギューになりながら腰かける8人。
座りきれない春菜は、黒猫の姿でテーブルの上にちょこんと座っている。

「えっと、最初はかくれんぼでまーちゃんを探していたんですけど……」

地下室に迷い込む経緯、そしてその後の不思議な体験まで説明を受けたさゆみは、
「なるほどね」と一言呟くと、なにやら考え込むように口を閉ざしてしまう。

「2人が迷い込んだのって一体どこなんだろうね」

「話を聞いた限りだと、その本の世界に入り込んだって感じやけど」

「そこで出会った女の人が2人を呼び寄せたってことなのかな」

「指をさされたのって、一体どういう意味だったんですかね」

「うーんよくわからないけど、何か訴えかけられてる感じはしたかな」

「みにしげさんが2人をグイっとやってギューンってなってパチッと起きたから戻ってこれたんだよ」

「その説明じゃ意味不明だよまーちゃん」

さゆみの沈黙に耐え切れず、みんな口々に感想を述べ合う。
そんな中、その異変にまず気づいたのは優樹だった。

「はるにゃんこのシッポがブワってなってる!!」

優樹の一言で、みんなの視線が春菜に注がれる。
見ると確かに、黒猫の姿の春菜の尻尾がいつもの2倍以上に膨れ上がっていた。
さらに耳は後ろ向きに垂れ下がり、ヒゲは頬にピタリとついてしまっている。

「どうしたのはるなん、なんでそんなに怯えているの?」

猫好きの香音にはその様子がすべて怯え、恐怖を表していることがすぐにわかった。

「あ、いえ……。私のただの思い違いだったらいいんですけど……」

「話を聞いててなにか気づいたことがあるの!?」

普段ないくらいに歯切れ悪く口ごもる春菜が、さゆみのことをチラリと見やる。
すべてわかっているかのようにさゆみがそっと頷くのを確認して、意を決して口を開いた。

「鞘師さんとくどぅーが出会ったその女性ってもしかしたら……。
バンシーじゃないかと」

「バンシーって……誰?」

「聞いたことある?」

「まさ知らな~い!」

耳慣れぬ固有名詞に、みんなの頭の上に疑問符が浮かぶ。

「バンシーというのは『嘆きの妖精』なんて呼ばれていて、
その泣き声を聞いた人間は……あの…………」

「ほどなくして死を迎える、なんて言われているね」

言いよどむ春菜の後を継いだのはさゆみだった。
あまりに衝撃的な一言に全員が凍りついたように固まる。

「はるなんの推測通り、2人が出会ったのはバンシーでまず間違いないでしょうね」

「えっ。じゃあハル達もうすぐ死ぬってこと……!?」

「そんな!!」

「どぅーもやすしさんも死んじゃやだよ~!!」

ようやく言葉の意味を理解し、一気に混乱の渦に陥る一同。
いきなり死を宣告された2人は完全に呆然自失となり、
優樹は椅子から飛び上がり、泣きながら2人に抱きつく。

「はいはい、気持ちはわかるけどみんな一度落ち着こうか」

さゆみのその軽い掛け声には、なぜだか有無言わせず従わせるような強制力があり
みんな黙って自分の椅子に着席しなおす。

「りほりほと工藤がバンシーから死の宣告を受けたのは確かだけど、
だからと言って今すぐにどうこうなるってわけでもないから安心して。
まずはこんなことになった原因と、そしてこれからすべきことについて、
どうすれば死の宣告から逃れられるかも含めてさゆみが説明するから」


このままだともうすぐ自分に死が訪れる。

そう聞かされても、里保にはまるで実感が湧かなかった。
これまで「自分自身の死」というものとそこまで真剣に
向き合ったことなどないのだから、当然と言えば当然かもしれない。
過去には執行魔道士としてかなり危険な任務を遂行した経験もあるものの、
「失敗すればもしかしたら死ぬかもしれない」と「このままだともうすぐ死ぬ」では
その意味するところがあまりに違いすぎる。

正直未だ夢の中にいるようなフワフワした感覚が抜けきらないが、
今はとにかくさゆみの説明にしっかりと耳を傾けなければ。

「すべての原因はこの本、このリリウムという物語にあるの」

話しながら、丸いテーブルの上に置かれた一冊の書物にそっと触れるさゆみ。

「一体なんなんですかその本は!?」

勢い込んで訊ねる衣梨奈。当事者の里保以上にこの現状を打開しなければという
気負いが感じられて、里保はなんだか嬉しくなってくる。

「この本はね、大いなる悲しみを内包しているの」

「大いなる……悲しみ」

里保が噛みしめるように繰り返す。
確かに泣いているバンシーからは、その言葉通りの悲嘆が感じられた。

「そう。だからさゆみがその悲しみを浄化しようと試みたんだけど、できなかった」

「道重さんでもできないことがあるんだ……」

思わずこぼれた聖の呟きに、さゆみが困ったような笑みを返す。

「それは、浄化のために必要となるなんらかの『鍵』が足りなかったから。
一応、無理やり存在ごと消滅させるという選択肢もあったんだけどね。
それはできればやりたくなかったから、時が満ちるまでと地下室に封印してたんだけど」

「そんな本に呼び寄せられるように接触したのが、鞘師さんとくどぅーの2人だったということですね」

ようやく動揺から回復した様子の春菜が、一言一言確かめるような口調で念押しする。

「そう。それはつまり2人がこの本を浄化するための『鍵』だったということ」

「なんでハル達が??」

いかにも納得いかない様子で、遥が語気を荒げた。

「なんであなた達が『鍵』に選ばれたのか、それはさゆみにもわからない。
おそらくこの本とどこか深い縁で結ばれているんだろうと推測はできるけどね。
バンシーがなぜ2人に死の宣告をしたのか、その理由もまだわからない。
バンシーの存在がこの本に大いなる悲しみを呼び寄せたのか、
それともこの本の大いなる悲しみが凝縮してバンシーという存在を形成したのかも不明。
でもこれだけははっきりしている」

そこで言葉を切ったさゆみは、真剣な表情を里保と遥に向けた。

「2人が出会ったバンシーこそがこの本の大いなる悲しみの根幹を成す存在であり、
それを浄化できるのは『鍵』として選ばれたあなた達だけ。
そして、バンシーの浄化さえ叶えば、2人が受けた死の宣告も自ずと解消される」


さゆみの神秘的な瞳に真正面から見据えられた里保は、夢見心地だった頭の中が
まるで厳かな朝の光を浴びたかのように明るく冴えわたっていくのを感じた。
これまで何をどうすればいいのか皆目見当もつかなかったのが、
はっきりと目標を提示され視界が開けたことも、おそらくその理由だろう。

「バンシーを浄化って、一体どうすればできるんですか?」

小首を傾げながら亜佑美が訊ねる。

「うん、問題はそこ。地下室では、りほりほと工藤が呼ばれて
本の中に意識を持っていかれたんだけど、今度は2人の方からその世界に入りこむ。
今回は意識だけじゃなくて、心も身体も全身全霊すべてを投じてね」

「こっちから乗り込んでいってバンシーをブッ飛ばせば解決ってことですね!!」

「だからブッ飛ばすんじゃなくて浄化するんだって。力ずくはもしやるとしても最終手段」

明らかに入れ込んだ様子の衣梨奈を、苦笑しながら窘める。

「それに本の中に入り込んだ後もそう簡単じゃなくてね。
このリリウムという物語の世界で2人がそのままに存在することは難しくて、
登場人物の一人と同化、というか身体を借りるような形になるはず。
そこで注意が必要なのは、しっかりと強く自我を保っていないと
自分の意識をその登場人物に取り込まれてしまう危険性があること」

「もしそうなってしまったら……」

「完全に物語の住人となってしまい、二度とこの世界には戻ってこれないでしょうね」

さゆみの言葉に息をのむ一同。
やっぱり相応のリスクは覚悟しないといけないということか。
だからといって、このまま手をこまねいているわけにはいかない。

「わかりました、そうならないように自分を強く持ち続けていきます。
それで、物語の世界に入り込んだ後は具体的にどうすればいいんですか?」

「バンシーはおそらく、同じように登場人物の中の一人として紛れ込んでいるはず。
しばらくは物語の流れに身を委ねながら、バンシーを見つけ出すのが最優先にすべきこと。
それとともに、バンシーの悲しみ、嘆きの原因を探っていき、
いざバンシーと対峙した時にその原因を取り除いてやることができれば、
きっとバンシーを浄化することができる」

そこで一旦言葉を切ったさゆみが、改めて里保と遥に目を向ける。
2人のことを温かく包み込むような柔らかい笑顔。

「大まかな流れはこんな感じだけど。どう、2人ともやれそう?」

バンシーの悲しみを取り除く。そんなこと自分にできるだろうか。
でも、それが可能なのは「鍵」であるうちらだけだという話だし、
これ以上道重さんに、みんなに迷惑をかけるわけにはいかない。

「「はい、やります!!」」

期せずして里保と遥の返答が見事に揃い、2人は顔を見合わせて照れたように笑みを交わす。
周りもそれに釣られたように笑顔になり、ほんのひと時だけ和やかな空気に包まれた。


「里保達のすべきことはわかったけど、えり達にできることは何かないんですか?
2人と同じように本の世界には入り込めないんですか??」

「それができていたらさゆみがとっくにやって本を浄化してるから。
残念ながら本の世界に入り込めるのは『鍵』となる人物と、
それ以外だったら人ならざる者くらいしか不可能でしょうね。
でももちろん今回のことでみんなにもできることはある。
だからこそわざわざ集まってもらったわけだし」

さゆみの言葉に、みんなの表情がまた引き締まったものに変わる。

「みんなには、この本にエネルギーを注入してほしいの。
本の世界に直接入り込むのは無理だけど、エネルギーを注入することによって
このリリウムの登場人物の誰か一人の意識に干渉することができる。
とはいってもおそらくはほんの一瞬、一言か二言話せればいいくらいだろうけどね。
それでも本の世界に入り込んだりほりほと工藤への助言なんかは十分できるはず」

「それって危険とかあったりはないんですか」

聖と香音が不安げに視線を交わす。他の娘と違い魔法の素養のない
あくまで一般人の2人に、あまり危険な思いはさせたくない。

「うん、危険というほどのことはないかな。エネルギーの大半を消費してしまうから
しばらく気を失ってしまうかもしれないけど、それも休んでいれば回復する程度のもの。
あと、この本との相性の問題でうまくエネルギーを注入できない人も出てくるかもしれないんで、
こればかりは運が悪かったと諦めるしかないけど。
どうかな、みんなりほりほと工藤のために手伝ってくれる?」

「「はい!」」

6人の声が綺麗に揃い、さゆみが満足げに微笑む。

「じゃあ気持ちの整理がつき次第2人を本の世界に送るけど、
今のうちに聞いておきたいこととかある?」

「そのリリウムっていうのはどんな物語なんですか?」

亜佑美が質問の口火を切る。

「リリウムというのは、クランという療養施設に集められた思春期の吸血種が織りなす悲しい物語」

「吸血種って……吸血鬼とは違うんですか?」

聞きなれない単語に首を傾げる遥。

「うん吸血鬼に近い存在だけど、実質はほとんど普通の人間と変わらないかな。
決定的に人間と違うのは、吸血種同士で相手を噛むと、イニシアチブという主従関係が生じて
噛まれた相手が絶対服従となってしまう特殊能力があることくらい」

「療養施設ということは、集められているみんなは何かの病気なんですか?」

いかにも考えつつという様子で質問する春菜。

「病気というか、繭期と呼ばれる所謂思春期の吸血種は、とっても情緒不安定になってしまう。
中でも特に重症な者達をひと時隔離するため、という名目でこの施設に集められているの」

質問が途切れたことを確認して、最後にさゆみが念押しする。

「他には大丈夫かな? まありほりほも工藤も案ずるより産むが易しってやつで、
実際物語の世界で体験してみれば言葉で色々聞くよりずっとよく理解できるはずだから」

そして、何気ない様子で書物を手に取った。

「じゃあそろそろ、2人をリリウムの世界に送ろうか」


いよいよリリウムの世界への旅立ちの時が近づき、みんなが里保と遥の元へ集まる。

「じゃあみんな行ってくるね。大丈夫、バンシーを浄化してすぐに戻ってくるから」

本当はうまくバンシーを浄化できる自信など全くない。
でも多かれ少なかれ不安げな表情を浮かべているみんなの前で、
これ以上心配させるようなことを言えるはずもなかった。

周りを囲まれて激励の言葉を受ける2人。
そんな中、明らかに場違いな発言をしたのはやはり優樹だった。

「どぅーもやすしさんも本の中に行けるなんでズルいよ! まさだって一緒に行きたいのにさ~」

「ちょっとまーちゃん、2人はこれからとっても危険な場所に行かないといけないんだよ」

拗ねたように2人に食って掛かる優樹に、春菜が呆れたように窘める。
だが、優樹の返答はあっけらかんとしたものだった。

「え~、だってどぅーとやすしさんだよ。2人だったらどんな危険だってドーンと跳ね除けて
元気いっぱいで帰ってくるから、そんな心配そうな顔しなくたって大丈夫だって」

「……うん、そうだね」

優樹の言葉に確たる根拠があるとは到底思えなかったが、あまりに自信満々な様子に感化され、
まーちゃんが言うならそうかもしれないとみんなで顔を見合わせて笑いあう。


そして、程よく緊張した空気が和らいだことを確認したさゆみが、里保と遥に合図を送る。
書物の表紙の上に手を重ねて目を閉じる2人。
周りが息をのんで見守る中、さゆみの呪文とともに書物から光が放たれ周囲に広がっていく。
その眩しさに思わず顔をそむけた一同が、徐々に光が収束しようやく目を開けた時には
里保と遥の姿はすでに消え去っていた。

次いで、残った6人のエネルギー注入に移る。
丸いテーブルの周りに腰掛け、中心に置かれた書物に手を伸ばし人差し指でそっと触れる。
さゆみが同じように呪文を唱えると、指を通じてそれぞれのエネルギーが書物に流れ込み、
それとともに一人、また一人と糸の切れた操り人形の如くテーブルに突っ伏すように倒れていく。

「あっ!」

「痛っ!」

そんな中、弾かれるように書物から指を離したのは、衣梨奈と春菜の2人だった。

「この本と相性が合わなかったのは生田とはるなんか。
まあ4人分のエネルギーを注入できただけでも上出来かな」

「じゃあえり達はなんの手助けもできないってことですか!?」

「うーん。リリウムの世界に直接介入できないとなれば、
こっちでなにか手助けになるようなことを探していくしかないでしょうね」

「……わかりました。私はバンシーについてもっと詳細を調べてみます」

足早に居間から立ち去る春菜の後ろ姿を眺めながら、衣梨奈は思わず頭を抱える。


今のえりにできることなんて何かあるんだろうか。
はるなんのように知識があるわけでもないし、身体を動かすことは得意だけど
本の中に入れないんじゃそれを活かす機会もない。かといって他には……。

「自分に何ができるか、とにかくよーく考えてみな生田。
よーく考えて、そして思いついたどんな些細なことでも試してみて、
使えるものがあったらそれが何であっても最大限に利用して、
自分にできることを極限まで全部やり尽くしたその時に、
それがきっとりほりほと工藤への何かしらの手助けとなっているはずだから」

さゆみの助言に、ハッとしたように顔を上げる衣梨奈。
そうだ、何もできないとウジウジ悩んでいるだなんてえりらしくない。
どんなことでもまず行動してみるのがえりの一番の武器やけん!

「わかりました道重さん、えりやってみます!!」

「うん、せいぜい頑張ってみな。
でもまずその前に、気を失っているみんなに毛布かけてあげてくれないかな。
しばらくしたら起きるはずだけど、このまま放置しておくのも可愛そうだしね」

毛布を取りに居間を飛び出す衣梨奈を微苦笑で見送ったさゆみが、改めて書物を手に取る。

「さて、ここからが本番。
大丈夫、りほりほと工藤の2人ならきっとしっかり浄化してくれるから」

その言葉に呼応するかのように書物が淡く光を放ち、そしてすぐに消えた。

 

第二章

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最終更新:2015年01月24日 21:20