第二章 冷たい雨のクラン

 

「LILIUM-リリウム 少女純潔歌劇-」

【配役】
鞘師里保 / リリー
和田彩花 / スノウ

福田花音 / 紫蘭(シラン) - 監督生
譜久村聖 / 竜胆(リンドウ) - 監督生
田村芽実 / マリーゴールド
佐藤優樹 / マーガレット - お嬢様だと思ってる勘違いの女の子。3人の召使がいる

鈴木香音 / ローズ - 仲の良い4人組
竹内朱莉 / カトレア - 仲の良い4人組
勝田里奈 / ナスターシャム - 仲の良い4人組
石田亜佑美 / チェリー - 仲の良い4人組

中西香菜 / キャメリア - 男役
工藤遥 / ファルス - 男役。

小田さくら / シルベチカ - 失踪した少女

田辺奈菜美 / ジャスミン - マーガレット親衛隊
加賀楓 / クレマチス - マーガレット親衛隊
佐々木莉佳子 / ミモザ - マーガレット親衛隊



かつて、ヴァンプ(吸血種)は不死の命を持っていたとされる。
でも、私達ヴァンプは不死を失った。
時が来れば全ての生き物と同じように、その命を終えるのだ。


「シルベチカ! シルベチカ! ねえどこなの? 隠れてないで出てきてよ! ……シルベチカ」

鬱蒼と茂った夜の森は、雨に覆われより一層の重く暗い雰囲気を醸し出していた。
あらゆる生物の存在を拒絶するような森の闇の中を、
濡れることも厭わず名前を呼びながら彷徨い歩く一人の少女。
途方に暮れたように彼女が足を止めたその時、後方から厳しい声がかかった。

「リリー。勝手な真似は許さんぞ」

「こんな夜更けにどこに行こうというのです」

声をかけられた少女――リリーが振り返ると、そこにいたのは監督生の2人、
紫蘭(シラン)と竜胆(リンドウ)だった。

「ごめんなさい、あたし……」

「雨に濡れて風邪引いて死ねばいいのに。風邪で死ぬヴァンプ。アハハハハハ、随分間抜けなこと」

リリーの謝罪を遮り、嫌味っぽく笑い飛ばす紫蘭。

「シルベチカの声が聞こえたの」

「シルベチカ?」

「訳の分からないことを言うでない」

「さあ、早く戻りなさい」


眉を顰めながら監督生2人がリリーを促す。
リリーもそれに逆らうことなく2人の後に従った。

「ねえ紫蘭、竜胆」

「なんだ」

「どうしてこの森には、ずっと雨が降っているの?」

「雨?」

間断なく雨粒を落とし続ける黒雲を見上げる竜胆。

「止むことのない雨」

「それはきっと、誰かが時間を閉じ込めてしまったのだ。だからこの森に降る雨は止むことがない」

「……閉じ込められた時間」

まさかそのまま言葉通りに受け取られるとは思っていなかったのか、
取り繕うかのように紫蘭がまた笑い飛ばす。

「アハハハ、冗談に決まっておろう。何を真に受けておるのだ」

「さあ、みんなが心配するわ。戻りましょう、私達のクランに」

これ以上無駄口を叩くつもりはないと背中で語る紫蘭と竜胆。
そしてリリー達3人は、森の深い闇の中に溶けていった。



あたし達が暮らすそのサナトリウムは、クランと呼ばれていた。
千年も昔から続いた由緒正しき吸血種達の療養所。
クランとは血族、血のつながりを意味する言葉。
あたし達はそのクランで仲間たちと共に、終わることのない退屈な毎日を過ごしていた。
でも、あの日はなんだか、いつもと様子が違ったの……。


「あんたってホント~に、馬鹿ね!!!!」

チェリーの口の悪さはいつものことではあったが、出会い頭にいきなり顔をグッと寄せて
馬鹿にされるというのは、さすがのリリーでもいい気はしない。

「チェリー、何よいきなり」

「昨日クランを抜け出したらしいじゃない」

昨夜はみんなが寝静まるのを確認してからこっそりと抜け出したはずなのに、どうしてそれを!?
焦りを隠せずチェリーに詰め寄るリリー。

「誰から聞いたのよそんなこと!」

「監督生が話してるのを聞いたのよ。もうみんな知ってるわ。
あんたね、人間に見つかったらどうするつもりよ」

文句を言いつつも人のことを心配してくれるのがチェリーなりの優しさ。
まっすぐでお節介焼きな娘だとわかっているから、たとえ罵倒されても腹がたつこともない。


「だって、ここは人間の里からだいぶ離れてるし……」

「考えが甘いのよ」

腰に手を当てたチェリーが、心底呆れたように答える。

『あんたね、そんなことだから自分の記憶を取り込まれそうになるのよ』

それは会話の流れにそぐわない違和感のある一言だった。

自分の記憶? 自分って……誰?? あたしは……リリー。
……じゃない! うちの名前は……里保! 鞘師里保だ!!

自分の名前が頭に閃くとともに、消えかかっていた記憶が一気に蘇る。

『そこで注意が必要なのは、しっかりと強く自我を保っていないと
自分の意識をその登場人物に取り込まれてしまう危険性があること』

さゆみの言葉が頭の中で反復される。
自分はまさに、その通りの状況に追い込まれていたんだ。
そしてそれを救ってくれたのは……。

驚きの表情のままにチェリーに目を向けると、胸を張っていかにもなドヤ顔を返すその姿は、
まぎれもなく石田亜佑美そのものだった。
だがそう見えたのも一瞬のことで、すぐに本来のチェリーの表情に戻る。

ありがとう亜佑美ちゃん、おかげで意識を取り戻すことができたよ。

里保は心の中で、亜佑美にそっと感謝の言葉を投げかけた。



「いいこと、人間にとってあたし達ヴァンプは、化け物とおんなじなんだから!」

「そう。まったくもってふざけた話だよ」

会話に突然割り込んできたのは、キャメリアだった。

「キャメリア! ちょっとあんた、ここ女子寮よ! なんで勝手に入って来てんのよ!!」

「人間も僕達ヴァンプも何も変わりやしないのに、化け物扱いなんてさ。
時代錯誤もいいところだよ」

「あんた、話聞いてる?」

チェリーのツッコミも無視して滔々と語りだすキャメリア。

「昔はヴァンプ狩りなんてのもあったらしい。
十字架や聖水やニンニクなんかでヴァンプを退治しようとしたんだ。
そんなの迷信だってのに。ま、ニンニクは臭くて勘弁してもらいたいけどさ。
中には太い銀の杭を胸に刺されて殺されたヴァンプもいたらしい。
そんなの刺されたらヴァンプじゃなくても死ぬっつーの。
野蛮な種族だよ、人間ってヤツは。僕達ヴァンプから見たら、人間の方が化け物さ」

あまりに人の話を聞かないキャメリアに業を煮やしたチェリーが、
思いっきり助走をつけるとキャメリアにジャンピングパンチを叩き込んだ。

「痛ててててて、何すんだよ!!」

「あんたが人の話を聞かないから!!」

そこから繰り広げられる2人の痴話喧嘩を、微笑ましく見守るリリー。

「仲が良いのねあなた達」

「「仲良くなんかない!!」」

綺麗にハモったその返答が、リリーの言葉を見事なまでに肯定していた。


ようやく意識を取り戻したものの、
借りている身体の宿主であるリリーの意識が消えたわけではなく
里保の意思とは別に、変わらずにリリーとして喋りそして行動が続いている。

イメージとしては、上位人格と下位人格に分裂してしまった二重人格者という感じか。
下位人格は、上位人格があることを認識できないまま普段通り生活しているつもりだが、
上位人格は、人格が現出していない時も下位人格のことをしっかりと認識し、
その言動もすべて把握できているのだという。

普段決して体験できないなんとも不思議な感覚だが、
このまま傍観を続けていていいのだろうか。
おそらく遥も自分と同じように意識を取り込まれている可能性が高く、
すぐにでも探し出して回復させてやる必要があるのではなんてことを考えると、
居ても立ってもいられなくなってくる。

「シルベチカを見なかった?」

「シルベチカ?」

「昨日から見かけないのよ。部屋にも戻ってないみたいだし」

「シルベチカって……誰よ」

「誰って、シルベチカはシルベチカよ」

「シルベチカなんて娘、このクランにはいなかったと思うけど」

「何言ってるの? もしかして、2人であたしをからかっている?? 冗談でも笑えないよそれ」

「あんた、大丈夫? 頭でも打った?」

昨日もそうだったけど、リリーはシルベチカという娘を探しているらしい。
でも今の里保にとっては、遥を見つけ出すことの方がずっと重要だ。

今は身体をリリーの意識に委ねている状態だが、自分の意識を強く集中させれば
思い通りに動かせる――はっきり言えば乗っ取ることができそうだと感覚的にわかる。

あまり時間をかけすぎると完全に遥の記憶が取り込まれてしまう危険性が高いし、
いっそ今すぐにでもリリーのこの身体を乗っ取って探しに行くべきか……。


リリー達のいる広間に騒がしい声が響き、
ローズ、カトレア、ナスターシャムの3人が姿を現す。
勝手自由気ままにはしゃぎまわるカトレアとマイペースなナスターシャムに、
心配性のローズが手を焼いている印象だ。

「あんた達またやってんの」

「ああチェリーじゃない。あんたからも言ってやってよ、またこの2人が面倒臭くってさぁ」

「面倒臭いのはこっちも同じよ。またこの娘がおかしなこと言い出したの」

「この娘がおかしいのはいつものことじゃない」

ローズがリリーに呆れたような視線を送る。

『どぅーは大丈夫だからもっと信頼してあげて、
一度きりのチャンスを焦らずしっかりと見極めればいいのよ』

予想外の言葉に驚いてローズの顔を見返すと、彼女が見せる
人を魅きつけてやまない満面の笑みは、間違いなく鈴木香音のものだった。


そうだよ、自分が取り込まれそうだったからどぅーもそうだろうと勝手に思っていたけど、
どぅーが自分の力で意識を取り戻しているかもしれないし、
うちのように誰かの助言で意識を取り戻すことだって十分にありえる。

下手にリリーの身体を乗っ取って、勝手な行動で物語の流れを壊してしまったら、
余計な混乱を招いてバンシーを探すどころではなくなってしまう。
道重さんも、しばらくは物語の流れに身を委ねながらバンシーを探せと言っていたし。
香音ちゃんの言葉通り、チャンスは一度きりとタイミングを見計らって
しばらくはリリーとともにこのリリウムの世界をじっくり観察していこう。

香音ちゃんの助言がなければ、危うく暴走してしまうところだった。
ありがとう、香音ちゃん……。


「ねぇ! シルベチカを見なかった?」

「シルベチカなんて知らないわ」



いいですことみなさん、これから大切なことを教えます。よく聴いておくのよ。

はい! お姉様。

我ら若いヴァンプは例外なく、時が来れば特別な状態を迎えます。それが繭期なのです。

繭期って、なんだっけ?

繭期というのは人間でいう、思春期と同じことですが、
ヴァンプの繭期は人間のそれと、比べてとても深刻なのだ。
繭期を迎えたみなさんは、ものすごく情緒不安定になっちゃうの。
過去に幾度となく繭期のヴァンプが人間と諍いをおこし続けてきたのだ。
我ら吸血種の統率機関である血盟議会はその事態を重く受け止め、
繭期のヴァンプをひと時の間、隔離するための施設を設けたのだ。
それがこのサナトリウム・クラン。

このクランは特に重症の繭期のヴァンプを収容するために造られた場所。
このクランで繭期を過ごし、いつの日か立派な大人のヴァンプになるために。
お前達の毎日のお薬は、その繭期の症状を抑えるためになくてはならぬもの。
よく覚えておくように。
本日の講義はここまで。


規律を守り、友人を愛し、心を穢さぬよう血族の誇りを育みましょう。
我らの道が、純潔であらんことを。

純潔であらんことを。



講義を終えて一息つく監督生2人に、キャメリアが気軽に声をかける。

「やあ、竜胆、紫蘭。監督生は大変だね。
自分だって繭期のくせに、みんなの面倒みなくちゃならないんだから」

「他者に依存することは繭期の症状によくありません。
だからこのクランでは何より自律性が重んじられるのです。
そのための監督生制度ですことよ」

「そういうお前も男子寮の監督生であろう。さっさと自分の寮に戻らぬか」

いかにも軽薄な雰囲気を漂わせているキャメリア。
その落ち着いた口調からも思慮深さが窺える竜胆。
勝ち気な性格が表情にも表れている紫蘭。
同じ監督生という立場でも、三者三様で個性がはっきりと分かれている。

「そうカリカリしないでよ。ヒステリーは繭期の典型的な症状だ。
あ、もしかして薬が足りてないんじゃないか?」

「どうやら鞭で打たれたいようだのう!」

威嚇するように音を立てて鞭を振るう紫蘭にも動じることなく、
おどけながら怖がる素振りを見せる。


「この女子寮に何のご用ですか」

「……あれ? そういや僕、何しに来たんだろう」

何気ない竜胆の言葉に、驚くほど真剣に悩みだしてしまうキャメリア。
その思わぬ反応に、戸惑いの表情で竜胆と紫蘭が顔を見合わせる。

「お前こそ薬が足りてないんじゃないのか? この愚か者めが」

「紫蘭、口が悪いわよ」

「何か……大事なことを忘れてるような」

3人の間に流れる微妙な空気を破るように、
一人の少年が頭を抱えてよろめきながら入ってきた。

「ああぁぁぁぁぁぁぁうぅ」

「おいファルス、どうした?」

その少年――ファルスの様子に気づいたキャメリアが、手を貸して身体を支えてやる。


「大丈夫、いつもの貧血だ。心配ご無用」

「本当かよ」

「ちょうどいい所へ来たわ、ファルス」

心配そうな顔を向けるキャメリアの後ろで、
紫蘭とともに軽く目礼をした竜胆が、懐から一通の手紙を取り出した。

「なんだよ」

「今月のクランの生活方針について御館様からお手紙が届いていました」

そして念押しするように続ける。

『ちゃんと工藤遥としての記憶を取り戻しておくように』

その一言に動きを止めたファルスが、しばらくして目が覚めたような表情に変わる。
そんな様子を柔らかく見守る譜久村聖の笑みは、ほどなくして竜胆のものに戻った。


こうして里保に続いて遥もまた、聖の助言をきっかけにして
ようやく自分の記憶を取り戻すことができたのだった。



「シルベチカ! シルベチカ! ……どこ行っちゃったのよ」

「あんたも懲りないわねえ。いもしないヤツをずっと捜してるだなんて」

「シルベチカはいるわ! あなたが忘れてるだけよ」

「はいはい、もう聞き飽きたわ」

呆れ顔のチェリーを気にすることもなく、リリーはシルベチカのことを探し続けている。

シルベチカとは一体何者なのか。
なぜリリー以外のみんなはその存在を覚えていないのか。
気になるところではあるけれど、それ以上に今の里保にも探すべき相手がいる。

まずは未だ合流できていない遥。ただにこれについては香音の助言に従い、
このまま物語の流れに身を委ねていればきっと会えるはずだと開き直ることにした。

そして、里保の本来の目的であるバンシーの存在。
以前書物の中に誘い込まれた時に遭遇したバンシーの顔を思い出そうとしてみたが、
真っ赤に泣きはらした燃えるような瞳に心を完全に奪われてしまったため、
容姿としての記憶がまともに残っていないのが悔しい。

これまで出会ってきたクランの住人の中に、もしかしたらバンシーが紛れ込んでいるかもと
注意深く観察してきたものの、残念ながらピンとくる人物には巡り会えていない。

とはいえ、ろくに手掛かりもなくほとんど直観に頼るしかない状況なので、
本当はもうバンシーと接触していながら里保が気づいていないだけという可能性もある。
もしかしたら、これまでずっとリリーのことを気にかけてくれているチェリーの正体が
実はバンシーということだって、ないとはまだ言い切れないのだから。


可能性で言えば、リリーが探しているシルベチカの正体がバンシーかもしれない。
行方不明の振りをして姿を隠し、こっそりとリリーそして里保のことを観察している。
手掛かりの少ない現状では、そんな妄想でさえ完全に否定する材料がないのが悩ましい。

「何か心配ごと?」

「え?」

困り顔で考え込んでいるリリーに、一人の少女がそっと近づく。

「浮かない顔してるから」

「ええ。友達がいなくなっちゃったの。でも、どこにも見当たらなくて」

「きっと……もう会えないわ」

「え?」

「嘘よ嘘」

真顔のまま声の抑揚も少ない静かな話し方で突然そんなことを言うものだから、
まったく嘘をついているような口調には聞こえない。

「あの……」

「何?」

「ビックリしちゃった」

「何が」

「だってスノウが急に話しかけるんだもん」


ベンチに独り腰かけ、静かに本を読む姿を何度か見かけたことはあったけど、
この娘の名前はスノウというのか。
硝子細工のような透明な美しさと、そして儚さを兼ね備えた少女。

「あたしがあなたに声かけちゃ悪い?」

「だって、あなたいつも独りでいて誰とも話そうとしないから」

「独りでいちゃ駄目?」

「いや、駄目なことはないけど」

「誰かと関わると、余計な思い出が増えてしまう。
思い出なんて所詮、いつかは消える……幻だもの」

「思い出が幻……」

「どうせ失うのなら、最初から手にしない方がいいのよ」

達観しているというのか、諦め顔というのか、なんとも表現しがたい
他の少女とは明らかに違う幻想的な雰囲気をまとっている。

「シルベチカを捜してるんでしょ」

「あなた、シルベチカのこと覚えているの?」

「あなただって覚えてるんでしょ」

リリー以外にシルベチカのことを知っている初めての娘。
シルベチカはもしかしてリリーの想像の中にだけいる幻の存在じゃないかなんて、
里保も密かに考えないではなかったものの、どうやら違ったようだ。


「でも、みんな忘れてしまってるんだ。
まるでシルベチカなんて最初からいなかったみたいに」

「みんなはあなたがおかしいって?」

「ええ」

「じゃあ、私もおかしいのかしら」

「おかしくなんかないわ! だって、確かにシルベチカはいたんだもの」

「じゃあ、おかしいのはみんなの方?」

「……わからない」

「あたしもあなたも、繭期で頭が狂ってしまったのかしら」

確かにシルベチカのことを覚えているくせに、
そんな煙に巻く様なことを言ってリリーを困惑させる。

「ねぇスノウ。シルベチカはどこにいったの?」

「そんなの私が知るわけないわ」

「……ごめんなさい」

「またそうやって、すぐに謝る」

かと思えば、リリーの問いかけをすげなくあしらうスノウ。
なんとも捉えどころのない会話に、里保の思考も整理がつかない。


「ねえリリー。シルベチカを捜すのはやめた方がいいわ」

「でも」

「シルベチカがどこに消えたのか。
それを知れば、あたし達は夢から覚めてしまうかもしれない。
それでも、あなたは知りたい?」

「夢から、覚める……」

「覚めない方がいい夢もあるのよ。たとえ、それがどんな悪夢であっても。
とにかく……シルベチカを捜すのはやめなさい」

謎めいた警句を残して立ち去るスノウの後ろ姿を、
リリーはただ呆然と見送ることしかできなかった。

シルベチカのことを覚えており、しかもリリーも知らない
なんらかの秘密を握っている神秘的な雰囲気の少女スノウ。
リリーはきっと、スノウの言葉には従わずシルベチカのことを探し続けるだろう。
それが今後の未来にどのような影響を与えていくのか。
そして、この謎の多いスノウの正体が実はバンシーだなんてことはありえるのか。

半ば放心状態で佇むリリーの後ろから、不意に重い警告の声がかかる。

「あの娘に近寄っちゃ駄目よ!」


「マリーゴールド」

リリーが振り向くと、そこにいたのは暗い瞳をした少女だった。

「だってあの娘、きっとあなたを不幸にするわ」

「大丈夫なの?」

「大丈夫って……何が?」

「だって、最近繭期の状態が良くないって」

マリーゴールドの警告については触れずに、その身体のことを心配するリリー。

「ぜん~っぜん! 今日はすっごく調子が良いの! ほーら身体だってピンピンしてるわ!
だからホント、私なんて死んだ方がいいのよ……」

「マリーゴールドものすごく不安定だよ!!」

「ごめんなさい。繭期って……メンドクサイ」

「もう少し休んだ方が良いよ」

ハイテンションでスクワットをして健康をアピールしたかと思えば、
次の瞬間には床に倒れこみ鬱々と死を口にする。
なるほどこれが繭期をこじらせている状態なのかと、里保は呆気にとられる。


「ねえ、リリー」

「何?」

「どうして私のこと心配してくれるの」

「どうしてって……。友達だもの、心配くらいするよ」

「そんなこと言ってくれるのはあなただけよ」

マリーゴールドは吸血種と人間のハーフであるダンピールとして生まれ、
そのどちらからも忌むべき存在として虐げられてきた。
このクランでもその扱いは同様で、クランの住人から石を投げられるマリーゴールドを
リリーがかばう姿を、里保は実際に目の当たりにしている。

変わり者扱いされることの多いリリーにも親しげに接してくれるチェリーまでもが、
マリーゴールドに率先して攻撃していたのには、里保も少なからずショックを受けた。
ただその時のチェリーの瞳が、何かに怯えるような、抑えきれない悲痛を訴えかけており、
普段は裏表のない様に見える彼女の中に、何かトラウマのようなものが隠れているのかと、
そんな勝手な想像をしてみたこともあったのだが。


「私、あなたにお願いがあるの」

「お願い?」

「あの娘と喋らないで」

「え?」

「その何て言うか、あのね、私あなたとスノウに喋って欲しくないってゆーか、
スノウはほら、気味が悪いじゃない、いつも独りでいて、
まあ私もいつも独りだからお前が言うんじゃないって話かもしれないけど、
だから、まあ何と言うかとにかく!!
……スノウとは、話さない方が良いと思うの」

堰を切ったかように早口で言葉を紡いだかと思えば、一転して重々しく感情を込める。
これも繭期の症状からくる特徴的な喋り方なのか。

「でも……」

「お願いよリリー!! もうあの娘と喋らないで。じゃないと、私……」

「やっぱり顔色が良くないわ。あたし監督生のところに行って薬もらって」

明らかに尋常ならざるマリーゴールドの様子にその場を離れたとした瞬間、
マリーゴールドがリリーの手を掴み、一気に顔を寄せる。


「……マリーゴールド」

「私ね、怖いの。どうしてだかわからないけど
あなたとスノウが話しているとどんどん不安になってくるの。
黒い塊が、私の胸の中に入り込んできて私の心を汚してくのよ」

「ねえ、やっぱり繭期の具合が良くないのよ。部屋に戻って休んだ方が」

鬼気迫る姿に圧倒されながらも、どうにか落ち着かせようするリリーだが、
その声がマリーゴールドにまともに届く様子はない。

「スノウに近づいたらあなたが不幸になる」

「!!」

マリーゴールドがリリーの身体を引き寄せ、強く抱きしめた。

「私は……。あなたに、幸せになって欲しいの」

その声は切実さとともに危うい妖艶さを伴い、リリーの耳元に迫ってくる。
危険を感じた里保が、瞬間だけでもリリーの身体を乗っ取って抵抗しようとしたその時。

今までに体験したことのない感覚に襲われ、里保が介入するその前に
リリーがマリーゴールドを突き飛ばしていた。

「ごめんなさい、あれ、あたし、どうしちゃったんだろう! ……身体が勝手に」

突き飛ばした方も突き飛ばされた方も、予想外の事態に呆然自失で一瞬固まる。
リリーの言葉通り、突き飛ばしたのはリリーの意思によるものではなかった。
まるで何かに操られて勝手に身体が動いたような不思議な感覚。


「リリー……私は!」

「あああぁぁ、貧血が」

「え?」

マリーゴールドの言葉を遮るようにその場に乱入したのは、
うめきながらいきなり倒れ込んできた一人の少年だった。

「どうやら一人で歩けそうにない。申し訳ないけど、君……。
僕を医務室まで連れていってもらっても、いいかな」

言葉とは裏腹に平然と立ち上がると、リリーに接近していきなり頼み込む。

「ちょっと! 顔近い」

間近で少年の顔を見て、里保は確信した。
香音ちゃんが言ったとおり、ついに出会えた。
間違いない、どぅーが身体を借りているのはこの少年だ。

「お取り込み中のところ悪いね。この後お礼にお茶とかどう?」

状況の変化に対応できないままのマリーゴールドを残して、
リリーの手を引いて少年がその場を離れる。

こうしてようやく、里保と遥の2人がこのリリウムの世界で巡り合えたのだった。



しばらくは為すがままに少年に手を引かれていたリリーだったが、
ようやく思考が戻ってきたのか慌てて静止の声をかける。

「ちょっと待って! ねえ、ねえ! ねえ待ってってば!!」

「何」

「あなた誰よ」

「あれ、自己紹介まだだっけ。……まあいいや。
僕はファルスだ。はじめまして」

やけに含みのある思わせぶりな口調が気にはなったが、
里保もようやくこの少年の名前を知ることができた。
問題は遥がちゃんと記憶を取り戻せているかだけど、一体どうやって確認すべきか。

「いきなりどういうつもりよ」

「何だよ、せっかく助けてあげたってのに。そんなに怒ることないだろ」

「どういうこと?」

「さっきの彼女、君のこと噛もうとしていた」

マリーゴールドの声が耳元に迫ってきた時に感じた危険は、そういうことだったのか。


「それが何だっていうのよ」

「はあ。繭期のヴァンプは物忘れが激しくていけないや。
僕達ヴァンプが同族を噛むということが、どういうことかも忘れるなんて」

「噛んだらどうだっていうのよ」

「イニシアチブだよ」

「イニシアチブ……」

どこかで聞いた単語。記憶を掘り返していくと、さゆみの言葉が蘇ってきた。

「吸血種同士で相手を噛むと、イニシアチブという主従関係が生じて
噛まれた相手が絶対服従となってしまう特殊能力がある」

つまりマリーゴールドはリリーを服従させ、支配下に置きたかったということか。

「はっ! 思い出したわ」

「これだから繭期は厄介なんだ」

「でも、どうしてマリーゴールドはあたしを噛もうとしたのよ」

「それは……。君の血が、美味しそうだからじゃないかなぁ?」


気障に決めて軽やかにリリーの顎を撫でるファルス。
その瞬間、リリーが繰り出したパンチが見事にファルスの顔面に炸裂した。

「痛って! 何すんだよ!!」

「それはこっちの台詞よ!」

「君はもう少しレディの品というものを学んだ方がいい!」

「あなたのような下品な人に言われたくないわ!」

「僕のどこが下品だよ!」

「レディの身体に断りもなく触れるなんて信じられない!」

「ちょっと触っただけじゃないか!」

「ちょっと触っただけでも駄目なの!」

普段は比較的落ち着いた雰囲気のリリーがこれだけ怒りを露わにするとは、
里保もこんな姿を見るのは初めてだった。

「もしかして……照れてるの?」

「はあ? 何言ってるの。……用がないなら、あたし帰るわよ」


ニヤリと笑ったファルスの意表をつく一言に、明らかに動揺するリリー。
そそくさと立ち去ろうとするところをファルスが一気に距離を詰め、
リリーを壁際に追い詰めると右手を壁に力強く叩きつけた。

「はっ、壁ドン!」

初めての体験に凍りつくリリーに、ファルスが嗜虐的な笑みを浮かべて顔を寄せる。

『鞘師さん! 意識を取り戻せていますか?』

そこでファルスの口から漏れた言葉は、意外にも遥のものだった。
どぅーもちゃんと意識を回復できてたんだと安堵するとともに、
一瞬だけ宿主の口を借りて話すという方法も可能なのかと感心する。

『うん、亜佑美ちゃんのおかげで目が覚めたよ』
「ねえ、ドキドキしたぁ?」

『ハルも譜久村さんに助けられました』
「す、する訳ないでしょそんなの」

ファルスとリリーの会話の合間を縫って無事を確かめあう。
ファルスの言葉に被せるように里保が喋り、リリーの言葉に被せるように遥が喋りと、
二重音声のような慌ただしいことこの上ない状況になっている。


『バンシーの手掛かりは何かつかめた?』
「ハハハハハ、ハハハハハハハ」

『まだですけど、さっき鞘師さんを噛もうとしてた娘って怪しくないですか?』
「何がおかしいのよ」

『マリーゴールドね、確かにあるかも……きゃ!』
「ごめんごめん、君ってさあ、可愛い……ぐぇ!」

ついにキレたリリーが華麗なアッパーカットを決め、ファルスが吹っ飛ぶ。

『だ、大丈夫どぅー!?』
「だから何で殴るのさ!!」

『……痛みは共有してないんで一応平気です』
「キモい!」

『なら良かったけど……』
「キモいって何だよ!」

『でもビックリした……』
「キモいからキモいって言ってんのよ!」

「キモくないよ!!」

「ちょ~キモ~い!!」

この後もリリーとファルスの低次元な言い争いはしばらく続き、
里保と遥は、今後も誰がバンシーかを慎重に見極めていこうとだけは、
喧嘩の合間にどうにか確認しあうことができた。


「ああああぁぁぁ~、リリ~~~~!!!!」

放っておくとといつまでも続きそうだったリリーとファルスの喧嘩を止めたのは、
取り乱し号泣しながらリリーに縋り付いてきたチェリーによってだった。

「チェリー! どうしたの!?」

「ねえ、私って……臭い? 私って、ドブネズミの臭いがする?」

「何言い出すのよ」

「ねえ正直に言って! 臭いなら臭いって言って~!!」

「くっさーい」

「ちょっと何言ってんのよ! そんなことないわよ」

「田舎臭い」

追ってきたカトレアとナスターシャムがローズの制止も聞かず追い打ちをかけ、
さらに激しく泣き出すチェリー。リリーは困惑の表情で頭を振る。

「ぜんっぜん話が読めない」

「マーガレットが、あたしのこと、ドブネズミのにおいがするってぇ!!」

「またマーガレット? あの娘の言うこといちいち真に受けちゃダメよ」

「だってえ……」


また里保の初めて聞く名前が出てきた。
しかしチェリーも、臭いと言われたくらいで動揺しすぎじゃないか。
もしかすると、何か本人にしかわからない傷跡を抉られているのかもしれないけど。

漠然とそんなことを考えていると、また新たな人物達が乱入してきた。

「ちょっとそこのお前さん達!」

「静かにしていただけるかしら!」

「シャ~ラップ、シャ~ラップ! 日本語で言うとお黙りなさい!」

「あなた達、誰よ」

「ジャスミン!」「クレマチス!」「ミモザ!」

「「「我らマーガレット親衛隊!!!」」」

「マーガレット親衛隊?」

「せーの! 姫姉様の、お通りよ」

「わ~~! 来た~~~!!」

3人の誘導で可憐な少女が姿を現し、チェリーがより一層の動揺を見せる。
その姿を確認した遥が、信じられないといった口調で思わず呟いた。

『ま、まーちゃん!?』


皆様 ご機嫌麗しゅう あたしのことをご存じかしら
皆様 ご機嫌麗しゅう 遠慮なさらずひれ伏しなさい

朝起きて目覚めれば 太陽が昇る
それはあなたのこと プリンセス・マーガレット
夜が訪れれば 美しい月が光る
それはあなたのこと プリンセス・マーガレット

あたしはこの城のプリンセス (プリンセス プリンセス プリンセス・マーガレット)
世界中の民達が あたしのことを羨むの (プリンセス・マーガレット)
あたしはこの城のプリンセス (プリンセス プリンセス プリンセス・マーガレット)
世界中の花達が あたしの美貌に嫉妬する (プリンセス・マーガレット)

そうよ あたしはプリンセス みんながあたしを愛してくれるのよ!


3人の親衛隊を引き連れ、自由気ままに歌いそして舞い踊るマーガレットの姿は、
頭の上から足の先まで、どこをどう見ても佐藤優樹としか認識できなかった。
さゆみもエネルギー注入によって登場人物に干渉できるのはほんの一瞬だと言っていたし、
これまで助けてくれた仲間達も確かにそうだった。
ならばこのマーガレットと優樹が瓜二つなのは、ただの偶然ということ??

「あら? なんだかドブネズミの臭いがする。
あ、チェ~リ~~!! あなたがいるからね!!」

あまりにも無邪気な口調で、あまりにも無慈悲な言葉を放つマーガレット。
無造作に虫の羽を毟り取る子供の残酷さにも似ている。
その言葉にまた一層泣き崩れるチェリーを、犬でもあやすかのようにリリーが慰める。


「なんだかこいつ、めんどくさいヤツだな」

「繭期をこじらせちゃってるのよ」

「自分をどこかの国のお姫様だと思い込んでいるの」

「きっと今に、『今夜は舞踏会よ』とか言い出すわ」

「今夜は舞踏会よ!!」

「ほらねえ」

強烈すぎるマーガレットのキャラクターに好奇の目を向けるファルスに対し、
ナスターシャムとカトレアが説明を加える。
どこまで本気なのかローズの皮肉通りの言葉を言い放つマーガレットに、
みんなただただ呆れかえるしかなかった。

「オ~ホホホホホホ!」

「めんどくさいヤツだなぁ」

「キャ~~!!」

同じセリフを繰り返すファルスにも構わず高笑いのマーガレットだったが、
ファルスの姿を認めた途端、顔色を変え甲高い悲鳴を上げた。

「なんだよ」

「お! お! 男よ~! バターンキュ~」

まさか自分で擬音を発しながら倒れるだなんて、
里保も唖然とするより先に思わず笑ってしまう。


「「「姫姉様!!!」」」

「姫姉様に何てことを!」

「姫姉様は男性恐怖症なのよ!」

「なんで女子寮に男がいるのさ!」

「そうよ、なんでいるのよ!」

「あ、いや、男子寮はむさっ苦しくてさ。
ここには可愛い女の子がたくさんいるだろ、だから、目の保養にさ」

「ファ~ル~ス!」

親衛隊3人とともに便乗するリリーにまで厳しく詰め寄られ、
しどろもどろになりながら誤魔化そうとするファルス。
そこに起き上がったマーガレットが、また金切声を上げる。

「爺や! 爺やはどこ! 早くこいつをお城からつまみ出してちょうだい!」

「爺やなんていないし」

「あ、そんなとこにいたのね。爺~や!」

「爺やじゃねえよ!!」

巻き込まれたローズの本気のツッコミも意に介さず、
ファルスのことを指さし睨め付けるマーガレット。


「あ~もう、男子なんて汚らわしいだけ。
ちゃんとその瞳を見ればどんなに隠してたってすぐにわかっちゃうんだから!!
も~ドブネズミ臭い、このドブネズミ!!!」

……なんだろう今の違和感は。何かとても重要な内容が紛れこんでいたような。
里保が内心で小首をかしげる。

「そんなこと言うヤツは、ろくな目にあわないぞ」

さすがに腹に据えかねたのか、ファルスがその腕を取り凄みを利かせると、
マーガレットがまた一段と大きな声を張り上げた。

「さ、さ、さ、触られた~~!!!!」

「「「姫姉様!!」」」

「急いで消毒しなくちゃ! タナベ! カガ! ササキ!」

「ジャスミンです!」「クレマチスです!」「ミモザです!」

「カミテに捌けるわよ!!」

「「「はいっ!!!」」」

そしてドタバタと騒がしい音をさせながら、嵐のようにマーガレット達が走り去っていった。


ひとつ間違えれば物語そのものを崩壊させかねないような、あまりに突拍子もない言動。
そして何よりファルス――工藤遥と絡んでいる最中のこの上なく楽しそうな姿。
一体どこからどこまでがそうだったのかはわからないけど、
これは佐藤優樹の意思がそうさせたものに違いないと、里保は確信した。

あれだけ自分も本の世界に入りたいのにと羨んでいたのが、
注入されたエネルギーが並はずれていたからか、
それともマーガレットとの相性がずば抜けてよかったからか、
まさかここまでリリウムの世界を存分に満喫してしまうとは……。
さすがはまーちゃんだと里保も素直に感心するしかなかった。

そんな里保の隣で、遥が焦ったような口調で独りごちる。

『やべっ、まーちゃんから何か助言もらったような気がするけど、
インパクトが強すぎてどれがそうだったかよく覚えてないや』


いつもと変わらないクランの情景。
仲間達と過ごした大切な時間。
でもあの時、すでにその大切な時間は壊れ始めていた。

 

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最終更新:2015年01月25日 19:09