スプ水先生の奇跡【最終章】 ~最後の魔法~(後)


これでもう、逃げも隠れもできひん。

伏し目がちにはるなの様子を窺う野中氏の表情は、
迷いに囚われた愁いを帯びているように見えた。
野中氏にこんなに哀しい顔をさせてしまっているのは、はるなのせいや。
だから、はるなの手でその愁いを取り払ってやらんと。

でも。

野中氏に声をかけようと口を開きかけたはるなの喉が、一瞬にして凍り付く。
心の奥底から湧き上がってくる強烈な恐怖。
頭の中が一気に霞がかり、思考能力が急速に奪われていく。

また……これや。

はるなが本気で自分を変えようと肝心な一歩を踏み出そうとしても、
いつもそれを阻止するように恐怖が襲い掛かってきて全身を支配し、
結局はるなは立ち竦んだままで何もできずに終わってしまうんや。

でも今回だけは。
あかねちんが、まりあが、そして石田さんと小田さんが、
はるなのためにあれだけ手を差し伸べ激励してくれた今回だけは、
この恐怖に打ち勝って前に進まんとあかんのや。

必死になって心を奮い立たせようとするものの、
その感情を全て呑み込んでいくように足元から震えが上がってくる。

ああ……。ここまできて、みんなの助けもあって、
それでもはるなはヘタレのままで終わってしまうんか。

恐怖に抗うことができず、心折れかけたはるなに絶望が広がる。

はるなはこのまま、一生弱虫で、恐怖に打ち震えて生きていくしかないんや。
きっと誰の助けがあってもはるなは自分を変えることなんてできひんし、
たとえどんな魔法を使えたとしてもそれは…………。

その刹那。

『尾形には色々魔法を教えてきたけど、
最後にもう一つだけ、とっておきのものを伝授してあげる』

脳裏に突然響く、懐かしい声。
これは……道重さんに魔法を教わった時の記憶や。

『この魔法は本当に特別でね。これまで教えた魔法は、自分自身には使わず
周りの人を幸せにするために使うように言ってきたけど、この魔法だけは違う。
唯一の自分自身のための魔法なの。
それも、使っても何が起こるかはわからないっていう、一種のパルプンテな魔法なんだ。
ただね、具体的な効果はどうなるかわからないけど、間違いなく言えるのは、
この魔法を使えば自分の背中を押してもらえる。
八方塞がりで身動きも取れなくなった時に、
現状を打破して一歩踏み出すためには最適な効果を発揮してくれるはずだから。
でもそのリスクもとっても大きくて、もし一度使ったら自分自身の魔力を全て使い尽して、
もう2度と魔法を使うことができなくなってしまう。
だから、もし尾形が本当にどうしようもなくなった時に、
魔法を使えるって特権も何も全てを投げ打ってもいいという覚悟をした上で使ってね』

そういえば確かに、道重さんにそんな話をされたことがあった。
パルプンテな魔法なんて教えてもらっても自分には使う機会もないからと、
すっかり忘却の彼方に記憶を置き去りにしていたけど、きっと……。

今が、その時や。

もう2度と魔法を使えなくなったって、それでもかまわない!
だから、だから……恐怖に打ち勝つだけの勇気を、はるなに与えておくれ!!

恐怖に覆い尽されて思考が完全に停止するその前に、
ワラにもすがる思いで、はるなは小声で最後の魔法を詠唱する。

その瞬間、はるなを襲う強い眩暈。

これが……パルプンテの効果なんか。

それ以上何にも考えることができず、
はるなは闇に落ちるように気を失った。





「……! …………!!」

誰かに呼ばれた気がして、はるながゆっくりと目を覚ます。
ここは……。

見覚えのない小部屋。
そしてはるなの目の前にいた人物は……。

佐藤さんやった。


この状況は一体……。
魔法を唱えて気絶したはるながこの小部屋に運び込まれた……ってことではないやろな。
となると、魔法によってこれまで封印されていた過去の記憶が呼び覚まされたとか、
それとも仮想現実の世界に飛ばされたとか、もしかして全く別次元の出来事やったりして。

魔法酔いした回らない頭でそんなとりとめのない想像に沈むはるなの顔を、
目がなくなるほどの満面の笑みで佐藤さんが覗き込んできた。

『で、はーちんは何をそんなに悩んでるの? まさに聞かせて』

突然の問いかけにも関わらず、はるなはまるでそれが当然であるかのように
これまでにあったことやその時々のはるなの心情を、包み隠さず佐藤さんに話していた。

道重さんに魔法を教わったことから始まり、
魔法を用いて様々なメンバーにちょっかいをかけたこと、
その挙句に野中氏の想いを無下にして傷つけてたこと、
野中氏を傷つけてしまったと気づいた時の後悔の念、
そしてどうにか自分を変えようと足掻くはるなをあざ笑うかのように襲い来る恐怖……。

全てを聞き終えた佐藤さんが、なるほどねと微笑む。

『そっか、怖いんだはーちんは』

『……はい』

佐藤さんの次の言葉は、はるなの想像の範疇から突き抜けたものやった。

『良かったじゃん』

良かった!?
いやいやいや、どこをどう切り取っても良かったことなんて何もあらへんですやん。

反射的に浮かんだツッコミを口に出す前に、佐藤さんが続けてその理由を語り出す。

『だってこれまでは自分がこんなにも怖がってるなんてちっとも気づいてなかったのが、
それをようやくちゃんと自覚できたってことでしょ?
そのことがわかっただけでも大きな前進じゃん』

なるほど、はるなはこれまで心の奥底にある恐怖から無意識に目を逸らして生きてきた。
ここまではっきりと、自分が恐怖を抱えて生きていると自覚したのは
確かに初めてかもしれん。
でもそれを前進と言われても……。

『どうしたら……この恐怖から逃れることができますか??』

思わず縋りつくように佐藤さんに訊ねてしまったけど、その答えは絶望的なものやった。

『うーん、逃げようとか消しちゃおうとかはやっぱ無理じゃないかなぁ』

はるながガックリ消沈するのもつかの間、佐藤さんが更に言葉を紡ぐ。

『だってはーちんの感じるその恐怖ってのは、はーちんの心が叫び声を上げてるんだから、
はーちんは嫌がるだろうけど、それも立派なはーちんの一部なんだよ。
だから逃げたりするんじゃなくって、怖いってことを怖いってこととして
そのまま全部受け入れてあげて、怖いって感情を抱えながらその上で、
それでもはーちんがやりたいこと、やらなきゃいけないことは何なのか、
そのことを考えてみればいいんじゃない?』

この恐怖はあくまではるなの一部であり、恐怖を恐怖として受け入れる……。
今までどうにか逃れたいという思いで一杯一杯で、そんなこと考えたこともなかった。

『まさもそーだったから。
ヘルニアになった時、まさはモー駄目だと思った。
もう2度と前のようには戻れないんじゃないかって怖くて怖くて仕方なかった。
でも、そんな怖さを受け入れた上で、それでも絶対にまたみんなの元に戻りたい、
モーニング娘。の一員としてまたステージに上がって
みんなと一緒に踊りたい、みんなと一緒に歌いたい。
そんな気持ちがとっても強かったから、ツラい治療も我慢して、キツい筋トレも頑張って、
だからまさは今みんなと一緒にいれるんだよ』

腰を痛めたあの時、佐藤さんはそんな恐怖を抱えながらも、
それ以上の強い想いによってヘルニアを克服したんか。
でも、はるなは佐藤さんのように強くはあらへんし……。

佐藤さんの言わんとすることは呑み込めてきたものの、
それでもまだ不安を拭い切れないはるなに、
佐藤さんが小首を傾げながら問いを返す。

『はーちんはなんでそんなに怖いの?』

『……わかりません』

もちろんこれまでに、その答えを求めて自問したことはある。
大きな理由の一つとして、傷つきたくないからというのがあるのは間違いないんや。
ただ、それだけでは答えとしてまだ足りず、更なる深層に隠れているものが一体何なのか、
それを考えようとしただけで今までにない恐怖に襲われたはるなは、
結局その正体を見極められないまま有耶無耶にするしかできひんかった。

はるなの答えに納得がいかないように眉根を寄せた佐藤さんやったけど、
しばらくして何か閃いたようにポンと一つ手を叩いた。

『もしかして……。
はーちんってさ、D&Nのこと、どう想ってる??』

D&N=ドンクサイ&野中、つまり野中氏のことをどう想ってるか訊かれて、
なんやわからへんけどはるなはむやみやたらに慌てふためいてもうた。

『どうって……。
野中氏は、はるなの同期で、アメちゃんをよくくれて、それで、えーと……』

そんなはるなの様子に、佐藤さんがニヤリと笑った。

『やっぱりわかってない。
D&Nのことどう想ってるか、その答えはさっき自分で言ってたじゃん。
よーく思い返してみなよ』

佐藤さんに促され、はるなの記憶が急速な勢いでリピートされる。

そうや。
あれは野中氏を傷つけてしまったことにようやく気づいたはるなの心情を、
佐藤さんに伝えた時のことやった。

『はるなの心はただただ恐怖に打ち震え、かけがえのない存在を傷つけても
見て見ぬ振りしかできずに立ち尽くすだけ』

野中氏は、はるなにとって、かけがえのない存在……。

『道重さんから教えてもらった魔法も、もう使う資格なんてあらへん。
すぐ側にいる大切な人を幸せにできないどころか、逆に悲しませてしまうようなはるなが、
周りを幸せする魔法なんか使えるはずもないんや』

野中氏は、はるなにとって、すぐ側にいる大切な人……。

そうやったんか。
はるなが野中氏に対してそんな想いを抱いていたなんて。
何で、今までそのことに気づきもしなかったんや……。


はるながずっと閉じ込め続けてきた封印が、ついに解かれる。
溢れ出す野中氏への想い。幻想的な痛みがはるなの胸を締め付ける。

『D&Nへの想いにも気づけて、これでまた一つ大きな前進だね。
これで怖いのを受け入れた上で、それでもD&Nのためにやらなきゃいけないこと、
そのこともわかってくるんじゃない?
それにもしかしたら、はーちんがずっと隠し続けてきた2つのこと、
怖いって気持ちとD&Nへの想い、
その2つって何か特別な深い繋がりがあったりするのかも。
なんではーちんがそんなに怖がってるのか、その理由も何か見えてくるかもね』

はるなの恐怖の奥底に潜む、その根源にあるもの。
それは、野中氏を…………。

はるなの全身を電流が貫く。

その瞬間、はるなの中で全てが繋がった。
わだかまる恐怖と野中氏への想いは、はるなにとって表裏一体やったんや。

そのことに気づけた今なら、はるなはこの恐怖を素直に受け入れられる。
新たな一歩を踏み出すことだってきっとできるはずや。

はるなのせいでこんなにまで傷つけ苦しめてもうた野中氏に、まずはちゃんと謝らんと。
そして、ようやく向き合うことができた野中氏への想いを全てぶつけよう。
その結果どうなってしまうのか、それはわからへん。
でもそれでいいんや。

だって、はるなは野中氏のことが…………。


「ああもう、まどろっこしいなぁ!!」

……えっ??

カーンと突き抜けるような佐藤さんの声で、はるなの意識は現実世界へと引き戻される。

「いくよ! よこやま!!」

「はい!!!」

「「せーの、ドーン!!!!!!!」」

背中から受ける激しい衝撃。
まったく無防備だったこともあり勢いよく前方にふっ飛んだはるなは、
同じように突き飛ばされた野中氏の身体を抱き留める形となってようやく止まった。

野中氏の肩越しに目にしたのは、ニヤニヤ顔のよこやんと、困惑顔のかえでぃーの姿。
はるなと目が合ったかえでぃーは、「うちの横山がすいません」とばかり
横にいるよこやんの後頭部をガシッと掴み、2人してはるなに向かって頭を下げる。

そうか、野中氏の背中を押したのはよこやんってことやな。
となると、はるなの方は……。

「最初からこーしてれば良かったんだよ!」

「いやいやまーちゃん、いくら何でも強引すぎるでしょ」

振り向いて確認するまでもない。
はるなの肩越しに野中氏が目にしているのは、佐藤さんと工藤さんのお2人や。


それにしても…………。
いくらなんでもおかしすぎるやろこの状況!!

せっかくはるなが佐藤さんの助言によって自分の真実の想いに気づいて、
ついに恐怖を乗り越えて自らの意志で新たなる一歩を踏み出そうっていう、
ホンマ重要な、はるなにとってはオイシイ見せ場のシーンやったのに……。
それがドーン一発で台無しやん!!
しかも、道重さんが『背中を押してくれる魔法』なんて言うてたけど、
それってまさかのそのまま物理的な意味やったんかい!!!!

はるなの頭に高速で渦巻く、口にはできないツッコミの数々。

そんな不穏な空気を敏感に察知したのかどうか、
「さあやることやったからさっさと退散するよみんな!」という工藤さんのツルの一声で
闖入者4人がゾロゾロとレッスンルームを退室していく。

結果残されたのは、またしてもはるなと野中氏の2人だけなんやけど……。

はるなの腕の中にジンワリと広がる野中氏の温もりが、
さっきまでとの状況の違いを明確に主張していた。

 

しばらく無言で抱き合ったままの2人。
でもそれは、直前のドタバタ騒動の余韻から抜け切れず半ば放心状態なだけで、
最初に2人きりになった時の緊迫した空気はすっかり霧消していた。

そして、呼吸することを急に思い出したかのように
大きく吐いた野中氏のため息をきっかけに、時が再び動き出す。

「……ビックリしたねぇ」

「そうやな」

「なんか、すごかったねぇ」

「そうやな」

短いやり取りの後、また沈黙が続くかと思いきや、
突然野中氏の肩が震えだし、小さな笑い声が漏れてきた。

「なんやねんいきなり。今笑うところちゃうやん」

「だって……。背中を押された時のはるなちゃんのビックリ顔を思い出しちゃって」

はるなの抗議に、堪えきれなくなったのかさらに笑いのスイッチが入る野中氏。

「失敬やな。そういう野中氏かて飛んできた時すごい顔してたで」

背中を押された瞬間の状況を思い返してみる。
普段見たこともないくらいに大きく目を見開いた野中氏のビックリ顔は、
確かにかなりレベルの高い変顔やった。
きっとはるなも、野中氏に負けないくらいに凄い顔してたんやろな。

そんなことが頭に浮かぶと、はるなの方も無性に笑いがこみ上げてきて、
そこからはもうお互いに我慢できず、2人して大きな声でひとしきり笑い合った。

レッスンルームに響く笑い声が、一体どれくらい続いたやろか。
ようやく笑いが収まった時には、はるなの中の重苦しい気持ちはすっかり浄化され、
気負いもなく素直に、そして自然に自分の想いを口にすることができたのやった。

「ごめんな、野中氏。
はるなはこれまでずっと自分のことしか考えないで、
野中氏のことを酷く傷つけてばかりやった」

「ううん、悪いのは私。私の方こそ自分の気持ちを抑えきれず
自分勝手にはるなちゃんに押し付けるようなことをしちゃったから、
はるなちゃんに嫌われても仕方ないよね」

悲しげな声で否定する野中氏に、はるなはゆっくりと首を振る。

「それはちゃうで。野中氏は何も悪くない。
ホンマに悪いんは全てから目を逸らし続けてきたはるなの方なんや」

至近距離で目が合う2人。
もうはるなは、野中氏から目を逸らすようなことは絶対にせえへん。

「なあ野中氏。はるなの話を聞いてもらえるか」

見つめ合った瞳から真摯な想いを感じ取ったのか、野中氏は小さく頷いてくれ、
はるなはじっくり噛みしめるような口調で胸の内を話し始めた。


「はるなは、怖かったんや。
自分が傷つくことが。誰かを傷つけてしまうことが。
でもそれは間違いやて、ただの欺瞞でしかないって、まりあが教えてくれた」

あえて厳しく否定することによって、はるなの殻を打ち破ってくれたまりあの想い。
はるなは絶対に忘れへん。

「それでも消えることのない恐怖。
その正体が何なのか、ずっとわからんままやった。
でも、やっと見極めることができたんや。
この恐怖が、野中氏への想いと密接に関わっていることに」

意味が呑み込めず頭にクエスチョンマークを浮かべる野中氏に、
はるなはついに、秘め続けてきた真実の想いを伝えようと口を開く。

その瞬間、またしても胸の奥から襲いかかってくる激しい恐怖。

でも、それも承知の上や。
もうはるなは、この恐怖を受け入れることに躊躇いはあらへん。
それに……。

あかねちんに噛まれたはるなの手首が、もちろん傷痕なんて残ってるはずもない手首が、
ジンワリと熱を持ってはるなの心を奮い立たせる。

あかねちんから受け取った熱い想い、はるなは決して無駄にはせえへん。

胸の奥から襲いかかってきたのは、恐怖の他にもまだあった。
秘めた想いを隠したままにしようとする、言い訳と誤魔化しの数々。

でもそれも、はるなの決意を止めることはもうできひん。
新たな一歩を踏み出す勇気を、はるなは石田さんから確かに受け取ったんやから。


「なあ野中氏。はるなはな……。野中氏のことが、好きなんや」

野中氏から目を逸らすことなく、はるなはやっと、この想いを伝えられた。

「そんな…………」

「野中氏が驚いて絶句するのもようわかる。
野中氏の好意を受け止められず目を逸らして傷つけてもうた癖に、
今更何を言うとんねんって話やもんな。
でもはるなは、野中氏がホンマに好きやったからこそ、
野中氏の気持ちを受け入れるのが、怖くてできひんかった。
それどころか、自分が野中氏のことを好きやっていう気持ちすら直視できひんかった。
そのことに、今頃になってやっと気づいたんや」

「それって……。
石田さんが言ってたのと同じような理由?
好きって気持ちを自覚しちゃったら、今の心地よい関係が
あっさりと壊れてしまうかもしれないという恐怖のこと?
それなら……私もわかる。だって私もそうだったから」

「うん、それもある。
でもな、はるなはどうやら、野中氏が思うよりずっと、
身勝手で独占欲が強い人間のようなんや」


最後の魔法によって導き出された、はるなの抱える想いの全貌。
全てを理解した今でも見て見ぬ振りしたいくらい恥ずかしすぎる内容やけど、
もう何も隠し立てはしないと決めたんや。
それがどんなに無様なものであっても、野中氏に全部聞いてもらわんと。

「もしはるなが自分の想いに気づいたら、
野中氏のことが好きだという本音を受け入れてしまったら、
まず間違いなくそのままにしておくことはできひん。
きっと何かの拍子に、勢いに任せて告白してしまうはずや。
優しい野中氏のことやから、一度はそれを受け入れてくれるかもしれへん。
でも、両想いになれたとしても、それは長続きせえへんはずや。
何しろはるなは、ビビリでヘタレで自分勝手な個人主義やから、
いつもずっと一緒にいたりしたら、はるなの嫌な部分が全部露わになってしまう。
そんなことになったら、すぐ嫌われてあっさり捨てられるのも当然のことやから」

自分の感情に流されないように、一言一言慎重に言葉を紡いでいく。

「一度は想いを実現しながら、その上で全てを失うダメージの大きさ。
それが計り知れないほどの辛さなのは容易に想像できることやし、
もしそうなってしまったら、はるなはもう二度と立ち直れへん。
それならいっそ、最初から手に入れようとしない方がずっとましや。
……なんていう気持ちが根底に隠れていたからこそ、
はるなは野中氏からの好意に過剰反応して無意識に距離を置き、
その結果、野中氏のことをこっぴどく傷つけてもうた。
度々はるなの決断を阻む恐怖も、自分自身の想いに気づかせまいとする
一種のストッパーの役目を果たしていたんやな、きっと」


口に出してみてはっきり実感するあまりの独りよがりな内容に、
思わず自嘲気味に吐き捨てる。

「飛んだお笑い種やろ。どこまで妄想を広げてるっちゅーねん。
野中氏と両想いになれるのを前提に話を進めてること自体、
自意識過剰にもほどがあるやろ。
こんな勝手な想いによって野中氏をこれほどまで苦しめていたなんて、
いくら謝罪してもし足りひんし、愛想をつかされて軽蔑されたって仕方のない……」

「STOP!!」

はるなの話を黙って聞いてくれていた野中氏から、突然放たれる制止の声。
驚いて言葉を止めたはるなに、野中氏が優しく微笑みかける。

「はるなちゃんってさ、ホント頭いいよね。
だからどんなことでも自分で論理立てて考えて、自分でしっかり結論を導き出して。
私はそういうの全然苦手だから、羨ましい限りなんだけど。
でも、はるなちゃん一人では済まない問題に対してまで、他にも当事者はいるのに
全部自分で結論まで決めつけちゃうのって、ちょっと暴走しすぎだと思うんだ」

もう一人の当事者である野中氏からの穏やかな抗議は、
まさにぐうの音も出ない正論やった。

「だから……。次は私の番。
私の話も、聞いてくれるかな?」

静かな気魄に圧倒されたはるなが小さく頷き、
そして野中氏はゆっくりと語り出した。


「この前、横山ちゃんに言われたんだ。
私とはるなちゃんはおんなじ、何もかも全部がおんなじだって。
私も言われた時は半信半疑だったけど、今ならよくわかる。
確かに私とはるなちゃんはおんなじ。
違いがあるとすれば、自分の中でスパッと結論を出してしまえるはるなちゃんと、
いつまでもウジウジ足踏みしちゃう優柔不断な私の差くらいで、
胸の内に抱えているものは、全部おんなじだったんだよね」

おんなじって……。
はるなと野中氏は、性格から何からほとんど全てが対称的で、
だからこそずっと仲良くしてこれたんやって思ってた。
それを何もかも全部がおんなじだなんて、そんなの想像したこともあらへん。

「はるなちゃんが私のことを好きって言ってくれて、本当に嬉しかった。
だって、私はずっとはるなちゃんに嫌われちゃったとばっかり思っていたのに、
そうじゃなかったんだってわかったから。
そして、私達が本当におんなじだって、はるなちゃんから気持ちを伝えられて、
その時にようやく確信が持てたから……」

そこで一度口を閉ざし、躊躇したように軽く俯く野中氏。
でもすぐに顔を上げて、潤んだ瞳をはるなへと向けた。

「私も……はるなちゃんとおんなじ。
はるなちゃんのことが、好きなんだ」

その瞬間、はるなの鼓動が激しく高鳴る。
野中氏の好意はわかっていたつもりでも、面と向かってはっきり伝えられると
どう反応していいかわからず目が泳いでしまう。

そんなはるなの動揺を知ってか知らずか、野中氏が相好を崩した。

「良かった。やっと直接ちゃんと言えて。
はるなちゃんは私の想いなんてとっくに気づいてただろうけど、
ちゃんと告白する余裕ももらえないままだったからさ」

「それを言われると……。正直すまんかった」

痛いところを突かれて首をすくめるしかないはるなに、
野中氏は苦笑しながらはるなの背中をぽんぽんと叩く。

「いや別に謝ってほしいわけじゃないから、そんな恐縮しないでよ。
それより、さっき話してくれた、はるなちゃんの抱えている恐怖。
その原因を取り除く方法を、私は知ってるんだ。
知ってるというか、聞いててすぐにわかった。だって簡単なことだから」

言いながらドヤ顔を向けてくる野中氏。
この頃はずっと悲しげな表情ばかり焼き付いていたから、
野中氏の楽しげなドヤ顔を目にすると、なんかはるなまで気持ちが高まってくる。

「はるなちゃんは、自分のことをビビリでヘタレで自分勝手な個人主義だから、
それを理由に捨てられちゃうなんて言ってたけど、
そんなこともうとっくに知ってるってば。
加入してからどれだけ一緒にいたと思ってるのさ。
私はそんなはるなちゃんの、ビビリなところもヘタレなところも個人主義なところも、
はるなちゃんが嫌な部分と思っているところ全部ひっくるめて好きなんだよ。
だから、そんなことで捨てられちゃうとか心配する必要なんて全然ないんだって」

できるだけみんなには自分の嫌な部分は見せんようにと思ってたけど、
野中氏にはバレバレやったんか。
確かに、デビューからずっと一緒に過ごしてきた濃密な日を思えば、
はるなの性格から何から嫌な部分も含めてバレバレでも当然かもしれへん。

でも、それも全部ひっくるめて好きだと言ってくれるやなんて、
嬉しいという気持ち以上に、なんて物好きなと耳を疑うレベルやろ。


「想いを実現しながらその上で全てを失う辛さを味わうくらいなら、
最初から手に入れようとしない方がましなんて言ってたけど、
それももっといい方法があるよね。
両想いのままずっと一緒にいればいい。ただそれだけ。
だって私達の想いは全部おんなじなんだから、
変わらずにずっと一緒でいれば失う辛さなんて味わうこともないでしょ」

たとえ今は想いが同じやったとしても、それがずっと続いていくとは限らない。
「変わらずにずっと一緒」がホンマに可能なのかと問われると、
はっきりいって野中氏の提案は現実的とは言い難いものやと思う。

でも……。

野中氏と一緒なら、そんなあり得へん「永遠」も実現できるかもしれない。
はるなは本気で、そう心を動かされてもうた。

「……こんな情けないはるなで、ホンマにええんか?」

「もちろん。はるなちゃんの方こそ、こんな優柔不断でドンクサイ野中で本当にいいの?」

「もちろん、そんな野中氏がええんや」

「やっぱり私達は……」

「うん、何もかも一緒やな」

「そう、これからもずっと……」

溢れ出す感情を抑えきれず、強く抱き合う。
2人の心がピタリと1つに重なり合ったような、これまでにない感覚。
うちらの他に誰もいない2人だけの空間に、時間も何も忘れてただひたすらに…………。


そんな前提を全て覆す拍手と歓声が、突然2人を包み込む。

慌てて身体を離して周囲を見渡すと、まったく気づかんうちに
うちらの周りを真っ白な霧のようなものが囲んでいたことに愕然とする。
それが徐々に薄らいでいき、姿を現したのは……見知った顔の面々やった。

中心にいるうちらの周りを円になってぐるりと取り囲み、破顔しながら拍手したり
「ヒューヒュー!」とか「オメデトー!」とか声を上げているメンバーのみんな。
ぽんぽんさん、まりあかね、だーさくさん、まーどぅーさん、れなでぃー、
そして飯窪さんと……道重さん!?

これでようやく全てが腑に落ちた。
この霧の結界もそうやし、その前もミーティングルームまで足が勝手に動いたり、
冷静に考えれば違和感のあることばかりやったけど、
それらは全部、道重さんが魔法によって裏で糸を引いてたんや。

はるなの恨めしげな視線に気づいた道重さんが意味ありげな笑みを返す。
『大丈夫、さゆみはただお膳立てしただけだから』
幻聴かそんな声が耳元にそっと届いたような気がした。

「一時はどうなるかと思ったけど、キレイに収まってくれてホント良かった」

拍手や歓声も一段落し、譜久村さんの安堵交じりの一言に生田さんが相槌を打つ。

「そうやね。ここしばらく2人のぎこちない様子に、周りも気を遣って大変やったし」

「……迷惑をおかけしてホンマすみません」

「別に謝らなくてもいいって。代わりに今日はみんな存分に楽しませてもらったしね」


やっぱりそうや……。
飯窪さんの返事に暗澹たる気持ちになりながら、恐る恐る確認してみる。

「一体、いつから??」

「それはね……。メンバーによって違うけど、基本的に最初からかな」

飯窪さんのしてやったりの笑顔に、はるなは赤面を抑えきれんかった。

「うちらがあれだけ骨折りしてあげたんだから、
最後まで見守るのは当然の権利だし。ね、まりあ」

「そうだよね~! あかねちん!!」

まりあかねの2人だけならまだ仕方ないとは思うんやけど。

「最後の告白、もうキュンキュンしちゃいました!」

「うん、本当に」

後輩のれなでぃーにまで弄られるというのは、
もう恥ずかしすぎてどこかに隠れていなくなってしまいたいくらいや。

思わず眩暈を覚えるはるなの肩に、そっと添えられる野中氏の手。
野中氏の吹っ切れた笑顔を見て、はるなもようやく落ち着いてきた。

そうやな、別に後ろめたいことしてるわけでもなし、
何を言われても胸を張って受け止めていればええんや。


「今まで散々うちらのことを弄り倒してきたんだし、
尾形も弄られる恥ずかしさを味わって少しはこれまでの悪行を反省すればいいのよ!」

はるなの弄りによってこれまで溜め込んできた鬱憤を晴らすべく、
ここぞとばかり反撃してくる石田さん。

あれ? でも……もしかして。

「最初からということは、皆さん石田さんの告白もバッチリ見てはったんですか?」

「ちょっと! そのことは触れちゃダメだって!!」

「もちろん見てたよ! 良かったねお団子!」

「あゆみんに告白する勇気があったなんてビックリだよ!」

はるなの切り返しにみんなの標的が一気に移り、一転して石田さんが慌てふためく。

「うちらのことなんてどうでもいいから、
弄るなら尾形達の方にしなさいよ!!」

「それは無理だと思うよ亜佑美ちゃん。
だって、今でも2人して恋人繋ぎしてるくらいラブラブなんだもん。
そんなの弄らずにいられるわけないでしょ」

「ちょっと小田ぁ! 何を勝手に手なんか繋いでるのよ!!」


鋭い指摘に泡を食った石田さんが即座に手を振りほどき小田さんに食って掛かるも、
小田さんの対応も手慣れたものや。

「勝手にって、石田さんも普通に握り返してくれてたじゃないですか。
別にもうみんな知ってるんだし、今更変に隠す必要もないですよ」

「はーちぇるの2人も、だーさくのようにみんなの前でイチャイチャしたりするの?」

「そんなのするわけないじゃないですか譜久村さん。
うちらはそんなだーさくさんとは違いますから」

「うちらだってそんなことしないし!!!」

見事に連携した石田さん弄りに、周囲が笑いに包まれる。
そんな中、空気を読まず元気よく挙手する13期が一人。

「はい!」

「どうしたのよこやん」

「尾形さんと野中さんは、これで晴れて恋人同士になったということは、
お2人はキスしたりそれ以上のこともやったりするんですか!?」

「ぬぁ!?」

はるなが変な声を出したと同時に、今まで石田さん弄りに夢中だったメンバー全員が
ニヤニヤといやらしい笑みを向けて来た。

よこやんめ、なんてことを質問してくるんや。

言葉に詰まり忙しなく動かしていたはるなの手を野中氏がそっと抑えた。
それから妙に妖しい笑みを浮かべる。

「安心して、横山ちゃん。みんなの前ではしないから」

野中氏の言葉に、よこやんは「うひょー」と謎の奇声を発して
気持ち悪いほどのニヤつきとともに隣りにいるかえでぃーの肩をバシバシと叩き始め、
かえでぃーに「痛いって、痛いから!」と嫌がられていた。

「ねーこれって思いっきりパクリじゃない??」

「今はああいうのをリスペクトって言うんだよ、まーちゃん」

「リスペクトだのオマージュだの言っておけば何やっても許されるって開き直りも、
ちょっとどうかと思うけどねハルは」

石田さんを除く10期3人のこそこそ話は軽く流され、
譜久村さんが頃合いも良しと見て一つ手を叩く。

「じゃあこれでもう、はーちぇるの2人も大丈夫だね」

「「はい!」」

期せずして野中氏と綺麗に声が揃って、思わず笑みがこぼれる。
ようやくこの場の空気も落ち着いてきたと思えた、その時やった。


「みんな、騙されないで!!」

重いレッスンルームの扉を力強く押し開けて乱入してきたのは……。

ちぃちゃん!?

なんでいきなりちぃちゃんがと目を丸くする周囲の反応を気にもかけず、
芝居がかった声を張り上げる。

「人の心は移ろいやすいもの。
たとえ言葉では永遠の愛を誓い合ったとしても、
何かの些細なきっかけ一つで簡単に崩れ去ってしまうものなのよ!!」

ちぃちゃんの勢いに押されて言葉もない中で、
一人冷静な道重さんが穏やかな声で問いかけた。

「じゃあ森戸ちゃんは、どうしたら納得するというの?」

「そうですね、言葉だけではなく何か形に残るものでもあれば、少しは違うかも……」

「なるほど、いっそ2人に誓約書でも書いてもらえばいいかな」

「それなら私がピッタリのものを持ってますよ!」

一歩進み出た飯窪さんが、満を持して手元の袋から取り出したのは、
はるなが忘れるはずもない、思い出の品やった。


それは……婚姻届。
正確には、婚姻届が印字されたファイルや。

これは去年、はるなが野中氏から誕生日プレゼントでもらったのと同じもの。

つまりこのちぃちゃんの乱入も道重さんが仕組んだサプライズの一つで、
全てが計算通りの予定調和ってことなんか。
目の前で展開されるちぃちゃんの「カントリー劇場」はまさに迫力満点で、
見事に雰囲気に呑まれてもうた。

はるなだけでなく、おそらく事前に聞いてなかった道重さんと飯窪さん以外のみんなも、
婚姻届のファイルを見てようやくその意図に気づき、一斉に歓声を上げて囃し立てる。
そしてうちらの方に身体を向けたちぃちゃんは、真剣な表情から一転可愛らしく微笑み、
ごめんねポーズでキュートに謝罪して見せた。

これほどまでに盛り上がってしまってはもちろんうちらが拒絶なんてできるはずもなく、
それ以前に拒絶するつもりもなかったんやけど、みんなが固唾を呑んで見守る中、
飯窪さんの用意した婚姻届に粛々と署名する。

『じゃあはるなも今度、婚姻届を野中氏に書いて渡そうかなと思います!』

そういえば以前ラジオで誕生日プレゼントの話をした時、こんな宣言をしたこともあった。
その時はただの冗談やったのが、まさかそれが現実となる日が来るなんて……。

万感の想いとともに名前を書き終え、野中氏と照れくさそうに顔を見合わせて頷きあう。

次の瞬間、「結婚おめでとう!!」とか「末永くお幸せに!!」等々、
レッスンルームは割れんばかりの祝福の声に包まれたのやった。







それから2人はどうなったのかって?
別になんも変わらへんよ、少なくとも表面的には。

変化があったとすれば、最後の魔法によって魔力を完全に使い果たしたことから、
一時期のように魔法によるメンバー弄りができなくなったのと、
一部ファンの間で、「はーちぇるがまた仲良くしてくれて嬉しい」とか
「はーちぇる復活のお知らせ!」といった感じで話題になることがある程度やな。
あとだーさくさんも、「普通に仲良すぎ」だと不満の声(?)が上がることがあるくらい。


今でもはるなは、突発的に言い知れぬ恐怖に襲われることもある。
でももう、絶対に足を止めることはない。

だってはるなは、もう独りじゃないんやから。

ずっと隣りにいてくれる野中氏と手を取り合って、
一歩一歩着実に、弛まぬ歩みを続けていくんや。
2人で、未来へと向かって…………。


(HAPPY END)

 

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最終更新:2017年09月21日 21:34