本編12 『魔道士協会の思惑』


「生田、りほりほ、ちょっと来て」

さゆみの呼びかけに里保は眉をひそめ、衣梨奈と顔を見合わせた。
わざわざ部屋の前まで来て、ドア越しに告げられたその声は静かで色が無い。
普段の優しいさゆみとは、まるで別の人が発したかのよう。

何事だろうと、二人ドアを開けると
さゆみはもう階下に降りていて、遥と優樹に同じように声を掛けていた。

夏の夜の室内なのに、何かしら肌寒いような気がして一つ身震いする。
それはさゆみの纏う空気の所為だと思った。

里保達がリビングに降りると、さゆみは椅子に深く腰掛けていた。
里保と衣梨奈、それに遥と優樹が続いて入ってきても、視線を動かさず、
パソコンの画面とは少しずれた中空を見つめている。
その顔には、いつも湛えていた微笑が無かった。

玄関のドアが開く音が聞こえる。
続いて遠慮がちな声が響いた。

「おじゃまします」

里保はその声が春菜のものだとすぐ分かったけれど
その訪問の意味は分からず、ますます異様な雰囲気に
ただ戸惑っていた。


まごついてさゆみに近寄れずにいた4人の中で一番最初に、
衣梨奈がさゆみの前に置かれたパソコンに映る人物に気付いた。

「パパ!?」

恐る恐る衣梨奈が画面に近づく。
他の3人も連鎖的にその人物に気付いた。
部屋に入ってきた春菜も、音を立てずその中に加わる。
さゆみは、集まった5人を一瞥して、パソコンに視線を落とした。

『衣梨奈…元気そうだな』

画面に映る局長が、衣梨奈の姿を見て笑う。
けれどもその姿は、久しぶりに娘の姿を見た親がみせるには
あまりにも力なく、苦しげだった。


「局長…いったい」

里保も一歩近づいた。

『里保…』

局長は、やはり里保の姿を見ても力なく笑うばかり。
隣に立つ衣梨奈は、久しぶりに見る父親の顔に
嬉しさはあるのだろう。
でも、只事でない雰囲気に気圧されて次の言葉を出しあぐねている。
それは里保も同じだった。

遥は、どこかで見覚えがあると思っていたその人物を衣梨奈の言葉で思い出した。
衣梨奈の父、つまり魔道士協会執行局の局長であると。
それは、自分達にとっての敵なのだろうか。
遥は咄嗟に、優樹を庇う仕草をとったけれど、既に画面の向こうの人物は
遥と優樹を見つけていた。

『そうか、君たちが…』

男のどこか苦しげな呟きに遥は尚身を固くした。


「さあ、話しなさい。
もしここにいる6人、全員には話せないというなら、そのまま通信を切りなさい」

さゆみの言葉に、局長は目を瞑り、苦悶の表情で黙考したあと
徐ろに口を開いた。

『…協会から狗族の郷に対して一族の少女、佐藤優樹の引渡しを要請した。
そして狗族の族長から、拒否の返答があった』

里保と衣梨奈と遥の視線が一気に優樹へ集まる。
そして、何かこの異常な空気の原因、重々しい話の概要が
たちどころに全員に共有された。

どうして協会がそこまで優樹に拘るのか。
疑問に思ってはいても、もう済んだ話だと皆が思っていた。
昼間はしゃいだ楽しい記憶が、何か遠い昔のことであるかのように霞んでいく。

遥が優樹の手を握り、優樹はその手を握り返して画面に映る男を強く見据えた。

『一週間を置き、再度通告する。
それに応じない場合、狗族の郷に対して協会から制裁措置を取ることが決定した』

「そんな…」

春菜が思わず漏らす。


さゆみが、温度の無い声で訊ねた。

「どんな?」

『郷の施設や住居の没収。郷の解散と、再び集住することを禁じる、というものです……』

「っざけんな!!」

遥が叫ぶ。

『彼らはそんなもの受け入れはしない。そして一族の子供を差し出すようなこともしないだろう。
当然抵抗することを予測し、協会でも武力行使の準備を進めている』

「むちゃくちゃだ…」

春菜の呟きを聞きながら、里保は硬直していた。
まるで意味が分からない。どうして協会がそんなことをしなけれえばならないのか。
いったい狗族の郷が何をしたというのか。優樹の話が、何故狗族全体の問題にすり替えられているのか。
何もかも分からなくて、まるで悪い夢を見ているようだった。
さっきから耳鳴りが止まない。尊敬する局長の声が、まるで機会の合成音声のように思えた。

窓の外から微かに雨音が聞こえる。
その無秩序な音が何かを狂わせている、そんな幻想を思った。


『狗族は一人一人が強力な魔道士だが、如何せん少数だ。
協会の数の前には、成す術は無い。そして、抵抗した物は犯罪者として捕らえられる』

悪夢だ。
誰もがそう思った。そう思いたかった。

「なんでそんなことを…」

衣梨奈が呟く。怒りや不信感ではない。
ただただ戸惑いだけがあった。

局長は衣梨奈の呟きに、また苦しげに視線を下げ黙った。

「なんでだと思う?はるなんは分かる?」

さゆみが振り返る。訊かれた春菜は神妙な顔で暫し考え、首を振った。

「わかりません…」


「理由は、協会が弱いから、でしょ?」

さゆみがまた画面を向き直り、局長に言った。
また暫しの沈黙が流れ、肯定の言葉が発せられる。

『そうです…』

「協会が、弱い…?」

里保は思わず声を漏らした。
さゆみが里保達の方を向き直る。
どこか冷たい、けれどもさっきよりは幾分優しい笑みを浮かべて
強張り、青褪めた5人の顔を寂しそうに眺めた。


「協会の魔道士は弱い。弱くなった。
ていうか、そもそも魔法使いと『規則』とか『組織』って相容れないものだから。
自由で利己的で欲深い魔法使いの、夢や願望が発展させてきたのが魔法。
組織の中でルールでそれを押さえつけて、魔道士達の力が伸びるわけないもの」

『……やはりあなたにはそれが分かってたんですね』

「協会が出来た時から見てるんだから、気付くよ」


『協会の力が落ちているのは確かです…。
それによって、犯罪への抑止力、表の世界への影響力も徐々にだが確実に低下している。
今はまだ大きな存在ではあるが……。とにかく、このままでは衰退の一途を辿る。
いつか協会の構造そのものが保てなくなる日が来てしまう…』

流れてくる言葉の意味を理解するのに、里保は随分と時間を要した。
考えたことも無かった。そもそもずっと協会の内側で育って来たのだから。
協会の外の世界に触れたのは、この街に来たついこの間のことだ。

だから次に春菜が呟いた言葉も飲み込むことが出来ず、
遅れて分かった時、胃を潰されるような不快感が襲った。

「……やっと、分かりました。狗族と戦って『奪う』為に
仕組んだってことなんですね」

「そんな…じゃあ最初から…」

衣梨奈が顔を顰める。悲しそうに。

『…目的は、狗族の持つ強力な魔法を[奪う]ことだ。
今回のことを提唱したのは財務局と魔法研究開発局。
既に理事会と協会会長も承認した。全て分かった上で』

直接協会の活動資金を捻出している財務局。
表の世界に有用な魔法の力を提供することでそれを助ける魔法研究開発局。
協会の力の低下を最も顕著に感じ、危機感を覚えているのがこの二勢力だった。
そして治安の維持に務める執行局にとっても、それは他事では無い。


「会長さんまで認めたと…?」

『そうだ。もう、協会は止まらない…』

「……なるほどね。それで唯一狗族との全面戦争を避ける為の方法が、
佐藤を引き渡せ、になるのね」

『…事の発端であるその子が協会の手に渡れば、狗族を攻める口実は無くなります』

「どこから仕組んでたの?少なくとも、あんたはハブられてたみたいだけど」

『わかりません…。しかし、俺への情報伝達が妨害されたのは確かです。
俺の所に情報が届いたのは、二人がかなり逃げてからだった。
迅速に執行局の魔道士を派遣していれば、その街に逃げ込まれることも
こんな事態になることも無かった…里保の手を借りることも…』

里保はその言葉を聞きビクリと身体を跳ねさせた。
結局、あの時のことの意味が分かっても、何が正解だったのかまるで分からない。
ただ胸がキリキリと痛み、その痛みだけがはっきりと分かった。

「もし佐藤が捕まったらどうなるの?」

『……誤魔化しても仕方ない。少なく見積もって、10年は投獄されることになるでしょう』

遥が優樹の手を強く握り締め、歯を食いしばる。
やり場の無い怒りを鎮める方法が分からないというように
さゆみの癒しの魔法を突き抜け、怒りの魔力が高まった。

「なんだよそれ…ふざけんなよ…ふざけんな…」

誰もが遥の怒りを全うだと思った。
けれども、里保も衣梨奈も、自分が怒ることは出来なかった。
あまりにも現実感が無くて、あまりにも自分達が知らなすぎて。
里保は遥が怒ってくれることに、どこかホッとしていた。


「異種族だから、そんなことが出来るんですか…?」

春菜の問いに、さゆみが振り返る。

「異種族?あの子達、人間だよ」

「でも、狗族は嘗て狼の血をその身に入れて、力を受け継いだって聞きました…」

さゆみは一つ溜息を付き
呆れたような、悲しいような表情で答えた。

「同じように笑って、同じように泣いて、同じ言葉で心を交わせる。
それで『人間』の定義に足りないんなら、さゆみの方がよっぽど人外よ」

吐き捨てるように言った言葉に
衣梨奈が思わず「確かに」と呟く。

春菜はそれを聞き、バツの悪そうな、それでもどこかホッとしたような表情を浮かべた。

「そうですね、すみません」


『以上が現在の状況です…。
もう猶予は一週間を切っている。誇り高い狗族が一族の離散を受け入れることも
一族の若者を差し出すことも決してしない。このままでは戦いが避けられない』

「そう、よく分かったわ」

『……』

さゆみに一同の視線が集まる。
それは、不安、恐怖。だが、どう返答することが正解だとも思えない。

「一昨日来なさい。
いいこと教えてあげるわ。この子はさゆみの家で住むことになったの。ちょっとした縁でね。
もうさゆみのモノよ。あんたいつからさゆみのモノを差し出させる程偉くなったの?」

『しかし…』

「戦いが嫌なら自分で何とかしなさい。
何のために協会に戻ったの?何のために幹部やってるのよ」

はっきりと告げられたさゆみの言葉に僅かな安堵の空気が流れた。
しかしその返答が、何の解決にもならないこともまた、皆知っている。


『俺には他に方法が思い浮かばない。
このまま、狗族を潰したら、今度は他の部族が標的になる。協会の暴走が、止められなくなる…。
衣梨奈、すまない。こんなことでお前に顔を見せたく無かった。
里保も、巻き込んですまないと思っている。
…また、連絡します』

衣梨奈と里保は、何も言葉を返せぬまま、通信を切断した局長の残像を見送った。
消えた画面を注視し、誰も動けなかった。
ただ耳に、雨のノイズが戻って来たことをぼんやりと感じていた。

不意にガタリと音を立て、優樹が崩れた。
遥がその身体を支える。
優樹は額に大粒の汗を浮かべて、青褪めた顔で意識を失っていた。

「怪我に障っちゃったね。工藤、休ませてあげて」

「……はい」

さゆみの言葉に、遥が頷き、優樹を抱き上げる。
後ろ姿を見ながら、誰もが思った。
どうすれば、あの子の心を休ませられるだろう。そんなこと、できっこない、と。

 


殆ど会話することも無く、各々の部屋に戻り夜になった。
食事も摂っていないけれど、誰もそんな気分では無かったし、皆忘れていた。
里保も、もし今何か口に入れたら戻してしまうかもしれないとさえ思った。

春菜は話が終わると言葉少なに道重家を後にした。
帰り際、さゆみと二三言葉を交わしていたけれど、里保にはそれが聞き取れなかった。
春菜の表情から、決して愉快な話で無いことだけは読み取れた。

衣梨奈と二人、部屋でじっとしている。
何か話そうとも思えなかった。
衣梨奈はずっと、神妙な顔で何かを考え込んでいる。
里保も、いろいろなことが頭を巡り、ぐちゃぐちゃになって
それがただ不快なだけの紋様のように広がっていた。
何が正しくて、何が間違っていたのか。
自分がどうすべきなのか。どうすれば良かったのか。

サラサラと流れる雨音が、思考を乱して纏めさせてくれない。
かえって思い浮かぶのは、昼間はしゃいだ皆の笑い声や笑顔だった。
けれど、それらもモノクロームに覆われて、ノイズに消されかけている。

「寝よう」

衣梨奈がポツリと言った言葉に、里保は頷いた。
ノロノロと、無言で寝支度をして、ベッドに入る。
照明を落とすと、急に記憶に色がついて、楽しいはずのそれが
悪夢のように視界を飛び回った。
肩に感じる衣梨奈の温もりも、心を落ち着けてはくれない。
里保は雨の音を聞きながら、何か恐ろしい想念に怯える子供のように
じっと身を潜めて眠気が訪れるのを待った。


.

「様子はどう?」

遥は、戸を開き静かな声で尋ねるさゆみの顔を見上げた。

「寝ています…」

まだ少し苦しげに、静かな息をしている優樹を見やる。
ベッドからはみ出した優樹の手を握り、遥は自分の中に
湧き上がる憤りと、悔しさとに耐えていた。

あまりにも理不尽で、不条理で、頭が割れそうになる。
さゆみの顔を見たとたん
それは涙の形になって、遥の双眸から零れ落ちた。

「佐藤の側にいてあげてね」

さゆみが、泣き濡れた遥の頬に手を添えて告げる。
遥は、強い目で頷いた。

「はい、絶対に、側にいます…」


優樹が目を覚ました時、この現実と再び向き合わされた時にどんな行動を取るか
遥には何となく想像出来た。
優樹にとって家族である狗族の存亡、それが自分の身に掛かっているならば、
ここを飛び出して、協会に向かってしまうかもしれない。
そんなことは何の解決にもならないし、許せる訳が無い。
けれども、もし遥が優樹の立場なら、それが一番楽だと感じるかもしれない。
だからこそ、絶対にさせてはならないと思った。
優樹の為にとは言わない。自分自身の為に、絶対に優樹を失いたくはない。

「絶対に、離しません…」

握る手に力を込め、流れる涙を乱暴に拭った。
そんな遥を見て、さゆみは一つ頷き、遥の頬に添えた手を離す。

「うん。絶対に離しちゃダメだよ」

もう一度遥は力強く頷いた。

.


どれくらい暗い天井を眺めていただろうか。
いくら眺めても、どれだけ雨の音を数えても、里保の元に睡魔は訪れてくれなかった。
口の中がカラカラに乾いて、喉が痺れ、胸がムカムカと疼いた。
隣から小さな身じろぎを感じる。
衣梨奈も、まだ寝付けていないのだろうか。

とにかく、喉の渇きを癒そうと
里保はそっとベッドを抜け出した。
頭がくらくらして、足元がふらつく。

「喉渇いた」

独り言のようにして、衣梨奈に呟いた言葉は、酷く掠れていた。


キッチンに降り、冷蔵庫を開ける。
買い置きしていたサイダーを飲もうと手を伸ばしたけれど、
やっぱりそんな気分になれず、冷蔵庫を閉めて水道の水をコップに注いだ。
一気に煽ると、喉の渇きは消えたけれども
口の中のカサカサとした感触が残り、それが気持ち悪くて
もう一杯水を口に押し込んだ。

少しだけスッキリとした頭で、里保は改めて今日のこと、
今眼前に立ちはだかる事実を整理してみた。
不思議なもので、横になっているよりも、立っている方が断然整然と思考出来る。
そして、そういう状態でいる方が、より状況の絶望的なことが明瞭になった。


「眠れないの?」

不意に聞こえた声に身を震わせる。
さゆみが、優しい目で里保を見ていた。

「はい」

少し遅れて、返事をすると、さゆみはニコリと笑った。

「おいで」

もう随分と、その優しい表情を見ていない気がしていた。
そして、その優しい声の調子に、里保は泣きたくなった。

さゆみの部屋に招かれる。
さゆみが里保を部屋に入れ、後ろ手にパタリと戸を閉めると
微かに聞こえていた雨の音が遠のき消えた。

淡い部屋明かりの中、改めてさゆみの表情を見る。
じっと里保を見つめる吸い込まれそうなくらいに綺麗な瞳が
優しくて、暖かくて、里保の中の何かが切れた。


「うち……どうしたらいいか分かりません…どうしたらいいんですか、道重さん…」

堤を切ったように里保の目がから涙が溢れる。
声が震え、喉が掠れて、嗚咽が漏れる。
俯き、涙を堪えようと腕で目を覆う里保を、さゆみがそっと抱いた。

それから、優しく導き、ベッドに座らせると
さゆみも里保の横に腰掛ける。

「さゆみもね、分かんない」

優しい声に里保が顔を上げた。
さゆみは寂しそうに笑っている。

「さゆみはね、結構長く生きてきてるの。知ってるよね?」

「はい…」

「今まで沢山、何かを選択する場面があった。
大きいこと、小さいこと、いろいろとね」

さゆみの、寂しそうな、優しい声に里保が耳を傾ける。
不思議とその声を聞いていると、涙がすぐに止まった。

「どれかを選ばなきゃいけない。なら、一番いい方法を選びだいじゃん?
でもね、さゆみ今まで一度も『正解』出来たことが無いの」


静かに告げられる言葉を
一つ一つ噛み締める。
さゆみがこうやってお話をしてくれる時、その言葉は時に難しくて
だけれども、心にすっと入ってくる。
今言われたことの意味もはっきりとは分からなかった。
だけれども、何となくわかる。

「若い頃はね、それでいろんな失敗をして、仲間や友達に迷惑かけて。
もっと強くなれば、もっと色んな魔法を覚えれば出来ることも増える、選択肢が広がる、
正しい選択が出来るようになるって、我武者羅になったりしてね」

さゆみの『若い頃』を思う。
そこには、あのポートレートの作者、「えり」さんも居るのだろうか。

「確かに出来ることは増えたけど、やっぱり正解出来ないの。
寧ろ力がついた分、さゆみの判断で取り返しのつかないことになっちゃったりしてね。
人が死んじゃったり、大事なものを無くしちゃったり、そんなことも沢山あったの」

自分なんかが聞いていい話なのだろうかと思った。
こんな風にさゆみが自身のことを話すのは本当に珍しい。
軽やかに紡がれる言葉の中には、さゆみが長い年月の間に経験した出来事、
つらく悲しい出来事が埋もれているようだった。


「いろいろ経験するとね、それなりの判断が出来るようになるの。
ある程度うまく行ったり、結果的には成功だったり。
でもね、やっぱり誰もが幸せになる、誰も悲しまないですむ、
完璧な『正解』じゃなかったの。
ね、りほりほは、完璧な『正解』ってあると思う?」

「……そんなもの、無い気がします」

「ふふふ。だよね。さゆみも薄々気付いてるんだけどね。
でも悔しいじゃない。それを求めて頑張ったのに、やっぱり『ありませんでした』なんて。
さゆみって諦め悪いのよ。だから、未だに魔法使いなんてやってるのかもね」

不意に、いつか魔法楽団の老人から聞いた言葉を思い出した。
『さゆみは不器用だから、今も戦い続けている』確かそんなことを言っていた。
そして、その姿を尊敬しているのだとも。

「だから今のさゆみには、りほりほがどうすればいいのかって質問には答えてあげられない。ごめんね」

「いえ、そんな……。すみません」


 


「協会のこともね、悪いことしてる奴らみたいに思うでしょ?」

「……はい」

話の流れとはいえ、里保は始めて協会を否定する言葉を口にした。
気持ちが協会から離れている。
今回の所業は、どう考えたって正しいこととは思えない。
今までは自分の全てといってよかった協会が、もはや悪魔の組織のようにすら思える。

それは里保の拠り所を崩し、足場を無くすような思考の転換で
ともすればどこまでも奈落に落ちてしまうような大それた発想だった。
何となく里保は自覚していた。
今目の前に、『道重さゆみ』という新たな、自分の心を寄せられるものがあるから
そうやって今までの拠り所を切り捨てることが出来るのだと。
寄る木陰を移すように、自分の心は都合よく行き来しているだけなのだ。

そんな浅薄な考えを見透かされたのだろうか、
続くさゆみの言葉は、里保には意外だった。

「でもね、さゆみからしたら協会の考えも分かっちゃうの」


協会の考え。
それは、ずっと協会に身を置きながら、里保がまるで想像できなかったことだ。
ただ漠然と、当たり前にそこにある組織に、何かしらの目的があるとさえ思っていなかった。
魔道士の争いを抑制し、治安を守り、魔道士の交流を促す『システム』だと思っていた。

「ちょっとこれも昔話だけど、協会が出来た時の話。
その頃って何ていうのかな、時代の変わり目でね、魔道士達が大変だったの。
秩序が無くなって、日々争いあって奪い合って殺し合って。
世間からも魔道士が疎まれるようになって疎外されて、疑心暗鬼になって。
もう直接あの頃のこと覚えてる人は殆どいないけど、
魔道士にとって『地獄の時代』、なんて言われたりもしてた」

協会の設立について。
それも里保は知らなかった。
何となく、何年前に出来て今の会長が何代目だとか、そんなことを知っているだけ。

「だから協会が出来たのは必然みたいな感じだったの。
何とかそんな、みんなが争う無秩序を打破したくて、優秀な子達が集まって
必死になって組織を作って、戦い続けて大きくしてった。
さゆみはもうその頃には係わり合いになるの嫌だったから、直接は何もしてないけど、
あの子達が必死になって頑張ってるのは見てた。
それで協会が出来上がって、魔道士の争いも殆ど無くなって、世間との関係も
『裏』ってことにはなるけど改善されて、秩序が出来たのね」

想像することは難しかった。
けれど、混沌の中に秩序を打ち立てる困難は直感出来る。
それは魔道士の血が、元来混沌に根ざしているからかもしれない。


「協会は人じゃなくて組織だから。
もちろん、会長や幹部達の意思は働くけどもね。
根本の部分が一番強い意思を持ってるの。 つまり『地獄の時代に戻りたくない』ってこと。
だから協会がもし本当に、その力を維持出来なくて数年か、数十年か先に崩壊する未来が見えるなら、
それを回避する為に動く。例えば今回みたいな方法が、どうみても間違ってると思っても
協会そのものが無くなることに比べればマシ、ってなるわけ。組織ってそういうものなの」

「……だって、協会がすぐ無くなるなんて思えないのに」

「焦るもんなのよ。去年より落ちてる、10年前より何%落ちてるって現実を見るとね。
まして今の協会は何代も引き継いだものだから。自分達がそれを崩壊させたくないってね。
人が動かす組織だけど、組織や歴史の重みに人が振り回されてるの。ま、そういうものなのよ」

一つ一つ顔が思い浮かぶ。
局長の顔、会長の顔、優しくしてくれた幹部の人達の顔。
悪い人達では無かった。
だからこそ、こんなことになったのが信じられないし、信じたく無かった。
さゆみに身を委ね、協会を切り捨てようとしていた自分の心が引き戻される。
向き合うことから、逃げさせてくれない。
さゆみは厳しい人だと思う。
『正解』は分からないのに、自分で『正解』を探せと言われた気がした。


「…ますます、どうすればいいのか分からないです」

里保は、思わず苦笑した。
そして自分はいつぶりに笑ったのだろうとぼんやりと思った。
思えば、数時間前は楽しくはしゃいでいたのだけれど。

「何もしなくてもいいよ。何かするなら、出来ることをすればいいの。
失敗しても間違ってもいい。さゆみの経験から言わせて貰えば、まあ間違うよ。
でも、りほりほがどんな風に選択しても、大丈夫」

「…大丈夫なんですか?」

「うん。さゆみがここで待っててあげるから。
さゆみは怒ったりしないよ?」

少し悪戯に言うさゆみに、里保の心がすっと軽くなった。
やはり何も解決しないし、どんな選択をすべきなのかは分からない。
でも、何かを選び、何か行動するための勇気を貰えた気がした。


不意に、里保のポケットから通信を知らせる振動が起こった。
もう夜も遅い。何事だろうと端末を取り出すと、局長の名前が表示されている。
里保は一度さゆみの顔を伺い、頷きを確認して通信を繋いだ。

「はい、里保です」

『夜分にすまない、里保。今は一人か?』

里保がさゆみの顔を見る。
さゆみは、少しだけ険しい顔に戻り、声を出した。

「今さゆみとりほりほの二人。
今更私に聞かれてまずい話も無いでしょ」

局長は、端末のこちら側の状況を察し少し黙りこみ
それから、一つ息を吐いて言葉を続けた。

『……そうですね。
里保、済まないな。嫌な話ばかりになってしまうが…
協会と狗族の戦いは、もう避けられそうもない。
既に戦力の結集も始まった』

「何?もう諦めたわけ?」

横からさゆみが不機嫌そうに口を挟む。

『方法が、ありません。
あの子を捕まえることも、もう出来ない…』


「局長…?」

『……本当に、馬鹿だと罵ってくれて構わない。
俺はそれで解決出来ると思っていた。
だが、あの子の顔を見てしまって、あの子を庇って立つ工藤遥を見て
もう、俺にもあの子を投獄することなんて出来なくなってしまった。
狗族にとって、一族は皆家族と同じだそうだ。
我が身の為に子を差し出す親なんて居ない。
そんな理不尽を受け入れる親も居ない。それすら、想像出来ていなかった…』

「どれだけテンパってたのよ。普通にそれくらい分かりなさい」

『本当に、返す言葉もありません…。
だからといって、狗族を滅ぼすことも、同じことだ。
まだ僅かだが時間はある。何とか働きかけはするが…
多分俺の言葉は受け入れて貰えないだろうと思う』

局長の声がまた沈んでいく。
さゆみは局長相手には随分厳しい口調になるな、と思った。

「あんた随分嫌われてるみたいだね」

『……実際、そうです。ここ数年、現実に協会の戦力が落ちたのは俺の責任も大きい。
その上、戦うことが仕事の執行局局長が、戦いに尻込みしているんですからね』

自虐的に笑う局長の声を聞くのが辛かった。
里保の知る局長は、優しく部下にも慕われていて
立派な人物だった。協会の中の幹部達の関係は良く分からなかったけれど
多分その優しさが仇になった部分もあるのだろう。
最強の執行魔道士だった里沙の出奔を許したこともそう。
将来を嘱望された才気溢れる実の娘に家出されたこともそう。


「ま、あんたそういうの向いてないよね。昔っから。
優しくて不器用で、すぐテンパるし」

『その節はいろいろとご迷惑をお掛けしました。
ただ、俺は出来ることを尽くします…。
だがそれも見込みは薄い。
もし、戦いになった場合、里保、お前にも参戦する命令が下った』

その言葉に里保の心臓がドキリと跳ねた。
考えないようにしていたけれど、考えれば分かること。
子供の優樹にもあれだけの力がある狗族と戦うならば
少しでも戦力を集めたいはずだ。

自分の手で、優樹の家族を攻撃する。
その光景に里保は背筋が冷えるのを感じた。
そんなことが、出来るはずがない。

『…お前が本意でないことも分かっている。
そして俺自身、お前にそんな仕事をして欲しくない』

何か言葉を返そうと思ったけれど
唇が震え、喉を空気が抜けて音が出ない。

 

『判断はお前がすればいい。
だけど、俺はお前が協会を抜けてもいいと考えている』


その言葉を聞いた瞬間、里保の頭は真っ白になった。
何も考えられなくて、ただその言葉が頭の中を木霊する。
気がつけば、止まっていたはずの涙がまた溢れ出していた。
幾筋も幾筋も、止めどなく涙が流れ落ちるのを
まるで不思議な現象のようにぼんやりと感じる。

白い思考の中で
小さな染みのように言葉が浮かぶ。
これで、局長との関係は終わる。生田家の一員でも無くなる。
心の中で密かに抱いていた、憧れていた、家族を失う。

『衣梨奈と同じように、道重さんの元に居てくれ。
こんなことに、お前は関わらなくていいんだ。
これまで散々振り回してきて、何を勝手なことをと思うかもしれないが…。
本当に済まないと思っている…。里保、俺はお前に…』

そこで局長の言葉も途切れた。
何を続けようとしたのか、里保には想像することも出来ない。
局長の言葉の意味は理解出来た。
自分を想って言ってくれていることも。
だから涙を止めなくてはいけない。なのに、次々と溢れ出る涙をどうすることも出来なくて、
視界が曇り、なかなか言葉を発することは出来ない。


『……まだ時間はある。どうするか、考えておいてくれ。
俺や協会のことを気にする必要は無い。自分の思うように』

「…はい」

『……じゃあ、また。おやすみ、里保』

「…はい、おやすみなさい、局長」

通信が切れた。
壊れた機械のように、里保の涙は止まってくれない。
ぼやけた視界の中にさゆみを探した。
どんな表情をしているのか分からなかったけれど
さゆみがそっと里保の涙を拭ってくれる。

「はぁ…。本当に不器用な子。さすが生田とりほりほの親だわ」

どこか呆れたようなさゆみの声。
里保は、訳が分からなくなってさゆみに縋り付き、声を上げて泣いた。
優しく背を撫でてくれるさゆみの手の動きを感じながら、
子供のように泣き続けた。



永遠に流れ続けるのでは無いかと思われた涙も、いつしか止まっていた。
しばらくは嗚咽を漏らしていたけれど、それも止まる。

里保は、泣き止んだ自分の頭の中が思いがけずスッキリとしていることに驚いた。
ぐちゃぐちゃと蟠っていた膿みを洗い流したように、風通しがいい。
本当に空っぽになってしまったのか。そうでもない。
瞼を真っ赤に腫らし、ぐしゃぐしゃの顔を上げた里保は
視界に映るさゆみの優しい顔や、部屋の壁の模様がはっきりと見えるのを感じた。
自分が、何故泣いていて、今まで何をもがいていたのか、みるみるうちに氷解する。

今曇りなく頭に浮かぶ、局長や衣梨奈のお母さん、それに衣梨奈の顔を思い、
やはり自分は彼女達が大好きなのだと思った。

家族にはなれなかった。
どうしたって他人なのに、家族のように愛されることを求め、
愛されたくて、それに固執するあまり自分は酷く頑な、無思慮な生き方をしてきたと思う。

家族としての愛を得られない。
そう確信してしまったことが、かえって心にこびり付いていた泥土を溶かし出した。
愛されたいという気持ちを洗い流し、それでも自分が彼らを愛せることが嬉しい。
そしてその方が、随分と楽だと思った。
自棄になっているのか、開き直っているのか分からないけれど、
少なくとも今の心の状態を悪いとは思わなかった。


里保が笑う。
今さゆみが見ている自分の顔が酷い状態だろうと思うと、なんだか無性に照れくさかった。

「あはっ、あの、すみません、道重さん」

里保の笑顔に応えるようにさゆみもニコリと微笑んだ。

「いいよ。もう大丈夫?」

「はい…。なんだか、凄くスッキリしました」

「そう、良かった。ふふ。たまには誰かの前で思いっきり泣くのもいいでしょう?」

またはにかんで顔を伏せる。

「はい…。有難うございました」

「どういたしまして」

さゆみと目を見合わせ、笑い合う。
何だか、一つ自分が強くなれた気がした。


ふと気配を感じる。
里保と同時にさゆみも振り返った。

「えりぽん…?」

「生田だね」

玄関の方から聞こえた僅かな音。
こそこそと、隠れるようにして動く気配を、
かえって里保とさゆみは敏感に感じ取っていた。

もう夜も遅い。
衣梨奈だとすれば、自分が部屋を出た時にはベッドに入っていたのに、
いったいどこに向かうつもりなのか。

里保とさゆみは顔を見合わせ、一つ頷いて玄関に向かった。


今まさに慣性に従って閉まろうとしている扉を
内側から押し返す。

雨に霞む門灯の光の中、
里保とさゆみの姿に驚き振り向く衣梨奈がいた。


「えりぽん?」

「里保…道重さん…」

衣梨奈がバツの悪そうな、困惑した表情を見せる。
見れば衣梨奈はいつの間にか外着に着替えていて
外出用の鞄も持っている。
本当に真夜中に抜け出してどこかに行くつもりだったのか。
里保は、3年前に衣梨奈を探した朝を思い出した。
ずっとそのことを怒っていたのに、どうやら懲りていないらしい。

「なにあんた、家出癖でもあるの?
てかどこか行くなら師匠に一言いってくもんよ」

さゆみの言葉に衣梨奈が眉尻を垂らし、消え入りそうな声でごめんなさいと呟いた。

「どこ行くつもりだったの?」

衣梨奈が言いよどんで俯き、言葉を探す。
雨音の向こうから夕轟が聞こえて来た。

ややあって、衣梨奈が顔を上げる。
そこには何か、決然とした意思が浮かんでいた。

「狗族の郷…」


里保はその言葉に驚いて、咄嗟にさゆみを見た。
さすがのさゆみも、些か驚いた顔をしている。

「やっぱり納得出来んと。でももう戦うしか無いんやったら、
えりも狗族と一緒に協会と戦おうと思って…」

また暫し言葉が無くなった。

里保は、意想外な言葉に驚いてはいたものの、
その考えと、行動とが衣梨奈らしいと思った。
どんなに突飛なことのようでも、何かしたいと考える。
そしてそれを思い立ったらすぐに行動しないと気がすまない。

実際に衣梨奈が狗族に加わった所で協会に勝てるわけも無いし、
ましてや実の父親がいる協会相手に衣梨奈が戦えるとも思えない。
それでも、何か行動しなければ到底心のモヤモヤは晴れない。
無茶だとは思うけれども、里保にも少しだけ衣梨奈の気持ちが分かった。
だからって、また自分を置いて行こうとしたことは認められない。
それとこれとは話が別だ。

「なるほどねぇ…生田らしいわ」

さゆみが呟く。
さゆみも自分と同じような気持ちなのだろうか。


「まあでも勝手に行くのは論外。
なんで一言いってかないのよ」

言いたいことをさゆみが言ってくれるので、里保は黙って聞いていた。

「…道重さんも里保も、反対すると思って」

衣梨奈が随分と弱弱しく呟く。
悪いと思ってはいるようだ。

「そんな頭ごなしに否定しないし。まあ反対はするけど。
だいたいどうやって行くつもりだったのよ」

「行けるとこまで電車で、あと歩いて…。
地図見たらめっちゃ遠かったけん、早く出発しないと間に合わんと思ったんです…」

里保も優樹達が来てから協会の地図で狗族の郷の場所を何となく見ていた。
確か随分北にあって、電車で行ける場所からもかなり距離があったと記憶している。

「はぁ…、全くうちの子達は…」

さゆみが仰々しく溜息をつく。
でも里保は、その横顔がちっとも怒っていないことに気づいた。

「ごめんなさい、道重さん…。里保も、ごめん。
でもえり、じっとしていられなくって…
えりが行ってもあんまり役に立たんかもしれんけど、それでも」


「生田」

さゆみが衣梨奈の言葉を止め、割り込んだ。
少し怯えたように衣梨奈が目を向ける。
さゆみは真面目な顔で真っ直ぐに衣梨奈を見ていた。

「あんたが最終的に選ぶことをさゆみがとやかく言うつもりは無いよ。
でも必ずここに帰って来なさい。動かないと不安なのかも知れないけど、
まだ一週間は考える時間があるでしょ?
狗族の郷に行きたいなら行けばいい。でも最終的にどうするか決めたら
さゆみにちゃんと報告に来ること。
それから、その結果がどうなろうと、必ずここに帰って来ること」

衣梨奈は困惑した顔でさゆみの言葉を聞いていた。
衣梨奈も、実際狗族と共に戦いに参加した場合にどうなるか、分かっているだろう。
実感は持てていないにしても、衣梨奈の中にはそれなりの覚悟が伺える。
そして、さゆみの言葉を果たすことが出来ないとの思いがあるように見えた。

衣梨奈を絶対にここに連れ戻したい。
里保は、衣梨奈を見ながら強く意識した。


さゆみが里保の方を見た。
目が合い、里保が強く頷く。
考えがさゆみに伝わっている。それが嬉しかった。

「えりぽん、またウチを置いてったら今度は絶対許さないから」

「うん…」

「うちも行くよ」

「え…?」

「うちも行く。歩いてたら行って帰ってくるのに時間足りないかもしれないしね」

「…でも、里保は協会魔道士やけん…。協会とは戦えんやろ…?」

「ウチがどうするかはまだ決めてない。ちゃんと考えて、決める。
でも、えりぽんを一人にはしない。それだけは最初から決まってるから。
それに、ウチも一度狗族に…優樹ちゃんの家族に会ってみたい」

優樹の顔を見ないうちなら決断出来たという局長のように、
知らないからこそ勢いで決められることもある。
でもさゆみの言っていた「正解」を目指すなら、少しでも知るべきだと思った。
優樹の家族、狗族が今何を思い迫り来る日を迎えようとしているのか、知りたい。


「りほ…」

衣梨奈が、少しだけ嬉しそうな顔をした。
ほんの少しだけ。それが嬉しかった。
生田家との関係が切れて、衣梨奈と「姉妹」で無くなったとしても、
どんなことがあっても衣梨奈が好き。衣梨奈を大切な友達だと思う。
その想いが力をくれる気がした。
例え一方通行の想いだったとしても、自分が好きならそれでいい。
そう思えた。

「うん、二人で行ってきな。それで、ちゃんと生田を連れて帰ってきてね、りほりほ」

「はい!」

「でも…二人で飛んで行くと?かなり遠いし、りほ大変過ぎるけん…」

「だから、二人で飛んで行くんだよ」

里保は少し得意げに言った。
衣梨奈は未だにうまく飛べない。けれど、里保はずっと考えていたことがある。
二人で飛ぶ方法。

「えりぽん、スケボー持ってるよね?」

「え?うん…でもえりまだちゃんと乗れんと。知ってるやろ?」

「いいから。出して」

里保の意図が分からず戸惑いながら、衣梨奈がスケートボードを取り出した。
それを浮かせ、その上に座るように指示する。

 

「いい?じっとしててね?」

里保が魔力を込め、衣梨奈のお尻とスケボーの間を撫でるように這わせた。
まるで強力な磁石に吸い寄せられるように
衣梨奈とスケボーがぴったりとくっつく。
意外な魔法に驚て、衣梨奈が慌てて押すけれど、
どんなに力を入れてもスケボーは離れなかった。

「なんだ、りほりほ細かい魔法もちゃんと使いこなせるじゃん」

お尻から離れなくなったスケボーに慌てている衣梨奈を見て、笑いながらさゆみが言う。
里保は少し困ったように笑った。

「あまり使わなかったんですけど、一応研究はしてたんです。『奪った』魔法も」

「どうしたの?心境の変化?」

さゆみが尚もニヤニヤと笑いながら尋ねる。

「……はい。なんか、勿体無いと思って」

「そうだね。勿体無いもんね」

門灯の光がチカチカと明滅した。


里保が風を操り身を浮かし、スケボーの端を掴む。
そして衣梨奈の手を握り、言った。

「ウチが舵をとるから、えりぽんは気にせず思い切り飛ばしていいよ。
絶対落ちたりしないから」

衣梨奈はようやく「二人で飛ぶ」ということを理解した。
パワーにだけ関しては飛び抜けている衣梨奈の推進力を使って
里保がコントロールする。
これならば、今二人が出来る他のどんな方法よりも速く飛べる。
衣梨奈は里保の考えに感心し、また自分の力も使って「二人」で飛べることを喜んだ。

さあ出発しようと意気揚々とする里保に
さゆみが声をかける。

「りほりほ、パジャマで行くの?」

里保は今の今までそのことを忘れていた。
慌ててスケボーから飛び降り走る。

「すぐ来るから!待っててね!絶対待っててよえりぽん!一人で行かないでよ!」

叫び家に駆け込む里保の背を見ながら、衣梨奈とさゆみは顔を見合わせて苦笑した。


「これ、取れんし、一人で行きようがないっちゃけど…」

「りほりほって相変わらずおっちょこちょいね。可愛すぎてヤバイわ」

雨が随分小降りになって来た。
屋根から樋を伝う雨音が大きく聞こえる。

「なんか、りほ元気ですね」

「スッキリしたみたいよ」

「…そう言えば、目の周りめっちゃ赤かったですね。泣いてたんですか?」

「生田、りほりほに言っちゃだめだよ。いい女は気付いても黙ってるもんなの」

「はい」

また二人で笑い合っていると
手早く着替えた里保が駆け出してきた。


「じゃあ、気を取り直して、行こうえりぽん」

「うん!」

再び里保が風を操る。
衣梨奈も魔力を高めた。

「いってらっしゃい二人共」

「いってきます!」

さゆみと挨拶を交わし、二人はそのまま空に舞い上がった。
雨を全身に受け、どんどん加速して雲を突き抜け、その上へ。
月明かりの雲海を二人、矢のように走り抜けた。

 

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最終更新:2014年07月14日 23:03
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