第三章 深まる混迷

 

衣梨奈がさゆみの前に連れてきたのは、コケティッシュな雰囲気を持つ小柄な少女だった。

「この娘も手を貸してくれると言うんで連れてきちゃったんですけど、大丈夫ですか?」

衣梨奈の言葉に、困ったように腕組みをするさゆみ。

「うーん、手助けしてくれるのは確かにありがたいんだけどね。
大丈夫かと聞かれると、本編との兼ね合いもあるからこのタイミングだと
色々問題があるというのが正直なところなんだよねぇ」

半ば独り言のように呟きながら考え込んでいたさゆみだったが、
しばらくしてついに吹っ切れたのか、衣梨奈の隣にたたずむ少女に声をかける。

「うんわかった。じゃあ、あなたは今回初登場のオダベチカって
名前の娘だということにしておくけど、それでいいかな?」

「はい、わかりました!」

いかにも楽しげな様子で快活に返事をするオダベチカ。

「詳細はもう生田から聞いてるね。じゃあさっそくだけどエネルギーを注入させてね」


先ほどと同様の手順で、オダベチカが書物の上に人差し指を置き、
さゆみの詠唱とともにエネルギーが流れ込んでいく。
ほどなくしてそれが一段落すると、オダベチカはホッとした表情をさゆみと衣梨奈に向けた。

「私もみなさんと同じように、少しでも力になれる機会がもらえて嬉しかったです。
あまり長居しすぎるとご迷惑をおかけしてしまいそうなので、もうお暇させてもらいますね。
またいつか遊びに来れる日を楽しみにしてます!」

そしてペコリと頭を下げたオダベチカは、鼻歌交じりで足取りも軽く去っていった。
目を丸くしてその背中を見送った衣梨奈が、驚きの口調でさゆみに話しかける。

「しっかりとエネルギーを注入したはずなのに、
気絶することもなく平気な顔で帰っていきましたね……」

「そうだね、わかってはいたけどやっぱりただ者じゃないってことね」

「また……会えますかね」

「大丈夫、もうすぐ普通に会えるようになるよ。
その時にはきっと、こんな回りくどい手続きを踏まなくてもよくなってるから」



「シルベチカ……どうしていなくなったの?
どうしてみんなは、あなたを忘れてしまったの?」

いまだにシルベチカのことを探し続けるリリーが、途方に暮れた様に独り呟く。
リリーがゆっくりと目を閉じると、そこに一人の少女の姿が浮かんだ。

「ねえ、リリー。あなたは永遠に枯れない花があると思う?」

「シルベチカ……」

「こんな話を知ってる? 永遠に枯れない花をつくろうとした、庭師の物語」

これは一体どういうことだろう。突然の変化に里保の思考が乱れる。

今までは、リリーの言動は一緒に体感できても、その心の内まで覗くことはできなかった。
それなのに里保は今、目を閉じたリリーの脳裏に浮かぶ過去の情景、
そして初めて見るシルベチカの姿をはっきりと認識できている。
これは、里保の知らない何か不思議な力が発現しているということだろうか。

「あの時あなたがあの話をしてくれたのも、こんな冷たい雨の夜だった」

リリーの独白とともに、シルベチカが柔らかく歌を紡ぎだす。


その庭師は大切にしていた花があったの
身寄りのなかった孤独な庭師は
その花をまるで恋人のように 大事に大事に育てたの

でもその花は程なく枯れてしまった
どれだけ美しく咲く花もやがて枯れるの
庭師はひどく悲しみ泣いた

涙も底をついた時 庭師はとある決意をする
永遠に枯れない花をつくろう

庭師は来る日も来る日も花の研究に明け暮れた
でもどんな花も必ず枯れて朽ち果てる
ついに庭師は力尽き枯れた花畑で息絶える

そして庭師の亡骸の上に一輪の小さな花が咲く
だけど結局その花も儚く朽ちて果てるのだ
どれだけ美しく咲く花もいずれ枯れる


シルベチカの哀しげな歌声が、里保の心に染みわたる。
そして歌い終えたシルベチカが、リリーに微笑みかける。

「古くから伝わるお伽噺。昔、母さんがよく話して聞かせてくれたの。
寂しい物語だけれど、私はこの話が好きだった。
その庭師が愛した花はね……忘れな草。
忘れな草の花言葉、知ってる?」

「シルベチカ……あたしは」

「私を、忘れないで……」

その言葉とともに、リリーの心の中に映るシルベチカが
霧のようにかすれていき、ついには姿を消した。
しかしその直前、里保の耳には確かにもう一言、シルベチカの声が届いていた。

『忘れないで、花言葉ってとっても重要なんだよ』

今のはもしかして……オダベチカ!?
これまで聞いたこともないはず名前が、ふと里保の頭に浮かぶ。
詳しいことはよくわからないけど、うちのために大事な助言をくれたのは間違いない。
ありがとう、オダベチカ……。

「あたしは、あなたを見つけてみせるわ」

里保が心の中で感謝の言葉を呟くのと同じタイミングで、
リリーもまたシルベチカに決意の言葉を呟いたのだった。



シルベチカを探し続けながら、まともな成果も得られず時だけが無情に過ぎていく。
これ以上リリーにできることは、もうすでに限られていた。

「ねぇスノウ。あなたに話があるの」

「あたしは別に話なんてないわ」

いつものように独りベンチで本を読むスノウに、リリーが声をかける。
しかしスノウは、本から目を上げることもなく冷たく突き放す。
他人を立ち入らせようとしない障壁を感じて一瞬ひるみそうになるも、
ここで引いては埒が明かないとあえてもう一歩踏み込んだ。

「あなたになくてもあたしにはあるの」

「何」

ようやく本から目を上げたスノウに、重要な頼みごとを伝える。

「あなたに、シルベチカを探すのを手伝って欲しいの」

「忠告したはずよ。シルベチカは探さない方がいいって」

本を閉じてベンチから立ち上がり、冷淡にリリーを見据えるスノー。
だが忠告を受けたとしても、シルベチカを探すのをやめるわけにはいかない。


「あなたは何を知ってるの?」

「あなたが知っても意味のないことよ」

「シルベチカがどこにいるか知ってるの?」

「知らないわ」

にべもないスノウの受け答え。

「みんながシルベチカのことを忘れてしまった。
覚えているのはあたしと……あなただけ」

リリー以外にシルベチカのことを覚えている唯一の存在。
そしてシルベチカについて、何かリリーの知らない秘密を胸に抱えているスノウ。

「ねえスノウ、あたしにはあなたが必要なの!」

シルベチカを独りきりで探すことに行き詰った現在、
いくらすげなくあしらわれても、このスノウだけが最後の頼みの綱だった。

リリーの懇願に、なぜか哀しげに視線を落したスノウが、
まったく予想外の問いを投げかける。


「ねえリリー。もしも……もしもの話よ。
永遠に枯れずに咲き続ける花があったら、あなたはどう思う?」

「え?」

永遠に枯れずに咲き続ける花。
それは以前、シルベチカが語ってくれた庭師の物語の中で出てきた言葉だ。
里保もリリーの記憶の中で追体験したばかりだが、
それがなぜこのタイミングでスノウの口から?

「あなたはその花を見て、どう思う?」

真剣な表情で問いを繰り返すスノウに、リリーも戸惑いながら真摯に答えを返す。

「あたしは……。あたしは多分、哀しい気持ちになる」

その返答にスノウの表情が曇り、そして涙が溢れだす。
充血した瞳からとめどなく流れ落ちる涙に、リリーが慌てたような声を上げる。

「スノウ、どうしたの? また泣いてるの?」

……また?
咄嗟に発した自らの言葉に、驚いたように自問するリリー。

「どうして? あたし、前にも泣いてるあなたを見たことがある。
あなたと話したのはこないだが初めてなのに」

初めて見るはずなのに、本来あるわけがない記憶が残っている。
これは一体どういうことだろう。

だが、ほんのひと時だけでも記憶を共有したことが原因か、
リリーの言葉に嘘がないことは里保にもはっきりとわかった。

確かにうちは、スノウの涙を見たことがある。

「あ、スノウ!」

リリーの独白にハッと我に返ったスノウが、逃げるようにその場から走り去り、
リリーもまた、追いすがるようにその後に続いた。


「駄目よ、駄目よ絶対に駄目よ!
あの女は必ずリリーを不幸にするわ!
私が守らなくちゃ、私はリリーを幸せにしなくちゃいけないのよ!」

リリーとスノウのやり取りを隠れて窺っていたマリーゴールドが、
強い呪詛にも似た決意とともにさらに2人の後を追ったことに、
その時点で気づいた者は誰もいなかった。



「スノウ、待って! ……どうしちゃったのよ。
待って、ねえ待って! どうして逃げるの!」

「触らないで!!」

ようやく追いつき腕をつかんだリリーを、強い口調で拒絶するスノウ。

「ねえスノウ、あなたは何を知っているの?」

「知らない方が良かったわ! その方があたし達は幸せでいられた!!
……でも、でももう忘れることができないのよ」

今までにない激しい感情を露わにしたスノウだったが、
最後の言葉は弱々しくやるせなさを残し周囲に溶けていった。

「スノウ」

「……トランプ」

「え?」

スノウの口から唐突に、また里保が初めて耳にする単語が発せられた。


「リリー、あなたはトランプを知ってる?」

「トランプ……」

「TRUE OF VAMP。
その英語の最初と最後の文字を繋げてTRUMP(トランプ)。
真(まこと)なる吸血種。
今から何千年も前に、この世に初めて現れた始まりの吸血種よ。
あたし達ヴァンプの血脈は、そのたった一人の吸血種から始まった」

「それはお伽噺の中の話よ。ほら、一角獣とかサンタクロースとか、そういうのと同じ」

「もしそれが、お伽噺じゃなかったら」

「そんなのありえないわ」

あまりに現実離れした話に、信じられない様子でリリーが呟く。
しかしそんなリリーにも構わず、スノウは語り続ける

「かつて、あたし達ヴァンプの血族は永遠の命を持っていたとされる」

「それは作り話の中だけの話よ! 
あたし達が永遠に生きることなんてできない。時が来ればみんな死ぬ」

「そう、あたし達は永遠の命を失った。そのはずだった。
言い伝えでは、トランプは永遠の命を持ち続けるただ一人の吸血種。
トランプは死ぬことができない。
だからもし、トランプがお伽噺なんかじゃなくて本当に実在するなら……。
トランプは、この世界のどこかで今も生きているわ」

「何言っているの。トランプなんていないよ」


いきなりそんな夢のようなことを言われても、ただ否定することしかできない。
内容だけならそれこそ冗談にしか聞こえないが、
語るスノウの表情は真剣そのもので、そして悲壮感に満ちている。

「ねえリリー、あなたは死ぬのが怖くないの?」

「死ぬこと……」

「いつか自我の意識が途絶え、永遠の無だけがそこに残る」

「そりゃ、誰だって死ぬのは怖いよ」

「生きる者はみなそう。吸血種や人間だけじゃない。
動物や昆虫も花や草木も、きっとみんなが死を怖れる。
トランプはそういった心が生み出した幻想だとも言われている。
多くの者がその幻想を追い求めた。
トランプなら、失われた永遠の命をあたし達に授けてくれるかもしれない」

そこで、激情に駆られたように抑えきれず声を荒げるスノウ。

「でも!! 時には死を怖れない者もいる。自ら……死を受け入れる者が」

「それがシルベチカと何か関係があるっていうの!?」

「それを言ったところであなたは何も信じてはくれないわ。
だって……今までずっとそうだったもの」


一見まったく関係ないようなトランプの話をするスノウの意図は?
そして「今までずっと」というのはどういうこと?
謎ばかりが深まり、里保の思考がまるで追いつかない。

「おかしいよ、こんなのおかしいよ。
あなたとこうして話してると、ずっと古くからの友達と話してるような。
ううん……そんなんじゃない。そう、まるで自分と話してるような気持ちになる。
ねえスノウ、あなたは一体誰なの?」

謎といえばこのリリー自身が持つ不思議な記憶も、里保にとっては不可解そのものだ。
そんなリリーの問いに答えることなく、スノウがさらに驚愕の一言を放つ。

「もし、トランプが。トランプが、このクランにいるとしたら」

「え?」

「馬鹿馬鹿しい!!」

そこでスノウの言葉を投げ捨てるような強い口調で遮ったのは、
2人の間に乱入してきたマリーゴールドだった。

「トランプだなんてあなた、そんな話を信じてるの!
おかしなことをリリーに吹き込まないでよ。あんたは……狂ってるわ!!」

そんなマリーゴールドの罵倒に反応もせず、スノウはまるで歌うようにリリーに語りかけた。


「もしもこの世に終わりなどなく、命が永遠(とわ)に続くというならば」
「永遠の命なんてないわ!!」

「愛する人達の命の火が、ただ消えるのを待つばかりよ」
「たった独りきりで……」

「リリー! こんなヤツの話、聞いちゃダメよ!!」

「もしもこの世界が終わる時に、星の轍を見届けるならば」
「やめて頭がおかしくなる!!」

「滅びぬ者は命のためにレクイエムを捧げるでしょう」
「それが不死なる定めよ……」

「TRUE OF VAMP。真なる吸血種よ」
「ありもしないお伽噺!」
「それを信じろと言うの?」

「TRUE OF VAMP。終わりのない物語」

「TRUE OF VAMP。真なる吸血種よ」
「あなたどうかしてるわ!」
「あなたは何を知ってるの?」

「TRUE OF VAMP。終わりのない命」


3人の真情が、激情が、情念が、それぞれにぶつかり合い、
強大なエネルギーの潮流となって広間全体に拡散していく。
里保はただ圧倒されてその饗宴を見守ることしかできなかった。

 


「こんな話に付き合ってられないわ! もうリリーには近づかないで!」

そう捨て台詞を残して、マリーゴールドがリリーの手を引いて去っていく。 
ただ独り、哀しげな顔のままでとり残されるスノウ。

そんな彼女の前に、訳知り顔で現れたのはファルスだった。

「やあスノウ。どうやら振られちゃったみたいだね」

そこでふらついてよろけるファルスだったが、
差し伸べたスノウの手を取って、どうにか体勢を立て直す。

「ごめん、今日もちょっと、貧血気味でね」

「ファルス……」

「駄目じゃないか、彼女を不安にさせるようなことを言ったら」

優しく言い聞かせるようなファルスの言葉に、スノウが哀しげに目をそらす。

「あたし達は、どうなってしまうの」

しかしファルスはその問いに答えることなく、スノウの身体を引き寄せた。

「少し踊ろうか」

「ちょっと何するの、何するのよ」

嫌がるそぶりのスノウにも構わず、強引にエスコートしてステップを踏む。
ファルスから顔をそむけながらも、諦めたかのように踊りに付き合うスノウ。


間近でスノウの顔を覗き込みながら、改めて遥は思う。
本当に綺麗な人だ。でもなんで、いつもこんなに冷たくそして哀しげなんだろう。
もし笑顔になれば、より華やいだ美しさを放つだろうに。
心の内に抱える何か憂いを取り除くことができれば、彼女に笑顔は戻るのかな。
ハルにそんなことができるとも思えないけど、でもいつか、
暖かく微笑む彼女と楽しげに笑いあえるような、そんな日が来てほしい……。

「どう、結構上手いだろう。昔習ったことがあるんだ」

「やめてよ、今そんな気分じゃない」

「何を怖がってるんだよ。もしかして、男の子と踊るのは苦手?」

「そんなんじゃない」

「じゃあ……僕が怖いの?」

「あなたなんか……怖くないわ」

嗜虐的な笑みを浮かべるファルスの問いに、
強気を装って答えるスノウの声は明らかに震えていた。

「ねぇスノウ。僕達は夢を見ているんだ。みんなで同じ夢を。
それはとても幸せな夢だ。怖れることは、何もない」

そしてファルスは、踊りながら歌を口ずさむ。


夢を見よう 同じ夢を見よう ここは理想郷だ
夢を見よう 想いのままに このまま幸せな夢を
宝物を閉じ込めるみたいに

If ever I should say to the moment
Stay on! You are so beautiful!
時よ止まれ 君に永久の美しさを

共同幻想ユートピア 一人で見る夢は寂しいけれど
みんなで至福の夢を見よう

共同幻想ユートピア 一人で生きるにはこの世は酷だ
だから同じ夢を見よう


「離してよ……離してよ!!」

ファルスの腕の中から逃れようとスノウが激しく抵抗するが、
逆にスノウの身体を抱き寄せるファルス。

「僕はね、君達にずっと純潔でいて欲しいんだ」

「ファルス……あなたの穢れた唇で、何を言っているの?」

震えた声で弱々しく拒絶するスノウをさらに強く抱き、

「怖がらないで。僕がずっと……一緒にいてあげるから」

何か強い意志を伴ったその言葉とともに、腰の短剣に手をかけて大きく振り上げた。


「!!」

なぜファルスがスノウを刺そうとしているのか、まったく理解できない。
しかし遥にこのまま見過ごすことはできなかった。
ファルスの身体を乗っ取ってでも制止しようとした、その瞬間。

「嘘よ。あなたは……嘘をついているわ」

言葉とは逆に、まるで肯定しているようにも聞こえるスノウの呟き。
それをきっかけに、遥の介入を待たずしてファルスの身体から力が抜け、
その抱擁から逃れたスノウが、後ろを振り返ることもなく走り去っていった。

結果的にスノウが救われたのは良かったものの、理解に苦しむ謎が多すぎる。
バンシーを見極めるためこれまで多くの人物を注視してきたけど、
怪しさで言えば宿主であるファルスが一番深い謎を隠し持っている。
まさか推理小説で探偵が実は犯人だったという結末があるように、
宿主のファルスが実はバンシーだったなんてオチはさすがにないだろうけど……。
どの謎がバンシーに繋がるものなのかまったく想像もつかず、遥は内心で頭を抱えた。

そしてしばらく硬直したように動きを止めていたファルスもまた、
走り去るスノウの背中を一瞥することもなく、肩を落としてその場から立ち去った。


雨降る森の奥深く。クランでの日々は漠然と過ぎていった。
シルベチカはいなくなったまま、月日だけが過ぎ去っていく。
まるで誰かが時間を閉じ込めてしまったみたいに、同じ毎日が繰り返される。
それはまるで……永遠にも思えるような、そんな時間だった。

 

第二章  第四章

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最終更新:2015年01月24日 21:23