第四章 永遠の終わりとはじまり

 

「あ~面白かった」

「まーちゃん何があったか覚えてるの?」

バリバリと音をさせて煎餅を食べながらご満悦の優樹に、亜佑美が驚いたように尋ねる。

「もちろん! どぅーとやすしさんに会ったよ」

「あ~でも、あたしも里保ちゃんに会えたような気がする。ただの夢かもしれないけど」

「聖も多分どぅーに会えたかも」

「そう言われてみるとうちも鞘師さんに会ったのかな?
まーちゃん他に残ってる記憶とかあるの?」

「う~ん、なんかとっても楽しかったことだけはよく覚えてるよ」

「やっぱり優樹ちゃんも具体的なことはわかんないのか」

気絶から回復した4人は、一仕事を終えた和やかな雰囲気で紅茶を手に談笑していた。
しかし衣梨奈だけは、眉間にしわを寄せて険しい表情のまま会話にも加わらなかった。

オダベチカは連れてきたものの、他にえりができることは何かないんだろうか。
みんなのようにわかりやすく力になりたいのだけど、
そのためにどうすればいいのか、いくら考えてもまったくいい方法が思いつかない。


「ただいま戻りました」

「あ~はるなんお帰り!」

丸テーブルに着いた春菜にも紅茶が振る舞われ、
一息ついたところでさゆみが報告を促す。

「それじゃあバンシーについて調べてきたことを聞かせてもらえるかな」

その一言で、弛緩していた居間の空気がまた緊張したものに変わった。

「はい。バンシーは、本来は『嘆きの妖精』という名称の通り妖精の一種でして、
その特性は、泣き声を聞いた者の死を予言するというものです。
ここで重要なのが、それはあくまで予言であって呪いなどではないということ。
バンシーが相手に何らかの手を下して死をもたらすわけではないようです」

「それってつまりどういうこと?」

イマイチ意味がつかめていない様子の聖が訊ねる。

「バンシーの泣き声を聞いた者が、もしバンシーを倒すなど働きかけをしたとしても、
バンシーの予言、『もうすぐ死ぬ』という未来は変えることができないということです」

「えっ、じゃあ里保ちゃんとどぅーが今やろうとしてるのも意味ないってことじゃない??」

香音の驚愕の声とともに周囲にざわめきが起こる。
物語の世界に入り込んでバンシーさえ浄化なり倒すなりすれば、
2人が受けた死の宣告も解けるとばかり思っていたのが、
もしそうしても死の未来から逃れられないのなら、一体どうすればいいというのか。


「はいはいみんな落ち着いて。はるなんの話はまだ終わってないよ」

さゆみの一声でどうにかざわめきも静まったものの、重苦しい空気は残ったままだ。
優樹の煎餅を食べる咀嚼音だけが、やけに大きく響く。

「最初に『本来』と言ったのは、現在は妖精としてのバンシーが
ほとんど見かけることのない非常に稀な存在となっているからなんです。
代わりに現れることがあるのが、アンデッドとしてのバンシーです」

「アンデッド……」

「現世に強い恨みや執着を残したために、成仏できずに蘇った死にきれざる者達。
アンデッドとしてのバンシーは、明確に相手を殺そうという意図で行動します。
そしてその泣き声は、予言ではなく聞いた者の生命力を奪う呪いとして相手を束縛します。
これはあくまで呪いなので、もし受けてしまってもバンシーを浄化するなり
倒してしまうことが叶えばその死の宣告から解放されるはずです。
問題は今回のバンシーがどちらに属する者なのかということですが……」

「うん、この書物に憑りついているのは間違いなく、アンデッドとしてのバンシーだね」

さゆみの断言で、ようやく重苦しい空気が少しだけ取り払われた。
里保と遥がしっかり役目を果たせれば、受けた呪いもちゃんと打ち払うことができる。
そのことがはっきりしただけでも、春菜の集めてきた情報の価値は十分だろう。

「他に何か、アンデッドとしてのバンシーについてわかったことはある?」

亜佑美の問いかけに、春菜が改めて説明を加える。


「呪いについてもう少し詳しく説明しておくと、
すでにその呪いを受けてしまった鞘師さん達は、徐々に生命力が奪われていき
最終的には死に至ることとなりますが、泣き声を一度聞いただけなら
効果が現れるまで時間がかかり、おそらく少なくとも数週間の猶予はあるはずです。
ただ怖いのは、その泣き声をまた聞いてしまう、つまり呪いを重ねて受けてしまうと
その効果は何倍にも高まり急激に生命力を失ってしまうという危険な特性があります」

「ということは、いざバンシーと対峙した時に、
またその泣き声を聞いちゃうと2人とも一気に危なくなるのか……」

香音の呟きに春菜が頷く。

「はい。あともう一つ危険な武器がドレインタッチです。
バンシーの魔力を持った手に触られると生命力を吸い取られ、
それだけで死に至る危険性のある恐ろしい攻撃です」

「うーん、やっぱりアンデッドというだけあってとっても厄介な存在なんだね」

「でも大丈夫ですよ。鞘師さんとどぅーの2人なら、
絶対にバンシーの浄化を成し遂げてくれますから」

亜佑美の前向きな発言に、みんなもその通りだと同意する。
そんな中、春菜の説明の最中も難しい顔で黙りこくる衣梨奈の異変に聖が気づいた。

「えりぽん、どうかしたの?」


今のえりにできること。
はるなんの説明の中に何か重要なヒントが隠れていた気がする。
あともう少し、もう少しで大きな道筋が繋がりそうなんだけど。
考えろ、とにかく考え抜いてそれを見つけ出さなきゃ。

その時、これまで聞いたさゆみの言葉が不意に衣梨奈の脳裏に蘇る。

『この書物に憑りついているのは間違いなく、アンデッドとしてのバンシーだね』

『残念ながら本の世界に入り込めるのは『鍵』となる人物と、
それ以外だったら人ならざる者くらいしか不可能でしょうね』

『自分に何ができるか、とにかくよーく考えてみな生田。
よーく考えて、そして思いついたどんな些細なことでも試してみて、
使えるものがあったらそれが何であっても最大限に利用して、
自分にできることを極限まで全部やり尽くしたその時に、
それがきっとりほりほと工藤への何かしらの手助けとなっているはずだから』

アンデッド……。
人ならざる者……。
使えるものはそれが何であっても最大限に利用……。

そうか!! 
やっと繋がった!!! 
えりにもできることがあった!!!!


いきなり力強く立ち上がる衣梨奈。
椅子が音をたてて倒れ、みんなの視線が一気に集まるのも構わず、
噛みつかんばかりの勢いでさゆみに頼みこむ。

「すみません道重さん、黒電話借りていいですか!?」

「うんいいよ、好きに使ってちょうだい」

さゆみの返事とともにダッシュで居間を飛び出す衣梨奈を、
みんなはただ呆然と見送ることしかできなかった。

「なんかいかにもえりちゃんらしいけど、あれって一体どうしちゃったですか」

「生田にもようやく自分にできることが見つかったんでしょ。
まあそんな気にすることもないよ」

楽しげに微笑むさゆみに、周りも訳が分からないままつられて笑みがこぼれる。
その中で、春菜だけは真剣な表情でさゆみに質問をぶつけた。

「道重さん。リリウムという物語について、もっと詳しく教えてくれませんか?
バンシーを生んだきっかけとして、きっとこの物語の悲劇が深く関わっていると思うんです」

「そうだね、じゃあ生田が戻ってきたらその話をしておこうか。
でも覚悟しておいてね。このリリウムの結末も絡んだ完全にネタバレの内容になるから」

さゆみの言葉に、みんな期待と不安それぞれの様子で頷いた。



しばらくして、衣梨奈が居間に戻ってきた。

「どうしたのえりぽん!?」

「うん、別に大丈夫やけん、気にせんといて」

充血させた瞳で明らかに泣きはらした痕の見える衣梨奈だったが、
心配そうな聖の問いかけにも、これ以上の質問を拒むような口調を返す。

「自分のできることは全部やりきることができた?」

わざわざ黒電話を借りたことに深い理由はない。
ただ自分の携帯より黒電話を使った方が繋がりそうな、そんな気がしたから。
そのおかげかどうかはわからないけど、ちゃんと望んだ相手に連絡が取れ、
自分の想いをぶつけることができ、そして勝手極まりないお願いも了承してもらえた。
それがどこまで里保達の力になれるのかはわからないけど、
でもこれで自分のすべき役割は果たせたという、そんな達成感はある。

「はい!」

さゆみの確認の言葉に、ようやく迷いのない返事ができた。
そんな衣梨奈の姿に満足げに頷いたさゆみは、あらためてみんなのことを見渡す。

「それじゃあ生田も戻ってきたことだし、このリリウムの物語について、
悲劇の核心を説明するからね。最後にもう一度だけ念押ししておくけど、
完全なるネタバレの内容だから覚悟しておいてね」

さゆみの真剣な表情に、みんなの表情も自然と引き締まったものとなる。


「全ての悲劇の発端は、このリリウムの物語から遥か3000年前。
ソフィ・アンダーソンというダンピールの少年がとある事件に巻き込まれて、
真祖たるトランプのクラウスに噛まれたことにより、
望まぬ不老不死の力を得たことから始まるの」

「3000年前……」

いきなりの壮大すぎる話に、唖然とするしかない一同。

「不老不死――新たなるトランプとなったソフィに死を与えられるのは、
真祖たるトランプのクラウスのみ。しかし彼は姿を消し、
ソフィの懸命の捜索もむなしく見つけ出すことができない。
死にたくても死ねないまま続く永遠の日々に疲れ果てたソフィは、
ともに永世を生きる仲間を求めた。そのために1000年前、
繭期のヴァンプ達を集め創設したのが、サナトリウム・クランなの」

望まぬ不老不死となり、死を求めてさ迷い歩く永遠の日々。
その凍りつくような時間の流れを想像し、春菜は思わず身震いがする想いだった。
だが、春菜の想いは当然のことだがあくまで想像の産物。
不老長寿というソフィに近い存在ともいえるさゆみにとっては、
これまで経験してきた長きに渡る歳月から、より強くその絶望が響くのではないか。
さゆみの心なしか哀しげな表情から、ふとそんなことを夢想する。

「とはいっても、新たなるトランプのソフィには真祖クラウスのように
噛んだ相手に不老不死を分け与える能力は備わっていない。
でも彼は諦めなかった。その血液を元にして精製し、試行錯誤を重ねた上で
ついには飲んだ者の老いを止める薬を作り上げたの」

「老いを止めるってつまり」

「そう、不老を実現する薬ってことね。ソフィはその薬を、
繭期の症状を改善する薬だとして、集めてきたヴァンプ達に定期的に飲ませた。
さらにソフィは、事前に彼女達を噛んでイニシアチブを掌握し、
クランで暮らすために都合の悪い記憶をその都度消去改竄していった。
こうしてクランの住人は、本人の知らぬままに永遠の繭期を生きることとなり、
ソフィもファルスと名を変えてその一員となることにより、
ついに彼の望み、ともに永遠を生きる仲間を得ることができたの。
まあ、仲間というにはあまりに一方的な押し付けだけどね」

「ファルスって確かどぅーの……」

聖の記憶にうっすらと残るその名前。
さゆみも微笑んでそれを肯定する。

「工藤の宿主となっているのがファルスのようね。
そんなファルスがようやく作り上げた永遠の繭期も、
もちろん1000年もの長い歳月の中では色々トラブルが生じることだってあった」

「……繭期も1000年やってらんないでしょ」

「あぬみんサムい!」

ふと思いついたフレーズをこっそりドヤ顔でささやくも、
まさかの優樹に一刀両断されて凹む亜佑美を、みんな生暖かくスルーした。


「薬との相性が合わずに死んでしまった者も大勢いるし、
不老が実現したのなら不死も同時に備わっているのではないかと試して、
ファルスが少女達を殺してしまったこともある」

「非道い……」

春菜が口を押えてうめくように呟く。その瞳はすでに涙で濡れていた。

「ホント非道い話よね。
そして、りほりほの宿主であるリリーも、トラブルを起こしたことがあった。
スノウとともに800年以上前からクランで過ごす古参メンバーだったリリーは、
500年前に自らが望まぬ永遠を生かされていることを知り、
普通に死ぬことができる元の身体に戻してほしいとファルスに懇願した。
でもファルスはそれを許さず、記憶を改竄してまた永遠の繭期を生きるよう強制したの」

「望まぬ永遠の生を与えるって、3000年前に自分がされた仕打ちとおんなじじゃないですか」

悲嘆と憤慨がないまぜになったような声で衣梨奈が指摘する。

「その通り。でも長い歳月が、それに気づかぬほどファルスの心を歪ませてしまった。
ともあれ、トラブルがあってもみんなの記憶を操作することで乗り切ってきたファルスは、
300年前からファルスの考えに賛同した紫蘭と竜胆の協力も得て、
よりスムーズにクランを運営していくことができるようになった。
ファルスの理想の世界は、このまま永久に続いていくかにも思えたのだけど……」

そこで言葉を切ったさゆみが、一旦紅茶で喉を湿らせた後、
まるで宣言でもするかのように厳かな声を発する。

「その崩壊のきっかけを作ったのは、シルベチカだったの」



「ねえ、本当にお化けが出たらどうする?」

「お化けが出たら大歓迎よ。むしろあたしはお化けがいてくれた方が嬉しいわ。
だって、お化けがいるっていうことは、死んでもまだ続きがあるっていうことでしょ?」

――立入禁止区域探検中、ローズとカトレアの会話より。



シルベチカ。
里保の宿主であるリリーが、ずっと探し続けてきた少女。
彼女の秘密がついに、さゆみの口から明かされる。

「シルベチカもまた、自分が薬で無理やり永遠の繭期を生かされていると知ってしまった。
それに対し彼女は、不老の命を強硬に拒絶した。
薬を飲むことを拒み、クラン中を巻き込んだ大騒動を引き起こしたの。
そして最後には、薬の効果が切れたため止まっていた何十年分の時間が一気に押し寄せ、
急激に老いさらばえた挙句、そんな姿をさらしたくないと
みんなの見ている前で塔の上から飛び降りて自殺してしまった。
それがこの物語の始まりから10年も前のこと」

「10年も前……。じゃあリリーは10年間ずっと、もう死んでしまってるシルベチカのことを
いなくなったと思い込んで探し続けてたということですか?」

「ファルスにイニシアチブで記憶を消されたからでしょ。
あれ? でも記憶を消されたんなら、どうしてリリーはシルベチカのことを覚えてるんだろ??」

聖の疑問に答えた香音だったが、自分もまた話している最中に矛盾を感じて首を傾げてしまう。


「そうだね。事件のあとファルスは当然イニシアチブでみんなの記憶を操作して、
シルベチカに関する情報を消し去った。それでいつも通り全て解決したと思っていたの。
でも、シルベチカの最後の言葉、『私を忘れないで』という一言が、
みんなの心に絡みつく呪縛となった」

「呪縛……」

言葉の力、言霊が与える影響力については、以前衣梨奈もさゆみから聞いたことがある。
この時のシルベチカの一言がまさにそうだったということか。

「シルベチカの恋人だったキャメリアは、記憶は戻らなくても
自分でもわからぬままについ女子寮に何度も足を運んでしまう。
そしてリリーは、不完全ながらシルベチカのことを思い出した。
彼女はシルベチカがいなくなったと思い込み、
何度記憶を改竄されても探し続けるのをやめなかった。
そしてそれは、リリーの『覚醒』を促すきっかけにもなったの」

「『覚醒』ということは、やっぱりリリーにも何か秘密があったんですね」

「秘密という表現だとちょっと違うんだけどね。
まあとにかく、そんな様々な過去を経ての現在。
クランの破滅の始まりは、2つの事件によってだった。
第一の事件の主役が、マリーゴールド。
彼女はマーガレットと親衛隊3人を噛んでイニシアチブを握り、
スノウ――彼女にとってリリーのことを不幸にする存在――を殺すように命令したの。
そして第二の事件の主役が、チェリー、ローズ、カトレア、ナスターシャムの4人組」

その名前を聞いてなぜか自分のことを呼ばれたような気持ちになり、
亜佑美と香音がなんとなく照れたような表情で顔を見合わせる。


「立入禁止区域を探検していた彼女達は、偶然ファルスが秘薬を製作する工房を見つけ、
そこでシルベチカの名前が記載されたクランの歴代在籍名簿と、
リリーとスノウの姿が写っている800年前の集合写真を発見してしまう。
そのため永遠の繭期を守ろうとする紫蘭に口封じで殺されそうになり、
どうにかリリーの元へと逃げ出したの」

「それまで知らないと言い続けてきたチェリー達が、ついにシルベチカの存在を知って
これまで聞いたリリーの言葉が嘘じゃないとわかったんですね」

ずっとリリーの話をまともに受けとめようとしなかったチェリーの後悔が、
なぜだかダイレクトに亜佑美の心に響いてきて、そっと胸を押さえる。

「混乱の中で、リリーが、そしてスノウが、本来操れるはずのないイニシアチブの能力で
危機を脱するなんてこともありながら、ついにはみんなが一堂に会した。
そこに現れたのが、スノウをかばい刺されて死んだと思われていたファルスだったの。
ファルスにとっては、今回のこともよくあるトラブルの一つにしかすぎなかった。
自らの正体を明かし、シルベチカの死について語った後、
いつものようにイニシアチブでみんなの記憶を消し去った。
今回もまたそれで全てが問題なく収まるはずだった……」



ファルスのイニシアチブを受けて倒れ込んだヴァンプ達は、
目を覚ますとこれまでの記憶が消されてしまっていた。
それぞれ起き上がると、みんな何事もなかったかのように普段通りの生活へ戻っていく。
その後残されたのは、ファルス、スノウ、そしてリリーの3人だけだった。

「これで元通りだ。……君達以外はね」

「どうしてあたしは、シルベチカを忘れずにいたの?」

満足げに笑うファルスに、状況の変化に対応しきれず混乱の残る様子のリリーが問いただす。

「それはスノウ、君の口から話してあげればいい」

「……スノウ」

「リリー……。あたしとあなたは800年間もこのクランで生き続けてきた。
800年もの長い間、ファルスの血液を体内に摂り続けたことによって、
あたし達の身体はファルスと同化していったのよ。
あたし達は、ファルスなの。
だから、ファルスのイニシアチブの影響を受けなくなってしまったのよ」

「あたし達が……ファルス!?」

身体が同化するだなんて信じられないような話だけど、これまでリリーと
行動を共にしてきた里保には、確かに話の辻褄が合っていることがわかる。


辛そうに言葉を紡ぐスノウの後を継いだファルスの声は、
好対照なまでに自慢げなものだった。

「その兆候が最初に現れたのは、スノウだった。今から50年ほど前だ。
彼女は僕のイニシアチブの影響を受けることなく、失われるはずの記憶を保ち続けた。
そして……。君にもようやく、その兆候が現れた。
君はシルベチカの記憶を忘れることなく保ち続けた」

そこで恫喝するかのように声を高め、ファルスがリリーに迫る。

「スノウは!! 全てを受け入れてくれた。このクランで永遠に生き続けることを。
だからリリー。君も受け入れるんだ、この運命を」

「あたしは……死ぬのが怖かったの。もし、死から逃れることができるなら、
トランプに従い、このクランで永遠を過ごしても構わないと思った。
でも……!」

「何を怖れることがある!!」

震える声でリリーに真情を吐露したスノウだったが、
最後に伝えようとした何らかの決意を込めた言葉は、声を荒げたファルスに遮られた。


「君達は僕の最高傑作だ。君達はもしかしたら、不老不死の身体を手に入れてるのかもしれない。
でもそれをどうやって確かめたらいい。君達を、一度殺すしかない。
僕は、何度も何度も何度も何度も君達を殺そうとした! でもできなかった!!
君達がもし不老不死でなければ、僕は君達を失ってしまう。
そんなのは嫌だ。僕は、君達を愛しているんだ。
いなくならないでくれ。僕を独りにしないでくれ。
僕は。僕は……寂しいんだ」

自分の世界に酔いしれたように熱く語るファルスの口調は最後
懇願のような呟きに変わるも、それがリリーの心に響くことはない。

「そんなことであなたは、あたし達を800年も苦しませてきたっていうの」

「800年が何だっていうんだ!! 僕は、僕はもう3000年も生きているんだ!!
たった独りで……3000年もだ」

「だからってこんなの、酷すぎるよ」

そしてファルスの剣幕に圧倒されながら上げるリリーの苦しげな抗議の声もまた、
彼の心に届くことはなかった。

「さあ、我が永遠の友よ。未来永劫の時を生き続けよう。
この世界に終わりが来ようと、僕達の終わりはこの世にはない」

それを拒否される可能性などまったく考えていないような、
陶酔した顔つきでリリーを誘うファルス。


「スノウ……ダメよ!」

ファルスの傍らで目を伏せるスノウにかけたその言葉は、
ファルスに従わないよう促すものなのか、
それともこれから起こることを予見してのものなのか。

「ねえ、リリー。覚えてる? あたし達、800年前は親友だったのよ」

「スノウ……」

リリーの目をしっかりと見据えて、すがるような言葉を投げかけるスノウ。

その瞬間。
狂気に満ちた一陣の風が、リリーの背後からまっすぐ吹き抜けた。

「……マリーゴールド!」

「リリーを悲しませるヤツは許さないわ」

走り込んできたマリーゴールドの振るう短剣が、あやまたずスノウの心臓を貫く。
悲鳴を上げることもなくその場に崩れ落ちるスノウ。

「何やってんだよ!! 
どうして!? お前の記憶はイニシアチブで消したのに!!」

倒れたスノウに駆け寄るリリーとファルス。
リリーがスノウを後ろから抱きかかえ、ファルスはその足元にすがりつく。


「……あたしが思い出させたのよ。
あたしとあなたのイニシアチブは同じヒエラルキーにあるわ。
だから、あたしが思い出させたの。マリーゴールドの記憶を。
あたしを、殺したいほど憎いっていう記憶を……」

「スノウ! ダメだ! 死んじゃダメだ! 
君は僕の最高傑作だ。君は、不老不死なんだぞ。死ぬはずがない……。
さあ、スノウ! 立ち上がるんだ……」

取り乱して叫ぶファルスに目をくれることもなく、リリーのことを見つめるスノウ。
真っ赤に泣きはらしたその瞳から、とめどなく涙が零れ落ちる。
そして刹那、燃えるような輝きを放った後、徐々に光を失っていった。

「ねえリリー。忘れないでね、あたしがいたことを……」

「スノウ……」

その言葉を最後に、スノウがゆっくりと目を閉じ、そのまま息を引き取った。

「死んだ! 死んだわ! ハハハハハハ。
これでリリーを悲しませるヤツは消えた。
リリー、私があなたを幸せにしてあげる」

スノウの死を見届け狂喜するマリーゴールド。
その身体から突然、大きく火の手が上がる。


「身体が……燃える! ファルス、あんたのイニシアチブね」

「お前なんか、燃えて……灰になれぇぇ!!!!」

「あんたも私とおんなじね。可哀想な人。アハハハハ、ハハハハ……」

「マリーゴールド……!!」

マリーゴールドの笑い声とともにひときわ大きな炎が舞いあがり、
その身体は灰となって完全に消失した。

目の前でスノウとマリーゴールド2人の死を目の当たりにしたリリーは、
思考が麻痺してしまったのか、ただ名前を呼ぶことしかできない。
そして里保もまた、あまりに衝撃的な光景を前に絶句するしかなかった。

ただ、これでマリーゴールドはバンシーでないことがはっきりした。
となると、残るはやはり……。

「綺麗に消し飛んだ。ハハハハ、ハハハハハ……」

狂ったように絶笑するファルス。
だが、ほんの一瞬だけ重なったその視線は、間違いなく遥のものだった。
それはファルスとリリーの同化の影響か、それとも2人の想いが同じだったためか、
その視線だけで遥の思考がダイレクトに里保に伝わってきた。

そう。後はもう決定的なタイミングを待つだけ。

バンシーとの対峙の刻は近い。



「スノウの死によって、ファルスにとっては全てを共有した存在として
ともに永遠を生きることのできる相手がリリーしかいなくなった。
彼はリリーに自分を受け入れるように迫ったの。
それに対してリリーは、マリーゴールドの、そしてスノウの死をまのあたりにしても、
徹頭徹尾自分自身のことしか頭にない勝手極まるファルスの姿に、ついに怒りが爆発した。
このままファルスの言いなりで、歪み切った永遠の繭期を続けていくわけにはいかない。
そう決心した彼女は、怒りで高まったイニシアチブの能力によりファルスの行動を封じ、
同じくイニシアチブを使ってクランのみんなを呼び出したの」

「一体リリーは何を……」

この後の哀しい結末を予感してか、聖の問いかけは半ば独り言のような弱々しいものだった。
みんなも、息を殺してさゆみの次の言葉を待つ。

「呼び出されたみんなは、リリーの命令により腰の短剣を手に取った。
そして、ファルスが半狂乱になってやめてくれと制止するのも構わずに、
自らの心臓を貫いて、全員が自害して果てたの」

「そんな!!」

思わず上がる悲鳴のような声と、そして嗚咽。


「そしてリリーもまた、ファルスの最後の懇願も無視して同じように自らの心臓を貫き倒れた。
こうして、ファルスが1000年の時をかけて作り上げてきた永遠の繭期は、ついに終焉を迎えたの。
取り残されたファルスは、全てを絞り出すような絶望の叫びを放った後、
諦めたかのように弱々しく立ち上がり、
『僕には時間だけはいくらでもあるんだ。それこそ永遠に』と
捨て台詞を残して独りクランを去った。
そこから再び永きに渡る彼の放浪の日々が始まるのだけど、これはまた別の物語」

重々しい空気が辺りを支配する。
みんなの瞳は涙で濡れ、時折堪えきれず嗚咽の声が漏れる。

「本当に……哀しいお話ですね」

衣梨奈の呟きに、さゆみがため息で応えた。

「そう。ここで終わっても十分に悲劇の物語なんだけどね」

「えっ!?」

「悲劇はこれだけでは終わらなかったの。
リリーは、ファルスが作り上げた勝手極まる永遠の繭期を終わらせるため、
その呪いから解放するためにみんなを死へと追いやった。
ただ彼女の行為は、みんなの意志を完全に無視しておこなわれたものであり、
リリーの自分勝手な思い込みの巻き添えにしたという意味では、
ファルスがこれまでしてきたこととまったく同じだった。
そして彼女は、もっとも残酷な形でその報いを受けることとなるの……」



森を支配していた永遠に止むことのないはずの雨もいつしか上がり、静寂だけが支配する空間。
ヴァンプ達の亡骸が放置されている中を、ゆっくりと上体を起こす人物の姿があった。

それは、リリーだった。

どうしてあたしは、こんなところに倒れているんだろう……。

周囲を見渡し、霞み掛かった思考が徐々に回復してくる。

「……みんな。……夢!?
あっ、あ、あたし……。どうして……。心臓を貫いたはずなのに。
チェリー! ……カトレア! ……マーガレット! ……みんな!
スノウ! ねぇ! スノウ! 起きてよ! 起きてよ! 起きてよ! 起き……。
どうして……。あたしだけが」

手当たり次第みんなにすがって身体を揺さぶるが、一度命を失った者が再び目を覚ますことはない。
なぜ自分だけが生きているのか。動転したままにリリーは落ちていた短剣を手に取り、
そして先ほどと同じように大きく振りかぶると、絶叫とともに自らの心臓を深々と貫いた。

……が、死ねない。
短剣を引き抜くと、胸の傷が見る見るうちに塞がり、全てが元通りに回復してしまう。

「……嘘だ」

ファルスの言葉が、リリーの脳裏に蘇る。

「君達は僕の最高傑作。もしかしたら君達は、不老不死の身体を手に入れてるのかもしれない」

嘘だ! こんなのはあり得ない! こんなことがあってはいけない! こんなことが……。


「あっ! あっ! あっ! 嘘だわ!!!!」

半狂乱で自らの胸を延々とめった刺しにするリリー。
だが、その結果はなんら変わることはなかった。

嗚咽とともに、短剣を取り落す。

死にたかった。みんなとともに死ぬはずだったのに……。でも、死ぬことができなかった。

ずっとあたしのことを気にかけてくれていたチェリー。
心配性で世話焼きのローズ。
退屈と言いながら楽しげに駆け回っていたカトレア。
マイペースで不思議な言動をするナスターシャム。
可憐で天真爛漫なマーガレット。
そんなマーガレットを姉と慕うジャスミン、クレマチス、ミモザ。
時には厳しくあたし達を導いてくれた紫蘭。
いつも温かくあたし達を見守ってくれた竜胆。
シルベチカに深い愛情を注いでいたキャメリア。

みんな、死んでしまった。……いや違う。
あたしが、この手で、殺してしまった。
みんな誰も死にたいだなんて望んでいなかったのに、
それを、あたしは、勝手な想いを押し付けて、無残にも殺してしまった。

この手でみんなを殺めたという重い十字架を背負って、
不老不死の身体とともにあたしに永遠を生きていけというの??
そんなことできるわけない!!
そんなことできないのに……できないのに、死ぬことさえできないだなんて……。
そんな……そんな…………!!!!


「あああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」

絶望の慟哭を上げること三度。
その場に崩れ落ちたリリーは、いつまでも肩を震わせていた。







リリーの口から洩れる嗚咽だけが微かに響くクランの広間。
放置された亡骸の中から、息絶えたはずの一人の少女が音もなく立ち上がる。

真っ赤に泣きはらした燃えるような瞳からは、とめどなく涙が流れ落ち、
その掌はほのかに青白い光を放っていた。

――リリー、そんなに嘆かないで。あたしが今、あなたの望みを叶えてあげるから……

声なき声とともに、その少女――バンシーはうずくまるリリーにそっと近づくと、
魔力を帯びた掌を、ゆっくりとその肩に伸ばした。

 

第三章  第五章

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最終更新:2015年01月24日 21:25