第五章 深愛の果てに

 

バンシーのドレインタッチがリリーの身体に接触する、その寸前。
リリーの前に突如、水の障壁が現れる。
水壁は、触れたバンシーの身体を大きく弾き飛ばすと、そのまま細かい水玉となり消滅した。

「鞘師さん! 今です!!」

声を上げながら飛び込んできたのは立ち去ったはずのファルス――いや、
その身体を支配した工藤遥だった。
遥の声に応えるように鞘師里保もまた、リリーの身体を支配して起き上がる。

「信じたくなかったけど……。本当にそうだったんだ」

「やっぱりあなたが、バンシーだったんだね」

遥と里保が目を向けた、その先にいる人物。

「スノウ……」

遥が寂しげにその名を呟いた。

バンシーと化したスノウの様子は、普段通りの姿とほとんど変わりがなかった。
真っ赤に泣き濡れた瞳。魔力を帯びた掌。いつものスノウと違うのはそれだけだ。

壁際まで飛ばされたスノウがゆっくりと立ち上がり、哀しげな瞳を2人に向ける。

「どうして……。どうしてあたしがバンシーだってわかったの?」

冷たく距離を感じさせるようなその声音もまた、スノウそのまま。


里保は遥と軽く視線を合わせると、厳しい表情でスノウの問いに答える。

「最初の違和感は、あなたの泣いている姿を見た時。
初見のはずの泣き顔をリリーは以前見たことがあると言い、そしてうちも同じことを感じた。
それは前にリリーと記憶を共有したためかと勘違いしたんだけど、
答えはもっと単純なところにあったんだ。
だってうちは実際に、バンシーとしてのあなたの泣き顔を直接見ていたのだから」

――確かにうちは、スノウの涙を見たことがある

「決定的だったのは、スノウ、あなたの死の直前でした。
まーちゃんの指摘がなかったら見逃していたかもしれないけど、
真っ赤に泣きはらしたその瞳に、燃えるような一瞬の輝きを見出して、
そこでようやくハル達は確信したんです。
だってそれは、初めてバンシーと出会った時の、
心を奪われて釘づけになったあの瞳とまったく同じものだったから」

――ちゃんとその瞳を見ればどんなに隠してたってすぐにわかっちゃうんだから!!

「そして、オダベチカの助言。
あなたの名前を冠する花、スノウドロップの花言葉が全てを物語っていたんだ。

『あなたの死を望みます』

うちらの死を望む者、つまりバンシーの正体がスノウ、あなただってことを!!」

――忘れないで、花言葉ってとっても重要なんだよ


これまで長い時をかけてリリウムの世界を体感してきた里保と遥は、
ついにバンシーの正体を暴き、ここにようやく対峙の刻を迎える。

「そうだったのね。でも……嬉しい。
ファルスまで戻ってきてくれるなんて」

正体を見破られていたとわかっても、スノウに動じる様子はなかった。
魔力を帯びた右手をかざしながら、ゆったりとした歩調で2人に近づく。

「待ってスノウ!
うちらはあなたの哀しみを取り除くために来たんだ!
教えて! どうしてあなたはうちらを殺そうとするの?」

「どうしてって、そんなのは今更聞くまでもないこと。
もちろんあなた達の望みを叶えるためよ」

言葉を返しながらもスノウは歩みを止めることなく、
徐々にドレインタッチの射程が2人に近づいてくる。

「やめてください!
ハル達はあなたと闘いたくないんです!!」

遥が素早く呪文を唱えると、スノウの前に先ほどと同じ水の障壁が現れる。
だが、スノウの右手が手刀を形作り、魔力を込めて袈裟懸け一閃するとともに
水壁はあえなく飛散して崩れ去った。

「これはもう、効かないよ」


その瞬間、里保の魔法による突風がスノウの身体を捕らえ、一気に壁際まで押し返す。

「お願いスノウ、話を聞いて!
どうしてあなたはバンシーになんてなってしまったの?
どうすればあなたの哀しみを浄化できるの?」

「ハル達は、あなたを救いたいんです!!」

「あたしがバンシーになったのは、あなた達に死んでもらいたかったからよ。
だから、あたしを救いたいと言うのなら、そんな抵抗なんてしないで、大人しく死んで」

まともな会話も成立しないままに、ドレインタッチのために迫るスノウを
里保と遥が風と水の魔法でいなすという攻防がしばらく続く。

「これじゃあ……キリがないですよ」

遥も里保も、肩で息をするようになってきた。2人とも徐々に消耗してきたのに対し、
バンシー――アンデッドであるスノウは疲れを見せる気配もない。

「いっそ力づくで消滅させる方がよっぽど楽なんだけどね」

「でもハル、スノウを攻撃なんてできませんよ!」

「わかってる。だけど、せめて足止めだけでもしないとこのままじゃ厳しい」

「足止め……。それはいいアイディアね」

「「えっ?」」


里保達の会話に割り込んで答えたのは、スノウだった。
そして彼女はその場に立ち止まると、肩を怒らせ大きく目を見開く。

「どぅー!!」

「はい!!」

スノウが慟哭の声を放つのと、里保と遥の呪文が効果を表すのはほぼ同時だった。

初めてバンシーの慟哭を、呪いの声を受けた時の衝撃は今でも鮮明に覚えている。
春菜の情報を耳にしたわけではないが、もう一度同じ衝撃を受けてはならないことは
里保も遥も魔道士として本能的に理解していた。

里保と遥の合体魔法。
風と水で障壁を組み合わせ真空の空間を作り上げて薄い層と為し、
2人の周りをくまなく囲うことにより一切の音を遮断する。
これでスノウの泣き声も届くことはない、そのはずだった。

次はハル達の番だ。
何か足止めに使えそうな魔法はないか、瞬時に思考を巡らす。

しかし。

スノウの慟哭は、大気だけでなく大地までをも揺るがせた。
その震動は床を伝って2人の足元まで達し、そこから身体全体を震わせる。

「そ、そんな馬鹿な……」

慟哭の呪いが震動として体内を駆け巡り、一気に身体中の力が抜けていく。
集中力が続かず合体魔法も途切れ、よろける遥を支えようとした里保だったが、
力が入らずに身体を抱き寄せた状態で2人とも膝をついてしまう。

「どぅー……大丈夫?」

「あんまり……大丈夫じゃないっす」

ついに2度目の呪いを受けてしまった2人は、息も絶え絶えとなり
呪文の詠唱どころかまともに立ち上がることもままならない。

「これでようやく、望みが叶うわ」

スノウが一歩一歩、着実に歩を進めて2人に近づいてくる。
しかしこの状態では、それを止める術がない。

まずい。このままじゃまずい。どうにかしなくちゃ。どうにかしないといけないけど……。

身体だけでなく、頭も朦朧としてまったく考えもまとまらない。
スノウもすでに、ドレインタッチ射程圏の直前まで迫ってきている。

嗚呼、もうダメかも…………えりぽん!!!!


「そこまでだ、スノウ」

里保が頭の中で友の名を叫んだそのタイミングで、不意に制止の声が広間に響く。
スノウが振り向くと、いつからいたのか、そこに見慣れぬ人物の姿があった。

漆黒のローブを身に纏い、顔には黒光りのする仮面を着用し、錫杖を手にしている。
その姿を一言で表現するならば、まさに怪しさを絵に描いたかのような人物だった。

「あなたは誰? ……いや、誰でもいいわ。
誰にもあたしの邪魔はさせやしない」

スノウが大きく目を見開き、再び慟哭の声を放とうとした、その時。

シャン!!!!

錫杖の音が響き渡り、スノウが俄かに動きを止める。
そして、震える身体でゆっくりひざまずくと、そのまま頭を垂れた。

「こ、これは……イニシアチブ!?」

スノウの呻きとともに、里保と遥の身体に力が戻り、
2人は支え合いながらようやく立ち上がることができた。

「これは一体……どういうこと?」

「……わかんないですけど、あの人が助けてくれたみたいっすね」

スノウがどうにか顔を上げ、悔しげに謎の人物を睨みつける。

「あたしの身体をイニシアチブで支配するだなんて……。
誰? あなたは一体誰なの!?」


スノウの誰何の声に対し、その人物は軽く錫杖を掲げると厳かな声を発した。

「我が名はクラウス!
真祖たるトランプにして、全世界のヴァンプを掌握する者なり!!」

クラウスという名前を耳にして、真っ先に反応したのは遥の身体だった。
ビクンと大きく波打つと、身体中に激しく震えが走る。

「どぅー! どうしたの!?」

「……わかりません。でも多分この身体の持ち主であるファルスがきっと、
クラウスのことを何か知っていて、その名前に反応してるんじゃないかと……」

スノウもまた、その名前を聞き驚愕の表情を浮かべたが、抵抗するかのように大きく首を振る。

「嘘よ……。こんなところに真祖たるトランプがいるはずないわ」

「我は、この世の全てのヴァンプを支配するイニシアチブの力を持つ。
スノウよ。初めて会ったはずの汝の身体がイニシアチブで封じられていること、
それだけで我が存在を証明するに足る、そう思わないか?」

クラウスと名乗るその人物の言葉に、スノウががっくりと頭を落とす。

「嘘よ……。そんなこと……ありえないわ…………」

呪詛のような呟きとともに、スノウの瞳から零れ落ちる大粒の涙が床を濡らしていった。


最初はほんの囁くほどにしか届かなかったスノウの呟きは、
徐々に声量を増していき、ついには全てを振り払うように語気を強める。

「嘘よ……。ありえない……。やっぱりそんなはずはない!!
今のあたしはバンシー。そう、アンデッドなのよ。
たとえあなたが本当に真祖たるトランプだとしても、
すでにヴァンプではないあたしの身体を支配するなんて、できやしないわ」

また顔を上げ、強い瞳でクラウスと名乗るその人物を睨みつけた。

「フフフフ……。ハハハハハハハハ…………」

スノウの詰問に応えるように、俄かにその人物の笑い声が響き渡る。

「その通り。クラウスはこんなところにはいない。
このままバレずに済むかと思っていたんだけどね。
本当は正体を明かさないままでいたかったんだけど、
どうやらそういうわけにもいかないか」

笑いを収めた時には、その人物の口調も声音も一変していた。
その言葉とともに、遥の身体の震えもピタリと収まる。

「誰なの? あなたがクラウスでないというのなら、
あたしの身体をイニシアチブで縛るあなたは誰だっていうの!?」

スノウの再びの誰何の声に、その人物はローブをはためかせると大きく見得を切った。


「我こそは不死王ケメキングデッド、命無き者の王にして闇を統べし存在なり!!!!」

力強い宣言の後に、砕けた口調で嬉しそうに小さな呟きを漏らす。

「フフ、まさか本当にこの見得を切れる日が来るとは思わなかったわ。
もしもの時に備えて普段から準備はしておくものね」

だがそんな場違いな呟きも、スノウの耳には届いていなかった。

「ふ、不死王……」

全てを悟ったかのように張りつめた空気が解かれ、力なく肩を落とすスノウ。

「どうやらこれで、あなたがイニシアチブで縛られている理由も理解できたようね」

「どうして……。どうしてこんなところに不死王がいるのよ!!」

半ば自棄になって叫ぶスノウだったが、不死王はその声には応えず、
まったく状況を呑みこめず強張った表情の里保と遥に話しかけた。

「あなた達には別のちゃんとした名前で自己紹介した方がよさそうね。
はじめまして。……って本当はヤッシーとは二度目ましてなんだけど、
まあ覚えてるわけはないよね。
あたしの名前は保田圭。今は色々故あって不死王なんてのをやってるけど、
さゆちゃん――道重さゆみや、よしこ――吉澤ひとみの先輩に当たる者だ、
という言い方をすればわかってもらえるかな。
ああそうそう、仮面をずっとつけたままでごめんね。本当はこんなのしないでも
いいかと思ったんだけど、よしこが怖がられるから絶対に着けてけって五月蠅くてさ」


不死王などという禍々しい響きに神経を尖らせていた2人だったが、意外にも軽い口調と、
その口からさゆみとひとみという馴染みの深い名前が発せられたことで、
ようやくはっきりと味方であることがわかり、里保も遥も緊張が解いて肩の力を抜く。

「危ないところをありがとうございます。
保田さんがいなかったら本当にどうなってたことか……」

「道重さんからの頼みでわざわざ助けに来てくれたんですか?」

里保の深謝に軽く手を上げて応えたケメコが、遥の言葉に楽しげに答える。

「ううん、あたしが要請を受けたのはさゆちゃんじゃなくて、よしこの方」

「吉澤さんが? わざわざどうして!?」

道重さんならともかく、吉澤さんは今回の騒動のことなんて知らないはず。
なのにどうしてうちらを助けてくれるようなことを!?

予想外の返答にきょとんとする里保を見やったケメコが、上機嫌で種明かしをする。

「ヤッシー。この前あなた、梨華ちゃんが迷惑をかけた時よしこに貸しを作ったんだって?
今回のことはその時の借りを返すためなんだと、よしこはそう言ってたわよ」

以前、聖が思いがけず梨華に連れ去られそうになるという騒動があり、
衣梨奈と里保がどうにか解決した後に、確かにひとみはこう言っていた。

『今回みんなには色々迷惑をかけたし、その埋め合わせはきっとさせてもらうから
もしあたしにできることがあれば気軽に言ってよ』

まさかこんなところでその約束が果たされるとは。
でもなんで、ひとみが今回の件を知ってるんだろう。


「でも感謝するのなら、よしこじゃなくてあんたのいい人、生田にするんだね」

なんでえりぽんに? ていうかいい人って何!!?

ケメコの悪戯っぽい一言に動揺して顔を真っ赤にする里保に代わり、遥が疑問を口にする。

「生田さんが一体どう関わってるんですか?」

「よしこのところに生田から、切羽詰まった様子で電話があったそうよ。
あなた達2人を助けてくれって。
あたしに手助けしてもらうよう、よしこから頼んでくれって。
この前のヤッシーへの借りを返してやってくれって。
仮にも年下の親友に真摯な声で泣きながら頼まれたら断るわけにもいかないよねなんて、
よしこも笑いながら話していたけどね」

「なるほどそうだったんですか。愛されてますね生田さんに」

「ちょ、ちょっと何言ってんのさ!
助けてくれと頼んだのはうちら2人をでしょ! 変なこと言わないでよ」

遥にからかわれて、さらに顔を赤らめながら怒ったように否定する里保を、
ケメコも微笑ましく見守る。

「あたしもよしこには色々世話になってるからさ。
その頼みを快諾して今ここにいるわけだけど。
まあ生田もどこまで理解していたのかはわからないけど、
今回の件であたしに出馬を要請したのは大正解だった」

弱々しく俯いたままのスノウに目をやるケメコ。


「今のあたしは不死王。全てのアンデッドの上位に位置する者。
そこにアンデッドが出没しているのであれば、
たとえ物語の中だろうが何だろうがどんな場所でも往来が可能だし、
そしてアンデッドはあたしの命令に決して逆らうことができない。
この世界の言葉を借りれば、全てのアンデッドに対してイニシアチブを握っているという、
言ってみればあたしはそんな存在なわけよ」

そこでケメコは、芝居がかった冷ややかな声を投げかける。

「だからそこのバンシーは、あたしが責任を持って
無理やりにでも引っ立てて、冥界の門に放り込んで処分してやる」

ケメコの声を背中に受けて、スノウの身体が大きく震えだす。
思わず息を呑む里保と遥。
確かにケメコに全てを任せてしまえば話が早い。それはそうだけど……。

そこで遥が強く首を振ると、意を決して異議を唱えた。

「そ、それはやめてください。スノウはハル達がどうにか……」

「はい合格」

「えっ?」

遥の言葉を遮ったケメコが、満足げに頷く。


「やっぱりさゆちゃんが見込んでるだけあって、責任感が強くていい娘達ね。
さっき言ったようなことも、やろうと思えば簡単なんだけどさ。
ただそこまで手伝っちゃったらさゆちゃんから過保護すぎるって叱られそうだし、
スノウは地獄の業火に焼かれて魂ごと消滅することになるから、
少なくとも彼女を浄化するという目的は果たせなくなるわけよ。
だから、あなた達が本当にスノウのことを救いたいのであれば、
自分達の力で成し遂げなくてはならない。
それこそ2人が乗り越えるべき試練だから、まあしっかりやりなさいな」

ホッとしたような、これからの困難を想って身が引き締まるような、
複雑な心境で遥と里保が顔を見合わせて頷きあう。
そこでケメコが、しまったという風に頭を掻いた。

「ごめんね、ちょっとベラベラとお喋りがすぎたみたい。
普段よしことかたまに遊びに来てくれるくらいでなかなか話し相手がいないから、
こんな滅多にない機会をもらえて嬉しくてついつい口が止まらなくてさ。
でもあたしの口出しもここまで。とりあえず危険な呪いだけは解いておいたから、
後は邪魔にならない場所でゆっくりと2人のお手並みを拝見させてもらうわね」

そしてケメコは錫杖を一つかき鳴らし、物々しい口調で宣告する。

「さあ、深い縁に導かれ次元を超えてリリウムの世界に至りし勇者達よ!
さ迷えるアンデッドと化したこの憐れなスノウの魂を、汝らの手により見事浄化してみせよ!!」

「「はい!!」」

里保と遥の気持ちのこもった返事に、意を得たりとばかり呵々大笑するケメコ。
そして徐々に漆黒が身体全体を覆い、笑声とともにそのまま闇の中へと溶けていった。


春の嵐のような不死王の襲来もようやく一段落し、広間に束の間の静けさが戻る。
不死王のイニシアチブからは脱したはずのスノウも、もはや立ち上がる気力も失せたか、
俯いたまま、ぽたりぽたりと涙で床を濡らすばかりだ。

「スノウ……。
ハル達はあなたにこの命を捧げることはできません。
でも、あなたの深い苦しみを取り除くことはできるかもしれない。
いや、そうじゃない。絶対あなたを絶望から解放します!!」

「だから、教えてほしいんだスノウ。
どうしてうちらをこの世界に呼び寄せたのか。
どうしてバンシーに身を落としてまでうちらの、リリーとファルスの死を願うのか。
あなたの心に巣食う闇の全てを、うちらに聞かせて」

遥と里保のまっすぐな情熱がスノウにも響いたか、
ポツリポツリと弱々しいながらもスノウが心情を吐露していく。

「あたしは……死ぬのが怖かったの。
だからファルスとの同化が決定的となりイニシアチブの影響を受けなくなった50年前から、
あたしはファルスに従いこのクランで永遠を生きることを選んだ。
でも……。リリー、あなたは違った」

スノウが、泣き濡れた哀しげな瞳を里保へと向ける。


「リリー……。
あなたは、あたしにとって800年前からの大切な親友。
その親友のあなたが、ファルスの永遠を拒絶しようとするのを見て、
あたしの心は張り裂けそうだった。
唯々諾々とファルスに従うあたしの姿に、リリーはどう感じて何を思うのか。
もしかしたらあたしの選択に引きずられて、リリーも最後には
ファルスの永遠の繭期を受け入れてしまうかもしれない。
でも意に染まぬ選択をしたリリーは、たとえ身体が永遠を受け入れたとしても、
きっと心はそれを拒絶して死と同様に全てを閉ざしてしまうわ。
あの頃のリリーに戻ることは決してないの。
かといって、ファルスを拒絶するなら、残る道はシルベチカのように自ら死を選ぶしかない。
その場合、親友の死を目の当たりにした上で、ファルスとともに永遠を生きるなんてことは、
あたしには到底容認できることではなかったの。
ファルスに迫られたリリーがたとえどんな選択をしたとしても、あたしの眼前に映る未来は
死への恐怖以上に苦しく受け入れがたいものとなることがはっきりしていた。
……だから。あの時あたしができることは、リリーの負担とならないためにも、
あたし自身のためにも、マリーゴールドの手を借りて死を選ぶことしかなかったのよ」

スノウの口から初めて語られる、親友リリーへの想い。
続いてスノウの視線は、遥へと向けられる。

「ファルス……。
あたしは……。あたしは、あなたのことを愛していた」

おもむろにスノウから発せられた愛の告白に、遥の胸が激しく高鳴る。


「でもわかっていた。
あなたが欲していたのは、永遠の孤独を慰めるために全てを受け入れてくれる
友という名の操り人形だけだということを。
たとえどんなにファルスに愛を注いだとしても、きっとあなたから還ってくるのは、
口では愛の言葉を転がしていても、実質は独善的な気持ちの押し付けだけ。
お互いの愛が混じり合って一つになることは決してない。
それが自明だったから、あたしはこの胸の内に生じたファルスへの愛から目を背けた。
どうしても受け入れることができなかった。
ファルスとともに永遠を生きるということは、あたしにとって何よりの至福であるとともに
それ以上に耐えがたい苦しみの日々でもあった。
だからあたしはファルスから逃げたの。リリーの拒絶をきっかけにして、
あたしは死を選択することによってファルスへの愛から逃げだしたの」

ドンッ!!!

右手を振り上げたスノウが大きく床を叩きつけ、心の内に秘めていた感情を爆発させる。

「でもあたしの選択は誤っていた!!
あたしの死を契機として、リリーはクランの住人を死へと至らしめ、
その重い十字架とともに永遠を生きることを余儀なくされ、
ファルスは作り上げてきた永遠の繭期を失い、また独りきりで放浪の旅を強いられることとなった。
あたしが死を選んだことが2人を不幸へと追いやった!!
あたしこそがあなた達の不幸の元凶なのよ!!」


スノウの語り口調が、徐々に呪詛のような響きを伴ってくる。

「あたしは死して後に大きな悔恨の念に囚われた。
あたしの大切な親友が、愛する人が、死ぬこともできず永遠の苦痛にのた打ち回る中で、
2人を不幸にしたあたし自身は、死へと逃げ込んで安らぎとともに現世を去る……。
そんなことが許されていいはずがない。今のままでは死んでも死にきれない。
せめてあたしに、2人の強いられた永遠を終わらせる力があれば。
ほしい、2人を永遠から解放する力、2人に死を与える力がほしい!!
……そしてあたしは、ついにその願いを叶えることができた。
あたしの強い想いが天に通じたのか、この身はバンシーとして蘇り、
リリーの、そしてファルスの永遠の呪縛を断ち切る能力を手に入れることができたの」

「そんな。そんなことが……」

バンシーがスノウだと確信した時、里保も遥も一つの疑問を抱いていた。
なぜスノウは自分達の、そしてリリーとファルスの死を望んでいるのだろうかと。
死にきれずにバンシーとして蘇ってまで晴らしたい、そんな強い恨み辛みを抱えているのか。
でもスノウからは、深い悲嘆は感じられても恨みや殺意など片鱗も感じ取ることができず、
まったくその答えが想像もつかないまま途方に暮れていたのだけど……。

まさか、スノウがバンシーと化した理由、リリーとファルスへ死を望む理由が、
恨みとは真逆の、重すぎる愛ゆえのものだったとは。
親友を、そして愛する人を、永遠の苦しみから解き放つために、
自ら不浄の者と化してまで相手の死を希求する。
その悲痛なまでの愛の深奥に思いを致し、想像を絶する闇の深さに、里保は眩暈に襲われた。


「でもそれだけじゃダメだった。
たとえバンシーになろうとも、あたしはこの世界に属する者。
その理から逃れることはできない。
あたしは2人を死へと導くことのできる能力を手に入れながら、
この世界の理に縛られてそれを行使することもできず、ただ歳月だけが無為に過ぎていった。
その時だったの。時空を超え宇宙を超え、あなた達の存在を感知したのは」

里保がそっと遥の左肩に手をかけ、遥がその上から自らの右手を重ね合わせる。
ついに2人がこの世界に呼び寄せられた理由が、スノウによって語られる。

「あなた達2人は、遠く次元を超えて、リリーの、そしてファルスの魂の一部を継承する者」

魂の一部を継承。
突拍子もない話だったが、これまでリリーとともにリリウムの世界を体感してきた里保は、
薄らとではあったがお互いの魂に何か通じ合うものを感じており、
その言葉も案外すんなりと受け入れることができた。

「だからあたしは、あなた達をこの世界に導き入れた。
あなた達の命を奪えば、きっとリリーとファルスにも死が、とまではいかなくても
それに近い何らかの影響を与えることができるだろうと思ったから」

初めて慟哭の呪いを受けた時の衝撃、そして元の世界に引き戻された時の感覚が蘇る。
あの時、道重さんの介入がなければ本当に危なかったんだ……。


「あの時はあと一歩で取り逃したけど、慟哭の呪いであなた達を縛り付けることはできた。
だからこそ、受けた呪いを解くためにあなた達は自らこの世界に乗り込んできてくれた。
たとえリリーとファルスの魂の一部を継承しているとはいえ、
この世界にとってあなた達は明らかに理から外れた異物。
異物であるあなた達の存在によって、世界の理に綻びが生じ、バンシーと化したあたしもまた、
ついに理の呪縛から解放され、自分の意志で行動できるようになったの。
そう。あなた達のおかげであたしはようやく、リリーに、ファルスに、
あたし自身の手で死を与えるまたとない機会を得ることができたのよ。
……それなのに!!!」

それはやり場のない無念が凝固したような、痛々しい叫びだった。

「まさか不死王にあたしの悲願を阻まれるなんて……。
いえ違うわ。あたしのことを阻んだのはあなた達2人。
ねえお願いよ。あたしのことを救いたいというのなら、その命をあたしに頂戴。
今のあたしは、リリーに、ファルスに死を与えるため、永遠の苦しみから解放するために存在しているの。
ねえリリー。このままだとあなたは、クランのみんなを殺めたという重い十字架とともに、
この先何百年、何千年と望まぬ永遠を生き続けていかなければならないのよ。
ねえファルス。これまで3000年もの長い間、永遠に囚われてきたあなたなら、
その辛苦は嫌というほど心身に刻み込まれているでしょう。
永遠の繭期なんてこの世には存在しないの。それは砂上の楼閣でしかないの。
あなたはこれからまた先の見えない苦しみを、何千年と繰り返していくのよ。
今のあたしならあなた達の苦しみを救えるのよ!!
あなた達を永遠から解放するのはあたしにしかできないのよ!!
……だからお願い。その命、あたしに頂戴。
これ以上愛する人の苦しむ姿を、あたしはもう見ていられないのよ……」

スノウの悲哀に満ちた心の叫びは、最後には涙とともに哀願に変わり、
虚しく広間の闇の中に吸い込まれていった。


スノウが吐露した魂の激白に、里保も遥もただただ圧倒されるしかなかった。

自らをバンシーに堕してまで相手の死を望むという行為からして、
よほど壮絶な想いと覚悟が秘匿されているのではなんて漠然と考えてはいたけど、
まさかこれほどのものだったとは……。
この圧倒的なまでの愛の重圧と深淵の闇を前にして、
一体スノウにどのような言葉をかければいいというのか。

「鞘師さん!?」

その時、動いたのは里保だった。おもむろにスノウの元へと歩き出す。

いや違う。うちは何もしてない。……なのに身体が勝手に!?

一瞬パニックになりかけた里保だったが、すぐにその原因に思いが至る。

これは、リリーの意志によるものだ。
うちがこの身体を支配してから、休眠状態となっていたはずのリリーの心に、
スノウの悲嘆と哀願の声が届きそして覚醒したんだ。
うちの支配を脱して、今この瞬間、うちとリリーの意志は同じヒエラルキーにある。

そこではたと気づく。自分が今、何をすべきかということに。

「どぅー! 自分の心の内に耳を傾けて!
そこにあるファルスの想いをスノウに伝えてあげて!」

無理やりに自分の言葉を探そうとする必要はない。
ただ、リリーの想いを掬い上げて、ありのままにスノウに届けてあげればいいんだ。


うずくまり涙を落とすスノウの前で膝をついた里保は、その身体をそっと抱きしめる。

「スノウ、ありがとう。
そんなにもあたしのことを想ってくれて」

「リリー……」

里保の口から自然と紡ぎだされたのは、リリーの言葉であり、そして里保の言葉でもあった。
スノウが顔を上げて、悲哀に満ちた瞳を向ける。

「でもね、それ以上に今、あたしはとっても哀しいの。
だって、愚かすぎる自分の選択によって、大切な親友をバンシーにまで貶めてしまったのだから」

「それは違うわ!
あたしがバンシーになったのは、自分自身の意志によってよ。
リリー、あなたが哀しむ必要は何もないわ」

「それを言うのなら、あたしがクランのみんなを手にかけて
無残にもその命を奪ったのも、あたし自身の意志によるものよ。
それはスノウのせいじゃないし、あなたが責任を感じる必要はどこにもない」

リリーの反論に言葉が詰まり、視線を落とすスノウ。


「スノウ。あなたがあたし達を永遠の苦しみから解放してくれようとする、
その気持ちは本当に嬉しい。
でも、もしあなたの手によって念願の死を得てあの世へと行くことができたとしても、
そこから先はどうなるの?」

「そこから先……?」

「あなたは悲願を叶えた後もバンシーとしてこの世界をさまよい続け、
たとえいつか誰かの手にかかり活動を停止したとしても、アンデッドの行く末は地獄のみ。
あなたとあの世で再び巡り合うことすらできないのよ。
あたしの大切な親友が、アンデッドとしてこの世をさ迷い歩き、死してなお地獄の業火に焼かれる中を、
あなたをアンデッドとして貶めた元凶であるあたし達が、死へと逃げ込んで安らぎとともに現世を去る……。
そんなことが許されていいはずがない。そんな状況では死んでも死にきれないよ」

それは、先ほどスノウが語った悔恨の念と、まったく同じような言葉だった。

『あたしの大切な親友が、愛する人が、死ぬこともできず永遠の苦痛にのた打ち回る中で、
2人を不幸にしたあたし自身は、死へと逃げ込んで安らぎとともに現世を去る……。
そんなことが許されていいはずがない。今のままでは死んでも死にきれない』

リリーの言葉に、スノウが驚いたような表情となり、
そして何かを悟ったかのようにゆっくりと目を閉じた。


「そう。残念だけど、あなたが今やろうとしていることは、誰にも幸せをもたらさないの。
それは結局、哀しみの連鎖を繋げていくだけなんだ」

リリーの悲痛な宣告。スノウの閉じた瞳からまた涙が溢れだし、とめどなく頬を伝い落ちる。

「そんな……。リリーの、ファルスのことを想って、
あなた達を苦しみから解放したくてバンシーにまでなったというのに、
それなのに、そんなあたしの存在自体が結局あなた達を苦しめるだなんて……。
あたしにはあなた達を幸せにすることができないの?
あたしは一体どうすればよかったの? この先一体どうすればいいの……?」

震える身体とともに、うわ言のように絶望に満ちた問いを投げかけるスノウ。
その震えを、絶望を全て受け止めるように、リリーは強くスノウの身体を掻き抱いた。

「スノウ、あなたにももちろんできることはあるよ。
ううん、そうじゃない。あなたにお願いがあるんだ。
それはあなたにしかできない、あなたにしか頼めないこと」

「あたしにしか……できないこと」

「自分勝手な押し付けで、クランのみんなを殺めたのはあたしの罪。
罪を犯した者は必ずそれに対する罰を受けなければならない。
だからあたしはその重い十字架を背負いながら、望まぬ永遠を生きていく。
でもね、あたしは諦めない。いつか永遠を打ち破って死を得る方法を探し続ける。
何百年、何千年かかろうと絶対にそれを見つけ出してみせるから」


まるで子供をあやすかのように、スノウの黒髪を優しく撫でつける。

「だからお願い。スノウは先にあの世に行って、クランのみんなと一緒に
いつかあたしが会いに行くまで待っていてほしいんだ。
親友のあなたがあの世で待っていてくれてると思えば、
あたしも希望を捨てることなく頑張れる。どんな苦難だって乗り越えられるから。
だから……。いつかスノウの元へたどり着くその日まで、あの世であたし達のことを見守っていて」

「あの世で見守る……」

「見守るだけが能じゃないさ」

リリーが軽く身体を引くと、入れ替わりにスノウの手を取ったのは遥、いやファルスだった。
スノウの手を引いて立ち上がらせたファルスが、その身体を引き寄せる。

「少し踊ろうか」

「ちょっと何するの。やめてよ、今はそんな気分じゃない」

「この世ではこれが、君と僕とで踊る最後のダンスだ。後生だから僕に付き合ってくれないか」

最後という言葉が胸に響いたのか、スノウは抵抗を止めて黙ってファルスに身を任せた。


「ねぇスノウ。たとえこの世では最後のダンスでも、それが全てじゃない。
彼女達、異世界の住人であるこの2人がその証明だ」

「どういうこと……?」

「彼女達は、僕とリリー、2人の魂の一部を、次元を超越して継承する者だ。
これはとても素晴らしいことだと思わないか。
スノウ、君もあの世では僕らのことをただ見守るだけではなく、
自分の魂の一部を次元の彼方へと解放してみればいい。
いつの日か、こことは全く違うどこか別の世界で、
僕とスノウ、それぞれの魂の一部を受け継ぐ者達が巡り合い、そして再びダンスに興じる。
そんなことを夢想するだけで、たまらなく胸が高鳴るじゃないか」

優雅にスノウをエスコートしながら、自信に満ち溢れた口調で語るファルス。

「でも君がアンデッドとして地獄に落ちてしまえば、その魂も消滅し、
僕の夢想も永遠に叶わなくなってしまう」

そしてゆったりと足を止めたファルスは、スノウの身体を情熱的に抱きしめた。

「だからスノウ。君は先にあの世に行くんだ。
僕の夢想をいつか、現実のものとするためにね」

「ファルス……。あなたはこんな時でも自分のことばかりが優先なのね」

スノウの返答には、どこかしら呆れたような苦笑いの響きを伴っていた。
それはバンシーとなって初めて見せる、悲嘆以外の人間的な感情の発露。


自分勝手にしか聞こえないファルスの言葉も、
その実は彼なりにスノウのことを気遣ってのものだと遥にはよくわかる。
そしてそのファルスなりの思いやりは、スノウにも確実に届いている。

ファルスに抱かれたスノウの背中から、リリーがさらに包み込むように抱きしめる。

「お願いスノウ。あたし達のこの想い、受け入れて」

2人にやさしく抱かれ、黙って目を閉じるスノウ。
再び目を見開いた時、その瞳から悲嘆の色は消え去っていた。

「温かい……。この凍えきったバンシーとしての身体に、
あなた達の温もりが、想いが、染みわたってくる。
あたしのことをこんなにも想ってくれるなんて……嬉しい」

悲嘆の消えた瞳から零れ落ちる大粒の涙。
それはキラキラと朝露のような清々しい輝きとともに拡散していき、
ゆっくりとスノウの身体を包み込んでいく。

「スノウ!?」

「これは……嬉し涙よ。
嘆きの涙を流せなくなったバンシーは、もうバンシーとして存在できない。
バンシーでなくなったあたしは、これ以上この世にはいられないの。
だから……。この嬉し涙とともに、あたしはこれからあの世へと旅立つわ」

リリーとファルスに見守られながら、安らかな表情で感謝を伝えるスノウ。

「ありがとう、リリー。ありがとう、ファルス。
あなた達が永遠の呪縛から解放されるのを、あの世でいつまでも待ち続けているから。
ありがとう、ヤッシー。ありがとう、くどぅー。
いつかまた……あなた達に……会い……たい…………」


その言葉とともに、涙の輝きがスノウの身体全体を覆いつくし、
一際大きな光を伴って、スノウはついに天へと召されていった。

「スノウ……」

涙ながらにスノウを見送った里保と遥。
安堵と、達成感と、物寂しさと、言葉にできない様々な感情が心の内を駆け抜ける。

そんな2人の前に、錫杖の音を響かせて闇の中から再び不死王が姿を現した。

「バンシーの浄化、見事であった!! 我、不死王の名においてしかと見届けたり!!」

大仰な口調で褒め称えると、一転して砕けた調子で声をかけるケメコ。

「それじゃああたしも最後の仕事をしましょうかね。
あなた達もちゃんと使命を果たしたし、これでこの世界ともお別れ。
さあ2人とも目を瞑って。これから元の世界に送り返すからさ。
みんなあなた達のことを心配して待ってるわよ」

バンシーの浄化を、自らの呪いを解くために訪れたこのリリウムの世界。
個性溢れる人々と巡り合い、そして多くの悲劇を目の当たりにしてきた。
それでも、スノウを哀しみから解放できたことで、ほんの少しだけ救われた気がする。
リリー。ファルス。2人ともこれまで長い間ありがとう。
うちらもあなた達のことを、自分の世界からずっと見守っているから。

里保と遥は万感の想いとともに目を閉じ、そっとリリウムの世界に別れを告げた。



意識を回復した里保の目にまず飛び込んできたのは、さゆみの柔らかい笑顔だった。

既視感のある光景。自分が今ベッドに横たわっていることに気づく。
横を見ると遥も同じように、状況を認識できていない様子で目をしばたたかせている。

もしかして、今までずっと夢を見ていただけ?

ベッドの周りには見慣れた面々が、心配そうに2人の様子をうかがっている。

はるなん、えりぽん、ふくちゃん、香音ちゃん、亜佑美ちゃん、まーちゃん、……オダベチカ?

笑顔でたたずむ小柄な少女の姿が一瞬視界をかすめたように感じたけど、
その幻は瞬き一つで儚く消え去った。

視線を一回りさせて、さゆみの元へと戻す。

「りほりほも工藤もおかえりなさい。2人ともよく頑張ったね」

さゆみからのねぎらいの言葉。
そこでようやく、これまでの体験がやっぱり夢じゃなかったんだと認識できた。

本当に帰ってこれたんだ!! 使命を果たすことができたんだ!!

さゆみの一言をきっかけに、周囲から歓喜の声が上がる。
衣梨奈と聖と香音の3人が抱き合って喜び、春菜は思わず安堵の涙を流している。


「どぅー! やすしさ~ん!!」

優樹がベッドに飛び込み2人に抱きついてくる。
そして亜佑美も今回はそれを止めようとしなかった。優樹に続けとばかり
自らもベッドに飛び込み、それを見たみんなが次々とベッドへと突撃していく。

本来無理をしても定員3人程度が限界のベッドの上は、
8人の少女が入り乱れて「おしくらまんじゅう」状態となり、
みんな泣き笑いになりながら喜びを全身で表現する。

「みんなが手を貸してくれたおかげで、うちらは何度も助けられたんだ。みんなありがとう!」

半ばみんなの身体に埋もれかけながら、感謝の言葉を伝える里保。
そのすぐ側に、香音に圧し掛かられてもがく衣梨奈の姿があった。

「えりぽん……。えりぽんが吉澤さんに、保田さんに声をかけてくれなかったら、
きっとバンシーの手にかかり帰ってこれなかった。
うちらが今こうしていられるのは、えりぽんが助けてくれたおかげだよ。
本当に感謝してるから」

「えりは、里保達に何も手助けできないんじゃないかとずっと悩んどったけん、
そう言ってもらえると、えりも役に立てたんだと嬉しい」

香音の重圧に息も絶え絶えの衣梨奈が、どうにか右手を伸ばして里保の頭をぽふぽふすると、
里保も顔を赤らめながら黙ってそれを受け入れる。


「う~ん、愛されてますね~」

そこに遥がここぞとばかりからかうと、みんなもこぞって2人を囃し立てた。

「ちょっと、どぅーもなんでまたそういうこと言うのさ!
でもそんなどぅーだって、うちはちゃんとわかってるんだからね」

「な、なんですかいきなり思わせぶりに」

「どぅーってさ、スノウのことが好きだったんでしょ。
傍から見てたら、どぅーがスノウにベタ惚れなのがバレバレだったよ」

里保の思わぬ反撃に遥の顔が一気に紅潮し、周りのからかいの対象も遥へと移る。

「なになに、もっと詳しく聞かせてよどぅー」

「まだまだ少年だとばかり思っていたくどぅーも、もうお年頃なんだね」

「ちょっと何それ信じらんない! どぅーなんかもう知らないんだから!!」

「優樹ちゃんが焼き餅焼いてるよ!」

自然に広がっていく、ほっこりとした笑顔の連鎖。

いつ終わるともしれないみんなのじゃれ合いを、
さゆみが眩しそうな表情で暖かく見守っていた。



「じゃあリリウムの書物は、ここの本棚に収めておきますね」

春菜が勤める古本屋の奥にある秘密の書庫。
本棚は壁際を全面取り囲むように並ぶのみで、綺麗に整頓されていることもあり、
より広々とした空間を感じさせる。

「あの雑然とした古本屋の奥に、こんな場所があるなんて全然知らなかったよ」

「ここは選ばれた人にしか入ることのできない特別な書庫ですから。
2人をここに案内するよう道重さんの指示があったのも、
きっと鞘師さんとくどぅーへのご褒美だと思いますよ」

「えっ? 道重さんからは、リリウムを保管するから
はるなんと一緒に行っておいでとしか聞いてないけど?」

「この書庫には、道重さんのお宅ほどじゃないですけど
珍しい魔道書や魔法に関する研究書が数多くありますから。
この場所への案内を許可したということは、今回頑張った2人に
ここにある本を自由に閲覧していいよという意味ですしね」

どことなく自慢げな様子で里保と遥に説明する春菜。
遥も感心したように部屋全体を見回し、思わずため息をついた。

「ハルは実践派だから普段魔道書とかほとんど読まないけど、
せっかくだからもっともっと強くなれるように、少しはここで勉強してみようかな。
でもこれだけたくさん本があると、一体どこから手を付けていいのやら」

「フフフ、くどぅーの場合はまず自分がまともに読める魔道書を探すところから始めないとね。
大丈夫、読みたい分野とか教えてくれれば、あたしが目ぼしい本を見繕ってあげるから」


興味深げに本棚の背表紙を眺めていた里保が、ふと気になって春菜に訊ねてみる。

「でも貴重な魔道書を、こんなわかりやすい場所に保管していて大丈夫なの?
それこそ誰か普通の人でも間違って入れそうだったけど」

「先ほどは、案内人の私が一緒だったからすんなりと入ってこれましたけど、
本来は選ばれた人以外、入り口の扉を見つけることもできないようになってるんです。
何しろ道重さんの魔法の力も借りて仕掛けを施していますから、
たとえどんな魔道士でも自力だけで入り込むのはまず不可能だと思いますよ。
ましてや普通の人がこの書庫を見つけることなんて……」

コンコンッ!

その時、春菜の説明を真っ向から否定するように入り口の扉がノックされ、
呆気ないほどにすんなりと、一人の少女が書庫に入室してきた。

「すみません……。美術関係の本を探してるんですけど、ここには置いてますか?」

オドオドと緊張した様子で声をかける少女の姿に、
春菜があり得ないという表情で大きな瞳をさらに丸くする。

里保と遥もまた、驚愕とともに顔を見合わせたが、春菜のそれとは意味合いが異なっていた。

透き通るような綺麗な瞳が印象的な、黒髪の美少女。そして甘く耳に残る声音。
その何もかもが、スノウと瓜二つだった。

遠く次元を超えて、スノウの魂の一部を受け継ぐ少女。
スノウはあの世で、ファルスとの約束を守ったんだ。


その認識が事実かどうかは誰にもわからない。
だが、里保も遥も瞬時にそう理解して、2人で嬉しそうに笑みを交わし合った。

「あ、あの……。もしかしてあたし、お邪魔でした?」

3人が見せる異様な雰囲気にすっかり萎縮してしまった少女が、
恐る恐るといった口調で訊ねる。

その時だった。

それは遥の意志によるものか、はたまた遥の魂の一部を形成するファルスの意志がそうさせたのか。
優雅な足取りで少女の元へと近づく遥。そこで片膝をつくと、恭しく手を差し伸べた。

「いきなりの申し出でごめんなさい。ハルとここで、一緒に踊ってくれませんか」

あまりにも大胆すぎる遥の誘いの言葉に、里保も春菜も固唾を呑んで成り行きを見守る。

少女もまた、驚いたように身を硬くしていたが、
やがて何かを理解したかのように、柔らかく相好を崩す。

それは、遥がずっと、見たいと望み続けていた笑顔だった。
咲きほころぶ花の美しさを思わせる、華やかで暖かい微笑み。

そして少女は、ゆったりと遥の手を取った。

「ええ、喜んで」


(おしまい)

 

第四章  あとがき

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最終更新:2015年01月24日 21:26