本編24 『大魔女の失錯』

楽しい食事会が終わり、どこか気怠い空気が流れる道重家で
里保達は後片付けやお風呂の支度をしながら衣梨奈の帰りを待っていた。
さゆみも何気なくつけたテレビをぼんやりと眺めながら、ガタガタと雨戸を揺らす風の音を聴いている。

一通りすることを終えた里保と亜佑美、それに遥と優樹も
さゆみの周りに集まって何を話すでもなくテレビを見始める。

「生田さん、遅いですね」

ぽつりと亜佑美が呟いた。
一同の視線が時計に向く。

聖たちがさゆみの家を出てから40分程。
二人の家まで行くのにゆっくり歩いても片道15分というところなので、確かに少し遅い。

「譜久村さんたちと話し込んでるんですかね」

「生田さん、風で飛ばされてたりして」

遥の返事に亜佑美がおどけると、小さく笑いが起きて会話はまた無くなった。
さゆみも里保も一緒に笑ったけれど、二人はまだ暫く時計を見ていた。

意外と気遣い屋の衣梨奈が、嵐の屋外で二人を引き止め立ち話なんてしないはず。
聖か香音のどちらかの家に上がらせて貰って喋っているのだろうか。
それなら連絡をよこしそうなもの。
亜佑美や遥はまだ衣梨奈をただ破天荒な人だと思っている節があるけれど
細かい気遣いをする子だとさゆみや里保は知っていた。
だから少しだけ、心配になる。

テレビの賑やかな音が風の音と混じる奇妙な静寂が続いた。


今度はさゆみが、ふと声を出した。

「そういえば今日、ふくちゃんと香音ちゃん何かあった?」

部屋の空気が一瞬ざわつく。
里保と遥と亜佑美は遠慮がちに互いの顔を見合わせ
優樹もよくわからないままキョロキョロと顔を見比べた。

「なんか元気無かったですね、お二人とも」

「たしかに、あんま喋って無かったかも。朝は普通だったと思うけど…」

亜佑美と里保が答え、そこで初めて一緒にいた全員が同じ感想を抱いていたのだと気付いた。

さゆみは子供たちの顔を見回し
みんなそれに気付いていたけれど、思い当る節も無いらしいことを感じ取った。

「あ、譜久村さんはアレかなぁ」

遥が思い出したように言うと、視線がそちらに集まる。

「ひまわり畑の…」

「ああ…」

「何かあったの?」

さゆみが促すと、遥の口から昼間あった、ひまわり畑での顛末が語られた。

そのとき聖は確かに落ち込んでいるように見えた。
だけどそれが、夜まで引きずるような出来事だっただろうか。
そして、香音もまたいつもと違う雰囲気になっていたことの説明にはならない。


だけど子供たちは、納得できる答えが無いから仕方なく
その出来事が原因だと決めつけようとしているらしかった。

「そんなことがあったんだ」

さゆみは長々と喋る遥の話を最後まで聴き一つ肯いた。
それから少しだけ深く椅子に座り、二人のことを考える。

聖も香音も年頃の女の子。
色々な悩みや不安もあるだろう。
些細なことに心を動かし、揺さぶられて、ゆっくりと大人になっていく。
それは全然構わない。

だけど――

さゆみは改めて食卓を囲んでいた時の二人を思い出した。

ただ元気が無いというだけなら感じない違和感。
それは、さゆみの視線を恐れるような仕草だった。
そうして思い出していくと、特に聖はさゆみだけでなく、衣梨奈や里保にさえそういう様子を隠しきれていなかった。

彼女達の立場。その悩みの片鱗がふと脳裏に閃く。

一緒に食卓を囲んだ9人の中で、二人だけが魔道士じゃない。
以前は聖や香音が普通で、衣梨奈や里保が特殊な『魔道士』だった。
けれど遥や優樹、亜佑美がやってきて、仲間としてつるむようになって
彼女たちは一転、仲良しの輪の中で二人だけのマイノリティになってしまった。

衣梨奈や里保たちがそんなことを気にしていなくても
二人にとってそれは大きな変化だろう。


さゆみは、何となくそれを気遣って二人に接していたという自覚があった。
請われれば魔法や魔道士についていろいろと教えて来た。

だけど、衣梨奈と里保と遥と優樹と亜佑美、魔道士が魔道士だから当然共有している感覚や常識、思考は
どうしたって二人には共有出来ない。
それで疎外感を覚えてしまったとしても不思議ではない。

魔道士とそうでない人。その関係にはいろいろな形がある。
付き合い方もいろいろで、友人関係として上手くやっている人達も大勢いる。
だけど『対等』であることは、不可能ではないけれど存外難しい。

きっと魔道士の存在を知ってから二人の中にはそういう小さな違和感が燻っていたのだろう。
そして今日、自分たち以外の『魔道士ではない女の子』、話に聞く小田さくらという女の子が
限定的に輪に入ったことで、その想いが何らかの形で噴出したのかもしれない。

さゆみはそこまで考えて、一度椅子の背もたれにゆっくりと体重をかけなおした。

魔道士に対する気持ち、知りたいこと、衣梨奈や里保に対する気持ち。
多分様々なものが二人の中に揺れまどっていて、不安になっている。

それもじっくり時間を掛けて解決していけばいいこと。
魔道士だって普通の人だから、誰が相手でもその関係は一対一、それぞれで違うのだから。

だけどあまり悩むようなら、二人にお話してあげよう。
さゆみだっていろいろな人と、その関係を見て来たから役に立つアドバイスも出来るはず。

さゆみは、一つ小さく笑って考えるのを終えた。
少し落ち着かない素振りでいた子供たちは、さゆみの表情を見てどこかホッとして
またテレビへと視線を戻した。


「それにしてもほんとに遅いな、えりぽん」

里保が呟き、またみんなが時計を見た。
さっき見てから長針が半周。いくらなんでも遅すぎる。

「電話してみたら?」

さゆみの声に里保が肯き、携帯電話を取り出す。

相変わらず風が雨戸をガタガタと鳴らしていた。
風が怖い歳の子供はいないけれど、それでもその音は言いようの無い不気味さと不安を部屋の中に醸していた。

「出ない…なんで…?」

里保の声に、漠然とあった不安が不意に色を帯びる。
亜佑美が驚いた顔で立ち上がり、遥と優樹に視線を送る。
優樹も不安気に眉を垂れた。

「ちょっと見てきます」

里保が立ち上がり、玄関に向けて歩き出した。

「あ、鞘師さん!あたしも行きます」

亜佑美が続く。

「まーも行く!」

優樹が立ち上がり、続こうとした所で
里保が振り返り笑って見せた。


「いいよ、大丈夫だよ。
どぅーと優樹ちゃんは先お風呂入っちゃいなよ。
どうせえりぽん、二人と立ち話が盛り上がって時間忘れてるだけだろうし」

柔らかく笑う里保が、それでも有無を言わせない空気を放って
それで言葉を返せなくなった優樹が渋々と椅子に座りなおした。

里保はもう一度優樹に笑い掛け、亜佑美と目を見合わせて一つ肯き合った。
それからさゆみに告げる。

「行ってきます」

「うん、気を付けてね」

里保と亜佑美が出ていき、部屋に3人が残った。
ガランとした部屋で、また風の音とテレビの音が無機質に響き始める。

「二人とも、お風呂先に入っちゃう?」

優樹と遥が感じているであろう不安を鎮めるように
さゆみが優しく笑い掛けた。
遥がそれに、ぎこちない笑顔で答える。

「いえ、先にいただくの悪いし、生田さんが帰ってくるまで待ってますよ」

優樹もコクリと肯いた。

 

.


風は一層強さを増していた。
時々テレビの音を掻き消して、映像に集中しようとしても出来ない。
衣梨奈がまさか風に飛ばされたのではないだろうけれど
帰りの遅い理由に思い当らないことが不安だった。

さゆみは今更、そんな感情になっている自分に酷く戸惑っていた。
ただ帰りが遅い。それだけのことなのに。
そんなに、他人に興味は無かったはずなのに。

遥も優樹もテレビを見ているけれど、顔は笑っていない。
暴力的な風の音がただ不快に轟いた。

突然、けたたましい音が室内に響く。

飛び上がらんばかりに驚いた優樹と遥がそちらを見ると
部屋の隅の黒電話がビリビリと音を立て震えていた。

殆ど鳴ったことがない道重家の電話。
番号を知っている人が殆ど居ないし、さゆみに何か用を告げる相手は
大抵パソコンの通信を利用してくるから。

無機質で喧しい音に怯えた遥と優樹もういちど笑みを投げかけ
さゆみは立ち上がり、受話器を取った。


「もしもし?」

『あ、道重さんですか!?石田です!!』

ただ事では無い亜佑美の声。
さゆみが眉を顰める。

「なに?どうしたの?」

『生田さんが…生田さんとはるなんが倒れてるんです!!』

「な…に…?」

『今、鞘師さんが飛んで、私もはるなん、連れて戻ります!すぐ戻ります!!』

さゆみは亜佑美の言葉の意味を暫く理解出来ず、ただ目を見開いて受話器を耳に押し当て
目の前の壁を見ていた。

鼓動が速まる。

衣梨奈と春菜が、倒れている――?

それは大魔道士として、衣梨奈の師として
彼女達の身の周りの殆どを把握していると奢っていたさゆみにって
受け入れがたい事実だった。


 


亜佑美の言葉通り、通話を切ってすぐに
里保と亜佑美は家に戻って来た。

さゆみはその僅かな時間を、酷く動揺している自分自身を鎮めることに費やした。

優樹と遥が今にも泣き出しそうな不安を顔に湛え見守るなか
息を切らせた里保がぐったりと動かない衣梨奈をソファーに横たえる。
更に息を荒くしている亜佑美が、小さな黒猫を椅子の上に寝かせた。

二人に優樹と遥が駆け寄る。
その後ろからさゆみもゆっくりと近付き、深く瞼を落としている衣梨奈の頬を一つ撫でた。

「…何があったの?」

さゆみは努めて落ち着いた声で里保に尋ねた。
いつもの笑みは、今は浮かべられそうに無い。

里保は大きく二つ肩で息をしてから、幾らか眉を顰めさゆみに答えた。

「…わかりません。ただ、道に二人が倒れていました」

亜佑美も不安気な顔で首肯する。
さゆみはもう一度、衣梨奈と春菜の顔に手を当て
それから肩、胸、腰、足と順に、ゆっくりと手を這わせた。


「うぃくたさんとはるなん、大丈夫ですか…?」

優樹が目に涙を溜めてさゆみを見上げる。

「うん、ただ気絶してるだけみたい。そんなに心配する程じゃないよ」

さゆみが二人に這わせた手をそのまま優樹の頭にのせ、小さく撫でた。
遥と里保と亜佑美からも、微かに安堵の息が漏れる。

ガタガタと雨戸が揺れる。
その奥から僅かに、雨の叩きつける音が聞こえ始めていた。

さゆみがもう一度里保を見る。

「おかしいね」

里保もその視線を受け、肯いた。

「はい。魔力が、感じられません」

さゆみは里保の返事を聞き、深く肯くとそのまま
顎に手を当て、考え始めた。


状況はとても不可解だ。

二人は何者かに襲撃された。
それは間違い無いだろう。
しかし、その目的が全く分からない。

さゆみを狙う魔道士が弟子である衣梨奈を襲う可能性はある。
だけどそれなら、その後に何らかのアクションを起こすはずであり
人質になりうる二人をその場に放置するのも不自然。

それならば、通り魔的に魔道士に襲われたのか。
だけど衣梨奈にも春菜にも、『奪われ』た形跡が無い。

そして最も不可解な点が、二人の身体に、全く相手の魔法の痕跡が無いこと。
気絶させた後に、痕跡を消す処置をした可能性はある。
または相手に痕跡の残らない魔法を開発し、それを使用した。

だけどやはり、そこまでして気絶させた相手を、『奪い』もせず放置することが不自然過ぎる。

それと、家にいたとはいえ、さゆみが全く気付かなかったこと。
衣梨奈や春菜ほどの魔道士を気絶させるには仮に不意打ちだったとしても、相当の魔力を要する。
さゆみは街の中で起こる魔力の動きを、小さな物でも詳細に把握している自負があったから
相手はその感覚をすり抜け、衣梨奈達を襲撃し、気絶させたことになる。
そんなことが可能な魔道士がいるだろうか。

ならば魔道士でない者が、魔法以外の方法で二人を襲った。
さゆみも真っ先にその可能性を疑い、二人の身体を検分したけれど
それらしい外傷も、薬品の痕跡も無かった。
ただ腰に、壁に打ち付けたのだろう小さな痣があるだけ。


まるで犯人像が持ち上がらず、さゆみの顔が徐々に険しさを増していた。
そして無意識に、親指の爪を噛む。

そんな仕草や、さゆみの眉間に寄った皺を初めて見た里保や亜佑美はただ驚き
それからこの事態の何か恐ろしい深刻さに遅れて気付いた。

さゆみが考えている間、誰も言葉を発することが出来ず
ただ不安げに衣梨奈と春菜とさゆみに視線を往復させた。

不意にさゆみが振り返り
壁際に腕を大きく払った。

すると誰も居ない壁一面に、次々と夥しい数のスクリーンが現れる。
その数は、100や200ではきかない。
里保は突然のことに驚き飛び上がり、それからソレが何なのかを理解した。
夥しいスクリーンには一つに一人ずつ人物が映り、動いている。
その中には知っている顔もあった。
この街で暮らす魔道士。
恐らく、その全てが映し出されている。
そう理解した瞬間里保の背筋に冷や汗が伝った。

「違う」

さゆみが夥しい数のスクリーンをざっと見渡し、そう呟いて腕を払う。
すると瞬く間にそれらは消えてしまった。

里保も亜佑美も遥も優樹も、驚きのあまり数歩身体を後ろに引いていた。


さゆみはまた爪を噛み、椅子に腰を下ろした。

二人の意識を魔法で無理やり覚醒させることは出来る。
そうして話を聞くのが一番てっとり早い方法。
だけどそれは二人の身体に負担を掛けることになる。
さゆみには出来なかった。

二人が襲われたのも、今尚全貌を把握できないでいることも
間違いなく自分の失態。
弟子を守れなかった。

嫌な感情が、さゆみの奥底から沸々と湧き上がるのを感じていた。
守りたいものを守れなかった。その忌まわしい記憶の数々。

思えば幾つも幾つも、さゆみには守りたいものがあって
その全てを守ることが出来なくて、失った。
残ったものはさゆみ自身の命。それだけ。

次第にさゆみには守りたいものが無くなっていった。
守るべきものを作らないようになった。
そうして長い長い時を過ごす間、何にも執着せず受け流し過ごしている間は
さゆみはどんなことでも出来たし、どんなものも恐れるに足りなかった。
何一つ失う物が無かったから。
自分の命に対してさえ、感興が湧いていなかったから。

今はっきりと、さゆみは自分がここ最近酷く『不安定』になっている理由を悟った。
守りたいものが出来てしまった。
もう遥か昔に忘れたはずの感情を、その不安定な感情をその頃と同じように持ってしまった。


心がそれを否定しようとしていたけれど
認めるしかない。
自分より先に、ほんの一瞬の生を終えてしまうのだと分かっていても
衣梨奈を、里保を、春菜を、優樹を、遥を、亜佑美を、失いたくない。
勿論聖や香音も――。

ハッと顔を上げる。

さゆみの脳裏、嘗て見た忌まわしいイメージが不意に浮かび上がった。

「りほりほ、香音ちゃんたちに連絡取ってみて!」

長い沈黙を打ち破ったその声に、里保もまた何かに気付いたらしくビクリと身体を震わせて瞳を揺らし、肯いた。
聖と香音に纏わる、以前聞かされた話をたちどころに思い出したらしかった。

「香音ちゃんに電話してみます。どぅー、ふくちゃんの方お願いしていい?」

「わかりました」

遥もずっと続くただ事では無い雰囲気に、こめかみに汗を浮かべ肯いた。

二人が携帯電話を取り出し素早く指を動かす。
それから強張った面持ちで耳に強く押し当てた。

次第に里保の顔から血の気が引いていく。
それを見て、亜佑美や優樹も顔を青くした。
因子のことを知らなくとも、二人が何らかの事件に巻き込まれたのだと直感したから。


「……繋がらない」

「譜久村さんも、繋がりません…」

「そんな…譜久村さんと鈴木さんが…」

里保と遥の言葉に、思わず亜佑美が声を漏らした。

当たって欲しくない、嫌な予感がいよいよ現実味を帯びたことに
さゆみは三度、自身の爪を強く噛んだ。


 


「う…ん…」

不意に聞こえた声に、全員の視線が集まった。
衣梨奈が、小さく呻き身を捩っている。

「えりぽん!」

「生田さん!」

里保達が慌てて駆け寄る。
視線の中で、衣梨奈の瞼がゆっくりと持ち上がった。
と、その体が急に起き上がる。

「…さくらちゃん!!」

衣梨奈の叫んだ名前の意外さに、みんなの足が一瞬止まる間
衣梨奈は辺りを見回し、ゆっくりと状況を飲み込んだ。

側で春菜も同じように小さな体を捩り、目を覚ましていた。

「生田さん、大丈夫ですか!?」

「はるなん、いったい何があったの…?」

衣梨奈は矢継ぎ早に質問が飛ぶ中、重い目と頭を忙しなく動かしていた。
自分を取り囲む人の中に聖と香音の姿を探す。
そして、その姿がどこにも無いことを確認すると同時に、弾かれたように鮮明な記憶が蘇った。


「聖と香音ちゃん…聖と香音ちゃんがさくらちゃんに…」

「え…?さくらちゃん?」

誰もが忘れていた小田さくらの名前に、混乱が広がる。

衣梨奈はそのまま立ち上がり、勢いどこかに行こうと構えた。
その両肩を、いつの間にか側に来ていたさゆみが柔らかく抑え、再び座らせる。

「大丈夫はるなん?」

さゆみが春菜に声を掛けると、春菜も緩々と四肢を立ち上げ小さく肯いた。

「はい、すみません道重さん。ご迷惑をおかけしました」

さゆみは小さく首を横に振り、促した。

「生田、はるなん、何があったのか順を追って話してくれる?」

さゆみの強い目に身体の力を抜かれた衣梨奈が、深く悲しそうに肯き話し出した。

「…帰り道、聖と香音ちゃんをいつも通り送ってたんです。
そしたらさくらちゃんが待ってて」

「なんで小田ちゃんが…?」

亜佑美が思わず口を出す。
衣梨奈はちらりと視線を向け、悲しそうに首を振った。

「わからん。でもなんか聖と香音ちゃんと、よく分からん話をして
急に二人が眠らされて、えりも気が付いたら…」


「どういうこと?まさか小田ちゃんが魔道士だったってこと…?」

里保がぽつりと漏らす。
その答えを、春菜が引き取った。

「彼女は…魔道士でした。
確かに生田さんは魔法で攻撃されて、気を失った。私もです。
だけど……彼女からは一切魔力を感じなかったんです。
間違いなく魔法を使っている、その最中すらも…」

一同がまた混乱と困惑の為に表情を曇らせた。

「魔法を使ってる間も、魔力を感じなかった…?」

さゆみが何かこれまでとも違う驚きをその顔に浮かべて、春菜に聞き返した。

「はい……ありえないこと、のはずですが、実際にそうでした」

「えりも自分がやられたから分かります。
何も魔力を感じなかった…」

二人の言葉を聞き、さゆみの表情がみるみる変化していく。
里保はそのさゆみの表情を、信じられないもののように眺めていた。

そこに動揺や疑念を押しのけて強く表れた表情は、大別すれば『怒り』に近いものに思えた。


「飛竜…か…」

さゆみは不意に立ち上がり
窓際に向かうと、乱暴に窓を開け放ち、雨戸も開いた。
一気にに部屋に暴風雨がなだれ込み、色々な物が吹き飛ばされるのも構わず、耳を澄ます。
瞬く間にずぶ濡れになるのも厭わず、暫くそうしていたけれど
風の音に紛れて既に遥かかなたを飛んでいる飛竜の羽音を聞きわけることは出来なかった。

窓を閉め、忌々しさを隠しきれず振り返ったさゆみに
衣梨奈が恐る恐る尋ねた。

「道重さん、いったい…」

さゆみは全身に仄かに怒りの魔力を纏って、吐き捨てるように言った。

「アイツだわ」


 


ようやく、点と点が繋がった。

さゆみはもう一度窓の外に視線をやった。
荒れ狂う風雨の向こうには黒々とした夜の闇。

ともすれば冷静さを失ってしまいそうな自身の頭を
闇を見つめて何とか冷ます。

時間が無い。
動かなければならない。
それも、確証を持ってでなければならない。

聖と香音を誘拐した目的。
その手段。

さゆみは何度も何度も、恐ろしいスピードで思考を巡らせ
やはり首謀者が「あの男」以外ではありえないという結論に至った。

とすれば自分の取るべき行動も決まる。
二人を取り戻す。

「道重さん、アイツって…」

里保がおずおずと声を出す。
さゆみは思考を働かせながら、自身を落ち着かせる為それに答えた。

「昔ね、そういう薬を作った男がいたの」

「そういう、薬…?」


「そう。ある魔道士が悪戯に作り上げた悪魔の薬。
それは魔力の気配を消す薬。
それも、その効果の間は、どんなに魔法を使っても、その気配を一切消してしまうものだった」

今回は流石に相手が悪すぎる。子供たちが関わっていい相手じゃない。
だけど、話すべきことでは無いと思いながら、さゆみは自分の為に話し続けた。

「魔道士って魔力を頼りに動くでしょ?
誰かが魔法を使うと、必ず相応の魔力を感じる。
魔道士が争う場合、それを前提に身を守ったり、相手の魔法の質や動きを把握するよね。
もしそれが全くできないで、相手が魔法を使う瞬間すら把握できなかったらどうなるか。
一見地味だけど、実は昔から『魔力の気配を完全に消す』って研究はされててね。
ソイツがたった一人で薬を完成させて、流通させたら一気に広がったの。
争いに利用されて、凄い数の人が死んだよ。
まだ世の中が混沌としてた時代でさ。いろんな国や勢力がこぞってその薬を求めた。
魔道士たちは、突然何の対応も出来ず命を失う恐怖に怯えてね」

子供たちが息を呑む。

「ある時アイツは『飽きた』って言って薬を作るのを辞めてしまった。
多くの魔道士が、その現物を元に薬を再現しようとしたけど、結局誰も出来ないまま
薬は世界から無くなり、時間が経ってその存在も忘れられることになった」

「まさか…じゃあその薬を、あの子が…」

春菜が髭と口元を震わせる。

「そうだね。多分その小田ちゃんって子、飲んでたんだろうね」

衣梨奈の顔が歪む。亜佑美も、遥も、優樹も、泣きそうな顔になった。
さゆみの口からはっきりと、さくらの裏切りを告げられたようなもの。
それも、失われたはずの『悪魔の薬』を飲んで。


「でも、何で小田ちゃんが…。その薬は失われたはずじゃ…」

里保がさゆみに結論を急かす。
さゆみは一層深く眉根を寄せ、言葉を続けた。

「失われてればよかったんだけどね、生きてるの。
その薬を作った本人が」

「まさか…」

「三大魔道士、知ってる?」

さゆみの言葉に、子供たちは雷に打たれたように慄き、
蒼白の顔からさらに血の気を引かせた。

「三大魔道士…」

遥が呟く。
春菜が耳を震わせ、声を出した。

「『西の大魔道士』『金色の魔法使い』そして『大魔女』道重さん。
不老長寿の魔法を持つ3人の大魔道士…。まさか、二人のうちのどちらかが…?」

さゆみが肯いた。

「薬を作った男は『つんく』。本名は知らないけど。
三大魔道士の一人、『西の大魔道士』と呼ばれてる男」

一層強い風が窓を叩きつけ
どこかで重苦しい雷鳴が轟いた。
子供たちが息を呑み、身動ぎも出来ずさゆみを注視する。
さゆみは大きく深いため息を一つ吐いた。


「じゃあさくらちゃんの目的は、最初から聖と香音ちゃんやったってこと…?
人を探してるって…」

「そういうことになるね」

衣梨奈の苦し気な言葉をさゆみが肯定する。
衣梨奈も里保も、酷く顔をゆがませ戦慄いた。
二人の『因子』が狙われている。
その恐ろしいイメージが脳裏に駆け巡っているらしかった。

逆に遥や亜佑美や優樹、それに春菜も何故聖と香音が狙われたのかには思い至っていない。
さゆみは、遥達は勿論、春菜にも二人の『因子』について話してはいなかったことを思い出した。
告げる必要は無いと思っていた。
聖も香音も、自分たちが何か特別な者として接せられることを喜びはしないだろうし
そもそも生涯をそんなものとは無縁のまま終える、そのはずだったから。

例えそれを知る者がいたとしても、にわか仕込みの魔道士が、さゆみの下から二人を奪うことなど不可能だと高を括っていた。
まさかソレを良く知る、さゆみと同格の魔道士が絡んでくるとは思いもよらなかった。

他の二人の三大魔道士は、何を考えているかも、何をしでかすかも分からない。
それは十分理解していたはずなのに、同じ立場である自分には何もしてこないだろうと
思い込んでいた。

だからといって対策をしていなかったわけでは無い。
『西の大魔道士』や『金色の魔法使い』がさゆみの命を狙う理由は無いにしても
互いに大きな力を持っている以上、相互に警戒はしている。

特につんくは薬を持っているから、さゆみは魔力に関係無く二人の大魔道士の『存在』自体を感知する魔法を作り上げていた。
いくら薬を飲もうと、つんくがこの街に足を踏み入れればすぐに気付くように。

つんくはたった一人で島に閉じ籠り研究をしていると、誰とも関わることは無いという思い込み。
操られているのか、洗脳されているのか、協力者なのかは分からないが
第三者である小田さくらという少女が実行者になったことは、完全に裏をかかれた事態だった。

魔道士協会の前会長から「西の大魔道士の動きが不穏だ」ということを聞いていた。
ヒントはあったはずなのに、気付けなかった。

大きな間違い。明らかな失態。


ならば、取り返さなければならない。
あの男に、さゆみを怒らせるということがどういうことか
分からせてやらなければならない。

確かに時間は無い。

だけど、二人の因子が狙われたと分かり
その犯人が、因子について深くよく知る人物であったことは僅かな安心材料でもあった。
俄かにしか知らない者ならば二人にどんなことをするか分からない。

だけれども、よく知る者ならば『因子持ち』をぞんざいに扱うことは出来ない。
目的は魔法の実験だったとしても、慎重で複雑な手順が求められるから
一日二日の間に二人がどうにかされてしまうことも無い。

そこまで考えて、さゆみはまた自分を戒めた。
『何をするか分からない男』
そしてその魔法の研究が、今現在はどこまで進んでいるのかも分からない。
楽観視してはいけない。思い込みも邪魔。
ただ一刻も早く、二人を取り戻さなければならないのだ。


飛竜のスピードと二人が攫われた時間を考えれば
もう遥か彼方を飛んでいるだろう。
追跡は難しい。
それならば、つんくの居場所を探す方が速い。

といって、あの男が拠点としている、誰も近づくことの出来ない島や山岳などはいくつもあり
今現在そのどこに居るのかを知っているわけではない。
使い魔を飛ばすにしろ、千里眼でくまなく探すにしろ時間がかかる。

様々な魔法を持っているはずだったけれど
他人に興味を示さず長い時間を過ごしたさゆみは、相応の力を持つ魔道士を一方的に探索する、
そんな魔法を突き詰めては来なかった。
方法はあるにしても、一番速い方法がどれか分からない。
考える前に飛び回って探す方がまだマシかと思えるくらい。

「助けなきゃ、聖と香音ちゃんを…!」

衣梨奈が再び立ち上がる。
里保もつられて立ち上がった。

だけど子供たちには、具体的にどこをどう探し何をすればいいのか
まるで分かっていないことが一目瞭然だった。
飛竜の羽音のことを知っているわけでも無いから、まだ街の中にいるのだと考えてしまえば
それこそいくら探しても無駄骨になってしまう。

衣梨奈や里保の表情を見るのは嫌だった。
さくらのことも含め、今またどれ程の苦悩に襲われているか、察するに余りある。
だけどやはり今回だけは、子供たちの手に負える事態ではない。

さゆみ自身の失態なのだ。


「座りなさい、生田」

「でも!」

さゆみの低い声に、衣梨奈が悲痛な声を上げた。

「相手は三大魔道士。今回ばかりは生田達じゃどうしょうもないよ。
気持ちは分かるけど、さゆみが二人を連れ戻すから、ここでじっとしてなさい」

「道重さん!!」

里保も思わず叫んだ。
衣梨奈が拳を握りしめ、歯を食いしばってさゆみを見つめる。
亜佑美も、遥も、優樹も、春菜も、不安を顔中に張り付けられたようにさゆみ達を見ていた。

特に衣梨奈は、自分の目の前で二人を攫われた。
守ると誓ったにも関わらず。
その悔しさも辛さも、さゆみの胸を刺すように伝わって
だからこそさゆみ自身、不甲斐なさに泣きたくなった。

体裁や形振りを構ってはいられない。

さゆみは顔だけはあくまで冷静に、衣梨奈と里保を視線で窘め
パソコンを立ち上げた。


最も早くつんくの居場所を突き止める方法。
確実では無いけれど、その可能性がある方法を試す。

昼間やり取りしたメール画面。
思えばそのタイミングも、前兆だったかのよう。
もう長い間、存在について考えることさえしなかった、同じ立場の二人の魔道士と
再びこんなにも関わらなくてはならない日がくるとは思わなかった。

「G.M」のメールを開き通信画面を呼び出す。

子供たちはその様子を訳も分からず見守っていた。

通信が繋がる。

画面には少し驚いた顔をした美しい女性が映った。

『びっくりしたー。どうしたの道重ちゃん?』

女性の顔は、さゆみを認めてふにゃりとした笑顔に変わった。

「お久しぶりです、後藤さん。少しお願いしたいことがあるんです」

さゆみは画面に向け小さく頭を下げ、切り出した。

 


 


『なに?珍しいね、お願いなんて』

女性が驚いた顔をしたのは本当に一瞬だけだった。
それ以降は穏やかな、眠たげな笑顔を続けている。

衣梨奈たちは酷く不思議そうにその画面を見つめていた。
さゆみを『道重ちゃん』と呼ぶ。そんな人を、場面を初めて見たから。

「『西の大魔道士』の居場所を知りたいんです」

『つんくさん?』

「はい。今、現在の居場所を。後藤さんなら、分かりませんか?」

春菜と里保が同時にハッと顔を上げた。
さゆみ以外の三大魔道士に会ったことはなくとも、名前ぐらいは知っている。
”大魔女”道重さゆみ、”西の大魔道士”つんく、そしてあと一人は”金色の魔法使い”後藤真希。

『うーん、知らないなぁ。何かあったの?』

「ちょっと面倒事があって」

『道重ちゃん、怒ってる?』

「はい」


『そっか。つんくさんかー。ごとーは知らないけど、ちょっとネトゲ仲間に聞いてみるよ。
他でもない道重ちゃんの頼みだしねぇ』

「お願いします」

さゆみの怒りを感じ取っても、真希はのんびりとしたペースを崩さず
画面の向こうでキーボードを叩きだした。
三大魔道士が知らないことを何故「ネトゲ仲間」が知っているのだと思わなくはないが
こと後藤真希という人物にそういう普通の感覚は通用しないことをさゆみはよく知っている。
そしてそれはつんくや、自分自身にも言えること。

『あ、分かったよ。
んーと、”南西のTN2209海域の孤島”だって。どこだろねぇこれ。この言い方で分かる?』

「はい、分かりました。ありがとうございます。この借りはいずれ返します」

『いいよ気にしないで。また今度ゆっくり話そ』

「是非。では失礼します」

『うん。あ、喧嘩はほどほどにね』

真希が冗談めかして言うのに、さゆみも苦笑する。

「アイツ次第です。それでは」

最後に少しだけ微笑み合い、通信画面を閉じた。


随分久しぶりに見た真希の顔。
だけどその美しさも、雰囲気もまるで変っていなかった。
だから仄かな懐かしさと、嬉しさがこみ上げる。
借りを作るのは嫌だったけれど、結果的には知りたいことが最速で知れた。
多分これ以上早く信頼できる情報は無い。
ことが終わったら、ピスタチオでも持って真希を訪れよう。

さゆみは再び立ち上がった。

「道重さん、今の人はもしかして…」

春菜が恐る恐る声を掛けると、さゆみが振り返る。

「三大魔道士のもう一人。顔ぐらいは覚えておいてもいいかもね」

さゆみがもう一度窓を開ける。
再び部屋中に風雨がなだれ込んだ。
縫いぐるみやメモ用紙が飛び散るなか、衣梨奈達はさゆみの背中を見ていた。

「ちょっと行ってくるから。
もしふくちゃんと香音ちゃんのお家から連絡があったら、今日はさゆみの家に泊まるって言っといて。
夜明けまでには戻るから」

「道重さん!待ってください、えりも行きます!」

「うちらも、お手伝いさせて下さい!」

衣梨奈と里保がさゆみに駆け寄る。
さゆみは、どんな表情をすればいいか分からないまま振り返った。
結局、それは酷く威圧的な顔になった。


「だめ。
大人しく二人を返すような男じゃない。
戦うことになるから」

「それなら尚更…」

言い募る里保にさゆみが手を伸ばした。
風が3人の髪をぐちゃぐちゃに掻き混ぜ絡ませる。
その全身は雨に濡れて、涙のように水滴が頬に張り付いていた。

さゆみが里保と衣梨奈の頬に手を添える。
それから小さく微笑んだ。

「大丈夫だから。待ってて」

衣梨奈にも里保にも、そのさゆみの笑顔は
いつもの自身に満ち溢れたものとは違うと思えた。
だけど、次の言葉を発する間もなくさゆみは振り返り庭に降りた。

追おうと一歩踏み出す衣梨奈達の前で
さゆみが眩い光に包まれたかと思うと
その背に巨大な美しい透明の羽が備わっていた。

それが空を一掻き。
さゆみの身体が浮き上がったかと思うと、凄まじい勢いで空に舞い上がり
一瞬でその姿が見えなくなった。

遥も優樹も春菜も窓際に駆け寄る。
びしょ濡れになった窓枠の向こうには、もう轟々とうねる嵐の夜が広がるばかりだった。


 

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最終更新:2015年03月27日 20:34